悪のカリスマ
男は、薄暗い映画館の一席にゆったりと腰を下ろしていた。
隣には、洗練された雰囲気の美しい女性。二人がごく親しい関係であることは、誰の目にも明らかだった。
スクリーンに映し出されているのは、『テッド・バンディ』。
画面の中では、整った顔立ちの男が柔らかな声で女性に語りかけている。
その様子を見つめながら、男がふっと笑った。
「うん、俺に似てハンサムだな。……とっても良い。」
隣の女性がくすりと笑い、肩を軽く寄せて囁く。
「なぁに言ってるのよ、キーン。貴方のほうが、ずっとハンサムよ♡」
二人はスクリーンに目を戻す。
画面の中の彼の瞳には、異様な光があった。
理知的で、どこか物憂げなまなざし。
語る言葉はいつも冷静で整っており、時折こぼれるユーモアは場を和ませるほどだった。
だが、その奥に潜むものは、底のない奈落だった。
人の心を食い破る狂気が、冷たい知性の仮面の下で静かに微笑んでいた。
彼の名は、テオドア・ロバート・バンディ。
“テッド”と呼ばれたその男は、20世紀最悪の連続殺人犯であると同時に、人を惹きつけてやまない“悪のカリスマ”でもあった。
IQ160超。
法律、心理学、政治、どの分野でも抜きん出た理解力を持ち、大学では好成績を収めた。
よく手入れされた髪、端正な顔立ち、言葉遣いは上品で、清潔感すら漂っていた。
人々は「エリート」「紳士」「将来有望」と口々に褒め称えた。
だが、その実体は、底知れぬ暗黒だった。
バンディは、表面上は「普通の青年」を完璧に演じていた。
だがその裏側には、ある“飢え”が常に蠢いていた。
それは知的探求でも、怒りでも、性的衝動でもない。
それは――“支配”への欲望だった。
特に、ある種の女性に対する異常な執着。
分け目を中央にした、長い黒髪。聡明そうで、どこか大人びた面差し。
それは彼の過去にかつて愛し、そして自ら捨てられた女性の面影そのものだった。
バンディは、その面影を持つ女性を「狩る」ことで、自分を拒絶した世界に復讐していた。
手口は、冷徹で計算され尽くされていた。
腕をギプスで固定し、図書館で重い本を運ぶふりをして助けを求める。
または、警官や消防士のふりをして声をかける。
女性が油断し、彼に近づいた瞬間――
金属製のバールが頭蓋を砕き、世界は暗転する。
その後の彼の所業は、文字にするのもはばかられるほど残虐だった。
暴行、殺害、死体への執着。
彼は遺体を森へ運び、夜通しそばに寄り添った。
斬り落とした頭部に陰部を挿入し、精を放ち、髪を撫で、死後の身体にすら飽くなき欲望を注いだ。
死は、彼にとって終わりではなかった。
「死」が訪れたその瞬間からこそ、「自分だけの所有物」となったその身体を、彼は愛し、征服し、弄んだ。
警察は長く彼を捕らえられなかった。
誰もが口を揃えた。「あんな好青年が、まさか」と。
彼は日常に溶け込み、周囲の信頼を得て、疑いから最も遠い場所にいた。
だが運命は、やがてほころびを見せる。
ナンバープレートの情報提供から、彼の存在が警察の捜査線上に浮上した。
そしてついに逮捕――鉄格子の中に封じられることとなる。
しかし、そこで終わらないのがバンディという男だった。
彼は、二度にわたって脱獄に成功している。
最初は刑務所の図書館の天井を突き破っての脱出。
二度目は、看守の目を欺き、体を削るような計画で換気口から這い出した。
その逃走の間にも、新たな犠牲者が生まれた。
とりわけ、フロリダ州タラハシーでの犯行は凄惨だった。
大学の女子寮に侵入し、バットで頭蓋を叩き割り、ナイフで体を裂き、口に噛みついた。
そこには理性も葛藤もなかった。
本能と欲望だけの存在が、静かに、そして冷ややかに“死”を積み重ねていた。
再び逮捕された彼は、ここで前代未聞の行動に出る。
彼は――自らの弁護を買って出たのだ。
裁判の場に立つバンディは、まさに異様であった。
