3 続く魔物たちとの闘い
もみじは移季節神社の本殿で老神主と向かい合い、木と布でつくられた折り畳み椅子に腰掛けていた。もみじが口を開いた。
「今日訪問させていただいたのは……」
「おおーっ! そうだ、思い出したよ! ぼたんさんに聞いたよ。小学生の時にプロレスのリングに乱入して、プロレスラー四人をノックアウトしたんだって?」
もみじは、ノリノリになって当時のことを語り出した。
「そーなんですよ! 小学二年生の時に、父上にせがんでプロレス観戦に連れて行ってもらって、その時、生まれて初めてプロレスの試合を観たんですが、メインイベントのタッグマッチで四人の選手がルールを無視して乱闘を始めたのを見てブチ切れちゃって……、リングに飛び込んで『おめえらルールを守りやがれええええっ!』って叫びながら、四人全員を一発で失神させちまったんですよ。後から、父上や色んな大人にめっちゃ怒られましたが……」
びっくり島の砂浜上空では、無数の雷玉と火の玉が飛び交っていた。火車は次々と飛んで来る雷玉を簡単に避けながら、ライカを狙って火の玉を放ち続けていた。
「ぎゃああああああああっ!」
再びライカに火の玉が命中し、全身を炎で包まれたライカは苦しみで絶叫した。炎が消えたライカは砂浜に落下した。
「闘いっていうのはね、駆け引きなんだよ。相手の裏を突くことが大事なのさ。お前はバカ正直過ぎて、攻撃が簡単に読めるんだ。いくらやったって、お前の攻撃はあたしには当たらないよ。早く人間どもを見捨てて降参しな!」
「誰が見捨てるもんかあああああああっ!」
ライカは火車に向かって全速で飛んで行ったが、火の玉を連続で体中に受けて大きな炎に包まれた。
「うぎゃあああああああああああああああっ!」
炎の中の激しい苦しみに絶叫したライカは、炎が消えると全身がさらにボロボロになって砂浜に墜落した。
「お前、これ以上火の玉に当たったら本当に死ぬよ。なぜ人間なんかのために命を懸けるんだい? 人間なんてのはね、自分と自分の仲間以外の存在なら平気で騙し、搾取し、命を奪い、心や体をズタズタに傷つけても何とも思わない最低な奴らなんだよ。守る価値なんてないんだ。目を覚ましな!」
火車はライカに語りかけながら、子どもの頃のことを思い出していた。
『あたしは子どもの頃、父と母と妹と一緒に人目を避けながら、人間界でひっそりと暮らしていた。人間に見つからないように生きていく生活は不自由さがあったが、家族がいつも一緒にいることに幸せを感じる毎日だったよ。しかし、あたしが十歳の時、武装した人間たちに襲われて、家族全員が捕まってしまった。
大人の魔物は魔力が強くて危険だと言われ、父と母は地下深くにあるという鋼鉄で囲まれた部屋に監禁された。まだ幼い妹も、父と母と一緒に地下に閉じ込められた。
あたしはそいつらのボスに呼ばれ、家族の命が惜しければ言うことを聞くように命じられた。あたしは家族の命を守るため、汚い仕事を嫌々させられた。そいつらと敵対する政界や経済界の大物、マスコミ関係者とかいう奴らを、ボスに命じられた通りに誰にも見られないように襲い、生命エネルギーを燃やしたのさ。あたしの魔力は、死因がわからないように相手の命を奪える便利な道具だって言われたよ。
ボスは、標的の生命エネルギーを燃やし尽くして命を奪えと言った。あたしはそんなことはしたくなかった。標的の人間だって、あたしと同じように大切な誰かと幸せに生きていくことを願っているはずで、誰もが平等に願えるはずのその思いを、あたしの手で残酷に打ち砕くなんて……、そんなことは絶対にしたくなかった。でも……、命令に従わなければ家族を殺すと脅されて……、あたしは家族の命を守るために……。
どれだけ仕事をしても、どれだけ頼んでも、あたしは家族に会わせてもらえなかった。あたしは仕事以外の時間は牢屋に閉じ込められ、家族が心配で、家族に会えないことが悲しくて、辛くて、寂しくて、いつも泣いていた。そんな毎日が何年も続いた。
ある時、あたしは家族に一目会いたくて地下に潜入した。しかし、家族がいるはずの部屋は伽藍洞で家族の姿はなかった。あたしはボスの手下の一人を炎で脅して家族の居場所を聞いたが、手下から返ってきた言葉を聞いた時、あたしは自分の耳を疑った。父も、母も、妹も、捕まってすぐに「処分」されていたのだ。あたしは大きな悲しみの後、大きな怒りに突き動かされて、ボスの生命エネルギーを燃やし尽くした。しかし、手下たちの拳銃で深手を負わされたあたしは、その場を逃げ出した。
意識が遠くなり、飛ぶことができなくなったあたしは、雪が降る山道を人間と同じ姿でさまよい続けた。長袖のTシャツとGパン姿の軽装で逃げ出したあたしは、寒さと出血で意識朦朧としながら歩き続け、とうとう倒れて動けなくなった。
あたしはその時、父と母と妹の幻覚を見た。戦闘モードに変身する前の人間によく似た姿で優しく微笑んで立っている家族を見たあたしは、涙を流しながら笑顔になったよ。笑顔なんて、何年振りのことだっただろう?
