揺れる世界
ザァァ——……
白い湯気立ち上る浴室で、頭からシャワーを浴びる。目を瞑って、流れるお湯に身を任せている時、脳みその回転数が心地よくローギアへと緩まっていくのだ。
私は朝練の汗と潮気のべたつきから解放され、ホカホカ気分でソファに座る。そして、部屋全体に及ぶかというほどウィンドウを拡大し、手を付けるべき課題を洗い出す。
☆中国山中に発見されたダンジョン攻略進捗報告書
ざっと目を通す。山間部に出現したダンジョンは、入場制限なく銃器使用可能である。ダンジョンエリア内はモンスターパニックとなっており、適宜制圧しながらの内部探索が進んでいた。現在3層攻略中であるが、そこより先には攻略が進んでいない。理由は明確で、補給が続かないからである。山奥深くに出現したダンジョンに、軍隊や機材を送り込むだけで困難なのだ。
⇒帆世:マッピングと出現種のリスト化を最優先に行っていただきたい。私とこもじで攻略を行うことも可能であるため、支援要員の選定をお願いしたい。
☆未発見討伐対象の探索報告書/3月
2月に黒銀ノ羆が討伐されて、1か月が過ぎている。真人によると、確実に出現はしているとのこと。
各国による調査むなしく発見に至っていない。調査方法の見直しと、今後の対策手段について検討中である。
⇒帆世:巫女世界に出現した討伐対象の中で、非物質/精神汚染/疫病などが確認されている。各国での不審死が上昇している地域について報告書求む。別途、該当しそうな討伐種リストを添付している。
☆異能犯罪者への国際法稟議書
見るのも胸糞悪いような事件が、頻発していた。異能、つまりスキルの発現は、魂の歪さを内包している者に起こりやすいと言える。器用貧乏よりも、一芸特化。通常の倫理的規範に囚われない異常者による異能発現は凄惨な事件へと至りやすいのだ。
⇒帆世:速やかな発見と、拘束を提案。その際に協力をいとわない。長期拘束はコストがかかりすぎるため、ダンジョン攻略へ参加させること等検討されたし。別途、犯罪者にはウィンドウ剥奪の旨を周知させることを提案。
☆帆世ちゃんへ:刀できたぞい! 榊原&村瀬老師
おお、メールだと急にきさくになるな、あのおじいちゃんたち。
⇒帆世:ありがとうございます!今日伺ってもよろしいですか?( ๑❛ᴗ❛๑ )♡
☆【緊急】ヴァチカン市国地下にダンジョン出現を確認
UCMC幹部への緊急通達だ。子細不明だが、発見されたことは喜ばしい。しかし、思いっきり都市圏に出現したとあっては厄介である。現在、ヴァチカン市国教皇庁が調査中であるという。これは、返信はいらないだろう。
☆帆世様へ:お預かりしている素材の検査が完了いたしました。 桜重工 鷲見
加工もできたし、成分検査なども順調なようだ。残りの素材については、お礼に進呈するとして、今後とも協力関係を築きたいものだ。
⇒帆世:ご連絡ありがとうございます。残りの素材につきましては、そちらで引き続き研究等にお使いいただいて構いません。また次回依頼する場合のホットラインをつなげたいのですが、いかがでしょうか。
私は一つ一つ返信していく。
ウィンドウは、思ったことを文字にできるため超速で返信を返せるのがいいところだ。今日は、まず刀を受け取って、使い勝手を練習してみなきゃ。お手本にする侍は、お昼寝中だ。
☆帆世ちゃんへ:いつでもいいぞい。お昼まだなら、こもじつれといで。
早速の返信。思ったように操作できるおかげで、ご老人でも使いこなしている。
⇒帆世:1時間後、伺います。( ๑❛ᴗ❛๑ )
「こもじー、出かけるわよ。榊原さんたちが刀できたって。」
(´・ω・`)!!!
