第109話:観測者、現実で小さき魔王と遭遇、非効率な『心』のバフを許容
◇タブの町 外れの路地
ハニに声をかけるか、迷っていた時だった。
「あ!イオリさん!!」
向こうから僕に気づき、駆け寄ってきた。
手には小包。
見た目はなんて事のない風呂敷に包まれている。
(調べるか……?
いや……ログが残り、運営に気付かれでもすれば……ここは何もしないほうがいいな)
「ああ、久々だな。鈴を返したくてな。探していたんだ」
僕はついでにと、もっともらしい嘘で誤魔化し、ハニに『お供えの護鈴』を返却した。
「ええ?わざわざすいません!そうでしたね!ちょうど小包も受け取りまして。あと5日で『王様の日』ですからね!早めに返してもらえて助かりました……!」
ハニは何も疑っていないようだ。
NPCだからだろうか。
「ハニ、その……いや何でもない」
僕は言いかけてやめた。
ログで調べ上げられるかもしれない。
それだけで、勝手に相手の防衛が成り立っている。
考えすぎるだけ無駄かもしれないが、念には念を……。
ハニは「?」と記号がポップしているかの様な顔をして、僕を見つめていた。
「では、鈴は返したぞ。店頑張れよ」
そう告げて、僕は冒険者端末からログアウト処理を実行した。
◇ 現実 イオリの部屋
僕は自分の部屋に戻るや否や、強烈な尿意に襲われる。
「まずいな。急がねば」
……………
何とか間に合わせた僕は、洗面台の『鏡』を見た。
酷く、やつれている。
鏡は、僕のハードウェア(肉体)の現状を偽りなく映し出していた。
ここ数日で、小説や漫画、映画の様な。
空想上でしか起きない様なことが連続して起きている。
こんな顔になるのも無理はない。
明日は『第九の騎士イェソド』と戦うはずだ。
その名の通り。
マルクトと同じで『精神・基礎』そんな能力を持っているのだろう。
それに断片的な情報だが、『Arche』からもらった『精神攻撃の対処法』もある。
「厄介そうだな」
僕は普段から、『鏡』を見ない。
外側になど興味もないし、気にするだけ無駄だ。
だが、今日はたまたま鏡に映る自分がどんなものかを観測してしまった。
「流石に………今日の晩御飯は栄養を考えて摂るとしよう……」
僕は財布とスマホだけをポケットに突っ込み、そのままスーパーへ買い出しに向かった。
◇ 都内 大型スーパー
「さて、何にするか……」
いや、考えるまでもない。
この脆弱な肉体を維持するためには、外部からのリソース投下が不可欠だ。
アミノ酸スコア100の鶏胸肉、ビタミン供給効率を最大化したブロッコリー、そしてグリコーゲンの安定供給源としてのオートミール。
食事という名の『強制イベント』は非効率の極みだが、栄養不足による処理能力の低下は、それ以上の損失を招く。
「……計算終了だ」
今の僕に必要なのは『美食』ではない。
欠損した数値を適正値へ戻すための、最短かつ最適な『補填作業』だ。
「ついでにプロテインも回収しておくか」
あっち(VR)で完璧なプレイングを求めるなら、こっち(現実)のデバフを放置するなど、論理が破綻しているからな。
僕は、次々と狙いのものをカゴへと投げ入れていった。
よし、これでいいな。そう思った時だった。
「あ。ヒィぃぃ!!」
目の前にちっこい少女……いや女性が、商品棚に体を隠し、顔だけを覗かせている。
コンビニで出会った少女で間違いない。
ぽよんだ。
(人の顔を見て「ヒィ」とは……失礼なポンコツだ)
「おい、ぽ……甘利」
危うく、彼女の矜持をこんな場所で壊すところだった。
人の事いえないな……いや、これは疲労だ。
「あははは……こんばんは……」
甘利 栞は挨拶するや否や体を棚から出し、僕の持つカゴを見た。
「ねぇ、イオリ君。何この『筋肉の塊になります』って感じの……」
「何を言っている。これは人間という脆弱な生き物が栄養を摂取するのに、一番効率的な……」
「あ、うん分かった!もう現実も全く変わらないね」
甘利は、僕の『人間は不完全』という矜持をあっさりと否定してきた。
