12 海に響く鏡太朗の絶叫
「そ、そんな!」
「何てことだ!」
火車とカマイタチが愕然として叫び声を上げた。向かいの島の崖にある魔界との出入口から、牛鬼の群れが獣の咆哮を響かせながら、次々と人間界に姿を現していた。
「じゅ、十二体もいるぞ……、あんな数、俺たちには手に負えないぞ」
「でも、この子たちは絶対に守るんだよ! 行くよ!」
カマイタチと戦闘モードに変身した火車は空から、二体の半魚人は海から牛鬼の群れに向かっていった。
「忌々しい牛鬼たちめ」
磯姫は牛鬼の群れを睨んだ後、鏡太朗を砂浜に下ろした。
「最後にまた彌助に逢えてよかった。今度はちゃんとお別れが言えるね」
磯姫は涙が溢れる優しい笑顔を鏡太朗に向けると、愛おしそうに鏡太朗の顔をじっと見つめた。
「さよなら……」
磯姫はそう言うと、鏡太朗に背を向け、牛鬼の群れに向かって四本の尾で海面の上を進んでいった。
「磯姫! お前、まさか……」
鏡太朗の体から彌助の魂が出てきた。
「鏡太朗、お前のお陰で磯姫と話ができたよ。ありがとう。磯姫は牛鬼もろとも岩になって、あの島にある牛鬼が出てくる洞窟を塞ぐつもりに違いねぇ。俺は磯姫に一人では行かせねぇ。たとえ磯姫には俺の存在が感じられなくたって、俺はずっと磯姫と一緒にいるよ。さよなら」
彌助の魂は磯姫の後を追って飛んで行った。
「彌助さん! 磯姫さん! 待って!」
鏡太朗が叫んだ声は二人には届かず、鏡太朗は、次第に遠ざかっていく磯姫の後ろ姿と彌助の魂を茫然として見つめた。やがて、鏡太朗は残酷な現実と自分の無力さに打ちのめされ、力なく砂浜に両膝をついた。
「そんな……、そんなのってないよ……。助けたい……、二人を助けたいよ……。なのに、何もできないなんて……。二人を助ける力が欲しい……。欲しいよ……」
鏡太朗がポロポロと大粒の涙を流して見つめる先では、磯姫が四本の尾を長く伸ばして牛鬼たちに絡ませ、一緒に金色の光に包まれていた。
金色の光は直径六メートルほどの球状に凝縮すると、魔界との出入口の洞窟の前まで海面を転がっていった。白い光の粒になった彌助の魂は、金色の光まで飛んで行くと、その光の中に消えていった。
やがて、金色の光が消え去ると、そこには魔界との出入口を塞ぐ大きな岩があるだけで、磯姫の姿と牛鬼の群れは消え去っていた。
「磯姫さああああああああんっ! 彌助さああああああああんっ! わあああああああああああああああああああっ!」
穏やかな波の音に包まれた静かな海辺に、鏡太朗が力の限り泣き叫ぶ声が響き渡った。
老神主は居間の窓から雲一つない青空を見上げ、安堵の表情を浮かべた。
「赤紫色の雲と滝のような雨は消え去ったようだね」
もみじは、正面のソファに座って窓の外を眺めている老神主に言った。
「あたし、子どもの頃の話をしていて、気づいたことがあるんです。あたしは今よりも、子どもの頃の方がすげー力を発揮していたんだって」
老神主はもみじに顔を向けると、柔和な笑顔で語り始めた。
「霊力は宇宙に充満している万物の根源となるエネルギーで、人の体の中では生命エネルギーとなって人の命と健康を維持し、思考や行動を支えている。魔力だって魔物にだけ扱うことができる霊力の一種だし、呪いの力だって人や死霊が使うことができる霊力の一種なのだよ。そして、この世で起こる全ての出来事に霊力が働いているんだ。
奇跡と呼ばれる現象は、とんでもない量の霊力が働いた時に起こる事象なのだよ。霊力の力は無限であり、人知を超えた出来事だって成し遂げることが可能なんだ。だけどね、人間の体には限界があって、扱える霊力の量も限られている。自分の体の限界を超える量の霊力を扱えば、体が大きなダメージを受けてしまうんだ。だから、霊力を扱う修行をして霊力のコントロールを覚えていくと、扱う霊力の量を自分の体に負担がない範囲に抑えるようになってしまう。自分にとって危険な量の霊力を扱わないように、無意識にブレーキをかけてしまうんだ。でも、もみじちゃんは子どもの頃、体への負担など気にせずに体の限界を超える量の霊力を使ったから、今よりも凄い力を発揮できたのだよ」
