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プロローグ

――「手を取って」


 喧騒の中、彼女の声だけが、ボクに届く。彼女は優しく微笑みボクに手を伸ばしていた。ボクはこんな状況の中でさえ躊躇してしまう。

 痺れを切らしたのか、彼女がボクの手を引っ張って抱き抱えながら言う。

「私たちなら大丈夫」

 そう言うなりボクの顎を掴みキスをした。

「へぁ?」

 状況がよく飲み込めないまま、彼女の顔から目が離せない。

「契約にキスはつきものでしょ?」

 舌をペロっと出して言った後、真剣な顔でボクにささやく。

「今の彼方ならあんなのどうってことないでしょ? 私を守って。あなたは私が守るから」

 気付くと全身に魔力が滾ってくる。契約により魔力が何十倍にも膨らんだ気がする。今なら誰にも負けないそう思えた。


 ――でもこれはもう少し先の出来事。今のボク、朝霧彼方は人生のどん底にいる。





 ボクがボクを認識したのは、確か5歳くらい。前世の記憶、と言うほど鮮明なものではないけど、自分が男だったこと、事故で死んだこと、一般的な知識、それらが急に蘇ってきた。

 体は女の子だし、世界もなんか前と違う。それでも両親は優しくて大好きだし今の体に不満はない。そりゃ最初は女の子になって戸惑ったけど、はっきり言ってボクはカッコ可愛い。それだけで大体気にならなくなった。


「彼方ちゃんにはバディの適性があるのよ」とお母さんが教えてくれた日。

 ボクは自分に“普通じゃない力”があることを、すぐ受け入れてしまった。

 だって、体も軽くて動きやすいし、魔力ってやつも、なんだか手足を動かすのと同じくらい当たり前に使えたから。



 それからは、ほとんど毎日が「訓練」と「遊び」の区別もなくて、外で駆け回っては誰かと追いかけっこをして、家では両親に「彼方は本当に元気ね」と笑われる日々。


 バディ育成のための学校に通うことになったのも、当たり前の様に受け入れた。

 その頃のボクは調子に乗っていた。でも、同じ条件で調子に乗らない人がいたら教えて欲しいくらいだ。

 この世界には、悪魔って奴がいて、日々人間を狙っている。その悪魔に唯一対抗できるのがバディを組んだ2人組だ。

 前衛と後衛がいて、前衛は、文字通り悪魔と正面切って戦う役目。後衛は、前衛に魔力を送って支援する役割。どうも、前衛と後衛の2種類の魔力を混ぜ合わせないと、悪魔には攻撃が効かない。だから、銃や核兵器なんかも無意味だそうだ。

 前衛と後衛が契約して、バディとなって初めて悪魔に対抗できるんだ。

 そんな世界で、ボクは前衛の適正が過去類を見ないほど高かった。魔力の量も魔力操作も運動神経も戦闘技術も全てにおいてピカイチ。誰もボクに敵わなかったし、誰もがボクを褒めて将来は絶対的な英雄になると信じて疑わなかった。


 でもそれも中学部に上がるまでの話。

 8年生になると、みんなバディを意識し始める。遅くても高等部に上がるまでは取り敢えずでもバディを組むのが慣わしだった。

 ボクのクラスでは、後衛のみんなはボクとバディを組みたがった。ボクは、もちろん1番可愛い子とバディを組もうとした。だけどその子はボクと契約しようとすると悲鳴をあげて頭が痛いと言ったんだ。後日再度やっても結果は同じ。ごくごく稀に相性が悪いとこの様なことが起こるらしい。しょうがないそんなこともあるさと、その時は思っていた。

 ところが、ボクと契約しようとする人する人、みんな体調が悪くなる。そんな人が1人2人、10人11人と増えるごとにみんなの態度も変わってくる。

 ボクと契約すると、体調を崩す。そうなるとボクは誰とも契約出来ない。みんな表立って言う事はなかったけど、あからさまに避ける様になっていった。


 模擬戦の内容も、バディを組んだ人たちが多くなると変わっていった。バディの魔力循環をしながらの模擬戦だったりだ。


 バディを組むと、前衛の魔力の出力や総量は最低でも10倍になる。相性が良かったりすると倍率もどんどん上がるらしい。そんなバディたちとの模擬戦をしてもボクは負けなかった。

