女悪魔
女悪魔は、カナちゃんの身体を宙に浮かせるようにして、まるで壊れ物を扱うみたいに、極端に優雅な所作で機械台へと移した。
背は二メートル近くある。異様に細長い手足。膝や肘が不自然なほど滑らかに曲がる。人間の骨格から逸脱した――悪魔という存在が、ただそこにいるだけで、空間が異様に歪む。
頭上の小さな山羊のような角、額から真っすぐ後ろに向かって伸びる二本。額から頬へ流れる長い黒髪。肌は青白く透き通っているのに、顔の半分は黒い影のベールのようなものに覆われている。
唯一、はっきりと見えるのは口元――笑っている。笑みが薄くて、鋭くて、端正な女の顔にだけ、それが裂けるように浮かぶ。
その唇が、どこか誇らしげに歪んでいた。
悪魔は一度カナちゃんの髪を優しく撫でて、仰向けにしたままベッドに寝かせる。極端な優しさが、異常な暴力の予感と混ざり合っている。指先が細すぎて、カナちゃんの頬に触れるだけで折れてしまいそうなのに――全てを支配し、壊す力を秘めているのが、視線ひとつで分かる。
金属製のベッドは、病院の手術台よりもずっと無機質で、恐ろしかった。
ベッドの両脇、足元、頭上、壁際――至る所から、機械のアームが花のように咲き乱れ、待機している。
カナちゃんの制服はすでに泥と埃で汚れ、左手だけがかろうじて床を掴んでいた。あとは全身が、まるで魂が抜けたように、ただ脱力している。
私はリンクの映像にしがみついていた。
部屋は薄暗いコンクリートと、冷たい金属の壁に囲まれ、どこかで水滴が落ちる音まで聞こえてくる。リンク越しには、目の前の地獄がはっきりと――映像も、音も、全部が私の脳内に直接流れ込んでくる。
「カナちゃん!」何度も、何度も呼んだ。でも、私の声はリンクの向こうには届かない。一方通行。私には見ることしかできない。
(だめ、だめ……こんなの嫌だ……)
女悪魔が、コンソールパネルの前に立つ。肘を不気味に反らせて、まるで舞踏の振り付けのような仕草でスイッチを押し、ダイヤルを回していく。
その動きのひとつひとつが、たまらなく「人外」だった。
長い指がボタンを優しく撫でるたび、壁際の無数の機械が唸り始める。
「ウィーン……」という駆動音がリンク越しに響いてくる。
天井から、金属のアームがゆっくりと降りてくる。
アームは十本以上。
注射器のようなもの。極細の管。先端が球体のもの――どれも、用途を考えたくない。
アームの先端がカナちゃんの身体の上を滑り始める。
カナちゃんは首を横に振り、顔をくしゃくしゃにして泣きそうな顔になる。
けれど動けない。短くなった両手両足にはすでに金属の枷。太腿を固定する銀のシリンダーが、重い音を立ててパチリと締まる。
女悪魔は、動作を逐一確認するようにパネルを眺め、微かに口元を上げている。
唇が音もなく動き、何か実況するような仕草――まるで観客に実況でもするように、ゆっくりと。
私は、血が出そうなほど自分の手のひらを握り締めていた。
どれだけ自分を痛めつけても、リンクの向こうのカナちゃんからは目が離せない。
苦しい。胸が焼ける。足先がわずかに震える。
(見たくない、でも……絶対に目を逸らせない)
アームのひとつが、カナちゃんの身体に向かってゆっくりと迫る。
「やめて……やめて……」
カナちゃんの小さな声がリンク越しに聞こえてくる。
私の心臓が痛い。
(私以外が、カナちゃんに触るなんて……)
もう一つのアームがカナちゃんの肩に触れ、さらに別のアームが、冷たい金属で彼女の身体を押さえつけていく。
(だめ、そこは……私だけが触れる場所なのに……)
女悪魔の顔――その下半分だけが、淡々とリンクに映る。
口の端が不気味に上がり、どこまでも愉悦しか感じられない。
私は、リンクの中で「やめて」と何度も心の中で叫び続けた。
次の瞬間、黒光りする器具が、まるで生き物のようにしなるアームの先から現れる。
「ブーン」という低い振動音が響き始めた。
カナちゃんは泣き叫ぶように首を振り、目尻から涙が零れ落ちる。
その口が、必死に「やめて」と叫んでいる。
「そこは……そこはダメ……結だけなの……」
カナちゃんの震え声が、私の胸を引き裂く。
(そこは私だけが触れていい場所なのに……私だけが……)
金属の拘束具が両足をさらに強く固定し、カナちゃんの身体が完全に動けなくなる。
(だめ、だめ、お願い……)
私はリンクの向こうに思いきり手を伸ばした。
けれど、どこまで手を伸ばしても、カナちゃんには一切届かない。
金属のアームが容赦なく動き続ける。
カナちゃんは涙で顔をぐしゃぐしゃにし、苦しそうに息を吸おうとするが、もう抵抗すらできない。
その時、女悪魔の指が再びパネルを撫で、アームの数本が同時に動く。
「ピッ、ピッ」という電子音と共に、低い振動音「ブルルル……」が部屋に響く。
(嫌だ、嫌だ、どうして――)
私は腕に爪を食い込ませた。皮膚が裂けて、じわりと血が滲む。
それでも、苦痛よりも強い、焼けるような絶望感が、自分の心を支配していく。
カナちゃんの声が、震えながら漏れてくる。
「やめて……お願い……」