「やっと……、やっと、あたしもみんなのところへ行けるみたい……」
「お前が父さんたちのところに来るのは、まだ早いよ。お前は生きるんだ。生きて、お前のように苦しんでいる子どもたちを助けるんだ。こんな悲劇が繰り返されないように」
「……父さん、あたしは父さんたちと一緒にいたいんだよ……」
「お前のように悲しみと苦しみで泣き続けている魔物の子どもたちが、人間界にはいっぱいいるんだよ。残念だけど、父さんたちはその子たちの力にはなれない。でも、お前にはそれができるんだ。だって、お前はまだ生きているんだから。生きるんだよ。どれだけ年月が経ったって、お前を愛する気持ちは変わらない。父さんたちは何十年も先まで、いつまでもお前を待っているよ。その日が来るまで……、さよなら」
「みんな、行かないで! あたしを一人にしないで! あたしは、みんなと一緒にいたいんだよ! わあああああああああああああああああああっ!」
父と母と妹の幻は寂しそうな笑顔を残して、あたしの前から消えていった。あたしは泣き叫びながら、意識が次第に鮮明になっていった。
「大丈夫かい?」
あたしは背後から不意に聞こえた声に警戒し、上半身を起こして振り返った。そこには全身を葉や花で覆われた老人の姿の魔物が立っていた。老人はあたしの目から流れている涙を見て、悲しそうに涙を流した。
「とても悲しくて、辛い思いをしてきたんだね。可哀想に……。私はグリーンマン。私は、人間界で家族を失った魔物の子どもたちをたくさん見て、ずっと胸を痛めてきたんだ。そして今は、魔物の子どもたちが安心して暮らせる地を探して旅を続けているんだよ。
君を慰める言葉は私には見つけられない。君の悲しみや苦しみを思うと、どんな言葉であっても軽々しく口にしてはいけない気がするんだ。でも、君には居場所が必要だよ。私たちと一緒に来ないかい? そして、君と同じように辛い思いをしている魔物の子どもたちを、私たちと一緒に人間たちから守ってくれないかな?」
「私たち?」
グリーンマンの後ろには、少年の頃のカマイタチと双子の半魚人が立っていた。あいつらも相当辛い思いをしたんだろう、とても暗い目をしていたな。あたしはグリーンマンに答えた。
「あたしのような辛い思いは、もう誰にもさせたくない! あたしもあんたらと一緒に、人間どもから魔物の子どもたちを守るよ!」
あの時の決意は今でも変わっちゃいない。あたしは人間どもから絶対に子どもたちを守り抜くんだ!
