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拷問

 森の奥へ、悪魔がカナちゃんを肩に担いだまま、無言で進んでいく。

 枝葉が揺れ、季節外れの冷たい風がざわめき、どこまでも薄暗い道が続いていた。


 班員たちの姿も、遥香の泣き崩れる姿も、すぐに木々の間に隠れて見えなくなった。

 カナちゃんの泥と血で汚れた髪、だらりと垂れた手足、無力に揺れる指先――

 私はその一つ一つを、頭の奥に無理やり焼きつけられているみたいに、ただ見ているしかなかった。


 森の奥は瘴気が濃く、葉や枝も黒ずみ、地面はじめじめとぬかるんでいる。

 悪魔の足音だけが淡々と続き、その肩にかけられたカナちゃんが揺れるたび、制服から新しい血がぽたぽたと落ちる。

 カナちゃんの呼吸は浅く、唇は震え、うめき声が小さく漏れる。


 (カナちゃん……)


 どれだけ呼びかけても、何も届かない。

 自分の声が世界の外に弾き出される感覚。

 私はただ、見続けるだけ。

 痛みも恐怖も怒りも、すべて自分の中で腐りそうなほど膨らんでいくのに、それをぶつける場所すらない。


 どれくらい歩いたのか分からない。

 やがて森が開け、瘴気の中に歪んだ建物が見えてきた。

 まるで昔の礼拝堂のような形をしているが、壁も屋根も朽ちて黒ずみ、ただ異様な冷たさだけを感じさせる。


 悪魔は扉を蹴破るように開き、中へ入る。

 中は暗く湿っていて、石造りの床には錆びついた鎖や、汚れた拷問器具が雑然と散らばっている。

 私の視点はカナちゃんと共にそのまま連れ込まれ、冷たい床の上へ放り出される。


 カナちゃんの体は泥と血でぐしゃぐしゃになり、指先が震えながら床を掴む。

 悪魔は扉を閉め、閂を下ろした。


「さて――研究の続きといきましょうか」


 悪魔の声は静かで、どこか楽しげだった。

 カナちゃんは床に這いつくばり、必死に顔を上げる。

 目は充血し、唇にはまだ血が滲んでいる。

  悪魔がカナちゃんの髪を引き上げ、床に這いつくばったカナちゃんの顔を無理やり晒す。

「いい顔ですねぇ。さっきより私好みになってきましたよ」


 やめて、やめて、やめて。

 私の頭の中は、カナちゃんのうめき声でいっぱいになる。


 「頼む、やめて……! カナちゃんに何もしないで……! もうやめてよ!」


 私はそう叫んでいた。

 でも現実の世界では、ただ静かな個室にうずくまっているだけ。

 両手で耳を塞いでも、心臓を握り潰されそうな苦しみだけが残る。


 悪魔はカナちゃんの手を踏みつけ、わざとゆっくりと重心をかけていく。


「やめろっ……やめ、て……! 痛い……痛い、やだ……!」


 カナちゃんの声はかすれ、喉が潰れるような悲鳴になる。

 指があり得ない方向に曲がり、爪が割れる音がはっきり聞こえた。


 「うああああッ! やだ……! やめて、やめてぇ……!」


 その絶叫は、まるで自分の身体を裂かれるみたいに、

 私の頭の奥へ――心臓へ、直接流れ込んでくる。

 胸がぎゅっと収縮し、息が苦しくなり、

 私は小さくうずくまって両手で自分の胸を掴んだ。


 「……どうして、なんで……どうしてこんな……っ」


 悪魔が今度はカナちゃんの髪を掴み、床に顔を押し付ける。

 カナちゃんは歯を食いしばり、涙と唾液で泥だらけの床に呻き声を落とす。


 「やだ……痛い……結、助けて……! 誰か……!」


 「結」が聞こえた瞬間、私は息が止まりそうになった。