 相変わらず最強のまま。けれどもバディがいなければ決して戦場に出る事はない、バディがいなければ悪魔に傷をつけることすら叶わない不良品だ。


 それでも何とか中学部時代をやり過ごした。この先自分に合う後衛が出てきてくれるのか、高等部で出会うことができるのかすごく不安だ。

 昔は不安なんか縁がなくって、ポジティブに突き進んでいたはずなのに。ここ1、2年で性格まで変わってしまったみたいだ。

 小学部で仲のよかった友達とも、中学部では離れてしまったことも大きいかもしれない。


 そんなこんなで、過去の自分を振り返っていたら、学校に着いてしまった。

 今日からは高等部。高等部では全員寮で暮らすことになっている。理由はバディが共同生活をすることによって、信頼などを深めより強く結びつくことを狙っているからだ。

 学校から出される課題もバディ2人で協力してやり、生活も2人で協力することになる。生活費は一人一人支給されるが、2人でそれらを管理する必要もある。


 ボクは1人しかいないから、課題も1人でこなさなければいけないし、家事だって1人で全部やらなきゃ行けない。生活費も1人分しかない。

 前世の知識があるからわかるけど、生活費は、2人分を2人で分け合って生活する方が、1人分を1人で使うより圧倒的に楽だし、贅沢できる。


 入寮した瞬間からボクは劣等感しかなかった。模擬戦でいくら勝ったってもはや意味はない。


 自分のクラスを確認して、クラスの扉前まで行く。小学部で仲良しだった遥香ちゃんが同じクラスで少し気が楽になる。ボクと結婚するっていつも言ってたなと、笑いながら扉を開けると、他の人はみんな来ていた様でボクが一番最後だったみたいだ。


 クラスのみんなを見て、目当ての人を見つける。

 勝気そうな、大きな目をしている可愛らしい顔の女の子。小学部の時から変わってないトレードマークのツインテールがよく似合っている。


 早速声をかける。

「はるかちゃ……」

「あーれー? まだこの学校通ってたんですかぁ? 最強さーん」


「え……?」

 


 その瞬間、教室の空気が凍りついた。

 遥香の大きな声に、周りの女子たちが顔を見合わせている。


「彼方ちゃーん、まだ学校いたんだ? バディいないのに、何しに来たの?」


「でも、前衛の適性だけはピカイチだし~、いつか世界救ってくれるんでしょ?」


 馬鹿にしたような笑い声。何人かの男子も視線をそらした。


 ボクはできるだけ目立たないよう、窓際の席に静かに座る。遥香たちがどんどん声を大きくしてくるのは、ボクが無視を決め込んでいるからかもしれない。でも、もう反論する元気もなかった。


 高等部の始業式。クラス担任が入ってくると、皆は一斉に背筋を伸ばす。担任の先生は、ボクのことを見るたびに少し困ったような顔をした。


「みんな、寮生活は今日から本格的に始まる。生活や課題は、必ずバディで協力するように――」

「先生、彼方はどうするの? 一人でできるの?」

 遥香がまた手を挙げて、教室の空気を操る。

「彼方さんはバディがいないので単独行動とします。でも課題や寮則は全員共通だから、忘れないように」


 それだけで教室に笑い声が走った。バディがいない。わかっていたはずだが、改めて言われると、こんなに重く、痛いものだとは思わなかった。


 

 放課後になっても、ボクは誰とも口をきかないまま、寮の自室に戻った。

 もともと余り部屋だった個室。隣からは、バディ同士でふざけ合う声がよく聞こえてくる。夕食も一人で食べる。

 食堂の端っこ、みんなのテーブルから一番遠い場所。

 「前はあんなに明るかったのにね」「やっぱバディいないと可哀想」……そんなヒソヒソ話も、慣れっこになってきた。


 

 夜になると、廊下を歩く足音も、カーテンの隙間から見える光も、全部が自分とは別の世界のことみたいに思える。

 初めての寮生活。

 自分のベッドに横になり、天井をぼんやり眺める。こんなに静かな夜なのに、なぜか耳の奥がキーンと痛む。


 

 週末。

 バディを組んだ子たちは、ペアで買い出しや課題、訓練に出かけていく。

 ボクはひとりきりでスーパーに行き、日用品を抱えて寮に戻る。

 課題も掃除も全部ひとりでやるしかない。

 先生や寮監も、最初のうちは気にしてくれていたけど、そのうち誰も何も言わなくなった。

 周囲からは「ああ、また一人でやってる」という目線だけ。


 

