第50話:観測者、未知の氷室を前に「凝固点降下」と「見えない石」の伏線を張る
◇ 現実 イオリの部屋
カオスな一日が明け、次の日の夜。
一日の業務を終えた僕は、毎度のルーティーンのように、スマホで『World of Arche』の公式コンパニオンアプリを眺めながら夕飯を食べていた。
今日のメニューは、昼休みに慎二が「絶対美味いから食ってみろ」と強引に勧めてきた、スーパーの惣菜の竜田揚げだ。
「……普通だな」
味は悪くないが、スーパーの揚げ物はレンジで温め直すと、どうしても衣のサクサク感が失われて油が回る。
最適な食感を維持できないという点で、兵站(保存食)としては評価が下がる。
僕は温くなった竜田揚げを口に運びながら、アプリの【お知らせ】タブを開いた。
そこに表示されていたのは、今週土曜日に予定されている大型アップデートの情報と、先日の緊急メンテナンスに伴うプレイヤーからの問い合わせに対する公式の回答だった。
『Q:調整内容にある【経路偽装】の仕様変更とは何ですか?』
『A:特定の状況下において、ヘイト管理が正常に機能しなくなる事象を防ぐための措置です』
『Q:「半自動機能の完全自律化」とは、具体的にどの装備を指しますか?』
『A:個別の装備名についてはお答えできかねます。該当する装備をお持ちのプレイヤー様は、実際の挙動にてご確認ください』
「ふっ……。当然だ。お前らに分かるわけがない」
僕の仕込んだバックドアと、ロン君のバグ挙動。
恐らく、この文面の本当の意味を理解しているのは、世界で僕たちだけだろう。
そして、お知らせのメイン項目には、一際大きなバナーが掲げられていた。
【今週土曜日 10:00 第5エリア『グラキエス・ロタ・チェンバー』ついに開放!】
【このエリアの攻略をもって、Ver.1.0は終了となります。続くVer.2.0では第6エリアへの到達と、新たな街の開放、そして『World of Arche』のメインストーリーが本格始動します!】
「グラキエス・ロタ・チェンバー……」
ついに来たか。
ここまでは、僕が1年間監視し続けた「定点カメラの映像」という膨大なアドバンテージがあった。
だが、この第5エリアにはカメラが設置されていなかった。つまり、僕にとっても完全に未知の領域だ。
情報収集を頼みたいところだが、ジィサンは「ゲームのしすぎで婆さんに怒られた」ため、土曜日までログインできない。彼がNPCから『シルバートーク』で情報を引き出している可能性は低い。
僕自身がやるか?
いや、あの老婆(アンジュの飼い主)にすらヘイトを買っている僕のコミュ力では、非効率すぎる。
「あとは……問題のルナールだが」
強制ログアウトの後、彼女がどう動くか。
僕は残りのご飯をかき込み、箸を置いた。
「とりあえず、ログインするか」
◇ 混沌工房
仮想世界へダイブし、目を開ける。
そこは始まりの街の広場ではなく、僕たちの拠点であるインク瓶のロビーだった。
僕はまずフレンド一覧を確認した。
ルナールの名前は暗いまま。今日はまだログインしていないようだ。
僕は足早に、クランホーム内に設置してあるクラン専用の冒険者バザーボードへと向かい、市場の動向をチェックする。
「……なるほど。分かりやすい大衆心理だ」
バザーボードには、『火炎草』や『ヒートストーン』といった炎関連の素材、そして厚手の『防寒着』の出品が溢れかえり、どれも異常な高値で取引されていた。
「グラキエス(氷)」という名称から、誰もが「次は雪山か氷のダンジョンだ」と予測し、安直に「氷には炎」というロジックで動いている。
「おーっす、イオリ! 早いな!」
背後から、軽い足取りでドドンパがログインしてきた。
「ああ。お前もな」
「いやー、さっきまでぽよんちゃんの配信のアーカイブ見てたんだけどよ、コメント欄が荒れてて笑ったぜ」
ドドンパがニヤニヤしながら報告してくる。
「前のバザーハックの件があっただろ? リスナーどもが『次の商材のリークはないのか!』って必死にぽよんちゃんに詰め寄っててさ」
「で、あのポンコツ魔王はどう答えたんだ?」
