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オリエンテーション後半

 全体説明が終わると、壇上の先生が「これから前衛と後衛で別れてもらいます」とアナウンスした。

 「前衛のみなさんは、案内スタッフの指示で武器・防具の選択会場へ移動してください。後衛のみなさんは、待機施設への案内と支援システムの説明があります。各自、持ち物を確認してから移動をお願いします」


 ざわざわと椅子が動き出す。前衛のカナちゃんは私をちらりと見て、「じゃあ後でね」と手を振った。私は「うん、すぐ終わるよ」と笑顔で返す。


 (また離ればなれになる)

 カナちゃんの隣を離れるのは、ほんの少しだけ心細かった。でも同時に、これから体験するであろうことを思うと、胸の奥が静かに熱くなる。


 会場の外へ出ると、前衛たちが別の部屋へと列を作って進んでいく。

 「武器、どれ選ぼうかな」「防具って重いのかな」「新型の試作品もあるって聞いた」

 男子も女子も、前衛たちはやや緊張した面持ちのまま、それでも少しワクワクした様子で武器と装備の話題に盛り上がっていた。


 私は歩美や陽菜、沙耶香、茜、そして紅葉たち後衛と一緒に、スタッフの誘導で広い廊下を歩いていく。


 「後衛の皆さんは、こちらの待機部屋へどうぞ」

 エレベーターで数階上がると、まるでホテルのラウンジのような豪華な空間に案内された。大きな窓からは校庭が見下ろせ、ソファやカウンター、個別のデスクスペースまで用意されている。


 「これ、ホテルみたい……本当にひとりで使うの?」

 茜が驚いている。

 「贅沢すぎるよね」

 沙耶香も苦笑いを浮かべる。


 私もその豪華さに驚いたけれど、心の大部分はもっと別のことに向いていた。

 (ここで、カナちゃんと繋がることができる)

 (カナちゃんの全てを感じることができる)


 「みなさんには、ここで待機してもらいます」

 スタッフの女性が、ひとつひとつの個室を丁寧に案内する。

 「この部屋でバディの前衛とパスを繋ぎ、必要な魔力供給を行ってください。電子機器はリンク中は使用禁止です――ご存じの通り、ほんのわずかなノイズや干渉でパスに誤作動が生じる危険があります」


 さらにスタッフが重要な説明を続ける。

 「パスによる状態把握機能は、ある程度の距離が必要です。前衛を直接視認できる位置では、リンクの感覚共有は正常に機能しません。これは安全装置として設計されており、近距離では従来通りの魔力供給のみとなります」


 なるほど、と私は心の中で理解した。だからこそ、こんな離れた場所に後衛の待機室があるのか。近くにいては、リンクの本当の力を発揮できない。


 長い廊下の両側に、ずらりと個室が並んでいる。スタッフに自分の部屋番号を教えられ、私は重たい扉を押して中に入った。


 部屋の中は明るくて、やわらかなベッドと書き物机、壁には小さなクローゼット。深呼吸をすると、ほんのり新しい家具の匂いがした。


 (ここで、カナちゃんを支える)

 (ここで、カナちゃんの全てを見守る)


 緊張と期待が胸の奥で静かに混じり合う。でも、それは普通の緊張や期待とは違う。もっと深くて、もっと暗くて、もっと甘い何か。


 案内スタッフが一人ひとりの部屋を回っている。

 「今から、パスを繋いでみてください。皆さんが前衛の方と離れてパスを繋ぐのは、初めてのはずです。どんな感覚が得られるか、自分で確認してみましょう」

 とだけ説明して、廊下へ戻っていった。


 私はベッドの端に座り、目を閉じてパスを開く――


 次の瞬間、頭の中に、はっきりと自分とは別の視界が浮かび上がった。


 カナちゃんが武器説明のために体育館を歩いている。その全身を、私はまるで映画のカメラで追いかけるように、少し離れた外側から観察している感覚。周囲の教師、クラスメイト、教室のざわめきや声、カナちゃんが誰と話し、どんな表情をしているかまで、すべて自分の中で鮮明に映像として流れ込んでくる。


 私は思わず息を呑んだ。


 (これ……すごい)


