不穏な影
最初の悪魔を討伐した後、班は素早く隊列を整え直し静かな緊張の中で次の捜索に移った。
現場はどこも油断できないが、少なくとも、みんなやれるという自信を少しずつ掴み始めていた。
私は待機室の個室で、パス越しにカナちゃんたちの動きを観察している。
班の男子たちも、さっきまでのぎこちない空気が徐々にほぐれ、短い言葉や視線のやりとりだけで連携が取れるようになってきた。
「今度は南側だな。さっきと同じように囲むぞ」
悠馬が低く囁き、カナちゃんが「わかった」と静かにうなずく。
誰も大きな声は出さない。
カナちゃんは剣を腰に戻しながら、魔力の流れを整えていく。
さっきの戦闘で消耗した分を、私から引き出せる魔力で補完しようとしている。
パスを通じて循環する魔力を、カナちゃんが自分の意志で引き寄せていく感覚。
私は何もコントロールできず、ただそれを感じているだけ。
(うまくいってる、みんな……思ったよりも落ち着いてる)
新たな瘴気の反応が確認されると、また先輩が視線と手振りで指示を出し、全員がしっかり足取りを揃えて動き出す。
今度の悪魔は前回より一回り大きく、鋭い牙と長い爪を持っていた。
低いうなり声を上げながら、警戒するように班員たちを見回している。
目が赤く光り、瘴気がより濃密に漂っている。
「こいつ、さっきより強そうだな」
悠馬が槍を構え直しながら呟く。
「大丈夫、連携で行こう」
カナちゃんが答える。その声に迷いはない。
悪魔の出現地点を慎重に包囲し、カナちゃんがまた囮役を買って出る。
今度は慎重に間合いを取り、私の魔力を大きく引き出して剣に込める。
刃がより強く輝き、瘴気を切り裂く力が増していく。
私はその魔力が引き出されるのを受動的に感じるだけ。
「いくよ!」
カナちゃんが踏み込む。
悪魔が反応し、巨大な爪を振り下ろす。
カナちゃんは剣で受け止めるが、今度の衝撃は前回より重い。
足が少しだけ後ろに滑り、腕に痺れが走る。
(重い……でも、大丈夫)
その瞬間、悠馬が左から槍で突いてくる。
悪魔が爪でそれを弾こうとするが――
右からもう一人の男子が剣で斬りかかる。
三方向からの攻撃に、悪魔は混乱する。
どれを防ぐべきか判断できずに動きが止まった瞬間――
「今だ!」
カナちゃんが私の魔力を一気に引き出して剣に込める。
青白い光が一層強くなり、悪魔の胸部を深々と斬り裂いた。
悠馬の槍が背中を貫き、もう一人の剣が首を断つ。
攻撃のタイミングも、カバーの動きも、一度成功体験を積んだ班は、驚くほどスムーズに連携を重ねていく。
私は待機室で、その美しい連携にため息をついていた。
パス越しに感じるカナちゃんの充実感と、仲間たちとの一体感。
それが私の心にも温かく伝わってくる。
でも、私は何もしていない。ただ後衛として機能しているだけ。
倒した悪魔の痕跡を片付けながら、男子たちがふっと息をつく。
「お前、さっきより余裕だな」
「やっぱ最強だな、朝霧」
「調子乗んなよ? 次はお前が前な!」
そんな冗談も、もうぎこちなさはなく、それぞれの顔に安堵と手応えがにじんでいた。
私は待機室で、全員の動きをじっと見つめ続ける。
「うちのバディ大丈夫かな」
「今連絡きた、うまくいったみたい」
後衛待機室では、他の女子たちが情報交換しているのが廊下越しに聞こえてくる。
(今のところ、全員順調だ……みんな、このまま無事に終わってくれればいい)
班の空気がほぐれていくごとに、私の中の緊張も少しずつ溶けていく。
だけど、画面の中でカナちゃんがふと空を見上げた瞬間、私はなぜか理由もなく、胸の奥がざわつくのを感じていた。
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班は何体かの悪魔を無事に討伐し終えると、緊張の糸が少しずつ緩み始めていた。
戦いを重ねるたび、男子たちの顔にも自信が宿り、会話にも余裕が生まれる。
三体目の悪魔は、今までで最も手強かった。
人間の倍ほどの大きさで、厚い皮膚に覆われ、魔力の攻撃をある程度弾く防御力を持っていた。