その声を聞くたび、私の心は千切れそうになる。
(ダメ……私以外にそんな声を出しちゃダメ……)
どこかで――私の中の最も醜い絶望が目を覚ましたような気がした。
機械音が続く中、カナちゃんの身体があらゆる場所を無慈悲に痛めつけられていく。
リンク映像はすべてが異常なほど鮮明に伝わってくる。
女悪魔の手はまるで絹糸のように滑らかに動き、機械アームを切り替え、時折その異様に長い指でカナちゃんの頬を撫でる。
その動きは母性的で、優しささえ含まれているのに、その本質が――暴力と支配しかないのが、見るだけで分かる。
「だめだ、お願い、やめて……」
何度も心の中で懇願しても、リンクの向こうの地獄は止まらない。
女悪魔はパネルを滑らせながら、時折満足げに笑みを浮かべる。
額の角、青白い肌、黒い長髪――そのすべてが現実感を奪っていく。
全身のラインは人間離れして優美だが、その立ち振る舞いは明らかに人間を観察する者のそれだった。
機械のアームが動くたび、カナちゃんの体が強制的に痛めつけられていく。
黒光りする器具から「ブーン」という音が響いた瞬間、カナちゃんの顔が痛みと屈辱でぐしゃぐしゃに歪む。
両腕、両脚はがっちり拘束されたまま。
どこにも逃げ場がない。
(やめて……やめて!)
私は涙で視界が霞んでも、絶対に目を逸らさなかった。
リンクを切れば楽になれる。でも――そんなことをしたら、カナちゃんを感じられなくなってしまう。カナちゃんが無防備になって、死んでしまうかもしれない。
どこかで、これを全部見届けなければいけないという義務感のようなものが、私の心を掴んで離さない。
カナちゃんが苦痛に仰け反った。
「あ……ああ……やめて……」
苦痛を訴える声が、カナちゃんの口から漏れた。
私は、自分の心臓が一瞬止まったような気がした。
(カナちゃん……カナちゃん……)
女悪魔は、勝ち誇ったような笑みを見せ、さらにコンソールのダイヤルを回す。
「ウィーン……ブルル……」
次々と器具が交代で動き、カナちゃんは純粋な苦痛だけに支配され続ける。
私の身体も、震えが止まらなくなった。
呼吸が浅くなり、胸が締め付けられる。
冷や汗が肌に張り付き、全身が震える。
(私が……私がここにいるだけで……何もできない……)
私は手のひらを血が滲むほど握りしめた。
でも、どれだけ痛みを与えても、自分の無力感という絶望が胸を押し潰していく。
(こんな……こんな地獄を見せつけられて……私は何もできない……)
カナちゃんの顔が、どんどん崩れていく。
痛みによじれ、無力な涙で、顔中が濡れていく。
「ピッ」という音と共に、注射器のようなものが首筋に押し当てられ、薬液が注入される。
その瞬間、カナちゃんの表情がさらに苦痛に歪んだ。
何かの薬物によって、痛覚が鋭敏になったのかもしれない。
私は、自分の身体が震えて仕方がない。
太腿に爪を立て、自分を痛めつけることでしか、この絶望に耐えられない。
(だめ、だめだ……どうして私は何もできないの……)
助けたい、止めたい。
でも、何もできない。
ただ見ているだけ。
リンクを通して、カナちゃんが壊されていく姿を見ながら、私は――
涙と嗚咽と、絶望と、全部がぐちゃぐちゃになっていく。
カナちゃんが、どんどん壊れていく。
私の中の一番醜い部分は、それを見ることしかできない自分への嫌悪で満たされて、
すべてが終わってしまえばいいとすら思ってしまう。
カナちゃんの身体が大きく仰け反り、涙と唾液で顔がぐしゃぐしゃになりながらも、
女悪魔の支配から逃れられない。
私は、耐えられず自分の腕を引っ掻いた。
痛みと、胸を押し潰す絶望と、無力感が溶け合って、意識が飛びそうになる。
(最低だ……私……何もできない……)
泣きながら、私はそれでもリンクを見続けた。
カナちゃんが壊されていく地獄を、私自身の絶望と同時に味わいながら。
女悪魔は最後に、満足げにカナちゃんの顔を覗き込み、唇をなにか音もなく動かす。
それが呪いの言葉にしか見えなかった。
機械音が止み、アームがカナちゃんの身体を解放する。
彼女は床に崩れ落ちた。
私は、自分の手に滲む血を見下ろして、
ただ、絶望しか感じなかった。
(ごめん、ごめん……カナちゃん、ごめん……何もできなくて……)
声も、涙も、全部が自分の無力さを責めるだけだった。
もう、どれくらい時間が経ったのか分からない。
私は血まみれの手を膝に押しつけ、ソファの上で小刻みに震えていた。
リンク越しの世界では、カナちゃんは床に投げ出されたまま、呼吸も浅く、顔は涙と汗でぐしゃぐしゃだった。
身体のあちこちに無数の赤い痕が残り、制服は汚れ、乱れた髪が床に広がっている。
女悪魔は、今度は記録装置を起動させていた。
長い指でモニターを叩き、小さなカメラのようなものをカナちゃんに向ける。
まるで、苦しむカナちゃんの様子を、どこかの”誰か”に見せつけるかのように。
(でも、誰にも見られていない。見ているのは、私だけ。私しか、知らない地獄)
その事実に、私はまた別の恐怖を覚えた。
(この苦しみも、絶望も、私が一人で背負い続けなきゃいけないの?)
