初めての友達
バディを組んでから、日々が本当に変わった。朝、教室のドアを開けるだけで、みんなの目が自然とこっちを向く。
「彼方、おはよう」「お疲れ様」「昨日の訓練すごかったね」
そんな言葉が、まるで当たり前みたいに飛び交う。
それでも、ボクにはまだ慣れないことばかりだ。みんなの視線や声が一度に降り注ぐたび、どこか居心地が悪くて、つい下を向いてしまう。この間までの「孤高の最強」としての自分は、どこへ行ったんだろう。心の奥では、まだうまく現実を受け止めきれずにいた。
(本当にボクが、こんな風にみんなと話していいのかな)
そんな疑問が、いつも胸の片隅にある。今まで一人でいることに慣れすぎて、集団の中にいると息苦しくなる。でも同時に、こうして声をかけてもらえることが、すごく嬉しくて――その矛盾した気持ちに、自分でも戸惑っていた。
ただ――悠馬だけは、本当に何も変わらない。今日の模擬戦でも、いつも通り悠馬が対戦リストに名前を入れていた。
「彼方、また一対一やろうぜ!」
負けるってわかっているのに、何度も、何度でも、まるで最初の頃と同じように。
(なんで悠馬は、こんなに変わらないんだろう)
ボクがバディを組んで強くなっても、周りの人たちがボクへの態度を変えても、悠馬だけは最初から最後まで、同じ調子で話しかけてくる。それが不思議で、でも、なぜかほっとする。
訓練場で一対一の模擬戦が始まる前、ボクは悠馬に提案してみた。
「ねえ悠馬、ボクだけリンク無しでやろうか? 怪我させちゃうかもしれないし」
でも悠馬はきっぱりと首を横に振る。
「だめだ。そんなの意味ないよ。本気の相手とじゃないと、俺も成長できない」
その真剣な表情に、ボクは何も言えなくなった。
(悠馬は、いつも本気なんだ)
ボクへの挑戦も、訓練への取り組みも、全部本気。手加減されることを嫌がるその姿勢に、ボクは敬意を感じた。
体育館に響く先生の合図。
「悠馬と彼方、一対一模擬戦!」
またか、と周囲の同期たちがクスクス笑う。
「悠馬、何回負けたら気が済むんだよ」
「今日は何秒で終わる?」
でも悠馬はまったく気にしていない。
「勝ち目なくても挑むのが男だろ!」
と胸を張る。
ボクは今日も、できるだけ怪我をさせないように――と、少し気を張る。だけど、なぜだろう。バディを組んでから、ボクの力は本当に別格になった。加減しないと危ない、それは頭でわかっていた。
なのに、「よーい、始め!」先生の声で模擬戦が始まっても、考えごとをしてしまう。
(悠馬って、いつも明るいな。なんで全然態度が変わらないんだろう。……普通に友達になれる人って、こういうタイプなんだろうか)
ぼんやりしたまま、手加減しようと動いたその一瞬――反射的に出した蹴りが速すぎて、悠馬は反応できないまま床に倒れた。
「悠馬!」
ボクは息を呑み、慌てて駆け寄った。
「大丈夫!? 本当にごめん、加減間違えた!」
男子たちや先生も「おい、マジか!?」「彼方、やりすぎだ!」と駆け寄ってくる。
悠馬は、肘も膝もすりむき、頬も赤く腫れていた。
「ははっ……やっぱ彼方、バディ組んでから無敵じゃん! 今の全然見えなかった!」
と、ケロッと笑う。
「ほんと、ごめん。痛い、よね……」
「大丈夫大丈夫。男だし、これくらい余裕だよ!」
悠馬はまるで怪我なんて気にしてないみたいに、ボクの腕をつかんで立ち上がる。
「それより彼方、なんか最近すごく明るくなったな!」
「え……そうかな」
ボクが困ったように笑う。
「いや、前より断然しゃべるし、表情もやわらかいよ。前は全然話しかけていいのかわかんなかったもん」
悠馬は、ちょっとだけ真剣な顔で言った。
「これからは、普通に話しかけてもいいよな? 遠慮しないでさ」
男子グループも「いいなー悠馬だけズルい」「俺らも混ざっていい?」とわいわい騒いでいる。
その輪の中心で、ボクはしばらく何も言えずに立ち尽くしてしまった。ボクなんかに、こんなふうに気軽に話しかけてくれる人がいるなんて――今まで一度も、考えたこともなかった。
悠馬が「な? これから友達だからな!」とぐいっと手を伸ばしてくる。ボクは戸惑いながらも、その手を握り返す。
「あ、でも怪我の手当てちゃんとしてよ!」
男子グループが一斉に茶化す中、悠馬は「わかってるって!」と笑いながら保健室に向かう。