 そんなある日。

 体育館での模擬戦。高等部最初の本格訓練だ。バディ契約をした生徒はペアで戦い、連携や魔力の循環を見せていた。


「朝霧は……バディいないし、でも強いからなぁ。悪魔役やってくれないか?」


 教官が言う。「はい」と答えるしかない。


「最強なのに、悪魔役なんてね」

 遥香たちの笑い声が、壁に反響して耳に残る。


 模擬戦が始まる。

 ボクは、悪魔役。

 誰もが自信満々で攻撃を仕掛けてくるが、魔力も動きも読めてしまう。

 手加減して、適度に負けてあげる演技まで身につけてしまった自分が悲しかった。


 

「もうちょっと強くやってよ。最強なんでしょ?」


 遥香がわざとボクの肩を小突く。

 その目には、かつての憧れも親しみもない。

 ただ自分とは違う者を、みんなの前で貶めて安心したいだけ――そんな感情が透けて見える。


  遥香の声が教室の空気を裂いた。


「最強さん、また一人で来てんの? さっすがバディいらず!」


 乾いた笑いが散る。女子グループの数人が、ボクにだけ聞こえる声で何かを囁く。男子の何人かは、その空気を持て余すように目を逸らす。


「彼方、バディ組まないの? それとも組めないの?」


 わざとらしく無邪気な声。だが、その裏にははっきりした悪意があった。

 ボクは無視して自分の席へ向かう。足を止めたら、言い返してしまいそうで怖かった。


 

 新学期の朝は、毎日が気まずさの連続だ。

 ロッカーで教科書を取り出していると、誰かのカバンがぶつかる。

 小さな溜息。別に気のせいだ。偶然に決まってる。


 だけど、昼食時も、掃除の時間も、ボクの居場所はなかった。


 食堂では、空席がボクの隣だけ綺麗に空いている。

 食事をトレイに乗せて席を探すが、どこに座っても、誰かがわざわざ立ち上がって遠くへ移動する。

 「ひとりでご飯?」「さすが最強さん」

 そんな声が背中越しに聞こえる。冗談のようで、ナイフみたいに刺さる。


 

 課題提出のときも同じだ。

 「バディと一緒に出すこと」

 先生はボクを見るたびに、少し困った顔で書類を受け取るだけ。

 寮の廊下ですれ違うときも、先生たちは遠慮がちに挨拶するが、ボクの部屋の前では決まって足早になる。


 

 週末の訓練。

 グラウンドではペアごとの練習メニューが貼り出されている。

 ボクの名前だけ、ひとりきりで小さく記されていた。

 練習用の木人相手に体を動かす。自分の強さが恨めしく思えた。


 周囲のバディたちは、実戦形式の模擬戦に取り組んでいる。

 魔力の流れ、支援のタイミング、前衛と後衛の信頼。

 ボクには、どれも手が届かない。

 それどころか悪魔役で殴られ役にされることが多くなった。

 わざと大げさに転がったり、派手にやられ役を演じたり。

 自分の存在が、他人のための踏み台にしかなっていないと痛感する。


 

「もっと強くやっていいんだよ、最強さん」

「そうそう、遠慮いらないって!」


 遥香やグループの子たちは、わざと近くで笑い合う。

 男子の一人がボクの肩を小突いた。


 昔の自分なら、何も気にせず言い返せたかもしれない。

 でも今は違う。

 口を開けば、涙がこぼれそうだった。


 

 個室の狭いベッド。天井の染みを数えて夜を過ごす。

 眠れないまま朝を迎え、制服に着替えても、鏡に映る自分最強の顔なんかじゃなかった。


 

 週明けの朝、廊下ですれ違う下級生のグループがボクを見て小声で囁く。

 「ひとりぼっちの人だ」

 「最強なのにかわいそうだよね」


 慰めも、侮蔑も、全部遠くの出来事のように響く。

 心に何も届かない。


 

 部屋で一人、配られたプリントに目を通す。

 課題の「チームで工夫して提出せよ」「バディ間の役割分担を記述せよ」――

 無理にでも適当に埋めて出すしかない。

 誰も答え合わせをしてくれる人はいない。


 