「こいつ、皮が硬いぞ!」
悠馬の槍が弾かれ、火花が散る。
「魔力をもっと込めないと!」
カナちゃんが私の魔力を更に大きく引き出し、剣に注ぎ込む。
私は待機室で、パス越しにカナちゃんの消耗を感じ取っていた。
魔力の消費が激しく、呼吸も荒くなっている。
でも私にできることは何もない。ただカナちゃんが魔力を引き出すのを待つだけ。
パスを通じて循環している魔力を、カナちゃんが必要な分だけ引き寄せていく。
(結の魔力……いつでも引き出せる。安心する)
魔力を引き出したカナちゃんは、再び剣を構え直す。
今度は刃に込める魔力の性質を変え、より鋭利で貫通力の高いものに調整した。
「みんな、一斉攻撃で!」
カナちゃんの号令で、班員全員が一箇所に攻撃を集中させる。
魔力を込めた武器が悪魔の同じ部位を狙い撃つ。
厚い皮膚も、集中攻撃の前には耐えきれない。
ついに防御が破られ、致命傷を与えることができた。
「次もサクッといけるな」「このまま全員で無事に戻ろうぜ」
悠馬が肩を回しながら言う。
「何、もう帰る気? まだ姫の見せ場足りないよ?」
カナちゃんがからかうと、男子たちも「姫は黙って守られてろ!」と笑い返した。
私は待機室の椅子でその光景を見つめながら、本当にこのまま無事に帰ってきて、そう願わずにはいられなかった。
四体目、五体目と悪魔の討伐を重ねていく。
班の連携はもはや完璧に近く、お互いの動きを予測して最適な位置に移動し、最も効果的なタイミングで攻撃を繰り出せるようになっていた。
カナちゃんの剣技も戦闘を重ねるたびに冴えを増していく。
私の魔力を引き出すタイミング、間合いの取り方、相手の動きを読む目――
すべてが実戦の中で研ぎ澄まされていく。
私は待機室で、パス越しにその成長を肌で感じていた。
カナちゃんの心境の変化、技術の向上、仲間との絆の深まり。
それらが私の心にも鮮明に伝わってくる。
でも、私はただ見ているだけ。何も手出しできない。
六体目の悪魔は特殊な能力を持っていた。
瘴気を操り、班員たちの視界を遮る霧を発生させる。
「見えない!」
「どこにいる?」
一時的に混乱が生じる。
しかし、カナちゃんは冷静だった。
私の魔力を引き出して感覚を研ぎ澄まし、魔力の流れから悪魔の位置を特定する。
視界に頼らず、瘴気の乱れから相手の居場所を読み取る。
「左前方、三時の方向!」
的確な指示で班員たちを導き、霧の中でも連携を維持した。
私は待機室で、カナちゃんが私の魔力を上手に使いこなしているのを感じていた。
でも、それは全てカナちゃんの判断と技術。私は何もコントロールできない。
霧が晴れると、悪魔は既に致命傷を負って倒れていた。
見事な連携による勝利だった。
悪魔の反応が出るたび、先輩が静かに指示を出し、班全体が決められた通りに動いていく。
目立った負傷者も出ず、予定された討伐数も順調に消化されていった。
班の男子たちは、一体倒すごとに拳を合わせたり、汗をぬぐって「全員無傷だな」と確認し合ったりしていた。
「朝霧、さっきのはちょっとやりすぎ!」
「……つい本気出しちゃった」
そんな冗談まで飛び交うようになった。
(みんなの笑い声……うれしいのに、どこか浮かれてはいけない気もしてくる)
私は指先をぎゅっと組み直し、画面の中でカナちゃんが時折ふと静かに遠くを見つめる瞬間に、
ほんのわずかな不安を感じ取っていた。
七体目、八体目と討伐が続く。
どの悪魔も下位から中位の個体で、班の連携があれば十分対処可能なレベルだった。
しかし、カナちゃんは油断しなかった。
常に周囲を警戒し、仲間たちの安全を最優先に考えて行動していた。
私は待機室で、その慎重さに安心感を覚えていた。
カナちゃんは強いだけでなく、賢く、思慮深い。
きっと何があっても大丈夫だと思えた。
八体目の悪魔を倒した後、班員たちは本格的に疲労を見せ始めていた。
しかし、その疲労は心地良いものだった。
達成感に満ちた、充実した疲れ。
カナちゃんも私の魔力を頻繁に引き出していた。
パス越しに、魔力が流れていく感覚を何度も感じる。
