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企画掌編集  作者: 市太郎
【五枚会】
9/18

【第九回】 慈雨

・テーマ/砂漠

・禁則事項Ⅰ/擬態法使用禁止

・禁則事項Ⅱ/擬人法(偽物表現も含む)使用禁止

 

 

 

 瞼を閉じれば、あたかも現存するかのように浮かぶ情景がある。

 幼き頃より繰り返し見るその『夢』は、歳を経て今なお多様に姿を変えるが本質は変わらない。


 例えば。

 見渡す限りの砂地は吹き荒ぶ風に砂塵が舞い上がり、僅か先の視界でさえをも隠してしまう。

 シャツで口元を覆うが、隙間から潜り込んでくる砂に鼻や喉そして目を傷める。

 居ても立ってもいられずにその場へ蹲って身を守ろうとするが、更に風は強まる一方で砂嵐となる。

 身動きできない体に砂が積もり重なって、瞬く間に砂地の一部へととけ込んでしまう。

 成すがままに砂を被り続け、熱した空気に肺は澄んだ酸素を、喉は清涼たる水を求めるが、粘つくように感じていた唾液さえもが枯れ果て、いくら舌を強張らせてみたところで涸竭した口内は僅かな湿り気ももたらす事はない。

 そして、訪れるのは音も無い真の闇。


 例えば。

 空を見上げれば雲ひとつ無く、灼熱な日差しで照り付けてくる太陽。

 直視する事もできない日差しを受け、乾きにひび割れた大地を永遠と歩き続ける。

 触れただけで脆くも崩れる枝の塊、そよとも風は吹かず、荒涼とした大地との境目は蜃気楼に揺らいでいる。

 その揺らぎの中に浮かぶ一際濃い青を求めて歩き続ける。

 希求し続けたオアシスだ。

 しかし、それが逃げ水だという事も分かっている。

 歩けど歩けど決して辿り着けない事を承知していながら、それでも飢渇さから歩き続けてしまう。

 繰り返し踏み出す一歩が次第に重くなり、やがては片膝が地に突き、体が頽れ落ちても手を伸ばして這い進む。

 過酷な日差しに肌は火脹れを起こし、体の水分を全て失った後に訪れるのは音も無い真の闇。

 

 

 夢として見る砂漠には、不安、孤独、絶望によるところが大きいらしい。

 しかし、物心つく頃より繰り返し見る風景が、不安や孤独、絶望を感じたからとは思えなかった。

 瞼を開けて訪れる現実と同時に襲ってくる飢渇感から、水を満たした浴槽に体を沈める事が日常となった。

 最大の冷蔵庫だけでは収まりきらず、自宅にウォーターサーバまでもを置いて渇きを凌ごうとするが満たされた事はない。

 飲めるだけの水を飲み、そして吐いてしまう。

 当然だ。

 実際の体は水を求めている訳ではないのだから。

 時には岩石であり、礫であり、砂や土へと景色を変えながらも耐え難い飢渇をもたらすそれらの場所へ一度として訪れた事はないし、そもそも現存する場所なのであるかも疑わしい。

 だが、砂の一粒でさえもが現実味を帯びている。

 ならば前世の記憶によるものかと思いもした。

 神経科学、心理学を学びながら宗教にも没頭した時期はあったが、結果としては徒労であった。

 何一つ、納得のいく回答は得られなかった。

 何を試しても渇きが癒される事はなかった。

 一度として満たされる事なく、このまま一生を終えるのだろうか。

 今では真実となった絶望を抱きながら、今宵も音の無い闇へと堕ちていく。



 ――――景色が変わった。

 砂塵吹き荒ぶ乾いた景色に、灼熱とした太陽の光が照り付ける景色に、そしてひび割れた大地と逃げ水が漂う景色に、初めての雨季が訪れた。

 一度として痛みや熱を感じた事はなかったのに、雨の痛みはなんと柔らかくて温かく感じる事だろうか。

 両手を広げ全身に降り注ぐ恵みを受ける。

 肌だけではなく体の内からも満たされようと、口を限界まで開けて喉を潤していく。

 乾涸びた細胞までもが潤い満たされていく気分に自然と頬が緩み、声を上げて笑いながらまるで子供に返ったかのようにはしゃいで辺りを駆け回った。

 走る先々の全ての場所で雨が降りしきる。

 髪を濡らし、服をも濡らし、乾涸びていた大地に跪き、幾つもできた小さな水溜りを両手で掬い顔面に擦り付けた。

 気の昂ぶりのままに天を仰いで哄笑し続けていたが、やがて雨は勢いを弱め、そして止んでしまった。

 太陽を隠していた暗く厚い雲が勢いよく流れて行くのが見える。

 雨季は去り、再び乾季が訪れたのだ。



 瞼を開けると直ぐ前には白目を剥いている少女がいた。

 両手は背後でまとめられ、括った両足は梁から吊り下げられている。

 両方の耳の下を繋ぐようにして切り裂かれた喉の奥には白い骨が覗き見え、(おびただ)しく溢れ出た血に少女の顔は赤く濡れている。

 その目は既に生気を失い、脈を打っていた鼓動は止まっている。

 血潮は切り裂かれた喉から全て出ていってしまったのだから。

 肌がふやけるほど水に浸り、吐くほどに水を飲み続けて尚、一度として渇きが満たされなかったというのに彼女のお陰でかつて無い充足感に満ち溢れている。

 感謝を込めて彼女へ口付けた。

 両頬を手で挟み、だらりと垂れ下がった舌を絡ませて、擦り合わせ、啜り上げる。

 口腔に溜まった分も余す所なく嘗めつくし、赤く汚れた顔も丹念に舐めていく。




 もう二度と飢渇に絶望を覚える事は無い。

 これからはいつでも恵みの雨を得る事ができるのだから。

 

 

 

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