それから……、あたしには親からつけられた『炎』という名前があった。妹は『焔』。でも、この名前で呼ばれると、家族を思い出して悲しくなるから……、きっと涙が止まらなくなるから……、今のあたしは火車と呼ばれた方がずっといい……』
うつ伏せで倒れているライカが、何とか起き上がろうとして前脚に力を込めた。
「わしのおかーちゃんは、人間たちに傷つけられてさらわれたんじゃ……。わしだって、ずっと人間を憎んでいたんじゃ……」
「だろう? それが人間どもの正体なんだよ」
ライカは目に涙を溜めながら、顔を上げて火車を睨んだ。
「じゃが、さくらともみじは本当の姉妹のようにわしに接してくれたんじゃ! ぼたんは本当の娘のようにわしを育ててくれたんじゃ! そして……、鏡太朗はわしのために本気で泣いてくれたんじゃ! 何度も、何度も、自分の命を投げ出して、わしを守ってくれたんじゃあああああああああああああああっ!」
ライカは大粒の涙を散らしながら、凄いスピードで上昇した。そのしっぽの先に細かい雷が走った。
『こ、こいつ、速い!』
火車は、想定外のライカの動きの速さに動揺した。
「人間の中には、わしが命を懸けてでも、絶対に守りたい人たちがいるんじゃあああああああああああっ!」
ライカは火車の手前で前方に回転すると、しっぽの先の三日月型の雷の塊を振り出した。
「三日月鋏じゃあああああああああああっ!」
火車は体をひねって三日月鋏をしっぽで受けた。そのしっぽは燃え上がる炎でできたしっぽに変化していた。
ライカと火車は三日月鋏と炎のしっぽで激しく打ち合いながら、雷玉と火の玉も交えて空中で戦闘を繰り広げた。
「お前のしっぽの先の雷の塊も、あたしには当たらないよ。お前の攻撃は素直過ぎて、動きが簡単に読めるのさ」
「うぎゃあああああああああああああっ!」
ライカは長く伸びた火車の炎のしっぽで全身を巻きつかれ、激しく燃え盛る炎に包まれて絶叫した。
「お前の命はもうすぐ燃え尽きる。頼むから、あたしにお前の命を奪わせないでおくれよ」
火車は悲しそうな目をしながら、炎の中で悶絶しているライカに言った。
海の上では、つむじ風に巻き込まれて回転しているコアちゃんに向かって、カマイタチが両前腕から生えている鎌を振り下ろした。
「コアちゃん、ハバネロジュース!」
砂浜で叫ぶさくらの声を聞いたコアちゃんが、口からハバネロジュースを吐き出すと、つむじ風で飛び散ったハバネロジュースの霧が周囲に充満した。
「うわっ、な、何だこの赤い霧は! 痛くて目が開けられねぇ!」
カマイタチは両手で目を押さえて苦しみ、つむじ風が止まった。
「コアちゃん! カノンビーム砲!」
「ぎゃははははーっ! 今度はコアちゃん様のカノンビーム砲を食らいやがれ!」
コアちゃんの胸から砲身が出現し、青白く輝くビームが発射されてカマイタチを包んだ。
「があああああああああああっ!」
カマイタチは気を失って墜落し、丸い島の崖にある大きな岩に激突すると、岩の上を転がって海に落下した。カマイタチが激突した岩には深い亀裂が生じていた。
「やったあああああああああっ! 見たか、カマイタチさんよお! あたしのコアちゃんはこんなに強いのよ! 恐れ入ったかあ、はっはっはーっ!」
さくらはカマイタチが沈んだ海を眺めながら、勝ち誇って笑い声を上げた。
「ぎゃははははーっ! コアちゃん様の勝ちだな! 楽勝だったぜ!」
コアちゃんは笑いながら砂浜に着地した。コアちゃんの眼前に広がる海の中から怒りの表情のカマイタチが姿を現し、海の中を歩いて砂浜に近づいてきた。
「海に落ちて目が覚めたぜ! もう許さねぇ! 俺たちの本気の闘いを見せてやるぜ!」
「俺たち?」
カマイタチの発言に不思議そうな顔をしたさくらの視線の先では、海から上がったカマイタチの腹からもう一体のカマイタチの上半身が出現した。その上半身は四足歩行の動物のような姿で、上肢は前脚になっていた。
「カマイタチ族は兄弟の体が一つになっているのさ。そして、俺たちの得意技は兄弟の連携攻撃だぜ!」
腹から生えた上半身の頭が、口から強烈な突風を吐き出した。風は地面の上を走り、コアちゃんは強烈な風に両脚をすくわれてうつ伏せに倒れた。
「まず、長男が相手を地面に倒す!」
四本の脚で素早くコアちゃんに近づいたカマイタチは、両前腕から生えている鎌でコアちゃんの両肩を貫いて地面に串刺しにした。
「次に、次男が相手の動きを封じる!」
前屈みになっているカマイタチの腰の部分から、さらにもう一体のカマイタチの上半身が出現した。その両前腕は巨大な鎌になっていた。
「最後に三男が止めを刺す! 人間も人間に味方する奴も俺たちが絶対にぶっ倒す!」
カマイタチの次男の脳裏に、子どもの頃の記憶が蘇った。
『きっと俺たちの親は、人間どもにやられちまったんだろうな。最初に誕生した長男も親を見たことがないと言っていた。最初に四足歩行の長男が生まれて、長男が二歳くらいの時、長男の腰から次男の俺が誕生した。そして、俺が二歳になった時に、俺の背中から三男が誕生した。
俺たちは子どもの頃から人間どもに傷つけられてきた。人間たちは俺たちの姿を見ると「化け物だ!」と大騒ぎしやがって、石をぶつけられ、棒で打たれ、散々痛めつけられた。一度人間に見つかると、大勢の人間が俺たちを探すようになり、俺たちはいつも傷だらだけで人間どもに怯えながら、各地を転々としてきた。自分たちの仲間以外になら平気で残酷なことをして、それでも心が痛むことがない人間の方こそ本当の化け物じゃねぇか!