 寮の風呂場も、ボクが入ってくると、みんな一拍置いてから出ていく。

 ドアの隙間から誰かの「一緒に入りたくない」なんて声が聞こえた。

 服を着替える手が震える。


 

 夜、窓の外に街の灯りが見える。

 ――自分だけ、別の世界に取り残されたみたいだ。


 

 何日も、何週間も、何も変わらない。


 ――もう、誰ともバディになれないなら、

  ボクは、いったい何のためにここにいるんだろう。


 

 希望も救いも、何も見えない。

 この日々が、いつまで続くのだろうと、ただぼんやりと考えるだけだった。

 

 

 模擬戦が終わり、用具の片付けも一人。

 教室に戻れば、誰もボクに声をかけない。

 ただ、教室の隅で誰かが笑っている気配だけがする。


 

 夜、部屋のベッドに倒れ込むと、溜息しか出てこない。


 (自分で選んだわけでもないのに……なんでボクだけ、こんなに孤独なんだろう)


 目を閉じて、いつの間にか眠りに落ちる。

 夢の中で、誰かがボクに手を伸ばしていた。

 ぼんやりとした光の中で、あたたかい指先が、ボクの手をそっと包む。

「大丈夫。君は一人じゃない」――そんな声が、遠くから聞こえた気がする。


 ――でも、手を取ろうとした瞬間、光がすっと消えて、目が覚めた。


 目を開ければ、薄暗い天井と、静かな個室だけ。

 誰もいない部屋の冷たい空気が、肌にしみる。


 (夢か……。どうせ、現実じゃ誰も手なんて伸ばしてくれない)


 胸の奥が、ひどく冷たくなった。

 

 

 翌日も、そのまた翌日も、状況は変わらない。

 誰にも頼られず、誰のバディにもなれず、最強の不良品としてひとりきりの毎日が積み重なっていく。


 

 時々、ほんの少し前の自分を思い出す。

 ――あの頃は、何でもできると思ってた。

 英雄だと、みんなが持ち上げてくれたのに。


 今は、誰もボクのことを見ようとしない。


 

 窓の外はすっかり春。新しい季節なのに、ボクの心だけは、曇ったままだった。




 ある日、課題提出のとき、先生に呼び止められた。

「朝霧さん、バディ欄が空白だけど……」

「……ボク、一人なので」

「そうか、ごめんね」

 そのやりとりすら、どこか事務的で、ボクだけが“例外”扱いされている現実を突きつけられる。


 

 週末の買い出しも、バディ同士なら財布を預け合い、相談しながら歩いている。ボクは一人でリストを握りしめ、スーパーの棚の間を黙々と歩くだけだ。

 誰かとすれ違えば軽く会釈はするけど、向こうは視線を合わせようとしない。

 

 それでも、模擬戦だけはボクの活躍の場だった。

 最初のうちは、複数のバディたちが共鳴率を上げても、ボクの圧倒的な力で全員をまとめて捻じ伏せていた。

 先生たちも「やっぱり彼方は凄いな」と言ってくれたし、クラスの空気も「敵わないけど、まあしょうがないよね」という感じだった。


 

 だが、寮での共同生活が本格化するにつれて、状況は変わり始めた。

 朝から晩まで一緒に過ごすことで、みんなの共鳴率が目に見えて上がっていく。魔力の流れが自然にシンクロし、ペアごとに独自の戦い方が生まれ始めた。


 

 ある日の模擬戦。四組のバディがボク一人に挑んできた。

 以前なら捻じ伏せられたはずの彼らが、連携して攻撃を繰り出す。

 魔力の共鳴技、複雑なフォーメーション。ボクは何度も回避し、反撃したが、ついに膝をついた。


 

「やった!」「倒せた!」

 勝ち誇った声。

 先生も「これがバディの力だ」と笑顔を見せる。


 

 ボクは、土埃の中で自分の手を見つめた。

 今までなら手加減してても勝てた。

 だけど今は、本気でやっても勝てなくなっていた。


 

 その日を境に、みんなの態度が微妙に変わっていく。

 「彼方、もう怖くないよね」「集団なら勝てるし」

 ボクはひとりでは勝てない存在へと変わっていった。


 

 それでも、一対一でならまだ負けない自信があった。けど、誰も一対一の模擬戦を申し出てはこない。

 「もう意味ないし」「彼方が勝っても、実戦じゃ役に立たないし」

 そんな言葉が廊下や教室の隅で囁かれている。


 

