第60話:吟遊詩人、不協和音(スパイ)を捨て、不器用な男の手で温かな和音へと転調する
時系列の確認
今話は『聖刻の円卓』のクラン連中が去った後のドドンパがルナールを連れ出した後で
少し歩いた後の時間になります!
本編「観測者:クエストを発行し本を買ったところ。」
今話「吟遊詩人:連れ出され、カフェへ。本編のクエスト発行が同時刻」
◇ 始まりの町 エウレカ
私は、ドドンパさんに連れられてエウレカの石畳の町を歩いていた。
(……心拍数、BPMにしておよそ135。ヴィヴァーチェ(快速に)。
まずい、完全に走ってる。
普段の私のアンダンテ(歩くような速さ)はどこに置き忘れてきたのぉ……)
夕暮れに染まる始まりの町。
NPCが行き交う賑やかな雑踏も、石畳を叩く自分の足音さえも、今の私には酷く耳障りな不協和音にしか聞こえない。
だが、隣を歩くドドンパさんの歩幅はゆったりとしていて、そのリズムは不思議とメヌエット(優雅な舞曲)のように穏やかで心地よかった。
「ほら、着いたぜ! ここ、最近評判のタルト屋なんだ。
潜入……あ、いや、攻略の疲れには甘いものが一番だろ?」
カランコロン、と可愛らしいドアベルの音を鳴らして彼が店に入る。
促されるままに足を踏み入れると、甘い焼き菓子の香りがふわりと漂ってきた。
彼が私を振り返り、屈託なく笑う。
その声の倍音はどこまでも澄んでいて、嘘の濁りが一切ない。
それが、私の胸をさらにきつく締め付けた。
私の本来の『旋律』は、このクランの攻略データを盗み出し、兄のいるクランを裏で操る、あの冷徹な支配者
『俺もお前も俺』さんに差し出すこと。
あの男の声は、いつも低く、湿ったコントラバスのように私の心に這い寄ってくる。
逆らえば、私の世界は不協和音で塗り潰され、居場所を奪われる。
でも、このカオスアトリエは……?
データ至上のイオリさんは、私の「音を数値で測る」という狂気を否定せず、同じ観測者として私を見てくれている。
石を異常なまでに愛でるフゥさんも、カワイイ物大好きなシロロちゃんも、いつも温かいジィサンさんも、おやつ大好きなぽよんちゃんも。
彼らの『狂気』という名の旋律は、互いを拒絶することなく、奇跡的なポリフォニー(多声法)を奏でているのだ。
(……町のBGMは、今は穏やかな弦楽のピチカート。
でも私の内面は、激しいストリンジェンド(だんだん速く)。
追い詰められてる。
私は、この温かい和音を壊さなきゃいけないの……?)
「どうした? 顔色が悪いぞルナールちゃん。……あ、もしかして、店内のBGMが気に入らなかった?」
ドドンパさんが、気遣わしげに覗き込んでくる。
その真っ直ぐな瞳と優しさに触れた瞬間、私の心臓が「フォルテッシモ」で跳ねた。
「……あっ。ごめんねドドンパさん! 違うの、違くて……」
私の頬を、熱い雫が伝い落ちた。
それは、偽りで塗り固めた私の旋律が、一気に崩れ落ちるグリッサンド。
高音から低音へ、理性が感情へと引きずり下ろされるような、制御不能な滑走だった。
今まで、このクランを騙すために張り詰めていた緊張の糸が、涙の一滴であっけなく弾けてしまったのだ。
音と音の境界が曖昧になり、スパイとしての自分と、ただここで笑っていたい自分の境界線が、どろどろに溶けていく。
(……このまま、この滑らかな音の連なりに身を任せてしまいたい。
裏切りという鋭いスタッカートを捨てて、彼らの優しい和音に、ただの一音として混ざり合いたい……!)
涙は止まらない。
それは、私の凍り付いた心が『俺もお前も俺』さんの支配から解け、カオスアトリエの温かさへと転調を始めた合図だった。
「ほら、ルナールちゃん。好きなモン選んで!」
ドドンパさんが、慌てた様子で注文専用の端末を私に差し出してくれる。
私は、彼のその不器用な優しさに少し吸い込まれる感覚を覚えた。
(……BPM180?
