スポーンキル 其の1
かつて無数に存在した宗教は、長い歴史の果てに"唯一の真理"へと統合された。貧しき人々が生み出した教えは、時代とともに異端・異教徒のことごとくを駆逐し、世界中の神を殺すことに成功したのだ。
「この世界に、もはや異教徒はいない。」
あぁ、なんと素晴らしき響きか。
ヴァチカン枢機卿エゼキエル・ディ・サンティスはつぶやく。
キリスト教最高権力者の1人にして、人類の統治者である。
“神”によって自分が【代表】に選ばれた時、彼は絶頂を感じた。
同時に現れた悪魔が甚大な被害を出しているが、ヴァチカンには決して届かない。第9回十字軍の編成によりじきに討伐されるだろう。そうすれば自身が神の代行者足りえる力が与えられることが約束されている。
——かくして時は満ち、選ばれし者たち集いぬ。
啓示が始まった。頭の中に響く神の声が、エゼキエルの精神を高揚させる。
——六つの世界より召喚されし七の魂。
汝らに課せられしは"邂逅"の試練なり。
されど、道は未だ示されず。
終焉の時、ただ一人の生存者のみが残らん。
されば汝に恩寵を授けん。
(恩寵…)
意識を集中させることで、どんな能力が得られるのか何となく理解できる。
身体能力を引き上げること、そして神の御業が宿った道具を貰うこと。このふたつの恩寵を選べと言うことらしい。
実に悩ましい。
その明晰な頭脳は、あらゆる可能性を想像する。
身体強化と神の御業という特殊能力が、どういう組み合わせで最大限の効果を発揮するだろうか、と。
エゼキエルが悩みの果てに選んだものは、己が力の増大と聖遺物による神の力の具現であった。
身体能力の強化
回復のレリック
拘束のレリック
随分悩んでしまったが、聖典の奇跡から選んだのは、まさに神の代行者たる能力。
「さァ…魔女狩りの始まりだぁ。異教徒のいる世界など我が神は認めないィ…」
残虐な一面を覗かせるエゼキエルであるが、その実、自身の手を汚したことはない。常に矢面には立たず、それでいて権謀術数の世界で頂点に近い位置に君臨しているのだ。
眼前の不透明な壁が取り払われる。神の遣わした試練の地を見渡そうとしたその刹那、エゼキエルの顎が爆ぜた。
『おはよーごめんなさいっ!』
頭が吹き飛ぶような衝撃に続いて、身体が大地の上を転がる。衝撃を受けたのは左顎から頬にかけてだろう。歯が頬に突き刺さり、口の中に夥しい血液が噴き出る。間違いなく、敵の襲撃だ。己が身体に神の恩寵を宿していなかったら、即死して可能性に腹の奥底から恐怖がこみ上げる。
-ガッ
腹部を蹴り上げられる。
そうして、エゼキエルの視界にはじめて襲撃者が映った。白衣に身を包む小柄な女が自分にまたがっている。水に濡れたような艶やかな黒髪と大きな瞳が特徴的な女性が、ナース服にふさわしい微笑をたたえて、見えない拳を自身に浴びせかけてくる。
『相当身体強化に振ってるのね?やたら硬いわ…』
血が咽喉に逆流して息ができない。執拗に顔を狙って攻撃しているのは意識を断つためだろうか。生まれて以来、最大の窮地と痛みに、脳が急速にアドレナリンを分泌する。未だに女の拳は目に見えない速さで振り下ろされているが、体重は軽く手足も拘束はされていない。
エゼキエルは左手で必死に顔を覆いながら、右手に握りしめる神具の恩寵に意識を集中した。
「レ゛リ…ック!」
エゼキエルの必死の叫びに、聖遺物が神の恩寵を顕現させる。
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帆世の予測は的中していた。
光の柱めがけて移動し、様子を観察していたところ、しばらく経って動きがあった。
光の壁が取り払われ、西洋風の金髪の男が現れる。上質そうな黒衣に赤い布を巻いた服装は、聖教者を連想させた。
(来たッッ)
姿を視認したのと同時に、全身のばねを使い、大地の上を滑るように全力で疾駆する。
20mほどの距離をひと息でつめ、最初の一撃を狙って腕を突き出した。
「おはよーごめんなさい!」
ガッ!!!!!