 喉が痛くなるほど叫びたいのに、何もできない。


 「ごめん、ごめんね、カナちゃん……! 私、ここにいるのに……! ごめん、ごめん……!」


 涙がとめどなく流れる。

 パスを切ればカナちゃんの全てがわからなくなる。

 だから、見続けることしかできない。

 カナちゃんの痛みも、苦しみも、私の中へ際限なく押し寄せてきて、心が壊れる感覚だけが、どんどん強くなっていく。


 悪魔はカナちゃんの手を持ち上げ、指を一本一本ゆっくり引っ張っては、関節を外し、爪を剥がしながら笑う。


 「うああッ……やだ……やだ……! やめてぇ、やめてぇぇッ!!」


 カナちゃんの叫び声、嗚咽、嗤い混じりの悪魔の声、

 石床に滴る血の音――

 すべてが、私の頭の中で溶けて、どうして私はここにいるのと、何度も何度も叫ぶ。


 「お願い、お願い……! カナちゃんにこれ以上、何もしないで……!私が代われるなら、全部私が受けるから……!お願い、私のカナちゃんを壊さないで……!」


 パスは絶対に切れない。

 自分を責めて、呪って、それでも、私はただ――

 カナちゃんの痛み、そして自分自身の心の痛み、そのどちらからも逃げられず、泣き崩れるしかなかった。


 悪魔の長い指がカナちゃんの頬をなぞる。

 爪の先が皮膚を引っかき、乾いた血の匂いが空気の奥で生々しく混じる。

 カナちゃんの顔にはもう涙も泥もこびりついていた。


「ふふふ……私はねぇ、人間の雌があげる悲鳴が大好きでして。あなたの声をたくさん聴かせてもらいましょうか。――ほら、もう少しで、いい声が聞けそうだ……」


 悪魔は愉しげに口角を吊り上げ、

 カナちゃんの左手の指を一本ずつ、逆方向に――あり得ない角度まで力をこめて、ぐに、と折り曲げていく。


 「ぎィッ……やめて、やめてぇ、ああああッ――!」


 骨が砕ける鈍い音、関節が悲鳴を上げる感触、

 その全てがパス越しに私の心臓を串刺しにする。

 カナちゃんの叫び、嗚咽、涙の味。

 私は両手で頭をかきむしりながら、声にならない声でただ、叫んだ。


 「やめて……やめてよ……! カナちゃん、カナちゃん……!」


 けれど、何も変わらない。

 目を閉じても、耳を塞いでも、見せつけられるだけの自分――

 心の中がどろどろに溶けていく感覚しかなかった。


 「そう言えば――なぜ我々が人間を襲っているか、気になりませんか?」

 「あなた方がどこまで知っているかは分かりませんが、せっかくです。冥土の土産にお教えしましょう」


 悪魔の話し声が、カナちゃんの悲鳴と混じりあって、私の脳髄の内側でぐちゃぐちゃに反響する。

 指の骨が砕け、逆向きに折れ曲がるたび、カナちゃんの声がどんどんか細く、絶望に染まっていく。


 「やだ、いやだ、痛い、痛いよ、助けて……!」


 私は歯を食いしばって涙を堪えるけれど、頭の中にはカナちゃんの痛みしか流れてこない。

 「お願い、お願いだからもうやめて、カナちゃんは悪くない、全部私が代わるから――!」


 悪魔は指の骨をねじりながら、妖しい光を目に浮かべて続ける。


 「実のところ、私たちは国を追われた身でして。王のために立派な土地を――と探していたら、この世界に辿り着きましてねぇ。ええ、お察しの通り、私たちは別の世界から新天地を求めてやって来たのです。ここは思いのほか住みやすくて、王もすっかり気に入ってしまった。あとは、あなた方人間を駆逐するだけ。……簡単な話でしょう?」


