8 林を駆ける青き超足
「うぎゃあああああああああっ!」
悲鳴を上げる青く光るカッパの姿の河童に、牛鬼の分身が次から次へと連続して衝突し、河童が押しつけられている金剛甲壁に深い亀裂が次々に走ると、やがて金剛甲壁は粉々に砕け散った。
「今だきゃ!」
河童は素早く地面をスライディングして牛鬼の突撃を潜り抜けると、草が生い茂る丘の斜面を駆け下り始めた。
「超速! みんな、助けるだきゃ! 絶対に助けるだきゃああああああっ!」
河童は超速で一気に斜面を下ると、林の中を凄いスピードで駆けて行った。
「うひひひ……。お前も串刺しにして、俺たちが後で食らってやるぞ。うひひひ……」
第二形態の鏡太朗は牛鬼に十本の指を伸ばしたが、牛鬼の皮膚は指先を弾き返した。
「うひひひ……。指が刺さらないなら叩き壊してやるさ」
鏡太朗は牛鬼に向かって駆け出すと、高く跳び上がり、牛鬼の鼻と口の間に連続して拳を叩き込んだ。
牛鬼は苦しげな叫び声を上げながら、左掌で鏡太朗を叩き落し、鏡太朗は砂浜に激しく叩きつけられた。その直後、鏡太朗の隣にある牛鬼の影が次々と盛り上がり、無数の影の塊が黒い噴水のように空に向かって飛び出すと、空中で静止して牛鬼の分身に変化した。立ち上がった鏡太朗の頭上は、二百体以上の牛鬼の分身で埋め尽くされ、鏡太朗を狙って牛鬼の分身が前後左右あらゆる方向から突進し、次々に激突した。
「ぐわああああああああっ!」
第二形態の鏡太朗は、苦悶の表情を浮かべて叫び声を上げた。
青く光る河童は、超足で林の中を駆けていた。河童が見上げると、魔物の子どもたちを捕らえた牛鬼の分身たちが木々の遥か上を飛んでいた。
『追いついたとしても、高過ぎて届かないだきゃ! どうしたらいいだきゃ?』
先頭を飛ぶ牛鬼の分身に捕らえられたピラコは、震え慄きながら自分が向かっていく先の光景を見つめていた。
『海に向かってる。あたし、きっとあの大きな怪物に食べられちゃうんだ……。嫌だよ、そんなの嫌だよ。助けて……』
ピラコの視界の奥に海が見えてきた。
「誰か助けてえええええええええええっ!」
ピラコは涙を散らして泣き叫んだ。
「古より月を司りし月光照之命よ! その御力を宿し給え! 天女之羽衣!」
青空が満月の輝く夜空に変わり、天女の姿に変身したさくらの魂が牛鬼の分身の前で滞空していた。さくらの髪型は頭の上に二つの輪がある『飛仙髻』になっており、ピンク色の平安時代の貴婦人の服『女官朝服』を着て、その両肩には薄いピンク色の領巾という長い布が掛けられていた。さくらの下方には、木に背中を預けている魂が抜けたさくらの肉体があった。
「さくらさん!」
河童は、上空に浮いているさくらを見上げて笑顔を見せた。
「ピラコちゃん! 今助けるからね!」
さくらの左側の領巾が長く伸びてピラコごと牛鬼の分身に巻きつき、伸びた右側の領巾の端が鞭のように牛鬼の頭部を激しく打つと、牛鬼の体は影の塊になって砕け散った。左側の領巾がピラコに巻きついたまま地上の河童まで長く伸び、河童は両手でピラコを受け止めた。
「ピラコちゃん、もう大丈夫だきゃ」
「怖かった……。怖かったよおおおおおおっ!」
ピラコは河童に抱きついて泣き続けた。
「河童くん、ピラコちゃんをお願い。あたしは子どもたちを全員助ける!」
さくらの視線の先では、魔物の子どもを捕まえた十九体の牛鬼の分身が接近していた。
「ぐあああああああっ!」
途切れなく牛鬼の分身に激突されて叫び声を上げていた鏡太朗が、飛び込んでくる一体の牛鬼の分身に向けて、闇でできた炎を火炎放射のように口から吐き出すと、牛鬼の分身は闇の炎に包まれて影の塊になり、燃え尽きていった。
