4.8ホワイトハウス襲撃事件
【空間転移】
光の粒が舞い、地面に落ちることなく消えてゆく。UCMCの一室から、時空を飛び越えてアメリカの首都へと飛び込んだ。
転移の余波を感じながら、私は初めて踏む土地の感触を味わっていた。日本と別段変わらないアスファルトだが。
――ホワイトハウス、その門のすぐ手前
緊張を鎮めるように大きく息を吸い込む。
肌を撫でる風が、思いのほか冷たい。季節はどこも春のはずだが、ここワシントンD.C.の空気は日本よりもずっと乾き、肌寒さを含んでいる。さっきまで見上げれば南中の陽が輝いていたというのに、ここではもう斜陽が差しているからだろう。時差があるのを忘れていた。
門の向こうに立つのは、歴代大統領の意志と威信が積み重なった、白亜の館―ホワイトハウス。 外壁は優美なアイボリーで統一され、シンメトリーに広がる建築は、豊かな植物に囲まれることで完璧な調和を保っているように見える。その美しい白と緑の建物は、まるで大学受験真っ最中の会場のような、極度に張り詰めた静寂に包まれていた。
ロシアと戦争をやらかそうという時期だ、大統領を守護するため、通常の何倍もの警備が敷かれている。
『どうだい、帆世ちゃん。』
「無事到着よ。全世界Live配信、繋げちゃっていいわよ。」
『カメラワークは任せな!…ただ、ほんとに無理すんじゃねえぞ。危なくなったらさっさと帰ってくるんだ。』
私と繋がっているのは、真人直属の参謀、諸葛隼人である。大胆不敵な性格であると同時に、細部まで気配りのできるナイスガイだ。これより、大統領襲撃作戦を始める。
「…よし、つながったみたいね。」
んんっ…声ちゃんとでるかしら。
「皆様こんにちは。帆世静香でーす。世界の平和を守ろう企画、全人類同時ライブで初めて行こうとおもいまーす。」
「アメリカとロシアの戦争を止めにきました。大統領を出せー。」
「聞こえてるのかな、これ。えー、門の前には屈強な警備員が2人、めちゃくちゃ私を睨んできています!宣戦布告だ、ばっちこーい!」
黒鉄の門と、両側に控える二人の警備兵。
手には自動拳銃、装備は防弾ベストにヘッドセット。今頃UCMCからアメリカ政府に宣戦布告の報が入っているはずだ。二人が応援を呼ぶ声が聞こえるが、その両手には拳銃を構えて私を睨んできている。
今頃、UCMC代表・真人鷹平によって米国政府に向けて戦争中止の勧告…という名の脅迫が行われている最中だろう。うちのエージェントが、ホワイトハウスにお話に行くよってね。
“Stop right there! Step away from the gate and identify yourself, now!”
「そこまでだ!ゲートから離れて、身元を明かせ、今すぐだ!」
拳銃を構えた警備員が、私に向かって早口の英語を捲し立てる。現在、ホワイトハウス内にいる人間からはウィンドウが剥奪されているのだ。だから同時通訳機能を使えず、少々タイムラグを伴って翻訳が表示される。私も英語を使えるといえば使えるが、今は相手に合わせてあげるつもりはない。日本語でしゃべっても、目の前のごく一部を除いたすべての視聴者にとって問題なく翻訳されるはずだ。
「帆世静香だって言ってんでしょ。UCMC特別任務派遣員だよ。おたくのボスに会いに来たのさー!」
“frieze!”