その背中を見送りながら、ボクの胸の奥には、結に全肯定される安心とはまた違う。「自分も普通の友達になれるのかもしれない」という、温かくて、ちょっと誇らしい気持ちが湧いていた。
「……なんか、友達っていいかもな」
ふとこぼれたその言葉が、今のボクにはすごく新鮮だった。
前衛の訓練が終わって武器の手入れをしていると、悠馬がひょっこり隣にやってきた。包帯を巻いた腕を気にする様子もなく、明るい顔をしている。
「彼方、さっきの技のコツ教えてくれよ」
「え、でも怪我……」
「これくらい平気だって。それより、あの魔力の込め方がよくわからないんだ」
悠馬は本当に真剣で、メモまで持参している。その姿を見て、ボクは少し驚いた。
(一対一の勝負では意地を張るのに、技術を教わる時は素直なんだ)
この使い分けが、悠馬らしいなと思った。
「えっと、魔力を足に集中させる時は……」
「おお、なるほど!」
「でも最初は加減が難しいから、少しずつ慣れていく感じかな」
「そうか、やっぱり経験なんだな」
他愛もない技術談義だったけれど、こうして誰かに自分の知識を教えるのは初めてだった。悠馬が真剣にメモを取る姿を見て、ボクは少し照れくさくなる。
(ボクの話が、誰かの役に立つなんて)
そこに他の男子たちも集まってきた。
「俺にも教えてくれよ」
「魔力の効率的な使い方とか知りたい」
「彼方の剣の構え方、いつもかっこいいよな」
いつの間にかボクを囲む輪ができていた。みんな本当にボクの話を聞きたがっている。それが不思議で、でも嬉しかった。
(こんな風に、誰かと知識を共有するのって)
悪くない、と思う。いや、正直に言えば、すごく楽しい。
今まで知らなかった感情や経験で、胸の奥が温かくなる。
夕食の時間、ボクはいつものように結と向かい合って座っていた。そこに悠馬が「おーい、彼方!」と手を振りながらやってくる。
「一緒に食べていい?」
結が少し驚いたような顔をする。ボクも戸惑ったけれど、「うん、いいよ」と答えた。
悠馬とそのバディ、それに他の男子数人がテーブルを囲む。急に賑やかになった食事の時間。
「今日教えてもらった技、早速練習してみたんだ」
「明日の訓練で試してみる」
「彼方って、どのくらい前から魔力使えるようになったの?」
男子たちが口々に話しかけてくる。ボクは慣れない注目に少し緊張しながらも、一つ一つ丁寧に答えようとした。
(みんな、本当にボクの話を聞きたがってる)
それが不思議だった。今まで誰もボクに興味を示さなかったのに、こんな風に質問攻めにされるなんて。
でも、悪い気はしなかった。むしろ、自分の経験や考えを誰かと共有できることが、すごく新鮮で楽しい。
「小さい頃から、なんとなく使えてた気がする」
「やっぱり天才は違うな」
「でも、バディを組んでから段違いに強くなったよ。結との信頼関係が一番大事だと思う」
男子たちが真剣にうなずいている姿を見て、ボクは少し照れくさくなった。
ふと結の方を見ると、静かに食事を続けている。時々、ボクたちの会話に微笑んでくれるけれど、何か考え込んでいるようにも見えた。
(結、つまらないかな)
少し心配になったけれど、結は「大丈夫だよ」という風に軽く手を振ってくれた。
食事が終わって、みんなでゆっくりと寮に戻る道。悠馬がボクの隣を歩きながら、ぽつりと呟いた。
「なあ、彼方」
「ん?」
「お前、前より断然話しやすくなったよな」
ボクは立ち止まりそうになる。
「そう、かな?」
「ああ。前は何考えてるかわからなくて、ちょっと近寄りがたかった」
悠馬は苦笑いを浮かべる。
「でも今は、普通に友達って感じがする」
友達――その言葉が、胸の奥に深く響いた。
(友達。ボクに、友達ができたんだ)
今まで一度も持てなかった関係性。孤独に慣れすぎて、もう誰とも繋がれないと思っていた。
「俺、お前と友達になれて嬉しいよ」
悠馬がそう言って、ぐっと手を差し出してくる。
ボクは少し戸惑いながらも、その手を握り返した。悠馬の手は、結とは違う種類の温かさがあった。結の手が安心と愛情を与えてくれるなら、悠馬の手は対等な信頼を感じさせてくれる。
(これが、友情なのかな)
結に対する気持ちとは違う、でも確かに大切な何か。ボクの中に、新しい感情が生まれた瞬間だった。
「俺も……友達になれて、嬉しい」
そう言った時、ボクは心から笑顔になれた。
部屋に戻ると、結がベッドに座って読書をしていた。ボクが入ってくると、本を閉じて振り向いてくれる。
