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英雄の戦場~帆世静香が征く~  作者: 帆世静香
第二章 現実の過渡期を過ごしましょう。
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キーンのたくらみ

人類は、確かに前を向いていた。未来という名の光を信じ、進むことを疑わなかった。

だが、その光が強くなればなるほど、背後には影が生まれる。

前を向けない者たち——彼らの存在を無視してはならない。光の届かぬ場所にも、人は生きている。



歴史を紐解けば、1945年。第二次世界大戦の終結とともに、荒廃した大地の上に新たな社会が築かれていった。

約30年にわたり、経済・技術・思想のすべてが爆発的に発展したのは、皮肉にも戦争がすべてを壊し尽くしたからだ。

瓦礫の中から立ち上がった日本やドイツほど、その傾向は顕著だった。社会はまっさらになり、死に物狂いで働く人々の中には、戦争という地獄をくぐった者も多い。彼らの胸に宿ったのは、もう二度と繰り返させてはならないという決意と、理想的な未来への希求だった。

それらが揃ったとき、人は時として、常識を超える力を発揮する。理想を胸に、全くのゼロから社会制度や都市を築くことができるのだ。中途半端に、歪に完成された社会を変えることより、ゼロから作り直す方が遥かに良いものが作れる。

だんだんと良い方向に変化するとき、人々は強い幸福と快感を感じるのだ。


しかし、やがて人類はある種の「天井」に達する。

都市は整備され、家には電気と水が通い、飢えることも、寒さに凍えることも減っていった。

命を削ってまで未来を追い求めるのではなく、今ある小さな幸福を守り、慎ましくも豊かな暮らしを続けることが、美徳とされ始めたのだ。


そうして、民衆の目は変わっていく。

もはや彼らは、戦時中や高度経済成長期に求められたような、剛腕でカリスマ的な政治家を必要としなくなった。求められたのは、波風を立てず、余計なことをせず、静かに現状を維持する者だ。

いわば「何もしないこと」が最大の政治手腕となり、それはやがて、政治家という存在の質を変えていった。


いつしか、理想や改革を語る者たちは姿を消し、その座には、何も成さずに私腹を肥やすだけの小悪党が居座るようになった。先人たちが築いた資産を食いつぶしながら、社会が腐敗と停滞の霧に包まれた時代が始まった。停滞した空気にはカビが生え、時には深刻な病気を引き起こすことだってあった。

景気はゆるやかに後退し、国民はそれでも「平和であること」だけを望み続けた。

代わりに、社会保障は極端なまでに厚くなり、働かずとも生きていける仕組みが整備された。


そんな時代に育った子どもたちは、大人になっても競争を忌避し、他者との関係すら拒む者も現れる。

彼らは仕事を嫌い、人との会話すら煩わしく感じ、湿った空気の漂う暗い部屋に閉じこもる。

その内心に渦巻く感情は、言葉にすればこうだ。


——「政治が悪い。社会が悪い。成功者が憎い。なのに、何かを成し遂げたい。」


まるでコールタールのように粘着質で黒い感情は、インターネットという無限の海を漂いながら、ある場所へと流れ着く。

顔も名も知らぬ者たちが、同じように世界を憎んでいることを知ったとき、孤独は共鳴へと変わる。

共鳴はやがて団結を生み、団結は、行動の火種となる。



さて、時代は再び変わった。100年間続いた平和が破壊され、人類には災厄のごとき試練が立て続けに降りかかるようになる。

神話の世界から這い出たような化け物や、異界に通じるダンジョンが突如現れるような世界なのだ。それに伴って、無数のクエストが世界中に溢れ、都市を守る壁の建造が始まり、脅威に対抗するため軍事工場がフル稼働し、新しい素材の数々に研究者が狂喜し、哲学者や法律家は社会の変遷に対応するため大忙しだ。


これまで社会に居場所がなかった人にとって、その社会が大きく変遷する中で、必要とされる仕事は山ほどあった。簡単な仕事でも、少しでも手を挙げるひとは歓迎された。自室に引きこもっていた若者は徐々に外に出て、新しい才能を開花させたり、社会に貢献する喜びを胸に立ち直った人もいる。


しかし、そうはならなかった人だって存在するのだ。

むしろ彼らにとっては、そうして幸せになる人がどうしても許せなかった。成功する人が出るたび、そうはならなかった自分の居場所が奪われていくような気さえした。


同じく、存在価値を奪われた人は存在する。安穏とした社会を維持するだけの、無能な政治家だ。そもそも、人の能力がスキルという形で可視化されるようになってしまったのだ。長年私腹を肥やすためだけの彼らが、熱き有能な人間が出馬するようになった選挙で戦えるわけがなかった。