 まるでテレビをつけて映画を観るような、はっきりとした視点でカナちゃんの動きを追うことができた。でも、テレビと違うのは、これが生の感覚だということ。カナちゃんが感じている空気の温度、足裏に伝わる床の感触、聞こえてくる音――全てが私にも伝わってくる。


 (私だけの、特別な劇場)


 そのとき、カナちゃんがピタリと足を止めた。周りの前衛たちも「……あれ?」「今、急にパス繋がった?」と、戸惑ったように互いの顔を見合わせている。


 教員がすぐに前へ出て声を張る。


 「はい、今の違和感は――後衛のみなさんに初めてバディの状態をどう把握できるか体験してもらうため、全員一斉にパスを繋ぎました。少し驚いたと思いますが、これが今日の目的です。はい、みなさんそのまま落ち着いて、引き続き説明に集中してください」


 場の空気がやっと静かに落ち着きを取り戻す。私はまだ胸の奥がじんわりと熱いまま、頭の中でカナちゃんの姿をずっと追い続けていた。


 パスを繋いだまま、私は個室のベッドに背を預けて息を吐いた。静かな部屋、遮音された壁の向こうからは、誰の声も聞こえない。けれど、頭の中にははっきりとカナちゃんの姿が映し出されていた。


 カナちゃんは体育館の片隅で、武器や防具を前にじっと説明を聞いている。その少し後ろには、クラスの仲間や教師の姿、ざわめきまではっきり見えていた。カナちゃんが誰かに話しかけられれば、その声や表情までがすぐ手に取るように分かる。カナちゃんが笑えば私も安心し、眉をひそめていれば同じように胸がそわそわした。


 (これが、私だけの世界)


 世界中の誰よりも、カナちゃんの一瞬一瞬をくまなく見守れるこの場所。思えば今まで、たとえ隣に並んでいたとしても、本当にカナちゃんが何を考え、どんな顔で誰とどんな時間を過ごしているのか、全部を知ることなんてできなかった。


 でも今の私は違う。物理的な距離も、他人の視線も、何ひとつ関係なく――カナちゃんの全てを自分ひとりだけのものとして観察できる。誰にも渡さない、誰にも邪魔されない、世界でたった一人、この特権を持つのは私だけ。


 カナちゃんが悠馬と何かを話している。技術的なことについて、真剣な表情で議論しているようだった。


 (悠馬……)


 一瞬、胸の奥で黒い感情が蠢く。でも、リンクを通してカナちゃんの感情も微かに感じ取れる。カナちゃんは悠馬を友達として大切に思っているけれど、それ以上の感情は何もない。むしろ、心の奥で私のことを思ってくれている。


 (そうよね、カナちゃん。あなたにとって一番大切なのは、私だもんね)


 そんな確信が、私の心を満たした。


 カナちゃんが誰かと肩を並べているときも、クラスの中心で賑やかに冗談を言っているときも、私だけはその全部を「安全な場所」から好きなだけ見ていられる。それが、どんなに歪んでいても、この上なく幸せなことに思えた。


 (こんなこと、他の人が知ったらきっと怖がるだろうな)


 そんな考えが一瞬、胸をよぎる。監視と言えば聞こえは悪いけれど、本音では、たとえカナちゃんに嫌われたとしても、この能力を手放したいとは思えなかった。


 いや、正確には違う。カナちゃんは私を愛してくれているから、この行為も愛情の一部として受け入れてくれるはず。私たちは特別な関係だから、こんな深い繋がりも許される。


 (そうよ、私たちは運命のバディなんだから)


 そんな風に自分を正当化しながら、私は個室のベッドの上で、画面の中のカナちゃんから一瞬たりとも目を離すことができなかった。


 カナちゃんが剣を手に取る。その感触が、私にも伝わってくる。重さ、バランス、柄の質感――全てがリアルに感じられた。


 (私も、カナちゃんと一緒に剣を握ってる)

 (私も、カナちゃんと一緒にそこにいる)


 この感覚は、今まで体験したどんなことよりも強烈だった。カナちゃんと完全に一体化している感覚。カナちゃんの体験が、そのまま私の体験になる。


 これまでのパスは、単なる魔力の供給だった。でも今は違う。カナちゃんの存在そのものを、私が丸ごと体験している。


 (これが、本当のパス)

 (これが、私たちだけの特別な繋がり)