「そういうお前は……」
僕は甘利のカゴを見て絶句した。
甘いお菓子ばかりだ。
しかし、他にも気になることがあった。
「……甘いものばかりだ。だが、それだけではないようだな」
彼女のカゴの底には、僕が選んだ「無機質な栄養素」とは真逆の、色彩豊かな食材が並んでいた。
完熟のトマト缶、乾燥オレガノの小瓶、そして脂質の多そうな合挽肉。
さらには、数種類のチーズと、平たい板状のパスタ――ラザニア用の生地まで入っている。
(……計算が合わない。
トマトのリコピン活性化や、肉のタンパク質補填という側面はあるが、わざわざオレガノで香りを整え、ソースを煮込み、生地を層にして焼き上げるなど、摂取効率の観点からすれば無駄な工程が多すぎる)
「えへへ、バレちゃった?今日はね、ちょっと手間かけてラザニア作ろうかなって!ホワイトソースも一から作っちゃうんだから」
彼女は、調理に費やす膨大な時間コストなど微塵も気にしていない様子で、大事そうにカゴを抱え直した。
「……理解不能だな。そんな手間をかけて、得られるのは一時的な味覚の刺激と、過剰な脂質だけだろう」
「もう、これだからイオリ君は!『美味しい』は、心の栄養なんだよ?焼き上がりの匂いとか、とろ~り伸びるチーズとか……そういうのが一番効くんだから!」
(……『心の栄養』。
数値化できない概念を持ち出すとは。
やはり、この女は論理の外にいるな)
僕は自分のカゴにある、味気ない鶏胸肉とブロッコリーを見つめ直した。
そこに、オレガノの芳醇な香りが混ざる余地など、一ミリも存在しなかった。
僕が効率を考えていると、甘利が少しよそよそしく僕に問いかけてきた。
「イオリ君。あの。よかったら作ろうか……」
「……ん?」
「もーだから!私が作るから!一緒に!食べる!のだ!」
甘利は小さな体で、身振り手振り暴れながら真意を伝えてくる。
「「………」」
数秒の沈黙。
「いや……そんな非効率な物を二人分だと?余計に時間がかかるだろう。いい、僕はこれで」
僕がそう告げると、甘利はこちらにも聞こえる大きさでデカいため息を吐いた。
「今さ、イオリ君の頭の両脇っちょに、『悪魔フゥちゃん』と『悪魔シロロちゃん』が何か言ってるよ」
「相場は、片方は天使だ。僕にそんな幻など現れたこともないがな」
「ダメだこのメガネ。もういい、ほら行こっ!!!」
「あ、おい!」
栞は楽しそうに僕の手を躊躇なく掴んだ。
そのまま有無を言わさない姿勢で僕らは会計をし、そのまま彼女の家までの道を歩いた。
ちなみに僕の会計は2,221円だ。
対して彼女は、たかが一品とお菓子数点で3,500円。
僕のは数日分ある。
なんて非効率だ。
そんなことを思いながら着いた家は、僕のマンションからも見えるほどの高級タワマンだった。
さすがは人気Vtuber。
完全に負けを認めた。
「はい、行くのだ〜!」
「あ、ああ……なぜ僕が……」
彼女の部屋に着くや否や、甘い香りが漂ってきた。
どうせお菓子のゴミでも放置して……なんて思っていたが。
◇ 甘利 栞の部屋
あまりにも整頓された部屋。
Vtuberだというのに、ダンボールのゴミすら見当たらない。
何より、女性の家という感じだった。
「適当に座っていいからね、あ、そっちの配信部屋は入らないで!あ!後寝室もダメ!!」
「ああ……」
僕は固まりながら周りを見渡した。
家具も全て、白やピンクで統一され。
ソファやカーテンはマカロン柄。
「ブレないやつだ」
「イオリ君、女の子の家に入るの初めて?よそよそしぃ」
甘利は僕の顔を見ながら、小馬鹿にしてきた。
入る必要などない。当たり前だ。
「待ってて、作るから」
そういうと、彼女はマカロン柄のエプロンを着てキッチンスペースへと移動していった。
(そもそも、ぽよんが料理など……想像もしていなかった)
だが、キッチンからは僕の予想を完全に裏切る『手際の良い音』が響き始めた。
トトトトトッ、と小気味良い包丁の音。
ジュワァァァッ、と肉と野菜が炒められる音。