いつ人間どもに襲われるかわからない俺たち兄弟は、一体が眠らずに常に警戒し、他の二体は起きている兄弟の体の中に隠れて眠るようになった。成長して色々な魔力を使えるようになると、自然にそんなことができるようになったんだ。
命が危ねぇことは何度もあった。特に、神伝霊術とかいう術を遣う奴が何人も俺たちを退治しようとしやがった。兄弟の連携攻撃は、そいつらとの闘いの中で編み出したのさ。
ある日、長男と三男が眠っている時に、俺は人間どもが魔物の子どもをいじめているのを目撃した。人間どもは六人で魔物の子どもを囲み、泣いている子どもを殴ったり蹴ったりしていやがった! しかも、あいつらは魔物の子どもをいたぶることを楽しんで、笑ってやがったんだ! 俺はブチ切れて、そいつらをつむじ風でぶっ飛ばしてやった。
その時だ。背後から矢が飛んできて、俺の背中に突き刺さった。振り返ると、神主姿の人間が立っていた。そいつは確か、風の神の力を借りる神伝霊術を遣うとか言いやがったな。俺がつむじ風を放つと、奴の術は俺のつむじ風の向きを変えやがった。つむじ風が俺に向かって飛んできて、俺はつむじ風に巻き込まれて回転しながら吹っ飛んだ。
風が止んだ瞬間、長男と三男が目を覚まして姿を現したが、奴が放った風が何十本もの矢に変わって俺たちの全身に突き刺さり、長男と三男は気を失った。俺は死を覚悟した。だけど、たとえ俺が死んだとしても、人間どもにいたぶられて泣いていたあの魔物の子どものことだけは、絶対に助けたいって思ったんだ。次々と体に突き刺さっていく矢には見向きもせず、俺は最後の力を振り絞って、つむじ風で魔物の子どもを遠くに吹き飛ばした。薄れゆく視界の中で、子どもの両親らしい二体の大人の魔物が子どもを受け止めたのを見て、俺は安心して意識を失った。
気がつくと、見知らぬ魔物が隣にいた。その魔物は優しい微笑みを浮かべる老人で、グリーンマンと名乗った。グリーンマンの背後では、あの神伝霊術遣いが気を失って倒れていた。どうやら、グリーンマンがあいつを倒して、俺たちを助けてくれたようだった。
グリーンマンは一緒に人間どもから魔物の子どもたちを守ろうと言い、俺たちはすぐに同意した。人間どもにこれ以上子どもたちを傷つけさせてたまるか! 俺たちは、凶暴で凶悪な人間という化け物から、魔物の子どもたちを守り抜くのさ!』
巨大な鎌がコアちゃんの背中に向かって振り下ろされ、さくらが悲鳴を上げた。
「コアちゃん!」
「うがああああああっ!」
二体の半魚人が同時に放ったディープクラッシュが、二メートル四方で厚さ三十センチの金剛甲壁を突き破って河童の背中に命中し、河童は悲鳴を上げながら二十メートル吹き飛んだ。
「お前は魔物なのに、なぜ人間の味方をする? なぜ人間なんかの味方を……」
半魚人の中の一体は、幼い頃のことを思い返した。
『俺たちは物心がついた時、人間界のどこかの国のサーカス団にいた。幼い頃から厳しく綱渡りやジャグリング、玉乗りを仕込まれ、上手くできないと容赦なく鞭で打たれ続け、食事も与えられなかった。俺たちは名前もつけられず、サーカス団の人間たちからは『半魚人ども』と呼ばれていた。
サーカス団には他にも魔物が何体かいたが、ガラス張りの大きな水槽の中にステラという名の若い魔物がいた。ステラは下半身が魚で上半身が人間の姿のマーメイド族の女性で、とても美しかった。ステラは出番になると車輪がついた水槽ごとステージに運ばれて、美しい声で歌い、水の上に飛び上がって美しく踊り、大勢の人間の観客を魅了するサーカス団の花形だった。