 時々、カナちゃんが私のことを思い出してくれる。その瞬間、温かい感情がリンクを通して流れてきて、私の心は歓喜に震えた。


 (カナちゃんも、私のことを思ってくれてる)

 (離れていても、心は繋がってる)


 でも、それだけでは満足できない自分がいる。もっと、もっとカナちゃんのことを知りたい。カナちゃんの全ての瞬間を、私だけのものにしたい。


 カナちゃんが武器の説明を受けている間、私は彼女の表情の変化を細かく観察していた。興味深そうに眉を上げる仕草、理解した時の小さな頷き、疑問に思った時の首をかしげる癖――全てが私には新鮮で、愛おしくて、手に入れたいものだった。


 (私だけが知ってるカナちゃんの表情)

 (私だけが見ることができるカナちゃんの仕草)


 この特権的な立場が、私に強烈な優越感を与えてくれる。他の誰も、こんなにもカナちゃんのことを深く知ることはできない。友達も、クラスメートも、先生も――誰一人として、私ほどカナちゃんに近づくことはできない。


 そんな時、悠馬がカナちゃんに話しかけてきた。また技術的な質問をしているようだ。カナちゃんは親切に答えているけれど、私の心には小さな棘が刺さる。


 (カナちゃんの時間を奪わないでほしい)

 (カナちゃんの注意を、私以外に向けないでほしい)


 でも、リンクを通してカナちゃんの感情を感じると、悠馬に対しては友情以上の感情は何もないことがわかる。それが私を安心させた。


 (大丈夫、カナちゃんの心は私だけのもの)


 時間が過ぎていく。私はカナちゃんの一挙手一投足を見守り続けた。カナちゃんが笑うと私も嬉しくなり、カナちゃんが困ると私も心配になる。完全にシンクロした感情。


 でも、同時に別の感情も湧いてくる。


 (ずっと、こうしていたい)

 (永遠に、カナちゃんを見つめていたい)

 (カナちゃんの全てを、私だけのものにしたい)


 愛情なのか執着なのか、もはや区別がつかない。でも、この気持ちは確実に私の一部になっていた。カナちゃんへの想いが、私の存在理由そのものだった。


 廊下から、他の後衛たちの声が微かに聞こえてくる。

 「なんか、ぼんやりと感情が伝わってくる感じ?」

 「私は相手の姿勢がなんとなく分かるくらいかな」

 「声がちょっと聞こえる程度だった」

 「羨ましい、私なんて魔力の流れしか分からない」


 そして紅葉の声。

 「悠馬の気持ちが少し分かる気がする。でも、ぼんやりしてて……もっとはっきり感じられたらいいのに」


 私は息を呑んだ。


 (え……みんな、それだけ?)


 他の人たちの体験は、私のものとはまるで違っていた。ぼんやりとした感情の共有、なんとなくの体勢把握、微かに聞こえる声――どれも断片的で、曖昧なもの。


 でも私には、カナちゃんの全てがくっきりと見えている。視界、聴覚、触覚、さらには心の動きまで。まるで私自身がカナちゃんの身体を使っているかのような、完璧な共有。


 (私たちは……特別なの?)


 いや、特別というレベルを超えている。明らかに異常だった。こんなに深く、こんなに完璧に相手を感じ取れるなんて、他の誰にも起きていない。


 スタッフの説明が廊下に響く。

 「皆さん、感じ方はそれぞれ違います。感情の共有ができる方、相手の状況が何となく分かる方、声が聞こえる方――バディごとに個性があるのは正常です。重要なのは、この繋がりを通して前衛を支えることです」


 (個性、だって)


 でも私の体験は、個性というより異常性に近い。カナちゃんの存在を、ここまで完璧に把握できるなんて。


 私は自分たちの共鳴率が高いことは知っていた。でも、まさかこれほどまでに他の人たちと違うとは思わなかった。


 (私たちだけの、特別な繋がり)

 (私だけが、カナちゃんの全てを知ることができる)


 その事実が、私の心を強烈な優越感で満たした。他の誰も、私ほどバディのことを理解できない。私とカナちゃんだけが、この特別な体験を共有している。


 (だから、私たちは運命なのよ)


