贖罪
静寂の中で、カナちゃんは震える声で言葉を絞り出した。
「ボク……ごめん。本当にごめん。……悪魔が、突然降ってきて、先輩が……最初に、……何もできないまま、潰されて……みんな、すぐに、何もできずにやられて……」
言葉を紡ぐたび、喉の奥が焼けるように熱い。
胸の内側に血が滲むような痛み。
カナちゃんは何度も言葉を途切れさせながら、仲間たちがどう死んだか、最後までどう生きようとしたか――
そして、自分の剣でみんなごと斬ったあの瞬間の記憶まで、すべてを絞り出すように伝えた。
「悠馬は……最後まで、みんなのことを考えてた。『お姫様には でっけえ手柄が似合うんだからな』って、笑いながら言ってくれた。康介も、拓海も、翔太も……みんな、最後まで仲間のことを想ってた」
紅葉が、その言葉を聞いて新たに涙を流す。
「やっぱり……悠馬らしい……」
カナちゃんは続ける。
「でも、ボクは……最後、みんなを斬った。ボクの剣で、みんなを巻き込んで……」
その告白に、部屋の空気がより一層重くなった。
「本当に……ボクのせいだ。もっと強かったら、みんなを救えたのに――ごめん、ごめん、本当にごめん……」
陽菜が肩を震わせて立ち上がる。
「そんなの、聞きたくなかった……! いくら謝ったって、何も変わらないんだよ!」
涙と嗚咽で顔をぐしゃぐしゃにしていた。
「誰が悪いのかなんて、もう分からないけど……みんな、絶対に死ななくてもよかったはずなのに!」
沙耶香が続く。
「ごめんなんて言われても、私たち何をどうしたらいいの……どうやって明日から生きればいいの……!」
歩美は顔を手で覆って、喉の奥を切り裂くような声で言う。
「ずっと、ずっと一緒だと思ってたのに、翔太だけは死なないものだと思ってたのに……」
そして紅葉が、静かだが深い悲しみを込めて言った。
「私、悠馬に想いを伝えられなかった。ずっと、いつか勇気を出して告白しようと思ってたのに……もう、永遠にその機会はないんだね」
その言葉に、私の胸も痛んだ。
紅葉は、いつも悠馬の話をするときに恥ずかしそうに笑っていた。
「悠馬って鈍感だから」と愚痴を言いながらも、とても嬉しそうだった。
私は紅葉に近づいて、そっと肩に手を置いた。
「紅葉……悠馬、きっと分かってたよ。あなたの気持ち」
紅葉は首を振る。
「分からない。悠馬は本当に鈍感だったから。でも……それが良かったんだ。自然で、優しくて……」
涙がさらに溢れる。
カナちゃんはその場に崩れ落ちそうになりながらも、ただ「ごめん」「ごめん」を繰り返すしかなかった。
私は、震える手でカナちゃんの肩に手を伸ばしかけた。
「カナちゃん、カナちゃんは……本当に全部を背負って――」
「……結はいいよね、カナちゃんが生きてるから」
陽菜の声が、私の言葉を遮った。
「私のバディは、もうこの世界にいないんだよ」
沙耶香が続ける。
「結だけは、この痛みを知らない」
歩美の声も続く。
「結は、まだカナちゃんと一緒にいられるんだから」
紅葉の静かな声が、一番深く私の心に刺さった。
その言葉が、私の手を空中で止めた。
胸の奥に突き刺さるその一言が、私の全身を固めてしまう。
私は、何と答えて良いか分からなかった。
事実だった。
私は、バディを失う痛みを知らない。
カナちゃんは生きて帰ってきてくれた。
私だけが、この地獄を免れた。
(私も、私も、誰かの痛みを全部背負いたい。でも、私にできることは、何もなかった)
でも、その想いと同時に、心の奥底で安堵している自分もいた。
カナちゃんが生きていてくれて、本当に良かった。
もし、カナちゃんを失っていたら、私はどうなっていただろう。
部屋の空気は、涙と嗚咽と責めと、複雑な感情で満たされていた。
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責める声が次第に途切れ、後衛たちはそれぞれうつむいて、思い思いに涙を流し続けていた。
もう誰もカナちゃんを見ようとしない。
