第51話:観測者、スパイの涙を許可し、絶対零度の八面鏡に挑む
翌日の金曜日の夜。
現実で長引いた仕事を終えた僕は、帰宅してすぐにクランの裏回線を立ち上げた。
昨日ログインしていなかったメンバーへ向けて、第5エリアのギミック予想や、僕が買い占めた『氷砂糖』と『岩塩』による凝固点降下のロジック、そしてパーティの振り分けなどを長文で書き込んだ。
時刻は21時。
僕が説明を終えると、ようやくメンバーたちからの反応が返ってきた。
——【クランチャット】——
[イオリk]:説明は理解したか? これで行く。
[魔王ぽよん]:ごめんなのだ〜! 我、運営さんから案件が入ったのだ〜
[魔王ぽよん]:合流するの遅れるのだ〜! おやつ準備するのだ人間k
[イオリk]:Vtuberみたいだな。
[魔王ぽよん]:ぽよ〜〜〜!? 何を当たり前のことを言ってるのだ〜〜?!
[魔王ぽよん]:メガネのくせに頭悪いのだ〜!
[シロロ]:やーいメガネ
[ジィサン]:ほっほ、眼鏡ー
[イオリk]:ジィサン……貴方まで……
[ドドンパ]:眼鏡……w w w w w
[フゥ]:私も眼鏡なのだけど
[シロロ]:フゥちゃんは知的でカワイイから
[ジィサン]:そうだとも。イオリk君はカワイイところが少ないからのお
[魔王ぽよん]:カワイイところなんてあるのだ〜?
[シロロ]:のーきゅーと
[フゥ]:ないわ
[ドドンパ]:あるわけなくて草
[ジィサン]:そうかのお? 意外と皆のこと考えておるぞ??
[イオリk]:シロロに可愛いは必然な要素だが
[イオリk]:僕には必要ない。
[ドドンパ]:ホントだ、傷つけないような配慮
[フゥ]:見直したわ。好きな鉱石プレゼントするわ
[シロロ]:イオリ君、私のこと好きじゃん!!
[魔王ぽよん]:おやつなのだ〜!
[イオリk]:もういいだろう、今日はゆっくり休め。お疲れ。
———————————-
僕は呆れながらスマホを閉じた。
今日はただでさえ現実の仕事が長引き、僕の貴重な時間をロストする事案があったというのに。
ゲーム内のテキストチャットでまで頭を抱えるとは思わなかった。
(……だが、なんだろうな。この変な感情は。)
鬱陶しくもある光景に安心感を覚えた。
僕は小さく息を吐き、ベッドへ倒れ込む。
明日に備え、今日は寝よう。
◇ 翌日 土曜日 9:45
ついに第5エリア解禁の当日。
混沌工房には、すでにログインしたメンバーたちが集まっていた。
僕、ドドンパ、シロロ、フゥ、ジィサン、そして助っ人枠のミツルマン。
公式案件とやらが入っているぽよんと、まだログインしていないルナールを除いた6人だ。
「おい見ろよこれ。運営から『第5エリア攻略のヒント』のアナウンスが来てるぜ」
ドドンパが空中にウィンドウを展開し、みんなに見えるように表示した。
そこには、『始まりの街にいる希少な猫を飼うお婆さんから、いい話が聞けるかも?』という案内と共に、SPスキル『大跳躍』の起源にまつわる美しいフレーバーテキストが記載されていた。
愛する猫を助けるために、化学と物理学を愛する青年が跳躍のスキルを編み出した、という感動的なエピソードだ。
「……なるほど。これで運営が用意した『正規ルート』の正式なヒントが出たというわけか」
僕はウィンドウを一瞥し、フゥたちの方を見た。
「シロロたちも、事前にスキルクエストは終わらせているな?」
「うん! バッチリだよ! お婆ちゃん可愛かったし!」
「ほっほ、婆さんの長話に付き合うのは骨が折れたがのう。ミツルマンも取得済みだ」
「とうっ! 大ジャンプだ!」
ミツルマンがその場でピョンピョンと跳ねる。
「ぽよんちゃんがこの前の配信で高騰商材のことをうっかり口走っちまったからな。大体の連中はもう知ってて準備してただろうが、これで公式からもアナウンスされたってわけだ」
ドドンパが優越感たっぷりに笑う。
トントンッ。
その時、控えめなノックの音と共に、インク瓶の扉が開いた。
「おはようございます……! 遅れてしまってごめんなさい!」
小ぶりな竪琴を背負ったルナールが、息を切らしながら入ってきた。
「おお、ルナールちゃん! おはよー!」
「こないだは急にサーバーが落ちて大変でしたね? その……あの後、私寝ちゃって。次の日もお仕事でログインできなくて! ご連絡できずにすいませんでした!」
ルナールが何度も頭を下げる。
(……本当に仕事だけか?)