「うひひひ……。闇の炎で簡単に燃えちまったなあ。正体が影の塊じゃあ食ってもしょうがねぇ。燃やし尽くしてやるぜ」
鏡太朗は口から闇の炎を大きな炎の柱のように放射して、頭上を覆う牛鬼の分身を次々と闇の炎で包み込み、闇の炎に包まれた牛鬼の分身は、影の塊になって燃え尽きていった。鏡太朗は、全ての牛鬼の分身を焼き尽くした。
「うひひひ……。全部燃えちまったなあ。今度はお前の番だ」
鏡太朗は牛鬼に向けて闇の炎を放射したが、牛鬼は闇の炎が当たっても何の反応もなく平然としており、鏡太朗を狙って口から赤い光の塊を吐き出した。鏡太朗が高く跳び上がって赤い光の塊を避けると、赤い光はずっと先の砂浜を直撃して炸裂し、一帯に爆風と赤い閃光が広がった。
赤い閃光がつくり出した牛鬼の長い影から影の塊が次々と飛び出し、鏡太朗の目の前で合体して大きな塊になると、次第に凝縮して人間のような形になった。鏡太朗は砂浜に着地すると、すかさず闇の炎を吐き出し、人間のような形の影の塊は闇の炎で包まれた。
「うひひひ……。何度やっても同じなんだよ。またすぐに燃やし尽くしてやるぜ。な、何っ?」
闇の炎が消えた時、そこには身長二メートルの筋骨隆々とした人間の形に似た魔物が宙に浮かんでいた。全身が長い毛で覆われ、手と足の指には鋭く尖った爪が並び、太い首の上には牛鬼と同じ形の頭がついていた。
「闇の炎が効かねぇなら、これでも食らえ!」
鏡太朗は人間型の牛鬼に向けて十本の指を伸ばしたが、硬い皮膚に弾き返された。人間型の牛鬼は瞬時に鏡太朗のすぐ目の前まで飛んでくると、右掌を鏡太朗の顔に当てて鏡太朗を後頭部から砂浜に叩きつけ、鏡太朗の上半身が砂浜にめり込んだ。
「ぐわああああああああっ! こ、この!」
鏡太朗は右の脛で人間型の牛鬼の首筋を蹴ったが、人間型の牛鬼は気にすることなく右手で鏡太朗の顔を鷲づかみにして持ち上げると、左の拳を鏡太朗の腹に突き込んだ。
「ぐおおおおおおおおっ!」
鏡太朗は五十メートル後方まで吹き飛んで砂浜を転がった。勢いよく起き上がった鏡太朗は、人間型の牛鬼の右足を背中に叩き込まれて前方に五十メートル吹き飛ぶと、牛鬼本体の巨大な右掌に上から叩き潰された。牛鬼本体が砂浜から右手を持ち上げた時、大きく窪んだ砂浜にめり込んだ鏡太朗の姿があった。鏡太朗がよろよろと立ち上がろうとした時、再び牛鬼本体の右手に叩き潰された。
林の上では、魔物の子どもを捕まえた牛鬼の分身十九体が海岸に向かって飛んでおり、その行く手に天女姿のさくらの魂が浮かんでいた。さくらの領巾の左端が伸びて六体の牛鬼の分身に同時に巻きつき、捕らえた牛鬼の分身を領巾の右端が鞭のように打って粉砕した。牛鬼の分身が砕け散ると、領巾の左側は地上まで伸びて魔物の子どもたちを河童に引き渡し、同時に領巾の右側が長く伸びて魔物の子どもを捕えている他の六体の牛鬼の分身に巻きついた。左側の領巾が六体の牛鬼の分身を粉砕している隙に、子どもを捕らえた七体の牛鬼の分身がさくらの横を通過した。
「絶対に逃さない!」
さくらが後ろを振り返った視線の先で、伸びた領巾が六体の牛鬼の分身に巻きついた。
「きゃあああああっ! 助けてええええええっ!」
泣き叫ぶ狸の姿の子どもを捕まえた一体の牛鬼の分身に領巾が届かず、その牛鬼の分身は海に向かって飛んで行った。
「しまった! 領巾が届かない!」
さくらは視界から遠ざかる牛鬼の分身に向かって、目に涙を滲ませながら叫んだ。
「待ってえええええええええええええっ!」
「超足!」
青く光る河童は超速で林の中を駆け抜けると、一本の木の幹を垂直に駆け上がった。