彼女はとても優しくて、泣いてばかりいる俺たちをいつも慰めてくれた。食事が与えられない時には、自分の食事を分けてくれた。彼女は子どもの頃に半魚人族の友達がいたと言って、半魚人族のことも色々と教えてくれた。半魚人族特有の魔力のことも教えてくれたが、俺たちはいくら頑張っても魔力を発動させることはできなかった。
辛いことしかなかった毎日の中で、ステラの存在だけが俺たちの心の救いだった。ステラは俺たちに名前をつけてくれた。俺はラッキー、兄弟はハッピー。三体だけの秘密の名前だった。
サーカス団の魔物の中には、姿形が人間に似ているイフリート族の男がいた。筋骨隆々とした上半身はいつも裸だった。長い髪が頭のてっぺんだけに生え、長いひげが口の上と顎の下に伸びていて、息を吐くと口や鼻から煙が立ち上った。イフリートはいつも怒っていて、俺たちは赤く光る目で度々睨まれた。俺たちはイフリートが怖かった。イフリートは首と両手首、両足首に、鎖がついた鉄の輪をつけられていて、サーカス団の団長の命令に逆らったり、鎖を外そうとすると、電流を流されて苦しみながら絶叫していた。俺たちは、イフリートが苦しんでいる叫び声を聞くことが恐ろしかった。イフリートは怪力の持ち主で、自動車を軽々と抱え上げて人間の観客たちを驚かせていた。
ある日、イフリートは観客の前で自動車を持ち上げるのに失敗した。きっと怪我でもしていたのだろう、少しだけ持ち上がった自動車を膝を崩して落下させたんだ。観客が帰った後で、団長は激怒してイフリートに電流を流し続け、イフリートの叫び声がいつまでも聞こえていた。
次の日、イフリートの姿はどこにもなかった。ステラは悲しそうに、俺たちサーカス団にいる魔物は元々魔界という世界で暮らしていたが、魔物狩りという人間たちに捕まって人間の世界に連れて来られ、サーカス団の団長に売られたのだと教えてくれた。俺たち二体は、赤ん坊の頃にこのサーカス団に売られたそうだ。
ステラは涙を流しながら言った。きっとイフリートは団長を怒らせたから、他の人間に売られたに違いないと。
その日の夜、いつものようにステージ裏でステラや他の魔物が眠りについても、俺たちは眠れずにいた。真夜中に二人の人間が外からステージ裏にやって来て、俺たちに近づいてきた。一人は団長がいつも嗜んでいる葉巻を吸っており、暗闇の中でもすぐに団長だとわかったが、その隣にいる人間は誰なのかわからなかった。
二人は歩きながら小声で話をしていた。
「団長、イフリートはいい買い物をしたよ」
「でしょう? あれだけの肉体美の持ち主は、人間にも魔物にもなかなかいませんよ」
「その肉体美が年老いて衰える前に、力強い姿のまま剥製にして永久に残すことができるんだ。わたしのコレクションの中でも、お気に入りの一品になるに違いない」
俺たちは、その人間の言葉を聞いて衝撃を受けた。俺たちは熊や虎の剥製を見たことがあった。イフリートをあの熊や虎みたいな剥製にするだって?
「団長、本当にマーメイドを売ってくれるのかい? サーカス団の花形だろう?」
「大丈夫ですよ。昨日、魔物狩りからエルフ族という空を舞う美しい魔物を捕まえたと連絡があったんです。スターは入れ替えないと、観客が飽きるのでね。ステラを手放すには丁度いい頃合いですよ」
「このマーメイドも年老いていく前に、今の美しい姿を剥製にして永久に残せるんだ。私に買われて幸せだと思わないかい?」
「命を失う代わりに、永遠の美しさが手に入るんですからね。ステラは幸せ者ですよ」
暗闇の中、団長とその人間は水槽の水の中で浮遊して眠るステラを見ながら、小声で笑った。
ステラを剥製に? あの優しいステラの命を奪う? そんなこと、絶対に、絶対にさせてたまるか!