自らを殺人犯としてではなく、「論客」として演出した。
法廷を舞台に変え、陪審員に向かって堂々と語り、論理で攻め、時に微笑を浮かべ、証人を追い詰めた。
被害者の家族が泣き崩れる中でも、彼は目を伏せることなく、次の質問を用意していた。
その冷静さは、もはや人間の倫理から逸脱していた。
彼には、ファンがついた。
とくに女性たちの間で「テッドは無実」「本当の姿を見てほしい」といった声が上がり、
法廷には彼の支援者たちが詰めかけた。
ラブレター、プレゼント、支援金、果ては“公開プロポーズ”。
バンディはその中のひとりと裁判中に結婚し、子どもまで授かったと言われている。
彼は殺人鬼でありながら、“ヒーロー”にすらなりかけた。
だが、最終的には死刑判決が下された。
彼は死を恐れた。
執行が迫る中、突如として多くの証言を始めた。
いくつかの遺体の埋葬場所を語り、犯罪心理の解説者を気取った。
だが、それすらも「死刑回避のための芝居」と冷笑され、受け入れられることはなかった。
1990年1月24日、午前7時6分。
フロリダ州レオニ刑務所にて、電気椅子による死刑が執行された。
その日、刑務所の外には数百人の群衆が集まり、
「バーン・バンディ、バーン!(燃えろ、バンディ、燃えろ!)」と叫びながら祝杯をあげていた。
焼け焦げた顔。
開かれたままの目。
彼は最後の瞬間まで、自分の“演目”が終わったとは気づいていなかったのかもしれない。
だが――それでも彼の正体は、最後までわからなかった。
なぜ彼は殺したのか。
なぜ女性を標的にし、遺体にすら執着したのか。
なぜあれほどまでに魅力的で、そして冷酷だったのか。
精神分析医、犯罪学者、ジャーナリスト――
あらゆる者が彼を研究し、語り、映像化し、文章に残した。
だが、誰ひとりとして“答え”にたどり着くことはなかった。
彼は、時代が産んだ“悪の偶像”だった。
そして、誰よりも“人間の皮をかぶった怪物”であった。
彼の存在が世界に残したものは、恐怖ではない。
それは――人の心の奥底に眠る闇への、静かな警告だったのかもしれない。
ここで映画は締めくくられる。
遠い昔に死刑にされた男の物語は、真相を闇にしたまま、今でも多くの人の関心を引き付けていた。
「あぁ…恐ろしい映画だったわ…。でも、ああいう男に惹かれる気持ちも分かる気がする。」
「ふふふ…彼ではなく、俺を見ておくれよ、ベイビー。」
キーンは女性と腕を組み、映画館を後にした。車に乗り込み、夜のドライブへとしゃれこむ。
美しい夜空で有名な公園を目指し、キーン達は都会を離れて車を飛ばした。
愛を囁き、ロマンティックなムードのまま、出会ったばかりの二人は星空の下で結ばれる。
…もっとも、朝日が昇り、家へと帰る車に乗っているのは、キーンただ一人だった。
先ほど、バンディの真相は闇に…と言ったが、実は一人だけその全てを知ってる男が居た。
「許しておくれ、俺の心はあの日から消えない焔に囚われているんだ。」
空に向かって謝る男の顔は、異様にぎらついている。
映画の中で熟練の俳優が演じる姿より、遥かに凄みのある顔で嗤っているのだ。
「ついに見つけたんだ。彼女が欲しいッ。そのために、俺は再び生まれたに違いないッ」
最悪のシリアルキラーは、魂を巡らせ新たな生を受けて転生を果たした。
彼が狙う女性は、必ず長い髪を持ち、色が白く、美しい容姿を持っていた。数十人におよぶ女性を犯し、殺してきたが、彼の心は満たされなかったらしい。
極めて優秀な頭脳を持ち、前世の記憶と経験を最大限活かしたキーンは、既に前世を超える数の女性を手にかけている。
そしてついに、運命の女性を見つけてしまったのだ。悪のカリスマの心に、暗い炎がともる。
持てる全ての力を使い、己を鍛え、人を従え、たった一人の女性を支配するために何でもすることを決意した。
「帆世静香——あぁ待っていてくれ。君こそが俺にふさわしい。」