 寮の夜、窓の外に見えるのは、バディ同士で笑い合う人影ばかり。

 ボクだけが、違う世界に取り残されたような気分だった。




 グループ課題や掃除の場面も。

「彼方は全部ひとりでできるよね? そのほうが全体の効率もいいし」

 「グループに入れても、正直やりにくいから」

 遥香は堂々と、ボクを作業から外す役目を引き受ける。


 

 先生や周囲も、その空気に逆らわない。

 みんな「そうだね」と納得し、誰もボクに声をかけようとはしない。


 

 食堂の席も同じ。遥香が「彼方の隣は空けとこう」と半分冗談のように言えば、みんな自然と従う。

 結果、ボクの周りだけぽっかりと空白ができる。


 

 遥香の言葉も態度も、どれも正しく聞こえる。

 「一人のほうが合理的だから」「訓練の効率のため」

 でもその全部が、ボクの居場所をどんどん削り取っていく。


 

 夜、寮の自室に帰っても、その声だけが耳に残る。


 

 遥香がクラスで「正論」を口にするたび、ボクの心はひとつずつ色を失っていった。





部屋で包帯を巻き直しながら、ふと鏡を見る。

 目の下にクマ、膝のあざ、腕の傷跡。

 これが今の自分だと思い知らされる。


 

 夜、誰もいない寮の廊下で、ふと自分の靴音だけが響く。

 その音がやけに大きく感じられる。


 

 気がつけば、痛みも孤独も「当たり前」になっていた。



 冬の朝は、いつも以上に空気が冷たく、世界が薄暗く見えた。

 ボクはベッドの中でしばらく動けずにいた。

 体中が重く、膝や肩の痛みがじわじわと蘇る。


 

 廊下の向こうでは、バディたちが「今日の訓練、どうする?」なんて明るく相談している声が聞こえる。

 ボクは一人、ゆっくりと制服に袖を通す。

 足をひきずりながら食堂に行けば、やっぱりボクのための席だけが空いている。

 それがもう、日常だった。


 

 模擬戦が始まる。

 空気はすでに張り詰めていて、先生の合図も遠く感じる。

 四人の前衛が一斉に仕掛けてくる。

 反撃しようとするたび、別の誰かが身体をぶつけてきて、どんどん視界が霞む。


 

 膝を打ち、肋骨を打たれ、腕をひねられる。

 地面に転がる自分の姿が、他人事のように思えた。

 それでも、立ち上がる。


 

「無理しないで」

 誰かが小さな声で言った気がした。でも、その声はボクに届かない。


「大丈夫です」

 そう口に出す自分がいた。本当はもう限界だった。

 でも、一人でできるという小さなプライドが、ボクの喉元を塞いでいた。


 

 遥香が冷静な口調で言う。

 「無理なら、交代したほうがいいよ」「必ず彼方がやる必要も無いし」

 表面上は気遣う言葉。でもその目に憐れみも優しさも感じられなかった。


 

 保健室に運ばれる途中、先生が「本当に平気?」と声をかけてくれる。

 ボクは「はい」とだけ答える。

 助けてほしい。苦しい。

 でも、それを口にした途端、何もかもが終わる気がして、言葉が出なかった。


 

 日常の雑用も、全部一人きり。

 「大丈夫?」と聞かれれば「大丈夫です」と返し、本当は誰かの手を借りたいのに、自分ならできる、助けはいらないと、自分からその輪を拒絶する。


 

 夜、部屋で膝を抱えていると、昔の自分を思い出す。

 誰よりも強く、誰よりも自由だったはずの自分。

 それが今は、痛みと孤独と、ちっぽけなプライドだけを抱えて、誰にも届かない世界で必死に呼吸している。


 

 窓の外、雪がちらちらと舞い始めた。

 世界がどんどん遠ざかっていく。

 「助けて」と言えない自分を、何よりも自分自身が嫌いになっていた。


 

 翌朝、また訓練の号令が響く。

 痛みを堪えて、ボクは一人きりで列に並ぶ。


 

 もう誰も、ボクを見ていない。

 でもボクだけが、自分の小さなプライドを守るために、孤独を選び続けていた。

 

 

初投稿です

完結まで毎日投稿するのでよろしくお願いします。

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