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英雄の戦場~帆世静香が征く~  作者: 帆世静香
第四章 気に食わない運命は捻じ曲げましょう。
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混迷の刻

運命は、ときに人を悪しき方向へ、あまりにも一方的に連れ去ってしまう。

その流れに逆らえぬ時、人は何かを失うのだ。




『力が欲しくはありませんか?』


甘く、耳の奥に滴るような悪魔の声。

心の傷をそっと撫でるように……同時に劇毒を流し込みながら、禁断の誘惑が始まった。


(この声は…ベルフェリア!?)


声を出そうとしたが、喉が凍りついたように動かない。

悪夢に呑まれたときのように、瞼は重たく重なり、指先から血の気が引いていく。


『 望むなら……主を守るに相応しい力を与えましょう。』


(だめ……動けない……)


けれど、その声だけは、はっきりと聞こえていた。


『私は多くの人間を見てきました。どんなに名を馳せた英雄も、どれほど気高い聖人でさえ。

身内の弱さに足を取られて、簡単に命を落としてきました』


その言葉は、ナイフのようにミーシャの胸を抉る。

自分が、帆世の足を引っ張ってしまうのではないかという恐れ。

それは、つい先ほどまで自分が考えていたことそのものだった。


『ミーシャさん。貴女に主様を守ることができますか?

たとえ命を呈して庇ったとしても、貴女が死ねば…それは主様を深く傷つけるだけ。

本当に、主様の隣に立つ資格がありますか?』


心臓の奥がきりきりと痛む。

(それだけは、嫌……!)


『私の力を受け入れなさい。そうすれば、あの男であっても……必ず殺せます』


――キーン。

その名が脳裏に浮かんだ瞬間、視界が揺れた。

ベルフェリアの目を通して、外の光景が入り込んでくる。


冥府の門が開かれたのだ。

無残に殺された猫女の中から、異形の死者たちが続々と現れ、地上に這い出してくる。

地に満ちるのは、キーンが手にかけた者たちの屍の軍勢。その手に死神の鎌を持ち、一人一人が昼間のキーンに匹敵する殺傷力を備えているではないか。


彼に対抗するには、自分ひとりの力ではどうにもならない。現実を理解させられる。


理解したからこそ、心が揺れた。

絶対に守りたい存在があるのに、自分には何もないことが許せない。


(……力が、欲しい……!)

決意の言葉を口にしかけた、その時――


 


「ミーシャ、おいで」


指先に、温かな感触が触れた。

温かく、滑らかで、よく知っている手だった。


その声ひとつで、ミーシャの瞼が軽くなる。

ぱちりと目を開けば、お互いの吐息が触れ合いそうな距離に、帆世静香の顔があった。

帆世の黒い瞳と、ミーシャの琥珀色の瞳が見つめ合う。


帆世の考えていることを人一倍読み取れるミーシャ。穏やかに、だが心配そうに微笑む瞳から、何を受け取ったのか。


「しずか様…」


「どうしたの。珍しく泣いちゃって。」


「いいえ、大丈夫です。ご心配をおかけしてすみません」


ぐいっと抱き寄せられ、優しく頭を撫でられる。この時ばかりは、帆世が年上であり、人の世話を生業としていることが良く分かった。

その様子を見て、悪魔は誰にも気づかれぬように静かに息を吐いた。

ミーシャという器を諦めたわけではない。ただ、今は時が悪いと判断する。守るべき主のためなら、この娘の体を乗っ取ることも手段の一つと考えていたが…


それよりも、優先すべき事態が起きている。


(時間切れですわね。それよりもこの気配…)


ベルフェリアは、記憶の海へと意識を向け、迫りくる敵が誰であるのか探る。気配が近づくにつれ、ある一人の女が思い浮かぶ 。


(随分と禍々しく変わっていますが、性格は変わっていないようですね。)


過去何度も侵した世界の、神経質な管理人がやってきた。


『ご主人様、敵が一人迫っています!ミーシャさん剣をっ』


その警告とほぼ同時、ドアが爆音とともに吹き飛ぶ。


ガシャァァン!