 その声の裏で、カナちゃんの指がまた一本、変な方向に曲げられる。

 関節が外れ、皮膚が破け、血が床に滴る。

 カナちゃんの嗚咽が、喉の奥から何度も何度も絞り出される。


「いやだ、やだやだやだ……! やめて、やめて……結、助けて……!」


 カナちゃんの声が自分の名前を呼んだ瞬間、私は自分の心臓が止まる音を聞いた気がした。


 「ごめん、ごめん、ごめんなさい……カナちゃん、私、いるのに……何もできない……!」


 涙で視界が滲む。

 でも、パス越しにすべてが脳に焼きつく。

 痛みも、恐怖も、後悔も、何一つ、どこにも逃がせない。


 悪魔は今度、カナちゃんの爪をゆっくり剥がし始める。

 無理やり、ぐりぐりと痛めつける様に。


 「おや、痛いですか? 大丈夫、まだまだこれからですから」

 カナちゃんの指先から新しい血が床にぽたりと落ちる。

 私の手も、涙でぐしょぐしょになっていた。


 「でも人間というのは脆弱な見た目に反して、意外としぶとい。ですから今日まで、私は人間の特性や限界を研究してきたのです。ええ、あなた方の協力のおかげで、素晴らしいデータが揃いました。ですからこれでもう……滅ぼしてしまっても構わないでしょうね」