全力疾走の勢いを乗せて、男の顎に掌底を叩き込む。
それは、やや狙いを外したものの凄まじい威力の先制となった。
本来はこの1撃で意識を刈り取るつもりだったのだが、男は驚愕に目を見開いている。
私はは男にまたがり、一方的な攻撃を加えながら歯噛みする。“こういう時に、やっぱり女じゃ不利よね”と小柄な体に愚痴りながら、まっすぐ拳を振り下ろしていく。
ガッ ガッ ガッ
確かな手応えはあるが、中々意識をたてない。
いい加減暴れる男を取り押さえるのが難しくなってきた時、彼が何か叫ぶのが聞こえた。
—レ゛リ…ック!
男が血を吐きながら何かを叫ぶと同時に、私の左わき腹に鋼鉄が突き刺さる。
「痛ッッ……何!?」
体が数メートル吹き飛ばされ、息がつまる。
今度は地面を転がるのは自分の番だった。
いつの間にか男の右手に巨大な十字架のスタンドが握られ地面に突き刺さっている。
顔からボタボタ血を流し、鬼のような形相で私を睨んでいた。急に殴ったのは私だし、それはそうなんだけど……とにかく奇襲に失敗した以上、かなりまずい状況である。
ドカッ
息を整える時間も無く、痛む脇腹を抉るように蹴られた。
強化された身体能力のおかげか、それでも意識が飛ぶようにことはない。
目の前に銀色のレリックが突き立てられる。
鈍く燻された銀のフレームは、まるで時の試練を耐え抜いたかのような風格を持ち、細やかな装飾が施されたその姿は、ただの宗教的象徴ではなく、何かしらの"力"を宿しているかのように見えた。四方に広がる十字の先端には、花のような意匠が刻まれ、中心にはキリストと思しき像がはめ込まれていた。
「拘束しろ——Relic Vinculi Sacri!」
男の声に合わせて十字架のスタンドから、光の波が生じて体を突き抜ける。直後、全身が地面に縛り付けられたように動きが取れなくなる。
「くっ……」
指一本動かすことができない。これが敵の能力か。
「よくも、神の使徒たる私にィィ!」
エゼキエル・ディ・サンティス枢機卿の声が、怒り爆発させ響き渡った。
「死ぬまで嬲り、拷問し、魂が砕けるまで痛みを刻み込んでやる。いいか魔女、そうだお前は魔女なんだ。神に楯突いた魔女の運命はいつも火刑と決まっているんだァ。」
人生最大の窮地と痛み、死の恐怖、それに伴って分泌された興奮物質が、その作用を過度に増強させてエゼキエルの内を駆け巡っている。
「白衣の天使様にずいぶんな言い草ね。そんなに興奮してると、出血多量で死ぬわよ?」
我ながら安い挑発だ。
男の股間が不自然に隆起しているのを見て、嫌悪感を覚えながらも冷静に言葉を探す。
今一番困るのは、すぐに殺すべき対象だと思われることだ。
時間さえ稼げれば、この拘束を解くきっかけがあるはず。対話……という雰囲気ではないため、せめて挑発して嗜虐性を刺激するしかない。
分かることとしては、この男、確実に身体強化にポイントを振っている。
その残りのポイントで、こんなふざけた"必殺技"をノーコストで使えるはずがない。抗う術が無い完璧な拘束ということは、何かコストを支払っていると考えるのが妥当だろう。
そして、そのコストおそらく時間だ。一定時間の経過、もしくは使用者の魔力か体力のようなものが尽きることで解除されると仮定する。
とにかく、時間を稼げば拘束が解かれると信じる。
そもそも10RPすべて強化に振っている自分が短時間で殺されるとも思えないし、時間を稼ぐだけならばやりようはある…
場合によっては処女とはお別れね…覚悟完了。
身体の隅々に神経を集中させて、その時間が来るのを待った。