それぞれの悲しみ
戦場からのリンクが、突然ぷつりと途切れる――
その瞬間、校舎の後衛待機施設は一斉に凍りついた。
先ほどまで張りつめていた緊張と集中、そのすべてが、死という圧倒的な現実に呑み込まれる。
それは警告も前触れもない。
バディの死は、まるで世界が一瞬で反転したかのような喪失として、後衛の心を深く、鋭く切り裂いた。
陽菜はリンクが切れる直前、胸の奥に走る不自然な静けさに、身体のすべてが硬直した。
バディの康介の意識が急激に薄れていく感覚。
パス越しに感じる激痛、そして突然の無音。
次の瞬間、目の前の視界が弾け飛び、頭の中に真っ白なノイズが溢れた。
あっと小さく声を漏らしたあと、彼女はベッドにうつぶせに倒れ込み、全身を震わせて泣き叫ぶことしかできなかった。
「やだ……やだ、嘘でしょ……返してよ、返して、なんで……」
指の間からはらはらと涙がこぼれ、息をするのも苦しくなるほど喉が痛んだ。
康介の最後の想い――「陽菜、ごめん」という言葉が、頭の中で何度も響いている。
沙耶香はもっと静かに崩れた。
バディの拓海のリンクが切れた瞬間、息を吸うのを忘れてしまったかのように、その場で膝を抱え込んで動けなくなる。
部屋の壁を見つめ、何も言葉にできないまま、ただぽろぽろと涙を流し続けていた。
(拓海……最後、怖かったよね……一人にしてごめん……)
歩美は声を出さない。
バディの翔太との繋がりが途絶えた瞬間、何もない空間をじっと見つめるしかなかった。
ひとつ、またひとつと涙が頬を伝うたびに、「ごめんね……」と小さく呟く。
翔太がいつも言っていた「歩美がいるから頑張れる」という言葉が、今は胸を刺すように痛い。
そして、紅葉――
紅葉は個室のソファに座ったまま、身動きひとつできずにいた。
悠馬とのリンクが切れる直前、彼の声が聞こえていた。
『カナ、お姫様には……でっけえ手柄が似合うんだからな――!』
最期まで、仲間思いで、優しくて。
いつもの悠馬らしい言葉だった。
でも、その次の瞬間――
パスが、ぷつりと切れた。
紅葉は、ゆっくりと両手で顔を覆った。
涙は出てこない。
声も出てこない。
ただ、胸の奥が空っぽになったような感覚だけがあった。
(悠馬……私のこと、最後まで気づいてくれなかったね)
いつも鈍感で、紅葉の気持ちに全然気づかない悠馬。
でも、だからこそ愛しかった。
何気ない優しさ、自然な笑顔、仲間を大切にする心。
昨日も、出撃前に「紅葉、俺のこと頼むな」って、頭を撫でてくれた。
そのときの手のひらの温かさが、まだ髪に残っている気がする。
でも、もう二度と、その手に触れることはできない。
もう二度と、恋の相談を結にすることもできない。
もう二度と、悠馬の鈍感さに呆れることもできない。
紅葉の涙が、ようやくこぼれ始めた。
廊下では、そんな友人たちの叫びや嗚咽がいくつもの部屋から同時に溢れ、廊下を歩く他の生徒や職員たちまでも立ち止まり、静かに唇を噛み締める。
誰かが後衛を抱きとめ、
「しっかりして」「大丈夫、大丈夫だから」
――そう繰り返すけれど、リンクが切れた衝撃は、誰にも消せないほど強烈だった。
その光景を、私はドアの隙間から呆然と見ていた。
自分のバディ――カナちゃんの痛みや絶叫はパス越しに生々しく伝わってくる。
でも、カナちゃんは生きている。まだ繋がっている。
自分以外のあちこちから、心が引き裂かれるような叫びと慟哭、崩れ落ちる友達たちの姿が次々と耳に、目に、焼きついていく。
私は廊下に出て、紅葉の部屋に向かった。
ドアを開けると、紅葉が静かに泣いているのが見えた。
「紅葉……」
私は彼女の隣に座る。
紅葉は顔を上げて、涙でぐしゃぐしゃになった顔で微笑もうとした。