「そういえば、野球場の一件の後、原因不明で体が動かなくなって二週間入院しました。
……あたしは今、高校生に神伝霊術を教えているんですが、そいつは想いが爆発すると、とんでもねー力を発揮する奴で、術に失敗したとしても、信じられねーような凄い結果になることがあるんです」
「きっと、その子ももみじちゃんの子どもの頃と同じく、自分ではコントロールできないほどの凄い量の霊力を扱うことが、自然にできるのだろうね」
「そいつは小さい頃から、数え切れないほどの浮遊霊に取り憑かれ続けてきたんです。普通、浮遊霊に取り憑かれたら、一時的に心や体が支配されたり、感情や思考、肉体にネガティブな影響を受けるもんですが、そいつはそんな霊障を受けることが全くなかった……。
これはあたしの想像ですが、そいつは浮遊霊に取り憑かれ続ける日々の中で、浮遊霊のネガティブな影響から心身を守るために、自己防衛本能で無意識に自分の霊力を高めてきたんじゃないかって気がするんです。心身に漲る霊力の量が膨大であれば、浮遊霊の影響を受けずに済みますから。そいつは小さい頃から無意識に自分の霊力を高め続け、肉体も徐々に膨大な霊力に耐えられるように鍛えられていったんじゃないかって、そう思うんです」
鏡太朗は海に向かって絶叫した後、崩れるようにうつ伏せに倒れた。
「鏡太朗!」
「鏡ちゃん!」
「きゃー太朗!」
來華とさくらと河童は鏡太朗に駆け寄り、三人に抱き起こされた鏡太朗は大粒の涙を流し続けていた。
「磯姫さんと彌助さんを助けたかったのに……。やっと逢えた二人には、これからずっと笑顔で一緒にいて欲しかったのに……。そのためだったら、自分のことはどうなってもいいって本気で思ってたのに……。こんな終わり方が来るなんて……。こんな、こんなのって……。うわあああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
鏡太朗は、胸が張り裂ける思いで力の限り叫び声を上げた。
「鏡太朗、泣かねぇでくれ」
鏡太朗は声の方を見上げた瞬間、目を大きく見開いた。
もみじは鏡太朗の姿を思い浮かべて優しく微笑むと、老神主に言った。
「そいつはありえねーくらい優しくて、他人のために本気で泣き叫ぶような奴で、そいつのあの優しさと、本気で人を助けたい、守りたいっていう強烈な想いに膨大な霊力が流れ込んだら……、その時には、きっと奇跡が起こるんじゃないかって、そう思うんです」
鏡太朗が泣き濡れた顔を上げた先では、磯姫と彌助の魂が宙に浮かんで微笑んでいた。
「彌助さん? 磯姫さん?」
「不思議なことに、わらわが岩になった瞬間、わらわの魂が体から抜け出したのだ。そして、魂の姿になったわらわには、そばにいた彌助の魂が見えた。声も聞けた。こうして触れて温もりを感じ合うこともできるのだ」
輝く笑顔の二人の手はしっかりと繋がれていた。
「俺はずっと磯姫と一緒にいるよ。魂の姿同士だから、きっといつまでも一緒にいられるに違いねぇ」
「磯女族にこんな力があることなど聞いたことがない。きっと魔力などではなく、奇跡が起こったのだ」
もみじは笑顔で続けた。
「たとえ小さな奇跡だとしても、きっと誰かが幸せな笑顔になれるような……、そんな奇跡をそいつは起こすような気がするんです」
「彌助、どこへ行こうか? この姿で静かに暮らせる場所はないものか?」
魔物の子どもたちが楽しそうに言った。
「ここで一緒に暮らそうよ」
「一緒にいっぱい遊ぼう」
「おねえさんも、おにいさんも、とっても優しそうだから、あたしたちの家族になろうよ」
「わらわたちは余所者だから、そんな訳には……」
「ここにいるみんなが、元々余所者だったのだよ。でも、今じゃあみんな家族だ。ようこそ、私たちの家族へ」
グリーンマンが笑顔で言った。その後ろでは、火車とカマイタチと二体の半魚人も嬉しそうに笑っていた。