僕は冷ややかな視線で彼女の顔を観察した。
サーバーダウンという異常事態の後、丸一日以上の空白。
その間、彼女が『聖刻の円卓』の連中と接触し、水曜日にドドンパが見せた『偽装されたタクトの指揮能力(スロウデバフ等)』という嘘の情報を、どう彼らに報告(刷り込み)したのか。
暗い独白に沈んでいると、ドドンパが僕の肩にポンと手を置いた。
「まぁまぁ、暗い顔すんなよ根暗の眼鏡リーダー! 一旦は新エリア、楽しむぞ!」
「……ああ」
僕は短く返事をした。
ドドンパの言う通りだ。今は彼女を泳がせ、第5エリアという未知の環境下で、彼女の『BGMジャック』がどう作用するかを観測する必要がある。
気遣いの言葉が相変わらず下手くそだが。
「ルナール」
僕は彼女の前に進み出た。
「水曜日は有耶無耶になってしまったが……君は、この『Chaos Atelier』への加入希望の意思は変わっていないか?」
僕が尋ねると、ルナールはハッとして、即座に頭を地面に付きそうなほど深く下げた。
「はいっ! もちろんです!! 足手纏いにならないように……一生懸命、頑張りますっっっ!!!」
彼女の震える声。
僕は空中に【クラン加入申請】のウィンドウを呼び出し、[YES]のボタンの上に指を乗せた。
一瞬、躊躇いが生まれた。
僕の脳裏に、彼女が初めてこの工房を訪れた時に見せた、音楽に対する純粋な情熱と、クランを追い出されたと語った時の涙、そして嬉しそうに笑う顔が再生された。
彼女が本当に純粋なプレイヤーであり、円卓に無自覚に利用されているだけだとしたら。
(……いや。現時点での『情』による推測など、エラーを生むだけの非効率なノイズだ)
僕は感情のスイッチを切り、冷徹な観測士として[YES]のボタンをタップした。
パンパカパーン♪
軽いファンファーレと共に、ルナールの頭上に【Chaos Atelier】のクランバッジのアイコンが点灯した。
「やったー! ルナールちゃん、今日からよろしくね!!」
「歓迎するわ。一緒に綺麗な石を探しましょうね」
「ほっほ、賑やかになって何よりだのう」
シロロたちが喜んで迎え入れると、ルナールは大粒の涙をボロボロとこぼし始めた。
「あ、ありがとうございます……! 私、本当に……嬉しいです……っ!」
彼女の涙は、どこまでも純粋に見えた。
だが。
「えへへ、ちょっとステータス確認しますね」
みんなが歓迎の言葉をかけ、ワイワイと騒いでいる中。
ルナールは涙を拭いながら、少しだけ輪から離れた場所へ移動した。
彼女は冒険者端末を操作し、空中にウィンドウを展開する。
その瞬間だった。
さっきまでの無邪気で嬉しそうな笑顔が、フッと消え去った。
代わりに浮かんだのは、ひどく悲しげで、何か重いものを突きつけられ、深く葛藤しているかのような表情だった。
(……?)
僕は目を細めた。
彼女が操作している冒険者端末の画面は、こちらからは全く見えない。
通常、端末を操作すれば空中に半透明のホログラムウィンドウが展開されるはずだ。
だが、彼女は設定から【他者へのウィンドウ非表示】を有効にし、誰かに宛てておそらく『聖刻の円卓』の何者かに宛てて、震える指でメッセージを打ち込んでいた。
「……おい、イオリ」
僕の横に並んだドドンパが、ひどく沈んだ、悲しげな声で呟いた。
「あの子……今、泣きそうな顔しなかったか?」
UIの動きに精通する彼もまた、ルナールのステルスモードでの操作に気づいていた。
そしてそれ以上に、彼女が『自らの意志で裏切っている』のではなく、『何かに縛られ、苦しんでいる』という事実に直感で気づいてしまったのだ。
(……哀れな男だ。スパイだと分かっている相手に、そこまで心を砕くとは)
僕が内心で冷徹な事実を突きつけようとした時、横からジィサンが「ほっほ」と笑いながら顎の髭を撫でた。
「イオリk君。情とは時に人を動かす。情報が全てではないと、前にワシが言ったのを覚えとるかの?」
「……ええ」
「最終的な判断を下すのはリーダーである君だがのう……。君なら、仲間のことがよく分かるはずだ」
ジィサンの穏やかな瞳が、ルナールを見つめるドドンパの背中と、騒ぐシロロやフゥ、ミツルマンを映していた。
僕は周りのカオスアトリエのメンバーを見回し、小さく息を吐いた。
