Stray 4th 作戦 其の1
「空気美味しい~。」
私は深く息を吸い込み、胸いっぱいに澄んだ空気を満たした。
ついさっきまで鉄塵と煤煙に包まれていた8層とは打って変わって、この場所には命の息吹が満ちていた。
黄緑がかった細やかな葉が風に揺れ、陽光を柔らかく反射してきらめいている。
遠くには、小さな川のせせらぎが微かに聞こえ、涼やかな音が耳を撫でた。
辺りには高低差のある山道が続き、ところどころ苔むした岩肌が顔を覗かせている。
木漏れ日の差し込む獣道には、小動物の足跡が残り、自然の静けさが広がっていた。
「モンスターがいるんでしょうねえ。」
「ん?分かるのか?」
「何となく傾向はつかめてきたわよ。」
進化の箱庭は、各階層ごとに挑戦者の資質を試すような構造になっている。現状確認されているのは以下の3パターンだった。今まで通ってきたフロアを参考に、師匠に説明していく。
1つ目:環境適応型
ほとんどがコレに該当しているが、砂漠地帯や鉄山などの特殊環境に適応を促してくるものだ。強力なモンスターなどは見られない。いずれ、水中や宇宙などもあるんじゃないだろうか…。
2つ目:モンスター討伐型
6層など、環境が落ち着いているが、その分強力なモンスターが出現するパターンだ。今回も、穏やかな環境にみえるためモンスターが出ることを警戒している。
3つ目:特殊条件型
5層や7層にみられるが、パズルのようなクリア条件がある場合だ。状況によっては詰んでしまうかもしれない。
「なるほどのぉ。早速歓迎してくれるみたいじゃぞ。」
グルルルル…
森を歩くこと数分、獣道が交差する場所で最初の生物と遭遇する。
茂みの奥から三つの影が現れたのだ。姿を現したのは、身の丈こそ小さいものの、鋭い爪と牙を備えた獣人たち。犬のような顔つきに、擦り切れた革のよろい。手には錆びた短剣やこん棒を握っている。
目をぎらつかせながら、こちらをじりじりと囲むように歩み寄ってくる。
「じゃあ、私が。」
目の前にいる敵に、大した脅威は感じない。
腰に差していた銀爪を静かに引き抜き、正中に構える。
ジリ……と、一歩、間合いを詰める。
その瞬間だった。
三体の獣人が、まるで合図でもあったかのように、一斉に背を向けて駆け出した。
足音は軽く、獣道の奥へと逃げていく。木々の間をすり抜けるその動きには、怯えた獣のような混乱は見られなかった。これまで出会ったモンスターは、ほとんど例外なく襲い掛かってきたはずだ。突然の逃亡は意外だった。
「人の顔を見て逃げるなんて、失礼しちゃうわ。」
誰に言うともなく皮肉を口に、私は地を蹴った。
私から逃げるのは最悪の選択肢だ。毎日の特訓の大半を〈速さ〉に注いできたのだから。
わずかに出遅れたが、距離など問題にならない。三歩で間合いを詰め、四歩目で並び、そして――
木陰から身を翻すように飛び出し、銀爪を一閃横なぎに振るう。
刃はまるで空気を裂くように敵の首筋へと吸い込まれ、骨にガツンと当たる手ごたえを返した。
そのまま切り裂くように刃を引けば、頭部はあっさりと胴から外れ、あっさりと一体の命を絶つ。
仲間の死を横目に、残る二体が素早く方向を切り返して逃亡を続けようとしていた。
同時に仕留めることは不可能。ならば、完全に背を向けている敵の足に狙いをつけ、刃で足を掬うように薙ぎ払う。幸い、私の刀が足の腱を断ち、獣人が転げるように来た道を落ちていく。
残るは最後の一体だ。逃げる方向を躊躇したのが禍いし、彼は私の横をすり抜けるように走っている。
逃がす気は無かった。すれ違いざまに頭を掴み、側に生えている木に向かって力任せに叩きつける。
二体が即死、足の腱を切断された個体は師匠によって捕らえられていた。
「重畳、重畳。器用に立ち回るのが上手いな。」
「ありがたく。逃げ方が妙でした、おそらく仲間が近くにいるものだと思われます。」
「こやつに案内させようか。」
声が出ないよう声帯を潰され、片足の自由を奪われた獣人を指さす。非人道的ともいえる扱いだが、師匠に一切の容赦はなかった。
まず、こいつらは何なのか。ウィンドウを引っ張り出し、その情報を記していく。
жコボルト・ノーマルж
獣人の一種。細身で敏捷性に優れ、コロニーを形成する傾向にある。
簡単な武器や防具を作成することができるが、知能はあまり高くはない。
「コボルトですって。やはり集団でいるんでしょうね。」
「ようやく人型の敵が現れたわい。腕が鳴るのお。」
私と師匠がウィンドウを覗き込んだ、その瞬間。
僅かな隙を作ってしまった。生死の危機に瀕していたコボルト・ノーマルは、すばやく懐から短剣を取り出していた。
グサリ…
取り出された短剣は、コボルト自身の心臓を正確にえぐり、大量の血を噴き出す。
生きるための努力ではなく、私達に情報を渡さないために即座に自害を選択したのだった。
「……嘘でしょ」
「こやつらの担ぐ大将の顔が見たいのぅ。よほどの傑物かもしれんぞ。」
彼らの行動には、徹底した規律の影が見えた。
まるで戦争中の軍隊のような、個を滅してまで集団に尽くす——そんな強烈な規律だ。
万理の魔導書が示すような “低い知能” などとんでもない。おそらく末端戦力である彼らに、自害すら選ばせる社会性は驚嘆すべきものである。
まるで人間ね。
姿かたちが人型であることもそうだが、その内に宿る精神には人間味を感じてしまう。
そんな彼らを殺めたのは、まぎれもなくこの手である。複雑な気持ちだ。
じっと自分の手を見つめる。震えてはいない。
人型モンスターを斬ることに、どこまで抵抗があるのか自分では良く分かっていなかった。
精神にじとっとした汗をかくような、嫌な気分ではある。しかし、目的のためならば斬ることに躊躇いは無かった。そもそも、今後6層を拠点に人員を送り込むためには、次の帰還ポイントである10層までの道を舗装する必要がある。
高い知能と、社会性をもった軍隊だと?