平素から特別待遇を受けていた宗教家にも、その変遷の波が押し寄せる。長年愛された寺の住職たちは、むしろ住民の世話役として重宝されるわけだが、神の名を騙って弱き人々から搾取をしてきたような似非宗教家はすぐに化けの皮がはがされた。


そうした人々は、もちろん極僅かな人口に限られる。

しかし100億人の人口を抱える地球にとって、1%でもいれば1億人に相当するのだ。

彼らは、今の実力主義な社会を嫌う。そこに駆り立てる光のごとき英雄を嫌う。


だが、所詮弱者の立場に甘んじている彼らは、誰に怒ればいいのだろう。

世界最精鋭のデルタフォースを批判できるだろうか?

天下無双の剣を誇り、全国に門下生のいる夢想無限流に指をさす勇気はあるか?

(´・ω・`)と面と向かって野次を飛ばせる人間はいない。


だが、その対象がたった24歳の、儚げな少女だったらどうだろう。

その細身の体で決して成しえないような、不釣り合いな功績。戦う人類にとっての希望の象徴。


帆世静香に対する事実無根の中傷や噂話は飛び交い、卑猥に加工された画像が拡散され、殺害予告のスレッドがいくつも乱立している。本人が全く意に介さず、噂の真実を確かめる方法も無いことが、彼らの悪行を加速させていた。


帆世静香の名前を出せば、そのスレッドには一瞬で人が集まる。孤独な彼らにとって、人を一瞬で集めることは、かつて人生で感じたことのないような快感を齎した。

まあ…その大半は帆世静香を支援する人々であり、彼らが自室以外で批判することなどできないのだが。



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その夜、キーンは寝つけなかった。

テッド・バンディの自我をもって生まれ変わり、幼少期から完璧な人生を演じてきた彼にとって、たとえ人を殺めた日でさえ、ぐっすり眠れるのが常だった。


だが今夜は違う。脳裏に焼きついた、帆世静香という存在が、彼の精神をかき乱していた。


ノートパソコンを開き、ネットへと接続する。

検索窓に「帆世静香」と打ち込むと、即座に膨大な情報があふれ出す。

戦場での記録、破格の武勇伝、各国メディアが持ち上げる英雄報道。

逆に、彼女を汚すようなアンチ集団の戯言。


キーンの目が爛々と輝く。


「ふふふ……どうすれば君に出会えるかな?」


その問いに、彼の脳は目まぐるしく回転する。


どうやって出会うか。

どうやって殺すか。


極論、この二点を解決できれば他はどうでもいい。そのために必要なのは、純粋な力だ。

スキルが発現し、戦える者でなければ、彼女には近づくことすら叶わないだろう。


「まずは、俺にできることから始めよう。何事も一歩ずつ、だ。」


キーンは、整った顔立ちと天性の話術を駆使し、すでに世界的な実業家としての顔を持っていた。

複数の事業を立ち上げ、投資と政治の裏舞台を自在に操る。頭がよかった以上に、女性であれば誑かせるという特技による部分も大きい。

暗い噂も絶えないが、それすらも“神秘”として好奇の対象に変えてきた。

金と権力で築いた牙城は、警察の手も国家権力も届かない領域にあった。


その日から、キーンは今まで以上に精力的に活動する。脳内に溢れるアドレナリンが、彼に次々と魅力的な案を導き出した。


社会的に落ちぶれつつある政治家たちに甘言を囁き、恩義や金で縛りあげていく。世界中で囲っている女は、特に役に立った。熱き有能な若者には、妖艶で賢しい女をあてがって手中に収める。

さらに、社会の底でくすぶる者たち——虐げられ、侮られ、忘れられた人々をターゲットに定め、キーンの支配下に集めていく。


「必要なのは、俺の言葉に耳を傾ける“群衆”だ。」


集まった彼らは、最初こそ戸惑いながらも、やがてキーンの言葉に熱を帯びていった。

「誰もお前たちを見ていない。でも、俺だけは違う」

「お前たちにも価値がある。証明したくはないか?」


カルトのようでいて、カルトではない。

国家のようでいて、国家でもない。

けれど確実に、彼の周囲には熱狂が芽吹いていた。


何をするのか、その目的すら未定のままに——

ただ、集まる。ただ、従う。ただ、キーンを信じる。


この情報網と、常軌を逸したある計画が、のちに彼を魔王へと押し上げることになる。





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