砕けた扉と結界の破片が室内を舞い、風圧がカーテンをはためかせた。

現れたのは、針のように鋭い銀髪の女。全身から漂う異臭と、死神の鎌に絡みつく瘴気。

黒く濁った眼球が、部屋の全員を値踏みするように見渡していた。


『ケヒヒヒ……お前が、帆世静香だねぇ……』


魔王ハイキブツ。

だが今の彼女は、かつての理性と役目を失い、「世界の敵」へと反転した亡霊に等しい存在だった。

黒く濁った両眼が帆世を射抜き、続いてミーシャの背後に現れているベルフェリアに吸い寄せられた。


(ベルフェリア……!)


眼差しに宿るのは、激しい殺意と、底知れぬ警戒心。

管理者だった時代の“巫女世界”を何度も侵し、その度に幾千の犠牲を生んだ悪魔が、嘲笑うような顔をしていた。その姿を前にして、ハイキブツの口元がねじ曲がる。


だが、この空間において、ベルフェリアに目を奪われている余裕は無い。

ハイキブツの手元のウィンドウが、何かを探知してアラートを鳴らした。震源地は、帆世静香だ。


「私に用かしら? 見るからに碌でもないヒトみたいだけど。」


帆世は小首をかしげながら、気怠げな口調で問いかけた。

だが、それは油断しているというわけではない。右手にはすでに鞘走らせた刀が握られ、体の影に隠した左手は密かに魔法錬成を進めていた。


『チッ…悪魔と一緒にいる人間の方が、よっぽど碌でもない害悪よ…!』


吐き捨てるような言葉とともに、彼女も会話に応じる姿勢を見せる。


「あら、そんな姿で人としての正義を語っているのかしら。ダンジョンの中だから何があってもおかしくないけど、アクシノム関係?」


軽く投げかけた一言が、ハイキブツの全身に走った神経を逆撫でする。


『っ~~~!!! 私の前で、その名前を、呼ぶなァ!!!』


明らかに過剰な反応。

帆世の唇が、皮肉気に歪む。


「怒る前に、手を動かした方が良かったんじゃないかしら!」


言い終えるのとほぼ同時、帆世の姿が揺らいだ。

空気を裂くように踏み込み、振り上げた敵の鎌の下を潜り、その懐へ到達する。右手の刀が袈裟に振り抜かれ、あばら骨と胸骨を断つ確かな感触があった。


「まだまだァ!!!」


帆世は叫ぶと同時に体重を乗せ、刀身に全力を込めて押し込んだ。ガリガリと骨を削り折り、その内側に守られていた臓腑に刃先が入る。硬い筋膜に包まれた心臓には届かずとも、その前面に走る動脈と肺組織には深刻な損傷を与えているはず。


あれで死ななければ、おかしい。

それほどの、“命を断つ一撃”だった。


――にもかかわらず。


ゾクリ。首筋を冷たいものが撫でた。


(死んでいな……ッ!?)