陽菜は両手で顔を覆ったまま、沙耶香は指先で床をなぞり、歩美は壁に背を預けて小刻みに肩を震わせている。
紅葉は椅子に座り直し、膝の上で手を組んで、静かに涙を流していた。
カナちゃんは、部屋の真ん中で立ち尽くすしかなかった。
「……ほんとに、ごめん。……本当に、守れなかった」
声が絞り出されるたびに、自分の喉が、心臓が、ひとつずつ鈍く痛む。
「もういいよ、もう……聞きたくない」
陽菜の震える声が、部屋の空気に広がる。
「誰かのせいにしないと、やっていけないくらい、つらいだけだから」
沙耶香が低くつぶやく。
「こんなの、バディ制度なんて、全部無かったらよかったのに……」
歩美の声も、もう涙に溶けて消えそうだった。
紅葉が最後に、静かに言った。
「カナちゃんを責めても、悠馬が帰ってくるわけじゃない。でも……気持ちの持って行き場がないんだ」
空気はどこまでも重苦しく、誰の言葉も、どこにも届かない。
私は、立ち尽くしたまま何もできない自分に、息が詰まりそうだった。
(私がもっと強かったら、この子たちの痛みを、少しは減らせたのかな)
でも、心の奥底では、別の想いもあった。
(でも、カナちゃんが生きていてくれて良かった……)
その想いを抱く自分が、とても冷たい人間のように思えた。
陽菜が立ち上がり、ふらつきながら部屋を出ようとする。
「私、もうダメ……部屋に戻る……」
沙耶香も続く。
「私も……一人になりたい……」
歩美も壁から離れ、よろめきながら歩き出す。
「ごめん……もう、何も考えられない……」
紅葉が最後に立ち上がる。
私の方を振り返り、悲しい笑顔を浮かべた。
「結、今まで恋の相談に付き合ってくれて、ありがとう。もう、そういう話もできないけど……友達でいてくれて、嬉しかった」
その言葉が、お別れの挨拶のように聞こえた。
「紅葉……」
私は彼女を呼び止めようとしたが、紅葉は首を振った。
「しばらく、人と話すのが辛い。ごめんね。でも、結のことは大好きだから……時間が経てば、また笑って話せるようになるかもしれない」
紅葉はそう言って、部屋を出て行った。
一人、また一人と友達たちが部屋を出ていく。
最後に残ったのは、カナちゃんと私だけだった。
カナちゃんは、その場に座り込んでしまった。
全身の力が抜けたように、ただ呆然としている。
私は、カナちゃんの隣に座った。
何と言っていいか分からなかった。
慰めの言葉も、励ましの言葉も、すべてが空虚に思えた。
けれど、誰ひとりごめんもありがとうも返さない。
ただ、各々が自分のバディの死を、言葉にならない悲しみとして、黙って胸に沈めるしかなかった。
廊下の向こうからも、嗚咽やすすり泣きが絶えず聞こえてくる。
校舎全体が、痛みのうねりと無言の絶望で満ちていた。
その中で、カナちゃんはひとり、声も出せず、涙も流せず、足元の血で汚れた床だけをじっと見つめていた。
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夜。
誰もいない寮の部屋に戻ったあと、カナちゃんと私はしばらく言葉を交わせずにいた。
カーテンを閉め、明かりも最低限だけに落とした部屋。
制服の血は拭き取ったはずなのに、私の鼻にはいまだに、どこか鉄錆びたにおいが残っていた。
カナちゃんはベッドに座り込んで、膝を抱えたまま動かない。
私はそっと隣に座るけれど、何を言えばいいのか分からなかった。
「結……ボク、弱かった」
ぽつりと、カナちゃんが口を開く。
「ボクがもっと強かったら、みんなを死なせずに済んだのかな。……違うか。ボクが、殺したんだよね」
ゆっくりと顔を上げ、私を見ないまま、遠くの闇をじっと見つめる。
「だって、みんな、ボクが振り抜いた剣で……ボクが殺したんだ。これじゃ、ボク、人殺しだね」
声はどこまでも静かで、でも、その芯には泥のような重さがあった。
私は、ためらいながらもそっとカナちゃんの背中に手を回す。
「違うよ。カナちゃんは、人殺しなんかじゃない」