この世界の秘密に気が付き、人間の代わりに攻略を進めるようなことがあればどうなってしまうだろうか。自害すら厭わない精神を持った敵など、最も相手したくない。
「あぁ、戦争の空気じゃのぅ。戦争じゃ。」
師匠が目を細め、確信を伴ったようにつぶやく。師匠の年齢を考えれば、実際に戦争を経験していても不思議ではない。
そして、この9層に展開された勢力図は思いのほか複雑なものであった。
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コボルトの遺体を隠した後、私達は影から影へ移動するように山を登っていた。
先頭を走るのは師匠だ。足音もなく移動し、ハンドサインによって時折指示が飛ぶ。目線を合わせることなく、掌が私に向けられていた。
(これは、止まれ、のサイン…。)
勢いを殺し、身を木の根元に伏せるように隠れる。数歩前を行く師匠も、同様に木の影から前方を覗いていた。視線の先には、緑色のブツブツとした皮膚の小鬼が2体歩いている。この姿、見覚えがあるぞ。
巫さんと旧い社を探索していた時のことだ。私は黒い悪霊…いや堕ちた英霊によって異界を経験したのだ。そこで人々を襲い、犯していたのがこの小鬼共である。その時は勝てなかった、小鬼共の首領の顔が思いだされた。苦々しい記憶に、気分が悪くなる。
ヒュカッ——
気配を殺していた師匠が、いつの間にか小鬼たちの背後に現れ、刀を一閃する。
音もなく振るわれたその一太刀は、一振りで二体の首を落とした。斬られたことにすら気づかぬほどの速さ、小鬼たちは、まるで眠るように地面に転がされた。
ちょいちょいと、師匠に手招きされて木陰から這い出る。横たわる小鬼に焦点を定め、その情報を取り出すことが仕事だった。
「これの名はなんじゃ?」
「ええと…ゴブリン・ノーマル、ですね。」
жゴブリン・ノーマルж
鬼人の一種。コロニーを作る一方で、生殖のために他種族を襲うこともある。
残虐な気質であり、獲物をいたぶるように狩猟する。
コボルトと同じだ。こいつらもコロニーを形成する種族で間違いはなかった。
ゴブリンも二体ペアになって索敵するかのように山を歩いていたことになる。
そして、彼らの身に着けている服の中から、実に興味深い物が出てきた。
コボルトの耳が5つ、木の枝に刺してある。
それだけではない。明らかにコボルトの物よりも巨大な眼球が1つみつかった。黄色く濁った、こぶし大の眼球である。
жトロール・ノーマルж
巨人の一種。長い体毛が特徴的な巨人であり、非常に怪力。
深い傷を負っても体組織を再生させることができる。気質は狂暴・粗暴であり知能は低い。
9層に至り、3種目の生物が記載された。
どうもこのゴブリン、敵対する種族の体の一部を持ち歩いていたようだ。趣味が悪いが、戦利品の証のような役割が在るのかもしれない。
「縄張りの範囲からして、三つ巴を起こして居る可能性が高い。」
「コボルト、ゴブリン、トロール。3勢力が透明な壁によって、このエリアに閉じ込められたのが原因かもしれませんね。」
「これなら、間をすり抜けて10層に行くのに、そう難しくもあるまい。」
全ての勢力が襲い掛かってくるわけではなく、お互いにいがみ合っているのだ。
師匠の隠密行動には目を見張るものがあるし、おっしゃるように間をすり抜けて10層にたどり着くのは難しくはないのだろう。10層に至ってしまえば、ボスを倒して帰還することができる。
君子危うきに近寄らず、無益な戦闘は避けるのがセオリーである。
…と思うのだが、実は私にはもう一つの案があった。
言うべきか躊躇されるような内容だが、師匠に聞いてみるほかない。
「その3勢力、私達で全部殺しちゃいませんか?」
Stray 4th。野良の第4勢力。