太陽を見つけた月
春は出会いの季節とよく言われる。それは、この国において一種の節目であることが大きい。だが、俺にとって運命的な出会いがあったのは桜が散った後のこと。まるで真夏の夕立のように、その日は突然やってきたのだった…。
(うっ、頭痛っ…。)
衣替えを終え、肌の露出が増えるこの季節。その日夏服に切り替わったとある高校では、一人の男子生徒が自席に突っ伏していた。慢性的な頭痛に悩まされている彼の名前は日向夏樹。教室の後方、窓際付近の座席に座る彼は始業前のざわつく教室の雰囲気から孤立していた。
「おーい、ホームルーム始めるぞー。席に着けー。」
教室前方のスライド式の扉が開き、どこか気怠げなクラスの担任が姿を現す。間延びした声に呼応するように生徒たちは落胆の声と共に自らの席に散っていく。夏樹はその様子を、頭に右手を添えながら傍観していた。
「えー、突然だがこのクラスに転校生が来ることになった。」
担任の言葉に騒つく教室。教室中の視線を集めた担任が扉の外に視線を送れば、それを合図に再び鉄製のドアがレールを滑る。同じ制服を纏った人物が登場すると、室内はまた別の空気に支配された。そこに現れた新たなクラスメイトの男子に夏樹は思わず容姿を見て心の中で声をこぼした。
(うわ、イケメンだ…。)
同性である夏樹すら視線を奪われるほどの端麗な容姿。クラスメイトたちが言葉を失ってしまうのも無理はない、と夏樹は納得してしまうほどだ。まるでテレビでよく見る俳優やアイドルのような現実離れしたイケメンは、小さな欠伸を一つこぼした。
「…月海冬真です。よろしく。」
ボソッと小さな声で自己紹介を済ませた転校生は、事前に指示されていたと思われる座席に向かう。あまりにもあっさりとした自己紹介に新たなクラスメイトはもちろん担任教師も呆気に取られている。
「えー、ということでみんな仲良くしてやってくれ。」
微妙な空気感を教師がなんとか締めて、その後は普段と変わらない1日が始まろうとしていた。そして、それは頭痛に悩まされる夏樹も例外ではなかった。
(今日もダメか…。)
夏樹はホームルームが終わりそうな瞬間を見計らい、こっそりと荷物を持って出ていく。慣れた足取りで向かった先は保健室。薬品の匂いが鼻の奥をツンと刺激する部屋に入ると、養護教諭は夏樹の姿を確認してため息をつく。
「また頭痛い?」
「はい。」
「…午後の授業はちゃんと出なさいね。」
何度繰り返されたかわからないやり取りを終え、夏樹はもはや特等席となった簡易ベッドに横になる。
夏樹は幼少期から原因不明の頭痛に悩まされていた。頭痛薬を飲んでも治らない厄介な痛みだったが、彼を悩ませていたのはそれだけではない。この頭痛は起床直後や運動中は特に深刻な症状は出なかったが、座学などでじっとしていると症状が悪化すると言う不可思議な挙動をしていた。そのせいかこの謎の頭痛はただのよくある頭痛持ちとして家族に取り合ってもらえず、病院も受診することなくこのように耐え忍ぶ日々が続いていた。
(俺だってちゃんと授業受けたいのに……ん?)
夏樹は薄いベージュ色の仕切りの向こうで人の気配を感じ取る。養護教諭が出ていき、その代わりに誰かが入ってきたようだ。その人物はよほど切羽詰まっているのか、夏樹があてがわれた男子生徒用のベッドの方へと歩み寄ってくる。
夏樹は慌てて声を出そうとしたが、時すでに遅し。人影を映し出していた薄い幕が勢いよく捲られ、シルエットが明確に人の姿形を映し出した。
「ちょ、おま…!」
「…眠い。寝かせてくれ。」
「はっ!?」
動揺しまくる夏樹とは対照的に、その人物は問答無用でベッドに横たわり、そのまま枕に頭を預けて寝息を立て始める。あまりに非常識な行動にその人物の正体を確認しようとその寝顔を覗き込むと、そこにいたのはなんと今日から夏樹のクラスメイトになった人物だった。
(て、転校生!?名前は確か、月海冬真、だったよな?)
まさかの人物に夏樹は言葉を失う。しかし、冬真はそんなこと梅雨知らず、夢の世界へと旅立っている。夏樹は困惑の表情を浮かべながらも、転校生を観察するように視線を送る。
遠目で見ただけでもイケメンとわかる冬真は、間近で見るとさらにその魅力が分かる。日焼けを知らないハリのある色白な肌、瞼の奥に隠されているだろう鋭さと優しさを兼ね備えた瞳、スラリとした縦長の顔…全てのパーツが完璧と言えるほど整っている。
(凄いぐっすり寝てるな…。疲れてるのか?)