「『今回は人間kから何も聞いてないのだ〜〜!』って、馬鹿正直に答えてた。適当こかずにちゃんと言えたのは偉いけど、リスナーは『隠してるんだろ!』って疑心暗鬼になってたわ。あと、シロロちゃんらしきアカウントが『ぽよん様は嘘つかない!』って暴れてた」
「……あの二人は、もうネットの海に放流しておいた方が安全かもしれないな」
僕は呆れながらバザーボードから視線を外す。
「それより、第5エリアだ。グラキエスは氷、ロタは回転、チェンバーは部屋。直訳すれば『回転する氷の部屋』……か?」
「氷の部屋ねぇ。普通に考えたら、迷路みたいに部屋そのものがグルグル回って、方向感覚を失わせるギミックとかじゃね?」
ドドンパが腕を組んで適当に答える。
「部屋そのものが回転、か。それならマップの座標軸を僕の『移動観測』で固定すれば対処は容易だが……」
「うーん、でもそれだと普通すぎね? 意外と『壁』だけが回転して、見えない道ができるとか、そういうのもありえね?」
「……壁の回転」
僕はドドンパの言葉にハッとした。
(部屋全体ではなく、壁(境界)だけが円環状にスライドするギミック……それなら、空間の容積を変えずに動線を無限に複雑化できる。あり得るロジックだ)
(やはりこいつのUIやレベルデザインに対する直感(ゲーマーとしての嗅覚)は侮れないな)
「あら、二人ともお揃いで。こんばんは」
考え込んでいると、フゥがふらりとログインしてきた。
彼女の視線は、僕たちよりもバザーボードに向けられている。
「相変わらず炎の石が高騰してるわね。つまらない市場」
「お疲れフゥ。大衆は『氷には炎』と信じて疑わないからな」
僕はフゥに答えながら、端末を操作して【購入】ボタンを連打し始めた。
「おいおいイオリ、何買ってんだ?」
「……『氷砂糖』と『岩塩』だ」
僕のインベントリに、底値で投げ売りされていた大量の塩と砂糖が吸い込まれていく。
「は? なんでそんなもん……あ、ロン君の餌か?」
「それもある。だが本命は別だ」
(……ロン君はスライム(水分)ベースの身体だ。水分を奪う『石灰』を食わせてブチギレた前例がある以上、『塩』を食わせた時にどういう化学反応を起こすか、テストする価値はある)
僕は内心の仮説を隠し、眼鏡を押し上げる。
「氷に対する絶対のカウンターは、熱による『融解』ではない。不純物を混ぜることによる『凝固点降下』だ」
「ぎょうこてん……?」
「氷に塩を混ぜると、氷が溶ける温度(融点)が極端に下がり、周囲の熱を奪いながら強制的に液状化する。雪国で道路に融雪剤(塩)を撒くのと同じ原理だ。……魔力で強化された氷の壁があるなら、炎で溶かすより、塩を塗り込んで結合を崩す方が遥かに早い」
「……相変わらず、ファンタジー世界に容赦のない物理法則を持ち込む男だぜ」
ドドンパが呆れ半分、感心半分といった顔で肩をすくめる。
「そういえばフゥ。お前、第4エリアのボス『クリスタル・タイラント』を討伐した時、次のエリアの鉱石について何か言っていなかったか?」
僕が振ると、フゥの眼鏡の奥の瞳が、ギラリと妖しい光を放った。
「ええ……! グラキエス(氷)のエリアなら、私がずっと探し求めていた石があるかもしれないのよ!」
フゥが身を乗り出し、早口で語り始める。
「『氷晶石』よ! 見た目はただの白い氷のような石なんだけど、この石の真の魅力は『屈折率』にあるの! クリオライトの屈折率は1.338。これは純水や氷の屈折率とほぼ同じなのよ! つまりどういうことか分かる!?」
「い、いや……」
ドドンパが後ずさる。
「水や氷の中に沈めると、光の屈折が同化して『完全に透明になって見えなくなる』のよ! 氷のエリアに水たまりや水路があれば、その中にどれだけ巨大な氷晶石が隠されていても、目視では絶対に発見できない! ああ……なんて奥ゆかしくて意地悪な石なの……! 私、絶対に見つけて削り出してあげるんだから……ブツブツ……」
フゥはそのまま自分の世界(石との対話)に入り込んでしまった。
(……水と同化して見えなくなる石、か。単なるフレーバーテキストならいいが、もしそれがエネミーの装甲や、罠のギミックとして使われていた場合、厄介なことになるな。……記憶に留めておこう)