俺たちは、団長たちがステージ裏から出て行った後、ステラが眠る水槽を押してサーカス小屋を抜け出した。
しかし、小屋の出口から外に出ると、すぐそばで団長と一人の男が立って談笑しており、二人の背後ではその男の手下らしい四人の男たちが控えていた。
「半魚人ども、何をしている? ステラをどこへ連れて行く気だ?」
俺たちの行動を見た瞬間、団長は激高して手にしていたステッキで俺たちを滅多打ちにし、その隣では男の手下二人がステラの水槽をコンテナ車に運び込み、そのまま運転席と助手席に乗り込んだ。
「ステラ! ステラーッ!」
ステッキで打たれながら手を伸ばす俺たちの前で、ヘッドライトを点灯したコンテナ車が出発した。団長と談笑していた男は、二人の手下を従えて別の車に乗り込むと、コンテナ車の後を追って夜道を走り去って行った。
団長は、俺たちをステッキで打ち据えながら罵倒した。
「魔物の分際で、俺を裏切りやがって! これまでお前たちにエサと寝る場所を与えてやったのに、恩を仇で返しやがって! この醜い魔物が!」
「ステラを返せ!」
俺たちは団長を睨みながら叫んだ。
「何っ? 醜い魔物の分際で、俺にそんな口をききやがってええええええっ!」
団長は怒り狂って、さらに激しく俺たちをステッキで打ち続けた。
「ステラアアアアアアアアアアアッ!」
俺たちは抑えることができないステラへの想いと、燃え上がるような怒りに突き動かされて、ステラの名前を力の限り叫んだ。その時、ステラへの強い想いと激しい怒りが引き金になって、幼い頃に植えつけられた恐怖心の呪縛から解放され、俺たちが持っている本来の肉体の力が覚醒した。体を打つステッキに痛みを感じなくなって、団長が渾身の力を込めて俺に打ち込んだステッキは真っ二つに折れた。
「どけえええええええええええええええええええええーっ!」
俺たちが同時に団長を手で押し飛ばすと、団長は二十メートル吹っ飛んでから地面に叩きつけられて気絶した。
「ステラアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
俺たちは遠ざかっていくコンテナ車を追って走ったが、車との距離は縮まらなかった。コンテナ車ともう一台の車は港に到着すると、スロープを上って大きな船の中に消えていき、船はすぐに港を離れて海の彼方へ進んで行った。俺たちは港に着くと、海に飛び込んで船を追って泳ぎ続け、陸から遠く離れた暗い遠洋でやっと船に追い着くことができた。しかし、海面から船の甲板によじ登ることは難しかった。
「ステラ! ステラ! ステラーッ!」
俺たちは船の側面を夢中で殴り続けた。
「ちくしょおおおおおおおおおっ! ステラアアアアアアアアアアアッ!」
ステラを助けたい一心で船の側面を殴っていた俺たちの前腕が、突然オレンジ色に光り輝くと、拳が船の側面を突き破った。
「ハッピー、これは何だ……?」
「ラッキー、これこそステラが言っていた半魚人族の魔力を込めたパンチ『ディープクラッシュ』じゃないか?」
俺たちは、船の側面にディープクラッシュを何十発も打ち込んで大きな穴を開けると、中に侵入した。
「ステラーッ! ステラーッ! どこにいるんだーっ?」
ステラの姿を求めて俺たちは船の中を走り回り、車の格納庫に到達した。そこに何台か停まっている車の中に二台のコンテナ車があった。
「ステラーッ!」
俺たちは、手分けをして二台のコンテナ車の後ろのドアを開いた。俺が乗り込んだコンテナ車には、首と両手首と両足首に鉄の輪をつけられて鎖で繋がれたイフリートがうずくまっていて、鎖は電気を流す機械に接続されていた。イフリートは俺を見ると目を丸くして驚き、俺はイフリートを繋いでいる五本の鎖をディープクラッシュで打ち砕いた。
ハッピーが乗り込んだコンテナ車には、水槽の中で驚いているステラがいた。
「ハッピー! どうしてここに?」
「ステラ、今助けるから待ってて! ラッキー、水槽を運び出す! 手を貸してくれ!」
俺たちは二体で力を合わせて水槽を持ち上げようとしたが、水がいっぱいに満ちている水槽は持ち上がらなかった。
「俺に任せろ」
イフリートが煙を吐きながらやって来て、水槽を持ち上げると、コンテナ車から運び出してそっと床に置いた。
「ハッピー! デープクラッシュで壁をぶち抜いて海に逃げるぞ!」
俺たちは車の格納庫の壁にデープクラッシュを連続して叩き込み、壁をぶち抜いて少しずつ穴を広げた。
その時、十人の人間が格納庫に走り込んで来た。奴らは、後になってグリーンマンが教えてくれた『自動小銃』という武器で俺たちを撃ってきた。その時、俺たちの前にコンテナ車が吹っ飛んで来て、俺たちの盾になった。コンテナ車が飛んで来た方を見ると、イフリートが両掌をこちらに向けて立っていた。
だけど……、だけど……、イフリートは全身に銃撃を浴びて血まみれだった。イフリートは銃撃を受けながら、コンテナ車を飛ばして俺たちを守ってくれたんだ!