何か嫌な違和感が脳内に駆け巡り、全身の皮膚が粟立つのを感じる。


生物の命を奪うという行為は、その魂を星に還し、一部を自身の魂に迎え入れるということだ。その感覚が、成長と殺戮の実感を与えるのだが………それが、今回は無かった。


「焼き払えッ【エンシェントラーヴァ】!!!!」


帆世は違和感を言語化するよりも早く、左掌に収束させていたウィンドウが瞬時に起動。

内包されている“万理の魔導書”に記された現象を魔法として生成する。それはかつて神代を焼いた古の熔岩、極小の太陽のごとき球体が、灼熱の奔流とともに形を成す。


帆世は、迷わずそれをハイキブツへと突き出した。


だがその瞬間。不自然に体が強張った。何か、勝手にスイッチをオフにされたような変な感覚に縛られる。


≪コードキー“万理の魔導書”の使用を検知しました≫

≪個体名[統べる者]帆世静香による世界管理システムへの攻撃を検知――System-Law 5.1.1/2.3.1に基づき、制裁措置を実行します≫

≪対象コードキー“万理の魔導書”のアクセス権を凍結します≫

≪ERROR:対象コードキーの凍結は承認されませんでした。代替措置として“魔法錬成・エンシェントラーヴァ”の具現化を停止します≫


一瞬、帆世の視界に光の粒が舞った。見たこともない、異常に明滅するウィンドウ。

突き出した左掌に渦巻いていた高エネルギーが跡形もなく霧散し、顔を上げると目元に強烈に皺を作った鬼の形相をした女が、赤黒い血反吐を吐いて鎌を持っている。


『死死死死ィィねえええエえエエエえエ゛エ゛ッッ』


≪魔王≫ハイキブツが、死神の鎌を振り下ろす。

帆世は、その暗い刃を睨みつけることしかできない。




-----




帆世は、その軌道を正面から捉えつつも、逃げられないと悟っていた。

スキルの爆発に乗じて距離を取る算段だったが、肝心のスキルに干渉されたことで不発に終わってしまったのだ。

帆世と魔王が交差して、ここまでわずか1秒間の出来事。帆世からしてみれば、詰将棋をしていた盤面の駒が、誰かの手によって無造作に掴まれ、盤外に放り出されたような。そう、理不尽な逆転だった。


(“瞬歩ッ”……これもダメなの!?)


帆世が回避を諦めざるを得なかった。だが死を受けいれたわけではない。千蛇螺の籠手と、自身の腕を盾に掲げ、致命傷だけは受けないように覚悟を決める。


その極小の時間を射抜くように空気が爆ぜたように、世界の時間が一瞬止まってしまったように、表現しきれぬほどの何かが変わった。


「しずか様ぁぁぁッ!!」


銀閃が、帆世と魔王の間に飛び込む。


ガッギギギャリリリィィン!!!


凄まじい火花が散り、空間がねじれ、部屋の壁が軋んだ。

鋭い死神の鎌を、銀色の爪が真っ向から受け止めたのだ。


「ミーシャ…その手……!」


帆世の視界に広がったのは、血に濡れた白い肌と、そこに根を張るように融合した異形の銀爪。

柄の一部が溶けて皮膚に食い込み、少女の中に悪魔が入り込んでいた。

ミーシャが帆世に目で微笑み、前を向く。言葉にならない言葉を、その目は実によく訴えていた。


「『我が命、主なき後に使う道無し。』」


人魔一体となった声が、緊迫した戦場で歌声のように響く。


『響け、福音。主の成すままに』

「照らせ、我が剣。主の征く道を、我が命に代えて!」


ミーシャの小さな体を中心に強大な力場が形成され始める。本来不可視である力場が、はっきりと見えるようになっていく。

床石の隙間から芽吹いた植物が、一瞬で成長し、歪に膨張し、水疱のように破裂しては崩壊した。過剰に撒き散らされるエネルギーに、世界が変質を始めたかのようだった。


「しずか様…あとは…!」


『開け門よ!私の肉体を彼方から此方へ!』


それは、ミーシャが自我を捨て、己の命を代価に帆世を守ると決めた証。

その意志が、悪魔の力と直結し、厳しい契約の拘束を外していく。第一階級、ほとんど最高位の悪魔が完全顕現する条件がそろいつつあった。


「ミーシャ…! それはダメよ! やめなさいっっ」


帆世の叫び声。返ってくるのは優しいまなざし。


『また、お前かああああベルフェリアァァァァ!!』


対抗するように、魔王ハイキブツが狂乱の咆哮を上げる。

かつて幾度となく世界を滅ぼした悪魔。それを睨みつける双眸は、怒りと憎悪、そして底知れぬ歓喜で紅く爛れていた。


どこからか取り出した杖を振るい、血反吐で喉を詰まらせながら、一方的に敵意を撒き散らしている。


『やっぱりお前が……お前がッッ! 世界を滅ぼすのよ!!

貴女が狂い、暴走して世界をぶっ壊しすように、全部準備してやるわ!!!