「結……悠馬、最後まで鈍感だったよ」
その声は震えていたが、どこか諦めにも似た安らぎがあった。
「私、悠馬のこと好きだったって、ちゃんと伝えたかった。でも、もう……」
「紅葉……」
私は紅葉を抱きしめた。
彼女の温もりが、今はとても貴重に感じられる。
でも、正直に言えば――私の心の奥で、ほんの小さな安堵があった。
カナちゃんは生きている。
私だけは、この地獄を免れた。
(みんな、本当にかわいそう……でも、カナちゃんが無事で良かった)
その想いを押し殺しながら、私は紅葉の背中をさすり続けた。
リンク越しの死は、戦場よりも残酷な痛みを、後衛たちの心に確実に突き立てる。
「誰かの命を、自分の心で感じた」――その事実が、全員の胸に焼き付いて離れなかった。
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時間が経つにつれ、後衛待機施設の廊下は重い沈黙に包まれていった。
最初の激しい嗚咽や叫び声は次第に小さくなり、代わりに深い、底なしの静寂が施設全体を支配している。
私は自分の部屋に戻り、窓際に座ってパス越しにカナちゃんの状況を見守っていた。
戦闘は終わっている。
カナちゃんは生きている。
それだけで、私の心は安堵で満たされていた。
でも、廊下の向こうからは時折、すすり泣きや呟き声が聞こえてくる。
陽菜の「康介……」という呟き。
沙耶香の無言の涙。
歩美のかすかな嗚咽。
そして紅葉の、時々漏れる悠馬の名前。
私は複雑な気持ちでそれらの声を聞いていた。
友達たちの悲しみは本当に痛ましい。
でも、同時に、自分だけがこの苦痛を味わわずに済んだことへの、言いようのない安堵感があった。
(私って、冷たい人間なのかな……)
そんなことを考えていると、廊下に足音が響いた。
重く、引きずるような足音。
職員の声が聞こえる。
「朝霧さん、大丈夫ですか?」
「ゆっくりで構いません」
カナちゃんが戻ってきたのだ。
私は急いで部屋を出て、廊下でカナちゃんを待った。
他の後衛たちも、扉の隙間から、あるいは廊下に出て、カナちゃんの姿を確認しようとしている。
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惨劇の戦場から時間をおいて、カナちゃんはボロボロの体で後衛待機室の前に戻ってきた。
すれ違う廊下は静まり返っている。
制服を血に染め、左手で剣を引きずるカナちゃん。
右手は包帯でぐるぐる巻きにされ、顔も青ざめているのに、どこか無理やり平静を装っていた。
その姿を見た瞬間、私の胸は複雑な感情で満たされた。
安堵、心配、愛情――そして、ほんの少しの罪悪感。
カナちゃんは、私の姿を見つけると、わずかに表情を緩めた。
「結……」
その声は疲れ切っていたが、私への愛情は失われていない。
私は駆け寄って、カナちゃんを支えようとした。
「カナちゃん、お疲れ様……大丈夫?」
「うん……なんとか」
カナちゃんの声は掠れているが、生きている。
その事実だけで、私の心は暖かくなった。
しかし、カナちゃんが後衛たちの待つ部屋に向かおうとしたとき、私は複雑な気持ちになった。
きっと、友達たちはカナちゃんを責めるだろう。
なぜ、自分たちのバディが死んで、カナちゃんだけが生き残ったのかと。
その場面を想像すると、胸が痛んだ。
カナちゃんは何も悪くない。
でも、友達たちの気持ちも理解できる。
ドアを開けると、そこには――号泣したまま床に座り込む陽菜、壁にもたれて泣き崩れる沙耶香、顔を真っ赤にして震えている歩美、そして椅子に座ったまま呆然とする紅葉、それぞれ涙で顔をぐしゃぐしゃにしていた。
その光景を見た瞬間、カナちゃんの全身から血の気が引いていく。