「絶対に助けるだきゃあああああああっ!」
河童は木のてっぺんから高く跳び上がり、狸の姿の子どもを捕まえている牛鬼の分身の頭に拳を叩き込むと、牛鬼の分身は影の塊になって砕け散った。
「きゃあああああああっ!」
落下していく狸の姿の子どもを河童が空中で抱きかかえた。
「水流砲!」
河童は地面に向かって水流砲を放ち、子どもを抱えながら放水の威力によって緩やかに着地した。
「河童くん!」
さくらの悲鳴が林に響き、空を見上げた河童は愕然とした。天女姿で宙に浮いているさくらに向かって、丘から飛んで来た約百七十体の牛鬼の分身の大群が接近していた。河童は目を丸くして呟いた。
「ま、守るだきゃ……。絶対に、子どもたちを守るだきゃ……」
「うひひひ……。やるじゃねぇか」
第二形態の鏡太朗はフラフラしながら、大きくへこんだ砂浜の上に立ち上がった。突然牛鬼本体が雄叫びを上げ、その直後、牛鬼の影から夥しい数の影の塊が黒い柱のように空に向かって伸びていき、空中で五つの大きな影の塊になると、五体の人間型の牛鬼の分身に変化した。人間型の牛鬼の分身が空から五体、地上から一体、瞬く間に鏡太朗の周囲に移動し、次々と鏡太朗に拳や蹴りを放った。あらゆる方向から打撃を受け続ける鏡太朗は、吹き飛ぶこともできずに何十発もの打撃を全身に浴び続け、砂浜に鏡太朗の絶叫が響いた。
「うぎゃあああああああああああああああっ!」
「河童くん、あたしが前に出て魔物をできるだけ食い止める! 河童くんはあたしの後ろで子どもたちを守って!」
「わかっただきゃ! 金剛甲壁!」
天女姿のさくらの魂が、長く伸びた領巾をなびかせながら、林の上で牛鬼の大群を待ち構えていた。その後方では青く光る河童が林の中に立っており、その背後には二メートル四方の金剛甲壁があり、二十体の魔物の子どもが怯えながら身を隠していた。
「今だ! 行くよおおおおおおおっ!」
さくらは手前二十メートルまで接近した牛鬼の分身に、次々と領巾を叩き込んで粉砕していったが、牛鬼の分身の数があまりにも多く、さくらの攻撃を免れた牛鬼の分身たちが河童にどんどん迫った。
「水流砲!」
河童はさくらの迎撃を突破した牛鬼の分身に強烈な放水を浴びせ、さくらの前方まで吹き飛ばし続けた。さくらは正面から飛び込んでくる牛鬼の分身と、河童の放水で吹き飛んだ牛鬼の分身に領巾を叩き込み続けた。
「さくらさん、後ろだきゃあああああっ!」
「え? きゃああああああっ!」
河童の放水で吹き飛んだ一体の牛鬼の分身が、吹き飛んでいる途中で体勢を整えると、さくらに襲いかかって六本の脚でさくらを背後から捕まえた。さくらは大きく目を見開いた。
『魂の姿のあたしが捕まった! この魔物には魂を捕まえる力があるんだ!』
何十体もの牛鬼の分身が、さくらの領巾に群がって六本の脚で領巾を捕らえ、領巾が牛鬼の分身で埋め尽くされた。
『領巾が動かせない!』
数十体の牛鬼の分身はさくらと領巾を捕らえた状態で、満月が輝く夜空を海に向かって飛んで行き、さくらが遠ざかった空からは満月が消えて青空が広がった。
「さくらさあああああああんっ!」
さくらに向かって叫ぶ河童を狙って、牛鬼の分身の大群が一直線に突撃してきた。
「うがああああああああああああっ!」
第二形態の鏡太朗は倒れることも許されず、囲んでいる六体の人間型の牛鬼の分身に、全身の至る場所へ突きや蹴りを叩き込まれていた。
「これでも食らえええええっ!」
鏡太朗は闇の炎を噴射したが、人間型の牛鬼の分身は闇の炎に当たっても平然として鏡太朗を攻撃し続け、鏡太朗は全身に打撃を浴びて悶え苦しみ続けた。やがて、人間型の牛鬼の分身の攻撃が一斉に止むと、鏡太朗はその場に倒れて動けなくなった。