 悪魔が、カナちゃんの右手の指を、親指から小指まで丁寧に一本ずつ撫でていく。

 刃物の冷たい金属音、何度も肉を断つ鈍い衝撃。

 カナちゃんが悲鳴を上げ、何度も何度も体を引きつらせる。


 「やめて、やめて、やめて! お願い、もうやめて! カナちゃんは悪くない、全部私が――」


 私は自分の頬を爪で引っかいていた。

 自分がどこにいるのかも分からないくらい、頭の中はカナちゃんの痛みだけになっていく。


 悪魔は、カナちゃんの右腕をゆっくり、しかし力任せに引っ張っていく。

 関節が抜け、ミチミチとした音が響く。


 「うぁああああ……やだ、やだ、それはやめて……やだあああっ――!!」


 その絶叫に、私は自分の中身もすべて引き裂かれるような気がした。


 「私がいるのに……! 私がバディなのに……! 何もできない……!」


 どれだけ泣いても、どれだけ叫んでも、パスは絶対に切れない。

 どんなに痛くても、苦しくても、私はただ――

 地獄の全てを見せつけられながら、カナちゃんの痛みと一緒に壊れていくしかなかった。



 悪魔は、右腕から流れる血を眺めては、まるで実験の途中経過でも観察するかのように冷静だった。


「まだ壊れませんか? 特殊な個体ですか。……王もきっとご満足でしょう」


 カナちゃんは体をひきつらせ、血だまりに横たわったまま、断末魔の声を上げ続けている。

 その喉の奥から漏れる叫び――

 「やだ、やだ……やだぁあっ、痛い、痛いよ、助けてえええ!!」

 叫びは濁り、時折、息がうまく吸えずに咳き込む。


 私は両手で自分の頭を掻きむしる。

 耳を塞いでも、頭を振っても、カナちゃんの絶叫と絶望しか頭の中に流れてこない。


 「やめて、お願い、やめてぇ! これ以上はもう、やめて、やめてよ!! カナちゃんは……カナちゃんは私の――!」


 悪魔はカナちゃんの足首を掴み、わざとゆっくりとねじる。

 骨と肉がきしみ、肉が限界まで張っている感触がパス越しに、現実の痛みのように心臓を締め付ける。


 カナちゃんの体が跳ね、

 「――あっ、あああああああああああッ!!」

 膝が折れ、足首がぐにゃりと曲がる。

 そのまま悪魔は迷いなく膝下を掴んで引っ張る。


 「ほら、見てください。人間の筋肉はなかなか丈夫にできているんですよ?」


 メキメキと骨と腱が音を立てる。

 カナちゃんの血が床に飛び散る。

 指先が震え、唇を噛み切って涙と血を一緒に流している。


 「やめて、やだ、お願い……お願いだからやめて、やめてぇッ……! 結――……っ」


 カナちゃんの目がうつろに、でも確かに助けを求めて瞬いた。


 「ごめん……ごめんなさい、ごめんなさい……! 私がここにいるのに、何もできないのに……!」


 私はもう声にならない声で泣き叫ぶ。

 喉の奥から嗚咽がせり上がり、パスが彼方の肉体の痛みと自分の心の痛みを同時に詰め込んでくる。

 胃の中がぐちゃぐちゃにかき混ぜられるような絶望だけが広がっていく。


 「大丈夫、まだ終わりませんよ。あなたがどこまで壊れるか、楽しみで仕方ありません」


 悪魔はカナちゃんのもう片方の足も掴むと、力加減も何もなく強引に引っ張る。

 カナちゃんの絶叫――


 「やだッ、やだ、やだあああああ!!」


 悲鳴、喉を潰すほどの絶叫、涙も血も涎も全部まじって、

 石床にぶちまけられる。


 「もう、やめて……お願い、お願いだから……カナちゃんは、もう、もう……!」


 私は泣き崩れ、自分の頬を爪で引き裂き、

 「私が、私がいれば、カナちゃんは死なないのに……私のカナちゃん……お願い、帰ってきて……!」


 絶叫と痛みの波が、パスを通して二重の地獄となって私

を押しつぶす。

 世界に何も届かないまま、ただ見ることしかできないただ一緒に壊れることしかできない自分の無力さだけが、鮮烈に突き刺さった。

 

 カナちゃんは、泥と血にまみれて、すでに右腕も両脚も失っている。

 それでも、その瞳はかすかに燃えていた。


「ころす、ころす……ころすころすころす絶対ころしてやる……」


 カナちゃんの声はもう人のものとは思えなかった。

 喉から絞り出すような低い呻き、憎悪と苦痛と狂気が入り混じった生への執念だけが、その唇から血とともにこぼれている。


 悪魔は薄く笑って、足元に転がった彼方の顔を覗き込む。


 「まだそんなこと言える元気があるんですねぇ」


 わざとらしく肩を竦めて、さらに愉しげな口調で続ける。


 「私を殺す? ええ、どうぞどうぞ。可能であればお好きなように――。ですが、王さえ存命ならば、私の代わりなどいくらでも生み出せますよ。あなたがこうして捕まっている時点で、無理な話でしょうが」


 悪魔はおもむろに、もう膝上までしか存在しない、右足の傷口に手を押し込んで、奥の固いそれを握りこむ。


 「やめてっ、やめてぇ、お願い、お願いだからやめてぇ!!」


 私の悲鳴は、もう声ではなく泣き崩れる嗚咽だけになっていた。


 カナちゃんは歯を噛み締め、それでも悪魔が力尽くで引き抜いた瞬間――


 「がああああああああああああッ!!」


 この世のものとは思えない絶叫が、パス越しに私の脳を焼く。

 全ての神経が燃え尽きていくような、魂の悲鳴。

 目を見開いたまま、カナちゃんの意識が白く弾け、そのまま――完全に失神した。


 私は両手で頭を抱えて、床に突っ伏して泣いた。

 (もうやめて、もうやめて、もうやめて……お願い、これ以上は、これ以上は……!)


 悪魔は、ぐちゃぐちゃになったカナちゃんの体をしげしげと見下ろし、ため息混じりに言う。


 「流石にこれは、耐えられませんでしたか。そろそろ終わりですかねぇ。あの方は、さまざまな人間のコレクションをしていたんでしたか。この個体を送ってあげるのもいいでしょう」


 そのまま扉を開け、部屋から出ていく悪魔。


 ――私は、ただ、そこに残された。

 何もできず、ただ、カナちゃんの無残な姿を、見続けるしかなかった。


 

 泥、肉片、床は血の海。

 呼吸すらままならず、私は両手で自分の顔を覆い、それでもパスだけはしっかりと繋がれたまま。


 カナちゃんの胸が小さく上下している。

 生きているのが不思議なほど、肉体はバラバラ。

 普通ならとっくに死んでいる。

 だけど、私とカナちゃんの共鳴率が異常に高いせいで、カナちゃんは死なずに済んでいる。

 いや、「死ねない」と言ったほうが正しい。


 「ごめん……ごめんね……カナちゃん……」


 私は自分の膝を抱えて、嗚咽を殺して泣き続ける。

 死なせてあげることすらできない。

 苦しみも、痛みも、全てが終わらない。


 やっと訪れたはずの休息は、本当は、何も終わっていなかった。


 カナちゃんの苦しみも、私の苦しみも、どこにも逃げ場がなかった。

 

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