いや、計測不能(プレスト・アジタート:極めて速く激しく)。
分からない……)
心臓が、鼓膜を直接叩くバスドラムみたいに暴れている。
差し出された注文端末を受け取る瞬間、私の指先と彼の指先が、ほんのわずかに触れた。
ただそれだけのことなのに、私の世界に鳴り響いていた音楽が、一瞬で休止符を打たれたように静まり返った。
彼の真っ直ぐな視線。
その瞳の奥にある純粋な好意は、今の私にはあまりにも眩しすぎる「ハ長調(Cメジャー)」の和音だった。
濁りひとつないその響きが、指先の接触を通じて私の体内に流れ込んでくる。
(……やめて。
そんなに優しい音で接しないで……。
私の指は、あなたたちを裏切るためのデータを盗む、汚れた指なのに……)
触れた場所から、熱がクレッシェンドしていく。
スパイとしての仮面が、彼の熱量でメルトダウンしていくのがわかった。
今の私は、きっと音楽を奏でる時のように、自分でも制御できないほど「カオスアトリエ」の色に染まりかけている。
「……あ、ありがとう、ドドンパさん」
受け取った端末の画面が、滲んでよく見えない。
私の指先は、恋のときめきと裏切りの罪悪感が混ざり合った、壊れかけのトリルのように小刻みに震えていた。
その後の私は、店内に流れるBGMの音階を測るなんてする余裕もなかった。
(……このまま彼と……カオスアトリエの人達といたいよ……)
「にしてもよー、さっきのあいつら(円卓)。
すっげぇ感じ悪かったな? ……あ。えっと……悪い」
ドドンパさんが眉をひそめて愚痴をこぼすが、ハッとして私を見て謝る。
なんで謝るんだろう……。
でも、この人たちは……ううん、少なくともイオリさんは、私が円卓と繋がっていることに気づいているのかもしれない。
イオリさんの、あの言葉。
『その時が来たら、お前の好きなようにハープを弾け』
その上で、私を……。
「ドドンパさんっ、タルトとパフェ来ましたよ? 食べましょっ!」
私は思考を振り切るように、わざと明るい声を出した。
「お、おう!! 食べようぜ!」
彼は、私が食べるのを待つかのように真っ直ぐな目で見てくる。
「ド、ドドンパさん見ないでください。ちゃんと食べてください」
「あ、悪い。あはは」
彼は頼んだ特大のフルーツパフェを大きな口で頬張る。
私にはタルトを勧めておきながら、自分は違う物を頼んだドドンパさん。
カオスアトリエのみんなは、きっと自分の『好き』に忠実なのだ。
私も音楽が好きという根本は同じはずなのに、まるで音色が違う。
ふと、脳裏に焼きつく先ほどの『俺もお前も俺』さんの冷酷な顔がフラッシュバックした。
あの顔一つで、私は逆らえないんだ。
報酬が欲しいとか、そんなんじゃなくて、あの男の絶対的な恐怖の命令に。
底なしの沼に、私は放り込まれたんだ。
「ドドンパさん、パフェのクリーム、口の横につきすぎじゃないですか?」
「んあ? おお、マジだ。ったく、なんでデータ(VR)のくせにこんなクリームの粘着判定まで忠実なんだよ」
彼は口の周りについたクリームのデータを指で拭きながらも、すぐに次の一口を頬張る。
「もー、せっかく甘くて美味しいもの食べてるのに!
データとか夢のないこと言わないでくださいっ!!」
「あっ!! やっちまった! ごめん! 俺だめだなー、
イオリの感覚がうつっちまった。あははは……
あのデータ野郎……」
イオリさんに文句を言いながらも、その屈託のない笑顔を見ていると。
ただの普通のプレイヤーとして、普通の女の子として。
普通なら「データ」とか言われたらムードが壊れて怒るかもしれないけれど……ふふっ。
心地いい。
楽しいな。
そんな時だった。
ピロロロロッ!!