(みんな……こんなに……)
カナちゃんの心の動揺が、パス越しに私にも伝わってくる。
自分だけが生き残ったという罪悪感。
仲間たちを守れなかったという後悔。
すべてが、カナちゃんの心を重く圧迫していた。
それでも、カナちゃんは歩を進める。
最初に立ち上がったのは陽菜だった。
涙を拭いもせず、カナちゃんの前に立ちふさがる。
その目には、怒りと悲しみが混在していた。
「どうして……どうして、なんで、みんな死んだの……!?」
叫びは喉を裂くようで、声が裏返る。
陽菜の声に、他の後衛たちも反応する。
沙耶香が顔を上げ、歩美が壁から身を離し、紅葉もゆっくりと椅子から立ち上がった。
「ねぇ、教えてよ……! 私の、私のバディ、最後まで苦しんでた?怖かった? 何を考えて、何を見て、なんで……なんで私、助けてあげられなかったの……!」
陽菜の言葉に、他の後衛たちも続く。
沙耶香が震え声で言う。
「返してよ……なんであなただけ……」
歩美も涙声で続ける。
「なんで、カナちゃんは無事なの? 何で平気な顔してるの?」
そして紅葉が、静かだが芯の強い声で言った。
「悠馬は……悠馬は、最後に何を考えていたの? 私のこと、少しでも思い出してくれた?」
その質問が、一番カナちゃんの心を刺した。
悠馬の最期の言葉を思い出す。
仲間思いで、最後まで「お姫様」のことを心配していた悠馬。
でも、紅葉のことを考える余裕はなかった。
カナちゃんは言葉を詰まらせたまま、その場で立ちすくむしかなかった。
「違う、違うんだ……! ボクだって……」
声は途中でかすれ、喉の奥に熱いものがせりあがってくる。
私は慌ててカナちゃんの前に飛び出す。
「やめて! カナちゃんは誰よりも戦った。全部を守ろうとしたんだよ……!こんな、こんな地獄で……カナちゃんだって、みんなが苦しむの、何度も何度も……!」
でも、陽菜が私を見据えて叫ぶ。
「だったらなんで、私たちだけこんな目に遭わなきゃいけないの!?結はいいよね、バディが生きてるから。あんたはまだ、カナちゃんが隣にいるから……!」
その言葉が、私の胸に鋭く突き刺さった。
事実だった。
私は、この地獄を免れた。
カナちゃんが生きて帰ってきてくれた。
「そんな……そんなこと、私だって……!」
でも、言葉が続かない。
私だって辛かった、私だって心配だった――そう言おうとしたが、友達たちの喪失に比べれば、それは些細なことでしかない。
沙耶香も顔を上げ、嗚咽混じりで叫ぶ。
「私、私も、もっと強くパスを繋いでたら、何か変わったのかなって――でも、全部終わったあとで、何を言ったって遅いのに……!」
紅葉が静かに言う。
「私も、悠馬にもっと気持ちを伝えておけば良かった。でも、もう……もう、何もかも遅い」
カナちゃんはただ、小さな声で「ごめん、ごめん」と呟く。
誰に向けてでもなく、自分自身の心臓を指で押しつぶすように、その場に立ち尽くしていた。
静かな廊下に、泣き叫ぶ声と嗚咽。
「なんで」「返して」「やだよ」――
誰にも届かない叫びだけが響き続けていた。
私は、この状況の重さに圧倒されていた。
友達たちの悲しみは本物で、痛ましい。
でも、同時に、カナちゃんを責める彼女たちを見ていると、どこか理不尽さも感じてしまう。
(カナちゃんは何も悪くない……でも、みんなの気持ちも分かる……)
複雑な感情が胸の中で渦巻く中、私は自分の本音を認めざるを得なかった。
(でも、やっぱり……カナちゃんが生きていてくれて、良かった)
その想いが、罪悪感と共に心の奥底に沈んでいく。
部屋の空気は、涙と嗚咽と責めと、複雑な感情で満たされていた。
そして、この瞬間から、私たちの関係は決定的に変わってしまうのだと、漠然と理解していた。