デルタ 其の4
タイトルを変更しました
奈落の獣喰→デルタ
早朝6時。
夜の闇を切り裂くように、朝日が山間に差し込み始める。薄い霧が谷を覆い、空気には肌を刺すような冷気が満ちていた。私は防寒用のジャケットの襟を軽く正し、深く息を吸う。空気が張りつめて感じるのは、冷気のせいか…私自身の緊張のせいか。
ピコーン。
ウィンドウの地図上に二つの座標が明滅する。お互いのチームの拠点を示したビーコン、山を隔てた私たちへ戦闘開始を告げる合図である。
「静香、アイザック。コード:Blazing Turretを開始する。」
「派手に行こうぜ!」「レオン、負担をかけるわね。」
私達はウィンドウを同期させたまま、2手に分かれて行動を開始する。次の座標共有までの1時間、どこまで準備を行えるかが肝となるはずだ。
——コード:Blazing Turret——
敵チームにスナイパーがいないことを最大限に活かし、一方的な射撃戦に持ち込む。
そこで、最も射線の通る巨木の頂上にレオンを配置し、彼のスナイプを最大火力とする。この木は、戦場を見渡す"砲台"の役割を果たし、私たちはここを「タレット」と呼ぶことにした。アイザックが無数のトラップを仕掛けており、堅牢な要塞と化していた。作戦が開始するやいなや、レオンがこの拠点に入城する。
山間に紛れる敵を補足するのは、私とアイザックの役目だ。実際に接敵して、リアルタイムの情報をレオンへと供給するのだ。単独の敵がいればツーマンセルで撃破を狙えるし、座標と射線を通せば回避不可能の一撃が成立する。
「静香、着いてこい。ツアーガイドの始まりさ。」
「ふふ、もう私の方がこの山に詳しいのよ。アイザック。」
昨日の嫌味は、今日のジョーク。作戦は始まった。
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その頃、エリック隊長率いる3人も動き出していた。深夜まで準備に奔走していた帆世チームとは対照的に、ゆっくりと落ち着いた雰囲気は強者の余裕か。
「ふむ…随分頑張ったようだな。相手のチームは。」
エリックの視線の先には、千切れた木のつるが垂れ下がっていた。注意深く目を凝らせば、草葉には不自然な切れ目が入り、木の皮が剥がれ、岩には泥のこびりついた跡が残っている。
つまり、“昨日の夜のうちに、山の中をくまなく移動した人がいるな。”と言いたいのである。
「足跡は小さいですし、非常に浅いですね。」
「静香くんだろう。そういうスキルがあるのかもしれないな。既に一帯のマッピングが完了しているんだろう。随分足の速いことだ。」
「優位な高所、トラップの設置はされていると考えていいだろう。注意していこうじゃないか。」
山の中をゆっくりと歩く。たったそれだけの動作だけで常人を凌駕する実力を見せつけられる。デルタフォースの隊長・エリックは、まるで本をめくるように戦場を"読んで"いくのだ。
(´・ω・`)…こりゃ、ぽよちゃん厳しいっスね…
こもじが思うに、帆世の長所は“策略”と“奇襲”にある。これはVRゲーム時代、そして邂逅を通して常に味方を勝たせてきた確かな実績から、そう思っているのだ。
しかし、その策略はエリックの歴戦の経験を欺けるほどなのか。必死に暗闇を走り、マッピングを行う少女の姿がありありと想像できた。帆世のスキルは一切口にしていないが、その根幹部分は暴かれつつある。
奇襲・奇策というのも難しい。これは相手の油断を突き、先手を決めて陣形を崩すことに意味がある。だが、彼は焦らない。仕掛けない。ただ、どっしりと構える。戦場において“圧倒的な戦力”を持つ者は、無理に動く必要がない。
奇襲・奇策を行い、浮足立って先手を取った相手に対して、ズシリと重たいカウンターを返す強者の戦い方。
(´・ω・`)横綱相撲してくる相手を嫌うんスよね…。
そういう王道正道をいく敵を、真正面から斬り崩すのがこもじの役目だったのだ。その自分は敵側に立ち、さらに同等に思われる戦力を誇る男が隊長を務めている。負けようがないのだ。
山に入って、既に50分が経過していた。木がまばらになり、差し込む陽光に目を細めた時。
「——来たぞッ、右手前方だ」
エリックの鋭い声が響くと同時に、岩陰から人影が姿を現す。
バンッ! バンッ! バンッ!
実弾とは異なり、反動が幾分軽いペイント弾が降り注いだ。正確に心臓やヘッドショットを狙う弾丸と、乱雑に数を撃つ二種類の弾道を見極める。木陰から顔を出したのは、2mを超える黒人と、良く見知った少女の二人だった。
エリックが即座に反応し、上体を微かに傾ける。先頭を歩いていた彼の体をすり抜けるように、弾が通過しした。既にエリックの右手には拳銃、左手にはナイフが握られている。躱し切れない弾は、そのナイフの腹で受けているのだ、ナイフが赤く染まっている。
(´・ω・`)うーん、刀があればこもじも斬れるのに
銃撃戦になるかと思った矢先、エリックが急にその場を飛びのく。
「伏せろッ」
バァン!