「イフリート!」
俺たちとステラがイフリートの名前を叫ぶと、イフリートは苦悶の表情を浮かべながら、煙を吐いて俺たちに言った。
「半魚人たちよ。今まで俺は、お前たちの姿を見るのが辛かった。赤ん坊の頃にさらわれて、サーカス団で酷い目に遭わされ続けて一生を終えるなんて、あまりにも悲し過ぎる。そして、お前たちを見る度に、人間への怒りと憎しみが激しく燃え上がっていたんだ。これまで、お前たちに優しい言葉の一つもかけてやれなくて済まなかった。
俺の体の中では、常に高熱のエネルギーが渦巻いている。これから俺の命を引き換えにして、その高熱のエネルギーを極限まで高めて、こいつらと一緒に吹っ飛んでやる! 危険だから、コンテナ車の陰に隠れるんだ! ステラと一緒に逃げてくれ!」
「イフリート! ダメだ! 俺たちと一緒に逃げよう!」
「早くしろ! ステラが巻き添えになってもいいのか?」
自動小銃を構えた人間たちに囲まれたイフリートは、優しい微笑みを一瞬見せた後、俺たちに向かって叫んだ。
「半魚人たち! ステラ! 俺の分まで幸せに生きてくれええええええええっ!」
「イフリートオオオオオオオオッ!」
俺とハッピーは泣き叫びながら、水槽を押してコンテナ車の陰に隠れた。イフリートは口から真っ赤に輝く高熱のエネルギーを放射して、壁に大きな穴を開けた。その直後、連続する乾いた音が響き、イフリートにたくさんの銃弾が撃ち込まれたことを悟った俺は、号泣してその場にうずくまった。
「魔物の体から炎が燃え上がったぞ! 爆発する! 逃げろ!」
人間の叫び声が聞こえた直後、大爆発が起こってコンテナ車は壁の穴から海に向かって吹き飛び、俺とハッピー、ステラの入った水槽はコンテナ車に押し飛ばされた。
ステラが入った水槽は、コンテナ車が衝突して金属製のフレームを残して空中で砕け散り、俺たちは煌めくたくさんのガラス片と一緒に海に落下して、海中深くに沈んだ後、浮き上がって水面から顔を出した。その時、ハッピーの胸に丸い赤い光が当たっていた。暗い海に乾いた音が響いた。
「ぎゃああああああああああああっ!」
ハッピーの胸に弾丸が命中し、ハッピーは気絶して仰向けに水面に浮かんだ。
「ハッピー! 何が起こった?」
俺が船を見上げると、大破して煙を上げている船の甲板でライフルとかいう武器を構えている人間がいた。団長と笑いながら話をしていたあいつだった!
気がつくと、今度は俺の額に赤い光が当たっていた。再び乾いた音が響き、海の上に血が飛び散った。……その時、俺の目の前に、水面から飛び上がったステラがいた。まるで踊っているような美しい姿で宙を舞うステラが、血を飛び散らせていた……。
「ステラアアアアアアアアアアアアアアッ!」
俺をかばったステラは、弾丸を受けて海面に倒れた。
「ステラ! しっかりして! ステラ!」
「おのれ! そのマーメイドを買うために、どれだけ金を払ったと思ってるんだ! お前のせいで大事なコレクションに傷がついただろう! 醜い怪物め! お前の命で償え!」
泣きながらステラの肩を揺すっている俺に、人間は再びライフルを向けた。
「醜い怪物はお前の方だああああああああああああああっ!」
全身を炎に包まれたイフリートが現れて、人間を背後から抱きかかえた。全身が焦げてボロボロのイフリートは、炎に包まれて絶叫している人間を抱えて一緒に海に落ちていった。
「イフリートオオオオオオオオッ!」
イフリートと人間はそのまま海に沈んでいった。
俺はステラに目を向けた。
「ステラ! ステラ! しっかりして!」
ステラは輝く涙をキラキラ零しながら、俺に微笑んだ。
「ラッキー。今までありがとう……。人間にさらわれてからずっと悲しい毎日だったけど、あなたとハッピーの存在があたしの心の支えだったの……。あたしの一生の中で、あなたたちと過ごした時間が一番幸せだった。ありが……と……う」
「ステラアアアアアアアアアアアアアアアーッ!」
両目を静かに閉じたステラは、二度と目を開けることはなかった。
その後、俺とハッピーは世界中を何年間も放浪した。そして、グリーンマンと出会って一緒に旅をするようになり、この島にたどり着いた。