冬真はここに来たのが初めてとは思えないほど落ち着いた呼吸を繰り返す。まるで、催眠術か眠り姫の呪いにでもかけられているようだ。まだ言葉を交わしたこともない相手の事情は分からない夏樹は、一周回って彼のことが心配になり始める。
(こいつ…冬真が起きるまではここにいるか…。)
夏樹は自分に残されたわずかなスペースに再び全身を預ける。素性を知らぬクラスメイトが真隣にいるというイレギュラーな状態だったが、夏樹はどこか不思議な安堵感を覚えそれに身を委ねるように目を瞑る。すっかり入眠した夏樹は、いつの間にか自分を悩ませていた頭痛が全く気にならないほどまで治っていることに気づかなかったのだった…。
「ん…。」
「お、目覚めたかー?」
ようやく目を覚ました冬真に、先に意識を覚醒させていた夏樹が声をかける。まだ寝ぼけているのか、冬真は欠伸混じりに目を優しく擦る。
「ここは…保健室か。」
「そう。急にベッドに入ってきたから何事かと思ったわ。」
「…それは、すまなかった。」
ぺこりと頭を下げる冬真に夏樹はこれまでの驚きやらわずかな怒りの感情も消え去ってしまう。自身も体調を崩しやすいこともあってか、夏樹は目の前の人物に親近感のようなものを覚えてしまう。それでなくても、今日このような出来事があった手前、彼のことが気になって仕方がなかった。
「全然気にしてないから大丈夫。えっと、月海冬真、だよな?今日転校してきた。」
「ああ。そういう君は同じクラスの…」
「日向夏樹。これからよろしくな。」
二人は互いに握手を交わす。いつの間にか二人の顔には穏やかな笑みが戻っており、それぞれの体調が回復したことを表していた。交わしていた右手を解いた二人だったが、ふと冬真がボソリと呟くように夏樹に話しかけた。
「もう夕方か?」
「え?いや、そろそろ午前の授業が終わって昼飯の時間だけど。」
「…そうか。」
(?)
夏樹は冬真の反応に引っかかる。まるで何か確信を得たような、それでいてどこか漠然としてすっきりしない何かがあるように感じた。しかし、その違和感を口にせず、夏樹はそれらを心の引き出しにそっとしまった。
「よかったらお昼、一緒に食べない?こうして会ったのも何かの縁だし。」
「ありがとう。日向さんがそれで良ければ。」
「さん付けしなくていいよ。普通に日向でも夏樹でも、呼びやすい方で呼んで。俺もお前のこと冬真って呼んでもいい?」
「もちろん。」
二人はそんな会話を交わしながら保健室を後にする。昼休憩で賑やかな教室におき忘れたカバンから昼食を取り出し、夏樹の席に向かい合って座る。弁当箱を持参している夏樹とは対照的に、冬真はコンビニで買ったと思われる菓子パンひとつだけを手に持っていた。
「それで足りる?」
「ああ。いつもお昼はあまり食べない。」
「そっか。体調崩しやすいタイプ?」
「いや、急に眠気が襲ってくる体質というか…体調が悪いわけじゃない。」
「いやいや、それ体調不良じゃん?」
睡魔が急激に襲う症状を体調不良と見做さない冬真に夏樹は突っ込みを入れる。夏樹からすれば、そのような症状は自分の中では十分体調不良に当てはまるのだが、冬真はどうやら違うらしい。言葉や態度ではどこかはぐらかしているが、その節々に確信めいたものがあることを夏樹はなんとなく察した。おそらく彼なりに自分の体調と向き合う術を知っているのだろう、と。
「そういう日向はなぜ保健室にいた?」
「あー、頭痛だよ頭痛。」
「頭痛?」
「そ。俺さ、物心ついた時から頭が痛むことが多くてさ。ここ最近は特に酷くて、授業がまともに受けられないこともよくあるんだ。」
夏樹の話を冬真はただ黙って聞いていた。まるで心当たりがあるかのように数度頷くが、何かを答えるわけではなく、ただ口を結んでいた。
「…病院は?」
「行ってない。確かに市販の薬は効かないけど、逆に頭痛しか症状が出てないし、ここまできたらひどい偏頭痛なのかなって。」
「そうか。」
二人の会話はそれきり体調の話題から高校生らしいものへと変わる。これまで自身の体質のせいで同校の友人を作れなかった夏樹は、この日初めて学友と食事をする機会を得られたのだった。そのことがとても嬉しく、夏樹はこれからも冬真と仲良くなりたいという思いが強まっていく。そして、それは転校したてで右も左も分からない冬真も同様だった。
なんとも青春の1ページらしい昼休憩の時間を終えた二人は、その後も共に行動をする。午後の授業を受け、放課後もそのまま共通する帰路まで歩みを進める。
「じゃ、俺こっちだから。」
「ああ。今日はありがとう。」
「こちらこそ。転校してきたのが冬真で良かった。それじゃ!」
夏樹は満面の笑みで冬真に手を振って背を向ける。どんどん遠くなっていく背中から冬真は最後まで視線を外さない。浮き足立っている夏樹の後ろ姿をその瞳に映し出しながら、冬真は目を細めてポツリと呟く。
「やっと見つけた。俺のソル。」
その言葉を聞いていたのは、電線から彼を見下ろしていた黒い鳥ただ一羽だけだった…。