「――でも、事実だよ。あの子たち、ごめんねって笑いながらボクに背中を向けて――ボクは、剣を振った。助けてって言われてたのに、全部、全部……切って、殺して……」
震える声が、夜の静寂に溶けて消えていく。
私はカナちゃんをぎゅっと抱きしめた。
「カナちゃんは、誰よりも優しかった。自分が傷ついても、誰かを救おうとした。……全部、あの子たちも分かってた」
カナちゃんは顔を上げないまま、涙をぽろぽろとこぼした。
「ボク、どうしたらいいのか分からない。これからどうやって生きていけばいいか、分からないよ」
私は言葉を探し、ただカナちゃんの手を両手で包み込んだ。
「……今は何も言えない。でも、私はカナちゃんのそばにいる。どんなに罪悪感で苦しくても、どんなに他の人に責められても――カナちゃんが私から離れようとしない限り、私はずっと、カナちゃんのバディだよ」
静かな部屋で、カナちゃんの泣き声と私の囁きだけが、静かに夜を満たしていく。
時間が経つにつれ、カナちゃんの嗚咽も次第に静かになっていった。
疲れ切った体と心が、ようやく休息を求めるようになったのだ。
私は、カナちゃんの髪を撫でながら、静かに子守唄のように話しかけた。
「カナちゃん、今日は本当にお疲れ様。もう休んで」
「結……ありがとう」
カナちゃんは、私の腕の中でようやく静かな寝息を立てはじめた。
泣きじゃくり、涙も声もすっかり枯れ果てたあと、子供みたいに無防備な寝顔で、すこしだけ震える体を小さく丸めて眠っている。
私はその髪をそっと撫でて、かすかな温もりと重さを、何度も確かめるように指先で辿った。
――こんな夜なのに。
みんなバディを失って泣き崩れたのに。
陽菜も、沙耶香も、歩美も、紅葉も、あの子たちのバディはもう、二度と戻ってこないのに。
私は、カナちゃんだけが生きて帰ってきたことに、どうしようもなく安堵している。
みんなと同じ痛みを味わわなかったことに、胸の奥がほんの少し、誇らしく、そして――どす黒く満たされていく。
(……また、私だけのカナちゃんが戻ってきた)
友達たちとの関係は、おそらくもう元には戻らない。
紅葉の最後の言葉からも、それは明らかだった。
時間が経てば、また話せるようになるかもしれない。
でも、もう以前のような親しい関係は築けないだろう。
誰にもカナちゃんを奪わせない。
誰もカナちゃんに手を伸ばせない。
この孤独な夜に、隣に眠る彼女の髪に触れることができるのは、この世界で、私だけ。
私は罪悪感に胸を締め付けられながらも、それ以上に、強い幸福感を噛み締めてしまう。
(ごめんね――本当は私、どこかで嬉しいんだ)
友達たちの悲しみは本物で、心から同情している。
でも、同時に、自分だけがこの地獄を免れたことへの安堵がある。
カナちゃんが帰ってきてくれたことへの、深い安堵と喜びがある。
そして、これで友達たちと距離ができることで、カナちゃんとより一層深く結ばれるような気さえする。
仄暗い喜びと、言葉にならない後ろめたさ。
カナちゃんの寝顔をじっと見つめながら、私はまたそっと彼女を抱きしめる。
「おやすみ、カナちゃん……」
その声は、たったひとりだけの、夜の秘密だった。
外では、きっと陽菜も、沙耶香も、歩美も、紅葉も、一人で泣いているだろう。
バディを失った深い悲しみの中で、誰にも慰められることなく。
でも、私はここにいる。
カナちゃんと一緒に、温かいベッドの中で。
それが罪深いことだと分かっていても、私はこの幸福を手放したくない。
(私は、カナちゃんさえいれば他はどうでもいい)
その本音を、ようやく自分自身に認めることができた。
友達は好きだった。
楽しかった。
でも、カナちゃんとは比べものにならない。
雲泥の差、というのはこういうことなのだろう。
私はカナちゃんの髪にキスをして、深い眠りに落ちていった。
明日からは、私たちだけの世界が始まる。
それは悲しいことかもしれないが、同時に、私にとっては理想的な世界でもあった。