突如、私の目の前に特殊なクエストを知らせるウィンドウがポップした。
「あ? 何だこれ。『k』の簡単凝視クエスト??」
ドドンパさんがパフェのスプーンを止めて首を傾げる。
『k』……これは、イオリさんの事だ。
「……あいつ、また変なこと企んでるな」
ドドンパさんは笑いながら、迷わずクエストの[拒否]ボタンを押した。
「あれ? 何するか聞きに行かないんですか?」と尋ねると、彼はあっけらかんと言った。
「わざわざ聞きに行って、ルナールちゃんとのこの時間(お茶)がなくなるの嫌だし、いいわ!」
それを聞いて、再度心臓がドキッとするような感覚に襲われる。
でも、表示されたクエストの内容が不穏だった。
『エリア指定』『口外禁止のペナルティ(-1,000,000 G)』。
クエストの意図はよく分からないけれど……これは、『俺もお前も俺』さんに報告しないといけない情報なんじゃないかな。
再び、スパイとしての疑念が頭をもたげる。
私はこっそりと自分の冒険者端末を操作して、フレンド一覧から円卓のメンバーのオンライン状態を確認した。
カイザーさんだけが、現在地を表示設定にしたままにしている。
【現在地:第5エリア グラキエス・ロタ・チェンバー】
(……あのお兄さんは真っ直ぐなお調子者だから、工作や隠蔽なんて言葉を知らず、ただバカみたいに現在地を公開したままなんだ。……あの後お兄ちゃん達は新エリア(第5エリア)に行ったんだ)
この町の限定クエストの存在は、今ここにいる私しか知らないんだ。
しかも、口外するとペナルティで100万Gのマイナス。
普通のプレイヤー達が、そんな大金を払ってまで流すわけがない。
つまり、私が黙っていれば。
この情報は、私の中で留めておけばいいんじゃ……?
円卓への裏切りの葛藤と、再度数値として聞こえてしまう自分の焦りの心音(BPM)。
ここで、ドドンパさんが口を開いた。
「おーい? ルナールちゃーん?」
私はハッと現実に引き戻され、慌てて返事をする。
「あ、ごめんなさいっ! 何でしたっけ?」
「食べたら、次は上位の回復アイテムとか取れるUFOキャッチャーやりに行こうぜ! ゲーセンがあるんだ!」
「そんなのあるんですか? でも、回復アイテムかぁ……。
楽器のぬいぐるみとかないんですか?」
「が、楽器?! あ、あるかな……わ、分からんけど……」
彼は少し悩んだ様子で、再度口を開く。
「無かったら、イオリに素材集めて作ってもらおう! よし! とりま行くべ?!」
と言って、彼は注文端末から私のタルトの分までサッと支払いをしてくれた。
私たちは残りのタルトとパフェを急いで食べ終え、店を出る。
「ドドンパさん、美味しかったです。連れてきてくれてありがとうございましたっ! ご馳走様です♪」
私が心からの笑顔でそう言うと、夕暮れの日差しよりも赤く、彼の顔が染まるのが分かった。
「あ、あ、お、おう! 行くぞ!」
彼は照れ隠しのように顔を逸らしながら、私の手を引いた。
暗く深い沼(円卓)から、力強く引き抜いてくれる様な気持ち。
穏やかな弦楽器の調べが、夕焼けの光の様に私を優しく包み込む。
「あ、ごめん! 早すぎた?!」
と言いながら、私の短い歩幅に慌てて合わせてくれるドドンパさん。
特別な言葉がなくても、私の手を引くその大きな掌から伝わる、確かな体温がそこにあった。
私の心は、既に完全に『混沌工房』へと傾いていた。
イオリさんの言葉が何を意味しているのか分からないけれど。
彼には何か意図がある。
私と同じように、全てをデータとして視るあの人なら、私がスパイだということも織り込み済みで、何か恐ろしい考え(正解)があるのかもしれない。
今は、それより……。
(……いいよね、これくらいは)
私は、円卓への裏切りという不協和音を飲み込み――報告ウィンドウをそっと閉じた。
そして、目の前の不器用な背中に向かって、今日一番の明るい声をかけた。
「ドドンパさん! 楽器のぬいぐるみ無かったら、
ドドンパさんが作ってくださいよっ? ほら、早く行きましょ!!」
「お、おう! 任せとけ!!」とさらに顔を赤くして歩き出す彼の隣で。
私は今日一番の、嘘偽りのない心からの笑顔を咲かせた。
2回目のルナール視点どうでしたか?
作者は科学は得意分野ですが音楽のことはあまり分かりません。
3、4時間調べ頑張りました笑
ルナール回は調べ物が大変すぎるっ!!笑
ドドンパがイケメンすぎるけどデータとか言ってしまう気の使えなさが完璧じゃないけど……!!
〜次回予告〜
2/19 22時半〜23時の間に投稿します!




