第3話 然
「いやぁ、相変わらず広いですねぇ。何度来ても迷いそうになりますよ」
「まったく。だからって生徒にここまで案内してもらうか? 教師たるもの常に生徒の手本になるようにだな」
ここは『然』の本部の神社内。3つの本部内で最大の大きさと生徒数を誇る『然』。20人も満たない『陰』とは打って変わって生徒数は200人を超えるほどである。
「いやいや。生徒達が自主的にですね」
まだ若く、整った顔立ちに頭も賢いノワエは女子生徒から密かに人気なのだが、ノワエは天然なのかまったくその事に気が付いていないようだ。
「…………」
ノワエの向かいに座っている彼。『然』の教師であり、マナの祝福達を総括するマグヌス=ルトゥムは呆れた顔をした。
58歳とは思えぬ屈強な体。この体格の狩衣姿はとても違和感があるが、『然』では狩衣は男性の、巫女服は女性の制服でもあるのだ。
「まぁいい。今日は忙しいだろう。早速本題に入る」
そういいながらマグヌスは書類のようなものをノワエに渡す。
「被害報告書ですか」
「あぁ。全て魔物による被害だ。1週間で死者はおおよそ50名。軽傷、重傷者も合わせれば被害者は約200名。更に作物や家畜にも被害が出ている」
「ふむ」
報告書を静かに見つめるノワエ。
「城の軍や城下に住むマナの祝福たちが魔物を退治したのだが。やはりかなり苦戦を強いられたそうだ。で、ここでお前に尋ねたいのだが――」
「陰の生徒、卒業生にこれほどの大量の魔物を召喚できる実力者がいるのか? ですね」
ノワエはそう言うと、質問を奪われたマグヌスは一瞬ムっとした表情をした。
「まぁ報告書にあるレッサーデーモンなら平均5~8匹ぐらいは呼び出せますかね。20匹なんて主席クラスの力ですよ。まぁ僕なら20匹ぐらい余裕ですけど。でもこんなまどろっこしいマネしませんよ。僕ならもっと強力な魔物を1匹呼び出してすべて壊滅させます。レッサーデーモンなんて低級魔物を大量に? そんなめんどくさい」
「何だと!?」
ノワエの言葉にマグヌスは立ち上がる。
「冗談ですよぅ。もう本当に冗談が通じないんだから」
真面目過ぎるぐらい真面目なマグヌスがノワエは苦手だった。
「笑えぬ冗談は嫌いだ」
マグヌスはそう毒づくと静かに座った。
「それはともかくそんなことする動機がないでしょう」
「動機ならあるだろう。国に不満を持っている人々は多い」
「そうでしょうね。高い税金を取るだけ取ってマナの力はほんのちょびっとしか使わせてもらえないんですからね」
「仕方ないだろう。でも国王は皆の為を思っておられる。マナを狙う卑しい他国から民衆を守るのには人とお金がかかるのだ」
(本当に真面目ですね。一度人々の暮らしをその目で見れば考えが変わるでしょうに)
「なんか言ったか!?」
ノワエの小声を聞き取ったのか、マグヌスは再び立ち上がる。
「わかったからいちいち立たないでくださいよぅ。で、話が逸れましたね。動機はある。ですが、人をむやみに傷つけるために力を使うことなかれ。マナの祝福の教えの一つですよ」
「教えがうまく伝わっていないのだろうな。お前の教育不足だ」
「僕が教師についたのはおよそ1年前。師匠が亡くなってからです」
「ジャッキー=リー氏か。彼は本当に優秀な人間だった」
『陰』使いでありながら武道にも精通していた、前マナの祝福統括者。ノワエもお世話になった偉大な先生だったが、病には勝てず1年前、80歳で亡くなった。
「ではお前が教師になったのが不服だった者は?」
「性別も身分も出身地も関係ない。すべてはみな平等な人間なのだ。師匠の口癖です。生徒たちはそれをよく理解し、余所者の僕が師匠の後継ぎとなる事に対して背中を押してくれました」
ノワエは十数年前、賈估が突然連れてきた少年だった。遠い祖先がマナの祝福で自身も力に目覚め、本場のマーカフミラビリシュで修行をしたいと言ってきた。王族やマグヌスは反対したが、ジャッキーの強い推薦で入国を認められたのだ。
「そうだ。動機はあるって言いましたけど。この被害報告書何か気がつきませんか?」
「ん? 何がだ」
ノワエの言葉にマグヌスは険しい顔を見せる。
「魔物は最初、スブリミスに現れました。しかしその後はヒューミリスばかりこれはどういうことでしょうか」
城を囲むようにある地域がスブリミス、そしてスブリミスを囲むようにある地域がヒューミリスである。王に忠誠を誓い、高い税金を納め溢れるマナの力を存分に使えるスブリミス。そしてとても苦しい生活を強いられているヒューミリス。王族だけでなく人々にも貧富の差が出ているのだ。
「何が言いたい」
「ですから。国に不満があるなら城に直接魔物を呼び出すでしょう。上の者の裕福な生活が妬ましいならスブリミスを襲う。でも何故、ヒューミリスを襲ったんでしょう」
「むむむ?」
マグヌスは思わず唸る。彼の想像した犯人像が脆くも崩れ去ったからだ。気品ある王族やスブリミスの者達がそんなことをするはずがない。ではいったい誰が?
考えをめぐらせるマグヌスの目にノワエの姿が飛び込んできた。
「やっぱりお前か!」
「ちょ、ちょっとなんでそうなるんですか!?」
マグヌスはノワエの胸倉をつかもうと手を伸ばしたその時!
「あ、あのっ。」
ノックの音が響いた。