だから今はすっこんでろ――! System code:無限回廊ッ』


杖から迸る閃光が、空間を貫き、力場の構造そのものを書き換えていく。

その変化の全容を理解しているのは、かつて世界の管理者であった魔王ハイキブツただ一人だった。


荒れ狂うエネルギーを制御し、同時に二つの目的を遂げようとしていた。

――悪魔ベルフェリアの隔離、そして帆世静香の殺害。


悪魔を従えし人間を殺し、その“枷”たる存在を取り除く。

それだけで、世界は容易く崩壊する。

さらには、“大いなる情報体”アクシノムにすら致命的な干渉を及ぼす可能性がある。


魔王ハイキブツの口元が歪む。

それは歓喜とも狂気ともつかぬ笑み。全てが破滅する予兆に、彼女の顔は絶頂へと達していた。



-----



「なんじゃ騒がしいのォ……≪夢想無限流 咆哮月≫」


まさに混迷の坩堝。

命を使う覚悟を決めた少女ミーシャ。慟哭しながら抗う帆世静香。

完全なる顕現を目前とした悪魔。すべてを支配し、破壊しようと目論む魔王ハイキブツ。


四者四様の意思がぶつかり合う渦中に、静かなる来訪者があった。一歩踏み入れるなり、刀が煌めく。


月に届く咆哮のような、あるいは月が咆哮するかのような一撃。

その剣閃は、こちらとあちらを分かつ世界の境界すら断ち切り、

どす黒く変色した魔王の首を一息に刎ね飛ばし、堅牢な魔王城の壁に穴を穿った。


ぶち抜いた穴から、真っ赤に染まった満月が、彼らを見下すように空に鎮座していた。


「今宵の月は怪しく赫いとみえる。…凶兆そこに在り、か」




-----




「ミーシャは!?」


帆世が叫ぶ。

爆発にも似た衝撃の後、ミーシャとベルフェリアの姿は、まるで幻だったかのように消えていた。

姿が見えないだけではなく、気配が全く感じられないのだ。


『ウ゛…ォ゛エ…』


一方、首を落とされたはずの魔王は、死んでいなかった。

黒く焼け焦げたその首が、腐肉のような糸を伸ばして胴へと戻ろうとしていた。


「教えなさいッ!! 一体、何をしたッ」


ふらつく魔王の腹に重たい蹴りを捻じ込み、床に押し倒した。

右から左へと、体を八つ裂きにする剣圧。床ごと削る衝撃が苛烈さを増す一方で、帆世の声は奈落に転げ落ちる岩石の如く冷たいものになっていく。



その様子を、柳生隼厳は黙って見つめていた。

魔王と呼ばれる女は、一方的に打ちのめされているようにも見える。だが、その気配には、死してなお噛みつく毒蛇のような執念――不快な“何か”が残っていた。


「……元凶は、その小娘ではないじゃろ」


柳生がふと視線を逸らし、帆世に語り掛けるように呟く。そして、破壊された壁の向こうを静かに指差した。


「あちらを見よ」


その先。赫い満月を背に、空を翔ける黒い影があった。

それは死神を思わせる外套をまとい、巨大な翼を広げた獣の背にまたがっている。


帆世は息を呑んだ。その姿は、昨日見たものだ。

その獣は、獅子と鷲を掛け合わせたような威容の魔獣“グライフォルク”。

そして、その背に座すのは……


「……キーンッ」


苦々しい声で、その名を呼ぶ。

柳生は、なおも落ち着いた口調で続けた。


「この女が、ミーシャ殿の居場所を知っておるのは確かじゃ。

だが、こやつにはスキルが通じぬ。帆世殿には、少しやりにくい相手と見るが如何か?」


柳生はゆっくりと刀を抜き、地面に倒れ伏す魔王の頭に突きつける。

そして、帆世の背を押して、魔王から遠ざけさせる。


「儂がこやつを引き受けよう。……そなたは、あの“元凶”を墜としてきなさい。

そうすれば、ミーシャ殿も帰ってくるじゃろ」



複雑な感じになってますが、状況は色々と混迷していきます。

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