私は、カナちゃんの戦いを支えることしかできない。
「みんな、よくやったな」
悠馬が班員たちを見回しながら言う。
「初実戦でこれだけできれば上出来だ」
カナちゃんも剣を鞘に収めながら、満足そうに頷く。
今日一日で、自分たちが大きく成長したことを実感していた。
やがて討伐任務の予定数が終わると、12年生の先輩が全体を見渡して合図する。
「ここまで順調に討伐できている。班員は、集合して装備点検。撤収の準備を始めて」
静かだけれど、張りつめた緊張を解くような落ち着いた声だった。
「やったな!」
「本当に全部順調だったな!」
男子達が顔を見合わせる。
「姫もお疲れ、帰ったら飯奢ってやるよ」
悠馬がニヤつく。
「それ、ほんとに期待していいの?」
「金のかかる姫様だな……」
そんなやりとりも、今だけはすべてが楽しい。
(結、ここまでは完璧。たぶん、誰も大きな失敗はしていない)
待機室では、後衛たちが小さく拍手を交わしている。
「うちのバディ、今日は本当に頑張ってた」
安堵の溜息をついていた。
私は窓の外の空を見上げた。
「このまま全員無事に帰ってくれればいい」
心の底からそう願った。
でも、私には何もできない。
ただ見守ることしか。
装備の点検が終わり、撤収の準備も整った。
班員たちは疲れているものの、達成感に満ちた表情をしていた。
初めての実戦を、誰も大きな怪我をすることなく成功させたのだ。
「みんな、お疲れ様!」
先輩が声をかける。
「初実戦としては上出来だ。しっかりと連携が取れていた」
カナちゃんも満足そうに剣を鞘に収める。
私の魔力をたくさん使ったけど、まだ十分余裕がある。
体調も良好で、怪我もない。
(今日は本当に良い日だった)
そんなことを考えながら、カナちゃんは仲間たちと一緒に集合地点へ向かう。
朝の緊張が嘘のように、今は安堵と達成感に包まれていた。
私も待機室で、ほっと息をついた。
パス越しに感じるカナちゃんの充実感が、私の心にも温かく伝わってくる。
今日は本当に良い一日だった。
私にできることは少ないけれど、カナちゃんが無事なら、それでいい。
しかし――
だが、班の空気がほぐれきったその時だった――
どこか、世界の輪郭がわずかに歪むような、不穏な気配が胸の奥をかすめていった。
空の一角が、なぜか薄暗く見える。
雲が突然厚くなったわけでもないのに、光が弱くなったような気がする。
風が止まり、鳥のさえずりも聞こえなくなった。
カナちゃんも、その異変を感じ取ったようだった。
急に立ち止まり、空を見上げる。
「……何か、変だ」
他の班員たちも、その雰囲気の変化に気づき始める。
さっきまでの和やかな空気が、一瞬で張りつめたものに変わった。
私は待機室で、パス越しにその不安を強く感じていた。
胸の奥が急に冷たくなり、言いようのない恐怖が湧き上がってくる。
(何……?何が起きるの……?)
先輩が慌てたように周囲を見回す。
「みんな、警戒して!何か来る!」
その声が響いた瞬間、空気が重くなった。
まるで巨大な何かが上空から近づいてくるような、圧迫感。
瘴気の濃度が急激に上昇し、班員たちの呼吸が苦しくなる。
今まで感じたことのない、強大で邪悪な気配。
「これは……」
カナちゃんが剣に手をかけ、私の魔力を引き出そうとする。
しかし、その時にはもう遅かった。
空から巨大な影が落ちてきた。
それは、今まで相手にしてきた悪魔とは比べものにならない巨大さと、圧倒的な邪悪さを持った存在だった。
公園の地面が大きく揺れ、木々が根こそぎ倒れる。
班員たちは一瞬で吹き飛ばされ――
私は待機室で、パス越しに伝わってくる衝撃と恐怖に息を呑んだ。
カナちゃんの心に、今まで感じたことのない恐怖が走っている。
でも、私には何もできない。
ただ見守るしか、安否を確認するしかできない。
(カナちゃん……!)
不穏な予兆は、現実のものとなった。
そして、この後に待ち受ける地獄を、私たちはまだ知らなかった。
後衛としての私の存在が、どれほど無力なものか――
それを思い知らされる時が来ようとしていた。
次回鬱パート始まります