「とまれ!」
勧告など、最初から聞く気はない。
私は門へ向けて、大股で堂々と歩を進めた。
視線の先で、二人の警備員が一斉に拳銃を構える。片方の額に刻まれた深い皺と、もう一方のわずかに震える指先。引き金にかかる指に力がこもるのを、無数のピット菅による熱感知センサーを通してはっきりと見て取れた。
その瞬間、膝の力を抜き、重心を急速に落とす。
次の刹那、二発の銃弾が私の頭上を掠めて飛び、乾いた破裂音が空を裂いた。マズルフラッシュの橙色が視界の端で弾ける。両手がアスファルトと握手した後、渾身の力を込めた両脚のバネを開放する。新幹線が背中にぶつかったような急激な加速は、二発目の銃弾を置き去りにした。
2人の指が三度目の引き金を絞るよりも速く、私の右掌底が警備員の腹部へと炸裂した。
分厚く硬質な防弾ベストが歪み、衝撃の一部を吸収しきれずにそのまま体内へと通過する。拳の衝撃は胃を圧迫し、そのさらに奥深く、腹腔神経叢を激しく揺さぶった。男の内臓は、高まる圧力による破裂を避けるため、急な判断を下さざるをえない。胃の内容物をすべて外に吐き出すこと――それが、唯一の防衛策だった。
結果として、殴られた男は地に両手をつき、盛大に胃液を吐き出した。だが、痙攣した横隔膜は呼吸を許さず、酸素のひと吸いさえも叶わない。酸素の供給を断たれた脳が非常手段として意識を遮断し、男は力なく崩れ落ちた。
ここまでで1秒。
もう1人にも、同じ経験をプレゼントしよう。慌てて私に銃口を向けているが、狙いはブレブレだ。本人もそれを自覚しているのか、同僚への誤射を恐れて撃つことができていない。警備員が銃を構え直すよりも速く、私の左の拳がその腕を弾き飛ばし、銃をはるか後方へと吹き飛ばした。そのまま踏み込んだ体勢から、今度は右の掌底を同じように腹部へと叩き込む。
「2キルってところね。拳銃はお借りするわね。」
気絶した警備員の耳についたヘッドホンから、矢継ぎ早にがなり立てる声がうっすらと漏れている。拳銃を回収するついでに、ヘッドホンを拝借。今回だけ、わかりやすいように英語で話してあげるわね。
「Come at me like you're ready for war! I'm heading straight through the front gate!」
(戦争のつもりでかかってきなさい。正門から堂々いくわよ。)
用済みになったヘッドホンを片手で外し、動けない警備員の胸の上にそっと置く。
黒鉄の門を越え、ついにホワイトハウス敷地内へ足を踏み入れた。
足元の芝は、まるで仕立てのいい絨毯のように均一で、まっすぐ伸びた緑のブレードが陽光を反射している。広場の中央には噴水が据えられ、その向こう、白亜の館が静かに佇んでいた。
通称ノースローン。およそ100メートル四方の開けた芝地の広場だ。遮蔽物はほとんどなく、代わりに赤外線センサー、振動探知機、音響センサーがグリッド状に張り巡らされている。目に見えずとも、それらの存在は無数の情報を映し出すウィンドウを通じて、網のように視界に映っていた。
見た目麗しい調和のとれた敷地であるが、今は真夏のセミの声を彷彿とさせるような、けたたましいサイレンが鳴り響いていた。そのなかを、ゆっくりと歩んでいく。まったくもって監視システムとは無力なものだ。私は隠れるつもりなど、最初からないのだから。
「配信をご覧の皆さん、このマップで明滅する点が、アメリカが誇るシークレットサービスという人たちです。ここノースローンで彼らを制圧した後、大統領に会いに行こうとおもいます。」
視界の端で、黒服の影が次々と現れる。
屋上、建物の出入口、芝生の外周。すべてのラインから、シークレットサービスと見られる武装要員が殺到してくる。彼らの動きは無駄がなく、連携も取れている。全員が実戦経験を持つ、いわば“本物”だ。
先ほど、門番のことを警備員と表記したが、あれは語弊があるかもしれない。超一流の訓練を受けた軍人が、最新鋭の武器を装備して殺到しているのだ。サスマタしか使わせてもらえない日本の警備員とは比較にならない規模である。
(蛇ちゃん、狙撃や流れ弾がきたら守ってね。そこまで躱す自信はないよ。)
いよいよ本番。さすがに心臓が早鐘をうち、手にはじっとりとした汗をかいてきた。
両腕に装備している千蛇螺の籠手が、任せてよと無数の瞳を輝かせる。
“Ma'am, get down on the ground and show your hands immediately! This is your final warning. Any resistance will be met with the use of force. We are prepared to talk. We've officially offered UCMC a chance for dialogue.”