 これは偶然じゃない。私とカナちゃんが出会ったことも、バディになったことも、すべて運命だった。こんなに深く繋がることができるなんて、奇跡としか言いようがない。


 廊下の会話が続く。

 「でも、これだけでも十分すごいよね」

 「前衛の安全確認には充分だし」

 「実戦では、これだけ分かれば安心できる」


 彼女たちは、その程度の繋がりで満足している。でも私には、もっと深くて、もっと強烈な体験がある。カナちゃんとの完全な一体化。


 (みんなには、この幸せは分からない)

 (この完璧な繋がりの素晴らしさは、私だけのもの)


 そう思うと、少し優越感と同時に、孤独感も感じた。この体験の素晴らしさを、誰とも共有できない。でも、それでいい。カナちゃんと私だけの秘密だから。


 「はい、みなさん。前衛の様子がどんなふうに感じられましたか?」

 廊下越しに先生の声がスピーカーで響いた。

 「これで今日のオリエンテーションは終わりです。今すぐパスを切って、忘れ物がないように寮へ戻ってください。任務の日程や配属は、後日プリントでお知らせします」


 部屋ごとに「はーい」「分かりました」と答える声が重なった。


 私は名残惜しさで指先が震えるのを感じていた。

 ――この夢みたいな時間が、もう終わってしまう。

 頭の中にあったもう一つの世界が、命令ひとつであっけなく消えてしまうなんて。


 冷静に考えれば、ずっとパスを繋ぎ続けている理由なんてない。カナちゃんのプライバシーもあるし、休息だって必要だ。だけど、今はただ、ずっとこのままカナちゃんの全部を見ていたい、その気持ちの方がずっと強かった。


 (パスを切るだけなのに、どうしてこんなに寂しいんだろう)


 他の後衛たちが廊下で話しているのが聞こえる。

 「思ったより大したことなかった」

 「私、ちょっとしか分からなかったよ」

 「でも、実戦では役に立ちそう」


 (大したことなかった、だって)


 彼女たちには、私が体験したような完璧な共有は起きなかったのだ。それが当然なのだろう。私とカナちゃんの繋がりが、いかに特別で異常なものかを、改めて実感した。


 私は黙ったまま、自分の胸の奥に手を当てた。

 (もっと、ずっとカナちゃんのそばにいたい。私だけが、ずっと――)


 でも、パスを切るしかない。私はそっと意識を外し、リンクを静かに解除した。


 目の前の世界が自分ひとりに戻ると、さっきまでの高揚感が一気に色あせて、なぜか心が空っぽになったような、そんな気がした。


 部屋を出ると、廊下で他の後衛たちと合流した。みんな、それぞれの体験について話している。


 「紅葉はどうだった?」

 私が聞くと、紅葉は少し困ったような顔をした。

 「うーん、悠馬の感情がなんとなく分かる程度かな。嬉しいとか、集中してるとか。でも、ぼんやりしてて……結ちゃんはどうだった?」


 私は一瞬言葉に詰まった。カナちゃんの視界、聴覚、触覚、心の動きまで完璧に共有できたなんて、とても言えない。


 「私も、似たような感じかな」

 曖昧に答えると、紅葉が「そっか」と頷いた。


 (誰にも、この体験の本当の素晴らしさは分からない)

 (私とカナちゃんだけの、特別な秘密)


 そんな風に思いながら、私は廊下を歩いていた。心の奥では、また次にリンクを繋げる日を待ち望んでいた。あの完璧な一体感を、もう一度体験したい。カナちゃんの全てを、私だけのものにしたい。


 その時、カナちゃんが前衛たちと一緒に別の廊下から現れた。私を見つけると、嬉しそうに手を振ってくれる。


 「結、お疲れさま!」

 「カナちゃんも、お疲れさま」


 カナちゃんが駆け寄ってきて、自然に私の手を取る。その瞬間、さっきまでリンクで感じていた温もりが、今度は直接伝わってきた。


 (やっぱり、カナちゃんの隣が一番安心する)


 でも同時に、心の奥で思っていた。

 (今度は、もっと長い時間リンクしていたい)

 (カナちゃんの全てを、もっと深く知りたい)


 そんな危険な願いを抱きながら、私はカナちゃんと一緒に寮へ向かった。愛情という名の執着が、今日の体験でさらに深くなったのを感じながら。

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