お腹の上でトトロごっこをしても起きないくせに、刀の話になると飛び起きるこもじ。
ビシィッと効果音が付きそうなほどしっかりした道着に着替えている。手配した車が既に到着しているので、早速向かうことにした。
(´・ω・`)運転手さん、もっといそいで。
榊原老師の工房は山の中にある。ちょっと遠いのだ。
私は車内で、ウィンドウを開き、万理の魔導書を読む。日々の研究と、真人率いるヘスティアHDの協力を経て、魔導書を私のウィンドウへ取り込むことに成功したのだ。
これで戦闘中でも失うことは無いし、非常に便利になったといえる。ただし、持ち主が私に制限されており、他の人のウィンドウでは閲覧することができなかった。全世界で共有すれば、とんでもない勢いで情報が登録されるのにと、少し残念である。
しかし、ウィンドウと魔導書を同期したことで、私の戦闘スタイルに革命が起きていた。使い勝手が良いかと言われると制限も多いのだが、まさに魔法を操る術を得たのだ。絶賛練習中なので、またの機会にお披露目したいと思う。
「帆世様、こもじ様。到着いたしました。」
品の良い運転手さんが、丁寧に車を停める。ふと思ったが、走行中ほとんど揺れを感じなかった。
停車してようやく目的地に着いたことを気が付くほどに上手な運転、スキルでも生えてるのだろうか。
「帆世ちゃん、待っておったぞ。」
(´・ω・`)「先生ェ、刀できたんスか?」
「そう急かすな。あぁ、こもじ、わしの友人が会いたがっとったぞ。」
「こっちじゃよ。久しぶりに良い砥ぎができたわい。」
人間国宝二人が、にこにこと出迎えてくれる。ついていくと、まず最初に村瀬清玄によって研ぎ澄まされた雲黄昏と兼長が飾ってあった。質素な和室の中、畳の上に置かれた刀が静かに煌めいている。
こもじがスラリと、その刀を鞘から抜き放つ。空気が変わった。
刃文はまるで波紋が凍りついた水面のように繊細で、刃先に沿って静かにうねりながら続いている。光を受けると、その一筋一筋が細やかに光を反射し、まるでそこに生きた火が灯っているかのようだった。刃そのものも、驚くほどなめらかである。
砥ぎ抜かれた鋼はまるで鏡のように澄み渡り、部屋の障子、掛け軸、そして自分の顔までくっきりと映し出している。指先でそっと撫でれば、ひやりとした鋼の冷たさとともに、まるで水面に触れたかのような錯覚を覚えるほど、滑らかで均一な感触が伝わってくる。
しかし、その美しさとは裏腹に、この刃はまぎれもなく「斬るため」に生まれたものだ。
刀身の峰から刃先へ、わずかに湾曲した姿は、まるで風を切る流線型。研ぎ澄まされた刃は鋭さの極致に達しており、わずかに息を吹きかけると、刃先に沿って霧が走る。試しに紙を近づけただけで、刃に吸い寄せられるようにすっと裂けた。もちろん、ただ紙を斬るのでは物足りない。
裏山に生えている立派に育った青竹に、蓑をぐるぐると巻き付けた案山子を作る。こうすることで、人間に近い硬さになるのだという。こもじが、見守る老師二人にお辞儀をする。刀を静かに握り、一閃。
抜刀した勢いで左下方から右上方へ切り上げ、頭上で両手持ちに構えなおすと、さらにもう一閃刀を走らせる。斬られた案山子は、依然としてその場に立っていた。
「どぅれ。」
刀を研いだ本人である、村瀬老師が案山子に触れる。ふむふむと頷き、案山子を手で押した。
軽く押された案山子が、地に倒れて3つになって転がる。斬られても倒れないほどに、なめらかな切り口だった。
うむ。と頷く老師に、こもじが緊張をといてはにかむ。合格をもらえたみたいだった。
続いて、榊原老師の作業場へと向かう。今回依頼した刀は、通常の玉鋼を打って作るものではなく、異質な素材を持って依頼したのだ。どのようなものができたのか。
その刀は、木をきりだして作られた純白の鞘に収まり、静かに壁にかかっていた。装飾なく、ただただそこに在る刀。後から聞いたが、木で作られた鞘は、白鞘というらしい。今回は急な依頼に、精緻に作りこまれた鞘をつくるのが間に合わなかったということだ。しかし、刀のことが皆目わからない私でも、その刀が纏う尋常ではない空気を感じ取っていた。
蛾が炎に吸い寄せられるように、私は自然とその刀に引き付けられる。
手に取ると、あまりの軽さに驚く。
「銘を、【銀爪】という。」
刀を握る指先に、わずかに力を込める。鞘の中で眠る銀爪が、その気配に応じたかのように、ひやりとした質感を掌へと伝えた。早く引き抜けと、刀が急かすように訴えてくる。
小柄な私でも、自然と引き抜けるような長さにあつらえた刀身。鞘から姿を見せたそれは、見たこともないほど白く輝く刃。
驚くべきは、その形状。普通の日本刀とは違い、刃の峰にあたる背の部分が木でできていた。かつて私が使っていたリアーナの木の杖。その芯を使用した、白くしなやかな木肌が、銀爪の背を支えている。
銀爪の刃には、二種類の素材が融合してできていた。黒銀ノ傷羆、その銀色に輝く体毛と、幾度の激戦を経ても無傷で残った鋭利な爪——それを鍛え上げ、打ち込み、刃へと昇華させたもの。それは動物の素材というにはあまりに異質であり、人類の敵として立ちふさがるべく生み出された新しい金属のような質感である。
宙へ刀を振ってみる。音もなく空気が切断される。
風を切る音すら許さぬほどに薄く研ぎ澄まされた刃。夜明け前の霞のように儚く、それでいて月光のような冷たさを帯びた輝き。刃紋は白銀の火流が舞うように揺らめき、金属の純然たる硬質さと、木のしなやかな温もりが奇妙に混ざり合う。
「とても軽いわ。ありがとう、これなら私でも使えそう…」
手に馴染む、異形の刀。その一体感に、感動のあまり声が震える。人間国宝、さすがの働きをしてくれた。
「お嬢ちゃんが死地に行くような世の中、気が進まんがの。いつでも訪ねておいで。」
「これは、ついでじゃ。」
榊原老師が、こもじに短い刀を渡す。懐刀、というやつだ。ズシリとした重さ、陽光を反射させない漆黒の刀身。銘を、【黒牙】という。例の羆の牙を中心に作った刀で、【銀爪】と対を成す存在である。
(´・ω・`)「大事に使います。」
榊原老師と、村瀬老師には今後もお世話になるだろう。快く引き受けてくれたが、その顔には一抹の翳りも見受けられた。
そんな榊原老師の心配とは裏腹に、刀を振るう機会はすぐそこに迫っていた。