「そこの女性、即刻その場に伏せて両手を見せなさい!これは最終警告です。抵抗すれば武力行使に移行します!我々は、話あう準備ができています。UCMCにも話し合いの場を提供すると発信しました。」
突如、耳に届いたのは――拡声器の機械的な音声だった。
その語り口は、武力を背景に脅すように、またあたかも説得を試みるかのように穏やかにも聞こえる。
だが実際の彼らの動きは、まったく逆だ。
芝の陰、噴水の裏、植栽の影。複数の隊員が視界の死角を縫って、音を殺しながら私の背後へと回り込んでいる。視認はできないが、ウィンドウに表示されるマップによると、周囲の屋上に構える狙撃兵たちがポジションについたようだ。
そう――これが彼らのやり方だ。
言葉では対話を装い、実際には合理的に、冷徹に、奇襲を構築する。
油断させ、注意を散らし、次の瞬間には一斉に火を噴く。まるで芝の中に張り巡らされた罠のように。
―こういうときに、“お話ししましょう”って言いながら包囲してくるのが、連中の定番なんだよな―
そう言っていたのは、わたしの友人にしてデルタフォース1の現役狙撃手、レオン=ヴァスケスだ。
戦場で数百メートル先の鼓動すら読み取る男。彼と過ごした期間は短いが、私の友であり師匠として戦術の基本を教え込んでくれた。持つべきものは友とは、よく言ったものだ。
「いーや、やるね!先に席から降りたのは、アメリカでしょーが!」
言葉で伝わらないものは、態度でしめす。基本だね。
私は、先ほど地面から拾い上げた警備員の拳銃を、ためらいなく真上へと向けた。
そして引き金を、連続で絞る。
パン、パン、パンパン――乾いた銃声が薄っすらとオレンジ色に染まった空に食い込み、芝の広場に金属音の余韻を刻む。数秒のうちに、マガジンが空になった。銃口から立ちのぼる煙が細く揺れる。
私が腕を下ろした、その瞬間だった。
背後の藪をかき分けるようにして、強襲部隊が一斉に飛び出す。
二手に分かれ、左右から包囲するような動きだが、動きが派手すぎる。本命は別にある!
ヂッッ!
上空、別方向から放たれた狙撃ライフルの閃きが、空気を裂く。
弾道は私の腹部と胸部、完全に殺す気の狙撃だ。両手の籠手が一瞬広がり、鉄の礫を逸らすように防いだ。
「せめて対物狙撃ライフルを持ってくるんだったね!」
わかりやすく煽っているが、そんなに余裕があるわけでもない。このままここに居座れば、四方八方からハチの巣にされてしまうだろう。活路は前!スキルが不可能を可能に変える。
【ファストステップ】
「スキルを初めて見る人もおおいんじゃないかな。サービスサービス!」
私の足元に、一瞬だけ蒼白い残光が焼きつく。マルチカメラワークを駆使する配信であっても辛うじて見えるか否かといった超スピード。
残像が僅かに曲線を描き、彗星のように主力部隊の左端に吸い込まれる。加速を止めるために放った掌底が、大柄な軍人の腹部に突き刺さる。鈍い音と共に、肉体が宙を舞い、芝の上に重なり合って転がった。スキルを伴った加速、その運動エネルギーは並ではない。
籠手が手首を守ってくれなかったら、確実に骨折は免れない衝撃が弾けたのだった。
"You goddamn bastard!"
「ちくしょう!外道めがッ」
それは、銃を主軸にする戦闘部隊にとって最悪の状況だった。
そもそも、銃というのは密着状態では非常に扱いにくい。
トリガーに指をかけたとしても、身体が触れ合うほどの距離では照準が定まらず、銃身を押し返されるだけで容易に封じられてしまう。
さらに――今は乱戦だ。
私の周囲には、まだ倒れていない隊員が数名、間隔もなく接近している。
この状況下で無理に発砲すれば、誤射のリスクが高すぎる。
仲間を撃つことを恐れた兵士たちは、銃を構えながらも、撃てない。
いや、もしかするとエキスパート中のエキスパートである彼らは撃てるのかもしれない。
だから若い将を狙って盾にするように立ち回る。銃口を向けられた時、その前後の射線に必ず最も若く見える兵が居るようにしたのだ。上官というものは、自分が撃たれる覚悟はあっても、部下を撃ち殺す覚悟は持っていないのだ。悔しそうに、悍ましい物をみるように、彼らの顔が次第に歪んでいく。
「他国民に関しては平気で虐殺できるのに、自国民が傷つくと正義感がくすぐられるんですねえ!?」
あと必要なのは、状況に応じた機械的な高速処理能力だけである。人を盾に射線を封じ、近接戦闘を許さぬ速度と膂力で一人ずつ制圧してゆくのだ。一人ずつ相手が困難であれば、千蛇螺の籠手を使って、ファストステップで無理やり加速してぶち抜けば良い。対人に限定するならば、膂力と防御力で勝った時点でほとんど勝ち確であり、銃の効かない人間がいることを存分に知らしめる結果となる。
「50キルくらい稼げたんじゃない!? もちろんみんな殺しては無いけれど。そろそろ十分ね、大統領に面会タイムだわ。」
主力部隊を完全に壊滅させ、全員に膝をつかせることができた。緊張感と余裕がほどよくブレンドされた、良い練習だったといえる。もう彼らには用はないし、私は本来の目的を果たすことにした。屈強な軍人が、現実を受け入れることができず震えている姿は、これ以上直視できないほどに哀愁漂っている。
ホワイトハウス内に侵入するため、全速力で広場を後に、官邸へと飛び込んだ。
あとは大統領に会うだけである。やーやー、たのもー。