「ダメージが、俺たちの闇の体が耐えられる限界を超えたようだな。体が全然動かねぇ」
二体の人間型の牛鬼の分身が左右から鏡太朗を引きずり起こし、牛鬼本体の口に向かって飛び立った。牛鬼本体は巨大な口を大きく開いた。
「お、俺たちを食らおうっていうのか……?」
「だあああああああああっ!」
河童は、次々と突進してくる牛鬼の分身を拳や足で粉砕し続けていた。
『絶対に、絶対に後ろの子どもたちを守り抜くだきゃ!』
河童の背後では、金剛甲壁の後ろで魔物の子どもたちが身を寄せ合って怯えていた。
「守るだきゃ! 守るだきゃあああああああっ!」
河童の上を一体の牛鬼の分身が通過し、子どもたちに迫った。
「きゃあああああああっ!」
子どもたちの悲鳴を聞いた河童は、金剛甲壁の上に跳び乗ると、子どもたちに接近する牛鬼の分身に右の踵を叩き込んで粉砕した。その時、一体の牛鬼の分身が六本の脚で河童を背後から腕ごと捕らえた。
「しまっただきゃ!」
牛鬼の分身は河童を捕らえたまま、空高く飛び上がった。
「みんなああああああああああああっ!」
河童の視線の先では、悲鳴を上げる子どもたちを牛鬼の分身が次々と捕まえていた。
「放すだきゃああああああっ! その子たちを放すだきゃあああああああっ!」
二十体の魔物の子どもを捕えた牛鬼の分身と、その他の牛鬼の分身約六十体は、河童を捕らえた牛鬼の分身の後に続き、海へ向かって飛んで行った。
「放しやがれえええええっ!」
二体の人間型の牛鬼の分身は、身動きできない第二形態の鏡太朗を左右から捕らえたまま、牛鬼本体の口の中に向かって飛び込もうとしていた。鏡太朗が視線を下に向けると、砂浜には牛鬼本体とその分身、鏡太朗の影があり、牛鬼本体の影にだけ周辺の空間に微妙な揺らめき見えた。
「うひひひ……。わかったぜ。お前の影には魔力が宿ってるってことだな」
鏡太朗が砂浜の上の牛鬼本体の影に向かって闇の炎を吐き出すと、牛鬼の影は獣の叫び声を上げながら、闇の炎で包まれて燃え上がり始めた。その時、鏡太朗を捕えていた二体の人間型の牛鬼の分身が突然苦しみ出すと、呻き声を上げながら、影の塊になってボロボロに崩れていった。同時に、宙に浮いていた四体の人間型の牛鬼の分身も、苦しみながら影の塊になって崩れて消えていった。
やがて、牛鬼本体の影で燃え盛っていた闇の炎が消えると、影の周囲の空間の揺らめきが消えた。
「うひひひ……。思った通りだぜ。正確に言えば、お前らは牛鬼の分身じゃねぇ。牛鬼の影の分身だ。牛鬼本体の影を攻撃すると、お前らにも同じダメージがあるようだな。影に宿る魔力が燃え尽きちまったな。うひひひ……」
鏡太朗は不気味に嗤いながら砂浜に向かって落下していったが、砂浜に激突する前に牛鬼の巨大な右手が鏡太朗の体をつかんだ。
「何っ? う、動けねぇ……」
牛鬼は鏡太朗をそのまま口まで運んでいった。
「く、食われる!」
牛鬼は鏡太朗を丸呑みにした。
林の上空では牛鬼の分身の群れが一斉に静止した後、影の塊になってボロボロと崩れ始めた。
「な、何が起こっただきゃ?」
全ての牛鬼の分身が影の塊に変わってボロボロに崩れて消え去ると、捕まっていた二十体の魔物の子どもと河童は、遥か下の地面に向けて悲鳴を上げながら落下していった。
「きゃああああああああああああっ!」
河童は、悲鳴を上げて一緒に落ちていく魔物の子どもたちに向かって手を伸ばした。地表は凄いスピードで河童と子どもたちに迫っていた。
「みんなああああああああああああああっ!」