(……玉ねぎの細胞壁が熱で破壊され、水分が飛ぶ音。
そこに挽肉の脂質とタンパク質が加わり、メイラード反応によって香ばしい匂いが発生している。
……さらにトマトの酸味を飛ばし、旨味(アミノ酸)を凝縮させているのか)
視界に直接ログが出るわけではない。
だが、僕の嗅覚と聴覚が、その無駄だらけのはずの調理工程を勝手に解析してしまう。
漂ってくる芳醇な匂いに、僕の脆弱な肉体(胃袋)が小さく鳴った。
(……チッ。
空腹というデバフのせいだ。
ただの栄養摂取に、こんな過剰な期待感は不要だというのに)
〜数十分後〜
「はいっ!お待たせしましたー!ぽよん特製、熱々ラザニアだよ!」
テーブルに置かれたのは、焦げたチーズがグツグツと音を立てる、完璧な黄金色に焼き上がったラザニアだった。
僕が買ってきた味気ない鶏胸肉とブロッコリーは、彼女によって綺麗にサラダへと加工され、端に添えられている。
「……いただきます」
僕はフォークを手に取り、ラザニアを切り分けて口に運んだ。
「……ッ!?」
脳内に、強烈な味覚情報のスパークが走った。
トマトの酸味と肉の旨味、そしてベシャメルソースの滑らかさが、何層にも重なったパスタ生地と完璧な比率で絡み合っている。
(計算が……狂う。
ただの脂質と炭水化物の塊のはずなのに、この味覚への強烈なフィードバックはなんだ。
僕が毎日摂取している完全栄養食より、遥かに……美味い、だと……?)
「どう?美味しい?」
甘利が、少し不安そうに、けれど期待に満ちた顔で僕の顔を覗き込んでくる。
「……非効率な味だ。だが、……悪くない」
「あはは!素直じゃないなぁ、イオリ君は!」
彼女は心底嬉しそうに笑い、自分もラザニアを頬張った。
「これでしっかり心の栄養を補給して、明日の『イェソド戦』、ばっちり勝とうね!」
「……ああ。精神攻撃を物理で叩き直す、狂った攻略になるがな。お前も無駄に怖がって、おやつを消費するんじゃないぞ」
「ぽよ〜!任せるのだ〜!明日もぽよんが大活躍なのだ〜!」
ゲームの話になった途端、甘利の口調がいつもの魔王へと戻る。
僕は冷めた水を口に含みながら、少しだけ頬を緩めた。
(心の栄養、か。
……たまには、こういう非効率なバフも悪くないかもしれないな)
僕は、洗面台の鏡に映っていた「酷くやつれた顔(疲労デバフ)」が完全に消え去っていることを観測しながら、静かに食事を進めた。
「……ご馳走様。美味しかった」
「えへへー!お粗末様でしたなのだ!」
綺麗に平らげた食器を重ね、僕は早々に彼女の部屋を後にした。
これ以上の長居は非効率だからな。
◇ 帰り道
高級タワマンのエントランスを抜け、夜風に当たりながら自分のマンションへと帰路についていると、ポケットのスマホが短く震えた。
ピロンっ♪
——【SNS】——
甘利栞:美味しいって言ってくれてよかった!
甘利栞:イオリ君たまには美味しいもの食べるんだよ!作ってあげるから!
————————
(……お前は母親か)
僕は画面を見つめ、フッと自然に口角を緩めた。
そして、短い返信を打ち込む。
『また食べてやってもいい』と。
送信ボタンを押し、スマホをポケットにしまう。
僕の足取りは、妙に軽やかだった。
第109話いかがだったでしょうか?
現実でのイオリとぽよん(甘利 栞)の急接近回!!
美味しいご飯という『心の栄養』で完全に疲労デバフを解除したイオリ。
……二人の関係性も、少しずつ変わり始めているようです。
次回はいよいよ第9階層『イェソド』攻略戦!
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
〜次回予告〜
3/15【夜20時10分】に投稿致します!
少しでも「イオリの食レポ理屈っぽすぎ(笑)」「ぽよん家庭的で可愛い!」「二人の関係てぇてぇ……」と思っていただけたら、ぜひ画面下の【ブックマーク】や【☆☆☆☆☆】で応援していただけると、執筆の最大の励みになります!