「おかえり、カナちゃん。楽しそうだったね」
「うん、すごく楽しかった」
ボクは結の隣に座って、今日の出来事を話し始めた。悠馬のこと、男子たちとの会話、友達ができた嬉しさ――全部、結に聞いてもらいたかった。
結は最後まで静かに聞いてくれて、「よかったね」と微笑んでくれる。でも、その笑顔がどこか寂しそうに見えるのは、ボクの気のせいだろうか。
(結、本当は嫌なのかな)
ボクが他の人と仲良くなることを、面白く思っていないのかもしれない。そう考えると、急に不安になった。
「結、ボクが他の人と友達になるの、嫌?」
思い切って聞いてみる。
結は少し驚いたような顔をして、それからふるふると首を振る。
「嫌じゃないよ。カナちゃんに友達ができて、本当に嬉しいと思ってる」
「本当に?」
「本当」
結の声は優しくて、嘘をついているようには聞こえない。でも、何か大事なことを隠しているような気もした。
(でも、結がいいって言うなら)
ボクは結を一番大切に思っている。結が嫌がることは、絶対にしたくない。結が許してくれるなら、友達との時間も大切にしたい。
「ありがとう、結。いつもボクのことを理解してくれて」
ボクは結の手を取って、ぎゅっと握った。
結の手は、いつものように温かくて柔らかい。この手があれば、ボクはどんなことも乗り越えられる。友達ができても、結がボクにとって一番特別な存在であることは、絶対に変わらない。
それから数日、ボクの生活は少しずつ変化した。午前の訓練では男子たちと技術を教え合い、昼食は大勢で賑やかに過ごし、夕方は武器の手入れを一緒にする。
悠馬は相変わらずボクに挑戦を続けるし、他の男子たちも魔力の使い方について質問してくる。ボクなりに一生懸命答えて、時にはボクの方から質問もするようになった。
(こんな風に、誰かと時間を共有するのって)
悪くない、と思う。いや、正直に言えば、すごく楽しい。
今まで知らなかった感情や経験がたくさんあって、毎日が新鮮だった。友達の何気ない冗談で笑ったり、一緒に訓練の成果を喜んだり、失敗を慰め合ったり。
でも、一日の終わりには必ず結のもとに帰る。結と一緒に過ごす時間が、ボクにとって最も大切で安らげる時間であることは変わらない。
「今日も楽しかった?」
結がいつものように聞いてくれる。
「うん、でも結といる時間が一番好きだよ」
素直にそう答えると、結はとても嬉しそうに笑ってくれた。
(友達も大切。でも結はもっと大切)
その気持ちに嘘はない。結はボクの恋人で、バディで、世界で一番大切な人。友達とは全く違う、特別な存在だ。
でも時々、ふと思う。結は本当にボクの気持ちを理解してくれているんだろうか。ボクが友達と過ごす時間を、心の底から応援してくれているんだろうか。
結の笑顔の奥に、時々見える寂しさの正体が、ボクにはまだわからなかった。
夜、布団の中で結と寄り添いながら、ボクは今日一日を振り返っていた。
(ボク、変わったな)
以前のボクだったら、誰かと友達になろうなんて思いもしなかった。一人でいることが当たり前で、誰かに頼ることも、頼られることも知らなかった。
でも今は違う。悠馬たちと笑い合い、お互いを認め合い、切磋琢磨する関係を築けている。それは結との関係とは違う種類の喜びを与えてくれる。
(結がいたから、ボクは変われたんだ)
結との出会いがなければ、ボクはきっと今でも一人ぼっちだった。結が愛してくれたから、ボクは自分にも価値があることを知った。結が支えてくれたから、ボクは他の人と繋がる勇気を持てた。
全ての始まりは結だった。だから、どんなに友達が増えても、結が一番大切であることは絶対に変わらない。
「結、ありがとう」
小さく呟くと、結がぎゅっとボクを抱きしめてくれた。
「こちらこそ、ありがとう。カナちゃんと一緒にいられて幸せ」
結の声が、いつもより少しだけ切なく聞こえたのは、きっとボクの気のせいだろう。
ボクには友達ができた。でもボクには結がいる。両方とも大切で、両方とも失いたくない。
そんな欲張りな願いを抱きながら、ボクは結の温もりの中で眠りについた。明日もきっと、新しい発見と、新しい関係性が待っている。
一人だったボクに、今では大切な人たちがいる。こんな幸せがあっていいのだろうかと思うほど、毎日が充実していた。
ただ一つ、結の本当の気持ちだけが、まだボクにはわからずにいた。