短いが的確な指示。数瞬前に自分たちがいた場所が爆発し、真っ赤なペイントをまき散らした。
工兵アイザックの仕業である。自然に溶け込むようにトラップが設置され、3人まとめてKillするように爆発したのだ。
高所からの奇襲にトラップ、そのすべてを防いだエリックの判断は極めて正しかった。しかし、その判断はあくまで人間としてのもの。ほんの少し、それを上回る存在がいた。
【ファストステップ】
爆発によって舞い上がった木の葉が、激しい突風に再び散る。
ドカッ——キャッ
10mの距離を一息で詰めた少女が、最後尾にいたリリーを狙う。振るわれたナイフを、リリーが辛うじて受け止めるが、超常の力をもって加速された体までは受けきれない。
ぶつかった相手がエリックかこもじであれば、受けきれただろうが、最初からリリーがターゲットにされていたのだろう。
二人の女が山道から逸脱し、崖の様な斜面を転がり落ちていく。否、落ちていくのは一人だけだった。
【瞬歩】
人では抗えない慣性の力、星の重力を振り切って少女が木の枝へと移動する。
そして、転がり落ちるリリーに向かって飛ぶように移動しながら拳銃を放っていく。
ズザザザァァァ——タァン……タン…
戦闘音が遠ざかり、その場に残されたのは3人の屈強な男たち。
隊長エリックとこもじが、お互いの死角を埋めるように二人集まる。対峙するのは、10mは高台に陣取るアイザックである。
「こちらアイザック。あと1分。」——(こちらレオン。了解だ。お疲れさん。)
アイザックは木陰に隠れて、銃弾をばらまくのみ。攻勢に欠けた姿に、エリックが判断を下す。
「こもじ、左右へ展開。最速でアイザックを落とす。」
遠く離脱したリリーの救援は諦め、目先の戦力の排除を優先する。
リリー自身デルタの一員だ。帆世静香がいくらスキルを有していようと、タイマンで負ける可能性は低い。であるならば、ここでアイザックを落とせば戦力が大きくこちらに傾く。
エリックとこもじが、斜面を駆け上がっていく。障害物だらけの足場や重力を無視するかのように、一瞬で距離を詰める二人。
アイザック:近接戦闘Lv5
エリック:近接戦闘Lv5
こもじ:近接戦闘Lv4
三人とも、現時点で人類の頂点に君臨する武力を誇っている。だからこそ、人類初めてのダンジョン攻略に結集したわけだが。この瞬間は、勝者か敗者かを決する敵同士なのだ。
湿った土が抉れる音が響いた。
エリックとこもじが斜面を駆け上がり、アイザックへ突撃する。
重力すら意に介さず、足場の悪さをものともせず、一直線に獲物へ向かう狩人の動き。
対するアイザックは、一歩も退かずに巨体を沈め、ナイフと拳銃を構えた。
「隊長~。1vs1って訳にはいきませんかね!?」
「ああ、いいぞ。今晩みっちりやってやろう。」
バンッ。撃った。おどけた口調のまま、至近距離からのフルアーマードローを決めるアイザック。放たれた弾丸が狙うのは、会話にすら入っていなかったこもじである。
(´・ω・`)え、俺すか?
視線すら合わせず正確に、体の中心へと放たれた弾丸を一歩で避ける。その一歩遠回りさせられた分、先に到達したのはエリック隊長の方だった。
エリックが踏み込むと同時に、左腕でアイザックの銃を跳ね上げ、右手のナイフを抉り込むように振るう。
「チッ……!」
こもじの視線の先で、アイザックが銃を投げ捨てる。お互いに触れるほどの距離に近づけば、拳銃よりもナイフや素手の方が有用となる。
金属が擦れる音と、泥の跳ねる音が重なった。
アイザックの拳は獣の爪のように鋭く、エリックのナイフは精密な死を刻むように舞う。
(´・ω・`)なんか気が乗らないっスけど、斬り捨てごめん。
エリックとアイザックがナイフを交錯させている、その横——
こもじが、音もなく踏み込んでいた。手に握るは、木を削っただけの木刀。侍の称号を冠する自分が、刀ではなく木刀一本とはしょっぱすぎるっスね…。かといって真剣を振るう訳にもいかない。
「居合抜き——」
鞘もあるわけではないが、低い姿勢から木刀を腰で抜く。
陽光を斬り裂き、宙に舞う木の葉が動きを止めたように感じる一瞬。切結ぶデルタ最強の二人が、一切知覚できないまま、こもじの斬撃がアイザックの腹を割った。
——ッ!
声にならない悲鳴を上げて、アイザックが地面を転がり落ちていく。あ、ペイントじゃないとダメなんでしたっけ。エリックの方を見ると、転げ落ちるアイザックに既に拳銃を向けていた。容赦がない男である。
ピコ「『ダァン』」ーン
3つの音が重なる。エリックの放った拳銃、遠くから聞こえるライフルの発砲音が同時に空気を揺らす。
もう一つの音は、どこか間の抜けた電子音だ。
会敵してわずか10分しか経っていなかったのか。午前7:00を過ぎ、お互いの将の位置を知らせるビーコンが鳴った。
「レオンのライフルだ!」
「GPSも同じ方角、あのでけえ木にいやがるな。」
エリックは地図と地形を一瞬で重ねると、その居場所を暴き出す。ここまで隠れて潜んでいたレオンが大将だった。居場所の割れたスナイパーなど、恐ろしいものではない。死角から放たれる最初の1発が真の脅威足りえるのだ。
レオンの放ったライフルだ、その最初の狙いは外さないだろう。リリーが撃たれたことも、不思議とはいえない。
彼女は隠密に秀でており、彼女が山中で身を潜めれば発見すら困難になるのだ。だからこそ、彼女に将の役目を与えていると読み、練りに練った奇襲を仕掛けたのだろう。
ウィンドウを介して、リリーとアイザックが落ちたことが知らされる。
だが——後の先を取る作戦に、未だ隙はない。
将の役目は、エリック自身が背負っていた。




