【第一回】 形代
・テーマ/人形
・禁則事項/主人公の「」による会話文禁止
恋をした。
一目惚れだった。
しかし、左手の薬指にある指輪が報われない恋なのだと知らしめる。
それでも彼を思う気持ちは諦めようがなく、少しでも多くの時間を過ごしたくて朝は誰よりも早く出社して部署の机を拭いて回った。
美味しいと喜んで貰いたくてお茶を習いに行き、少しでも彼の役に立ちたいと思い資格も取得していった。
残業を頼まれれば喜んで残って仕事をこなし、雑務も自ら進んで行っていった。
直属の上司である彼が気を揉む事が無いように、他の女性とも当たり障りなく関係を築いていった。
でしゃばり過ぎず、しかし細やかな気遣いは忘れぬように。
そうして、ようやく彼のアシスタントとして隣へ立ち、誰よりも多くの時間を過ごせるようになった。
彼と共に仕事をするようになり、色んな事を知るようになった。
彼の食の好み、ファッションの好み、好みの女性のタイプや所作、仕事の処理の仕方や流れに段取りの好み。
奥様の事や子供の事も。
私は少しずつ彼の好みに合う女へと変わっていった。
髪形、化粧、服に小物、所作も、彼でさえ知らない彼の好む姿へと変わり、彼好みの女になっていく自分が嬉しかった。
彼が好む物は全て私の好む物となり、彼が愛する者は全て私が愛する者となった。
上司と部下との一線は決して越えず、彼の信用を得られるまでになった。
些細な偶然を切っ掛けに、彼の自宅へ伺う機会があった。
それからは、共稼ぎである奥様とも少しずつ打ち解けていき、たびたび彼の自宅へ伺う機会が巡ってきた。
彼とは休みが異なる奥様に代わり、子供の遊び相手となり姉となり母となった。
会う回数を重ねるごとに家へ上がる機会も増え、私の作る料理で彼と子供と夕食を過ごすようになっていった。
彼の子供は私の手料理を喜び、その子供の姿に喜ぶ彼を見て私は幸せを感じていた。
少しずつ、少しずつ、彼の家が、奥様の台所が、彼らの子供が私の色に染まっていく一方で、少しずつ奥様の気配は薄くなっていった。
ある日の事、珍しくも彼が酒に呑まれて強かに酔った日があった。
そのままにしておけず介抱しながらさり気無く聞いてみれば、奥様の浮気が原因であった。
管理職へと出世してからは更に仕事へと打ち込み、家庭を顧みない日が続いていた。
その事で、幾度と話し合いをしてきたがいつも喧嘩となってしまい、解決には至らないまま遂には奥様が家を出てしまわれたのだ。
不甲斐無いと涙を流す彼を見て私は悲しかった。
愛する男の悲しむ姿を見て、どうして慰めずにいられようか。
私も涙を流しながら気付けば彼を抱きしめていた。
私の体で彼の心が慰められるのであれば、私自身が望む事ではあるけれど、今ベッドを共にしては後々彼に迷惑が及んでしまう。
だから私は彼の誘いを断った。
それから暫くして、彼は奥様と離婚をした。
離婚した直後は幾らか荒れていた彼だったけれど、徐々に落ち着きを取り戻し本来の彼へと戻っていった。
その後も私は彼のアシストとして公私に渡り傍に居続けた。
この頃からか、彼の子供が体調を崩す事が多くなった。
元々気管の弱い子供でまだ母親の手が必要な年頃。
更には、親の離婚の一因が自分にあると見当違いにも悔いてた子供は、心を弱らせ、そして体を弱らせていった。
女手を必要とする彼の家に訪れては、子供の面倒を甲斐甲斐しく見て、仕事から戻った彼へ用意した料理を振舞うのは私の喜びでもあり、彼が私に愛情を抱くのも当然の成り行きだったと思う。
そこに打算が無かったと言えば嘘になる。
私は未だに彼を愛しており、色褪せぬ思いを抱き続けながら、彼が私に愛情を抱くよう出会ってからずっと願い、そうなればと努めてきたのだから。
そして、彼と初めて出会ってから十年の月日が経ち、私は愛する彼と結婚した。
私は具合の悪い子供の様子を見に夜遅く子供部屋へ向かう。
静かに歩み寄り、浅い呼吸を繰り返す子供を暫く見下ろしてから、そっと布団の中から子供の手を取り引き寄せる。
そして額からこめかみ、頬から首へ、そして肩、腕、胸、腹と子供の手で順番にゆっくりと私の体を撫でていく。
穢れを払い給え、穢れを払い給え、穢れを払い給え、と願いながら。
一通り撫で終えると掴んだ子供の掌に息を三回吹き掛けて、再び布団の中へと戻してあげる。
彼の家に招かれ泊まるようになってから、あの人と結婚してから毎晩欠かさず続けている行為。
私の穢れや災いをこの生きた形代へと移し続けている。
この形代が本当の形代になった時、彼の妻であった女への憎悪も、浮気を唆した罪も、忌々しい女の血を引くこの子供の存在も、全て業火に焼かれ清められる。
そうすれば、私は晴れて本当の彼の妻となり、愛する男との子供を持って幸せになれるのだから。
だから早くその体を焼いて、私の穢れを清めて頂戴。