(私が全部見届けなきゃいけないの?)
カナちゃんの左手が、虚ろに床を掴んでいる。
指先が震え、かすかに床を引っかく。
(ああ――カナちゃん、帰ってきて)
けれど、その願いも虚しく、
女悪魔はまた別の機械を用意し、壊れかけたカナちゃんの身体を新しい台に移し替えた。
その時、私は女悪魔の全身を初めて正面から見た。
背が高い。スラリとした手足は、人間離れした長さ。
黒く滑らかな髪が腰まで流れ、額の小さな角が青白く光っている。
口元はいつもわずかに吊り上がり、瞳は底なしの闇のように冷たい。
高い頬骨と切れ長の目は、どこか人間の”美しさ”の基準からも逸脱していた。
その女が、微笑みながらカナちゃんの身体を持ち上げ、
あっけないほど容易く、別の拘束台へと運んでいく。
その光景すら、どこか現実味がなかった。
――見ているだけで、私の中の絶望が、じわじわと濃く染まっていく。
新しい台に拘束されたカナちゃんの身体は、もう自分で動く力を残していない。
女悪魔は淡々と準備を続け、またもや新しい器具や管をセッティングしていく。
さっきまでと違う形状の金属パーツ、意味も分からない液体――
(まだ、続くの……?)
胸が締め付けられ、苦しくて、吐き気がこみ上げてくる。
女悪魔は、時折ちらりとカメラに視線を投げる。
まるで「見せ物」を演じている俳優のように、
演技をしながら、淡々とカナちゃんを痛めつけていく。
私は、自分が何もできないという事実が、どんどん現実を遠ざけていくのを感じていた。
(私が、カナちゃんを助けなきゃいけないのに)
でも、できない。
何一つ、できない。
次の瞬間、女悪魔はカナちゃんの顔を両手で挟み、わざとらしくその表情をカメラに見せつける。
カナちゃんの目はすでに焦点を失い、まぶたが震えていた。
口元からは、乾いた息と涙だけ――
私は、自分の手で顔を覆い、血と涙でグシャグシャになった。
(助けたい。止めたい。……なのに、何もできない。私は何もできない……)
カナちゃんが苦しめば苦しむほど、私の心は絶望に包まれていく。
それが自分でも許せなくて、また腕に爪を立てた。
――その瞬間、リンクの向こうでカナちゃんが一瞬だけ、こちらを見る。
あの虚ろな目が、一瞬だけ私を探したように見えた。
気のせいかもしれない。
でも、それだけで私の全身が震える。
(見てるよ、カナちゃん……私は、ここにいるよ……でも、何もできない……)
そう叫びたくても、声は届かない。
「ウィーン……」という機械音が再び響き始める。
女悪魔が最後の器具を片付け、拘束を外すと、カナちゃんはただ床に崩れ落ちるだけ。
動かない、でも――
胸は、かすかに上下している。
私はソファからずり落ちて、床に血だまりを作りながら、リンクを手放すこともできなかった。
(私が、カナちゃんを救えなかった……何もできなかった……)
罪悪感も、絶望も、無力感も、全部が自分の内側でごちゃ混ぜになっていく。
何もかも、終わってしまえばいいのに――
でも、リンクを切ることなんてできない。
私は、もう一度カナちゃんの名を呼んだ。
今度は、誰にも届かない囁きで。
「――カナちゃん……お願い、生きて……ごめん、何もできなくて……」
それだけが、私の残された全てだった。