俺たちは絶対に忘れない。優しいステラを悲しませて、命を奪った人間という醜い怪物への激しい怒りと憎しみを!』
「俺たちは人間も、人間に味方する者も、絶対に許さない! ディープハープーン!」
二体の半魚人の口から長さ一メートルのオレンジ色の光の銛が次々と発射され、河童は走り回って避けたが、砂浜に足をとられて転び、何本もの光の銛が河童に飛んで来た。
「金剛甲!」
河童は体を丸めて背中の金剛甲で銛を受け、金剛甲に当たった銛は砕け散って消えていった。その時、ラッキーが河童のすぐそばまで迫り、光る拳で金剛甲を砕いた。
「うぎゃああああああああああああああああああっ!」
金剛甲を貫いたオレンジ色に光る拳が河童の背中に当たり、河童は絶叫しながら宙を舞った。砂浜に落下して動けなくなった河童のそばに二体の半魚人が立ち、河童の背中を狙って同時にディープクラッシュを放った。砂浜に絶叫が響いた。
二体の半魚人のオレンジ色に光る拳の先には、砕け散った金剛甲の破片と、河童の上に覆いかぶさった年老いたカッパの背中があった。
「じ、じーちゃん?」
砂浜の上に続いているじーちゃんの足跡の先には、モーターボートがあった。
「じ、じーちゃん! カッパに変身したら心臓が……」
「水流砲ーっ!」
じーちゃんは苦しげに河童の上から転がり落ちると、水流砲を放って河童を隣の島の崖の上に向かって飛ばした。
「じーちゃーん!」
目を見開いて涙を浮かべる河童に向かって、河童のじーさんは息も絶え絶えに叫んだ。
「太郎ーっ! これでお別れだ! 強く、強く生きるんだぞおおおおおおおおおおおーっ!」
「じーちゃあああああああああーん!」
大粒の涙が零れ続ける河童の目には、人間の姿に戻ったじーちゃんの胸を狙って二体の半魚人が光る前腕を構えている光景が映っており、どんどん遠ざかっていた。
「じーちゃあああああああああああああーん!」
たくさんのグリーンマンがステッキを振り下ろすように見えている鏡太朗は、本物のグリーンマンの強烈な打撃を杖で受け止めると、杖を反転させて一撃を食らわせた。
「ううっ!」
頭部に杖が当たったグリーンマンは顔を歪めて呻き、鏡太朗はその隙に赤い花粉が充満する空間から脱出した。
グリーンマンは不思議そうに鏡太朗に訊いた。
「なぜ本物の私の攻撃がわかった?」
「あんたの体に咲いている花だよ。花の香りに集中したら、どれが本物のあんたかわかったんだ。幻のあんたには花の香りがしなかった」
鏡太朗の目が輝きを放った。
『術を遣うチャンスは今しかない!』
「古より雷を司りし天翔迅雷之命よ! この霹靂之大麻に宿りし御力を解き放ち給え!」
鏡太朗が手に持つ霹靂之杖の紙垂が逆立ち、その周りに細かい雷が何本も走った。
「霹靂之檻!」
鏡太朗が裂帛の気合を込めて叫びながら、霹靂之杖の紙垂の側の端を砂浜に突き刺すと、グリーンマンの周囲の砂浜から二十四本の細い雷が空に向かって飛び出し、グリーンマンを囲んだ。
「な、何っ?」
驚く鏡太朗の目の前では、グリーンマンの体中に咲いている黄色い花が光り、全ての雷は黄色く光る花に引き寄せられて吸収されていた。
「私の真下から強いエネルギーが迫っている!」
グリーンマンが高く跳び上がった直後、グリーンマンの下から発生した雷がグリーンマンに向かって上昇した。しかし、雷は何本もの細い雷に分裂してグリーンマンの黄色い花に吸収されていった。
「か、雷が……」
「この黄色い『力喰花』は雷や火などのエネルギーを吸収して、私の生命エネルギーに変換するのだ」
グリーンマンは砂浜に着地すると、呆然としている鏡太朗のすぐ目の前まで一瞬で移動した。
『速い!』
グリーンマンは目では追えないほどの超高速でステッキの連打を放ち、鏡太朗は身動きできずに全身を打たれて地面に倒れた。
『は、速過ぎる……。大天狗よりも速い……。こんな動きを捉えるなんて無理だ……。しかも、さっきよりも一撃が重い』
根でできた長い髪の下から覗いたグリーンマンの顔は、青年の顔に若返っていた。
「お前の雷のエネルギーのお陰で、若返ることができた。若い頃のスピードとパワーを取り戻すことができたよ」