「そうですね」
時刻は10:00。
「よし、行くぞ。Ver.1.0の総決算だ」
僕たちは転送アイコンをタップし、ついに解放された未知の領域へとダイブした。
◇ 第5エリア グラキエス・ロタ・チェンバー
視界が開けた瞬間、肌を刺すような極寒の冷気が全身を包み込んだ。
そこは、すべてが絶対零度の氷で覆われた、美しくも無機質な巨大氷室ダンジョンだった。
【システムアナウンス:第5エリア『グラキエス・ロタ・チェンバー:サーバー22』へ入場しました】
「……サーバーの振り分けがあるのか」
僕はアナウンスを見て推察する。
「ただのフィールドエリアなら、全プレイヤーが同じ空間に放り込まれる。だが、わざわざ細かくサーバー(インスタンス)が分けられているということは、1つのサーバーに数パーティだけが存在する仕様なのだろう。進行状況が干渉しすぎないようにしつつ、独立した謎解きやギミックが存在する証拠だ」
「まずはどんなギミックか、調査する必要があるな」
僕が見回すと、僕たちが立っているのは『8角形』の広間だった。
周囲を囲む8つの面はすべて分厚い氷の壁(扉)で塞がれており、どこにも通路は見当たらない。
「うわぁ……! 見てイオリ君! この氷の壁、魔力を帯びててすごく純度が高いわ!」
興奮したフゥが、一番近くにあった氷の壁に駆け寄り、武器の掘削機を取り出した。
「ちょっと削って成分を見てみるわね! えいっ!」
ガキンッ!!
フゥが壁を叩き割ろうとした、その瞬間。
ブツンッ。
「えっ?」
フゥ、ジィサン、ミツルマン、シロロ【Aチーム】としてパーティを組んでいた4人の姿が、一瞬のノイズと共にその場から掻き消えた。
「は……?」
ドドンパが間抜けな声を上げる。
数秒後。
ピカァッ!
部屋の中央、僕たち(Bチーム)が先ほど転送されてきたのと全く同じ初期位置のポイントに、光の粒子と共にフゥたち4人がリスポーン(再出現)した。
「……あら? 私、今壁の前にいたはずなのに」
「ほっほ、一瞬で景色が戻ったのう」
フゥとジィサンが首を傾げる。
「なるほど」
僕は眼鏡を押し上げた。
「このエリアの進行は、『パーティ単位』。そして、あの8つの壁の中には『正解』と『不正解』があるとかだろう。間違った壁を壊そうとすると、強制的に部屋の入り口(初期位置)まで戻されるという訳か」
「おいおいマジかよ! じゃあ適当に壁殴ったら一生進めねぇじゃん! てか、なんでフゥのPT(Aチーム)だけ戻されたんだ?」
ドドンパが叫ぶ。
「パーティ認証制だからだ。僕たちBチームは壁の破壊アクションに干渉していないため、ペナルティの対象外だったんだろう。別々のパーティが同じ壁を壊して一緒に入ることはできない仕様だ」
「とうっ! 壁タッチ!!」
「あっ! こらミツルマン!」
ポンッ! ピカァッ!
ギミックが楽しくなったミツルマンが、別の壁に駆け寄って触れた瞬間、再びAチームの4人が部屋の中央に強制送還された。
「おい勇者!」
ドドンパが慌てて駆け寄り、ミツルマンの肩をガシッと掴んだ。
「勇者ってのはな、闇雲に突っ込むだけじゃねぇ! 時には仲間を信じて『待つ』こともできるのが、本当の勇者ってもんだろ!」
「……! わかった! 勇者待つ!」
ドドンパの子供心に訴えかける完璧な説得により、ミツルマンは目をキラキラさせて直立不動の姿勢をとった。
その横では、シロロがツルツルと滑る氷の床の上で「わーい! スケートー!」と無邪気に滑って遊んでいる。
「フゥ、武器をしまえ。壁は壊さなくていい。.....代わりに、僕が出す『音』を拾え」
「......音?」
「ああ。絶対零度の攻略戦だ。まずは僕たちのやり方で、この理不尽な八面鏡の『正解』を炙り出す」
僕はインベントリから地殻共鳴手甲を取り出し、静かに氷の壁の前に立った。
「……頭が痛いな」
ぽよんの不在。スパイの同伴。そして、初手から待ち受ける極悪なランダム迷路。
僕たちカオス・アトリエの、絶対零度の攻略戦が幕を開けた。
ついに第5エリア『グラキエス・ロタ・チェンバー』へ突入
イオリが買った2つの素材『氷砂糖』と『岩塩』がどう活きてくるのか!
「凝固点降下」……シャーベットみたいになります。




