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空白のぬくもり

作者: TF

 春の終わり、僕は駅のホームで電車を待っている。頬を撫でる風がやけに生ぬるくて、嫌でもこれから夏が始まるということを思い知らされる。最近は、ようやく冬が終わって過ごしやすい春が来たかと思うと、すぐに春は終わり暑い夏が来る。4月も末頃に差し掛かったばかりだというのに、ホームから見える桜はほとんど散っていて、どこか物寂しさを感じる。


 生ぬるい風に吹かれていると、電車がホームに到着した。僕はこの不快感から逃れたい一心で、急ぎ足で電車に乗り込んだ。空いている席に座り、ボーっと窓から見える桜を眺めていると、ドアが閉まり電車が発進し始めた。電車の小刻みな振動に揺られながらうとうとしていると、程なくして川沿いの線路道を走りだす。


 そういえばこの川沿いでピクニックなんかもしたっけ、と僕は昔の記憶を思い出していた――――――


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「最近さ、お互い仕事が忙しくて全然出かけられてなかったから、近場でも嬉しいね。」と僕が言うと、君は「そうだね。こうやって自然の中をのんびり散歩してると、仕事の事とか、色んなことを忘れられるよね。」といつもの笑顔で答える。笑うとえくぼが出来るところが、君の好きなところだ。

「歩いてたら疲れちゃった。そろそろ座ってご飯食べようか。」

「そうしよう。今日はね、サンドイッチ作ってきたんだよ~。」と言って、君は持参していたバスケットから美味しそうなサンドイッチを取り出した。卵サンドにハムサンド、BLTなんかもあって、かなり食べ応えがありそうだ。ウェットティッシュや紙ナプキンもちゃんと用意してあって、君の几帳面さが良く分かる。

「おいしそう!いただきます。」

 僕は君の隣に座って、サンドイッチを頬張り始める。すぐに一つ目を完食し、二つ目に手を伸ばした時に、君がサンドイッチを食べようとしないことに気づいた。

「食べないの?一緒に食べようよ。」

 そう言うと君は、「朝準備しているときにつまみ食いしすぎておなか一杯なんだ。後で食べるから、好きなだけ食べていいよ。」と笑顔で言った。僕はその笑顔を見て少し違和感を覚えたが、それは一瞬のことだった。


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――――――ここで目が覚めた。そういえばこんなこともあったなと懐かしく感じているうちに、川沿いの道を抜けて、最初の駅に到着した。ドアが開くと、結構な数の人が乗り込んできて、あっという間に座席は埋まってしまう。

 この駅は、町の中心部からは少し離れているが、駅前に大きなショッピングモールや居酒屋、カフェなどが多く入っていて賑わっている。僕もこの駅まで来てお気に入りのカフェでコーヒーを飲むのが楽しみだったが、ここ一年は全く行っていない。というか、行っていないのではなく行けていないのか――――


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「私、仕事辞めようと思ってるんだよね。」

 君は唐突に話し始める。僕はびっくりして飲んでいるコーヒーを吹き出しそうになった。

「なんで?今の仕事、きついけど楽しいって言ってたじゃん。」

「そうなんだけど、少し休みたいっていうのもあるし、ほら、結婚したんだし家事の修行とかしないといけないじゃない?そのうち子どもも出来るだろうし、仕事はそろそろ辞めて、そっちに集中しようかなって。」

 確かに、今の僕の給料なら、君のことを養うことは出来るし、子どもが出来てもお金に困ることはない。

「うーん。まあ、君がそう決めたのなら良いんじゃないかな。お金は問題ないはずだから、心配しなくてもいいよ。」と僕は答えた。

「ほんとに?じゃあ、仕事辞めたらバリバリ家事やって完璧な奥さん目指しちゃおっかな~。」

 この間まで、仕事が楽しい、ずっと共働きでいいよ、と言っていたのにな、と思いながらも、君の笑顔を見るとどうでも良くなってきた。仕事、もっと頑張ろう、と僕は密かに決意した。


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――――――しまった、また寝落ちしていた。気づけば、あれだけ埋まっていた電車の座席も人がまばらになっていた。次の駅はどこだ?ああ、中央病院前か。ここもしょっちゅう通ってたな、と半ば懐かしさに似た感情が押し寄せてくる。

 この病院は町では一番大きなクリニックで、病床数も県内でトップクラスの規模だ。ボーっと窓の外を眺めていると、病院前に到着した。ドアが開くと、松葉杖の若者とその母親が乗り込んできた。排球部と書かれたジャージと、彼と母親の会話内容から察するに、どうやら部活中にケガをしたみたいだ。お大事に、と心の中で呟きながら僕はまた眠りに落ちた――――――――――――――――――――――――


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「今日の調子はどう?検査結果聞いたけど、また数値悪くなったんだって?」

「今朝は悪かったけど、さっき測ったら少し良くなってたよ。こんなに元気なのにな~。心配かけてごめんね。」とひょうきんな顔をして君はおどける。でも、僕は君が元気じゃないことを知っている。無理して作っているであろう君の笑顔に、僕の胸は締め付けられる。

「何言ってんだよ。夫婦なんだから当然だろ。俺のことは気にしなくていいから、自分の体を治すことに専念しなよ。」

「うん。ありがとう。また何かあったら連絡するね。それより、仕事中に抜け出してきたんでしょ。もう大丈夫だから、仕事戻っていいよ。」

「分かった。何かあったら遠慮しなくていいからね。じゃあ仕事戻るから、ゆっくり休んで。」

「あ、一個だけお願いしてもいい?」

「大丈夫だよ。何が欲しいの?」

「帰る前に手を握ってほしいの。」

 僕は何も言わずに君の手を握る。あんなに温かかった君の手が、この日はやけに冷たい感じがした。


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――――――自宅最寄り駅を告げるアナウンスの声で目が覚める。僕は急いで電車を降り、改札を抜けて家へと向かって歩き出した。普段の仕事ではスニーカー勤務だから、なれない黒スーツに革靴で歩きにくい。マンションに着き、オートロックを抜けてエレベーターに乗り込む。一緒に乗っている老夫婦が、なぜか心配そうに僕を見つめていた。

 部屋のドアを開けると、「ただいま。」と言って、急いで革靴を脱いだ。疲れた。服をハンガーにかけて、リビングに向かうと、人の気配がする。さては、夜ご飯の支度中だな。リビングに入り、とりあえず換気、と窓を開ける。キッチンにいる君を後ろから強く抱きしめるが、抱きしめた感触も、ぬくもりもない。いつもなら、「包丁使ってるときは危ないからダメ!」と怒られるところだが、今日は何も言われない。何も言われないどころか、そこに存在しないような感じさえする。  

でも、確かに君はここにいる。ここにいるのだ。


そうしている間にも、時計の針は1秒ずつ進んでいく。決して時は戻ることはない。窓の外から流れ込む生ぬるい風が、僕の胸にぽっかり空いた穴を通り抜けていった。


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