「……よし、フゥが戻ってくるまでに、土曜のパーティ編成を決めておくぞ」
僕は話題を切り替えた。
現在、こちらの身内(パーティ候補)は、僕、ドドンパ、シロロ、ぽよん、フゥ、ジィサンのクランメンバー6人に加え、助っ人枠のミツルマン(12歳未満のためシステム上クラン未加入)を入れた7人だ。
そして、水曜日の件を保留にしたままのルナールを合わせると、ちょうど8人になる。
1パーティの上限は4人。必然的に、2つのパーティに分かれることになる。
「ルナールちゃんをどうするかだよな。……俺はルナールちゃんと同じPTがいいぜ!」
ドドンパが即座に煩悩を全開にする。
「奇遇だな。ルナールがスパイ(ハニーポット)である以上、僕の観測と、お前のタクトによる監視が必須だ」
僕は空中にメンバーのアイコンを並べ、スライドさせながらシミュレーションを行う。
「まず、ジィサンとミツルマンはセットだ。彼らを引き離す理由がない。ここにシロロを入れる」
「シロロちゃんか。あの圧倒的火力があれば、ジィサンたちも安全だな」
「だが、シロロはぽよんがいないとモチベーションが落ちる。かと言って、ぽよんを入れると……」
「……シロロちゃんがぽよん様を可愛がりすぎて、戦闘そっちのけでデレデレして役に立たなくなる可能性があるわね」
いつの間にか現実に戻ってきていたフゥが、的確なリスク評価を口にする。
「その通りだ。だから、シロロとぽよんは物理的に隔離する。Aチームは『ジィサン、ミツルマン、シロロ、フゥ』だ」
「えっ、私がそっちなの?」
「ああ。シロロの暴走を止められるのは、同じ狂気(石)のベクトルを持つお前だけだ。ジィサンのバフとミツルマンのヘイト稼ぎで前線を支え、シロロが撃ち抜き、フゥが地形をコントロールする。バランスはいい」
「じゃあ、Bチームは……『俺、イオリ、ぽよんちゃん、ルナールちゃん』か!」
ドドンパが目を輝かせる。
「そうだ。ぽよんのロン君(自律兵器)という不確定要素を制御するには、僕の観測が必須になる。そして、ルナールの動向を探りつつ、彼女の『呪いの旋律』によるデバフをいなすには、UI操作に長けたお前のタクトが必要だ」
「なるほどな。スパイと爆弾(魔王)を抱えながらの攻略か……燃えるぜ」
ドドンパがニヤリと笑う。
「……ねぇ、イオリ君」
フゥが真剣なトーンで僕を見た。
彼女には、水曜日の夜に僕が仕掛けたハッキングの顛末や、ルナールのスパイ疑惑について、裏で既に共有してある。
「結局、彼女はこのまま加入させるつもりなの? もし本当に『聖刻の円卓』の木馬なら、土曜日の攻略中に背中を刺されるわよ」
「……利用価値があるうちは、手元に置いておくさ」
僕は冷たく言い放つ。
「僕が仕込んだ『不良債権』がサーバーダウンの際にどう処理されたのか、その答え合わせ(コンパイル)には彼女という接続口が必要だ。……それに、スパイだと分かっているなら、流す情報をこちらでコントロールできる」
「性格が悪いわねぇ。ま、私は新しい石さえ掘れれば文句はないけれど」
時刻は22:22。
ゾロ目の数字が、デジタル時計の上で冷たく光っている。
「方針は決まった。明日またログインできるメンバーで最終確認を取り、土曜のVer.1.0最終決戦に備える。今日は解散だ」
「おう! 頼むぜリーダー!」
「ええ、おやすみなさい」
ドドンパとフゥが光の粒子となってログアウトしていく。
ルナールはまだクランに正式加入していないため、このクランチャットでのやり取りは見えていない。
彼女が今、現実のどこかで「円卓」の連中と何を企んでいるのか。
「……土曜日。せいぜい面白いデータを見せてくれよ、狐」
僕は誰もいなくなったインク瓶の天井を仰ぎ、静かにログアウトのボタンを押した。
ようやく第5エリアまでの突入
聖刻の円卓についてはみっちり考えましたが実は第5エリアはあまりどう言うものにするか考えておりません。笑
少し改稿が増えるかもしれません。
〜次回予告〜
ストックが無いので未定です!
2/16中にもう一本は出したいと思います。




