献身
魔王城城門での偶発的戦闘の後、一旦の和解を経て、一同が食事を囲んでいた。お互いの奇妙な歩みは新鮮な驚きと、不思議な共感を生み出して、自然と会話に華を咲かせることとなった。
キーンは姿勢を崩すことなく、最後のひと口まで品よく食事を終えると、ナプキンを丁寧に畳んでテーブルに戻す。静かに皿の脇に揃えられた銀のナイフとフォークの所作一つで、彼が一流の社会階級に属していることが分かる。
「いやはや、聞けば聞くほど惹き込まれるお話でした。たった三日でここまで辿り着ける冒険者は、他にいるとは思えません。」
キーンは微笑を浮かべながら、軽くグラスを傾ける。
「こちらこそ、美味しいお食事をありがとう。まさかダンジョンを資源として活用する社会をつくるなんて、驚かされました。」
帆世も笑顔を作ると、素直に賞賛を贈る。短期間でひとつの新しい秩序を創り出すということは、並々ならぬ苦労と努力が合ったのだと理解したからだ。
社会を創り出す点において、やはり人間は万物の頂点に立っているといえると改めて思っていた。
「恐縮です。今日はお疲れでしょうから、ゆっくり寛いで頂けることと思います。お部屋を準備しましたので、案内の者をつけましょう。」
そう言ってキーンが軽く手を振ると、扉の奥から控えていた従者が静かに一歩前に出た。長い髪をストレートに下ろし、モデルと言っても十分通用する容姿である。
「そういえば、一応他に人がいらしたんですね。広いお城なのに、あまり人と出会わなかったなって」
帆世が小さく笑って見せると、キーンは肩をすくめるように答えた。
「ここまで来れる冒険者が、まだまだ十分に育っていなくて...。手懐けたモンスターを使役して、なんとか拠点を維持しているといった形です。」
「そう。では、おやすみなさい。」
帆世が立ち上がると、続けてミーシャと隼厳が席を立った。合図を受けた案内人が深々と一礼し、彼女たちを先導して部屋を後にする。
コツコツ...コ...コ...……
城の石造りの廊下に足音が静かに響き、遠ざかっていくのをじっと耳を澄まして見送る。
「……ふーっっ 」
吐き出した息は、思った以上に深かった。
緊張で張りつめていた背筋が一気に緩み、整えていた髪をがしがしと乱暴にかき回す。強ばっていたこめかみに指をあて、軽く円を描くように撫でながら、彼は再び目を開けた。
卓上に残っていたワインボトルを、ラベルを見ることもなく手に取り、そのまま瓶口を唇に押し当てると、中の赤い液体をぐいと一気に飲み干した。
「ゴクゴクゴク……あ゛ーっ……」
唇をスーツの袖でぬぐい、空になった瓶を暖炉の炎に投げつけた。
瓶は鋭い音を立てて割れた後、炎が蠢いて瓶の破片を喰い溶かしてゆく。
「……切り抜けたか。まったく、見れば見るほど化け物揃いじゃねえか……ははっ……最高だな、クソ!」
笑いにすら似つかぬ、どこかひび割れた声だった。
冷静沈着な管理者の仮面を脱ぎ捨てたその顔に浮かんでいたのは、獲物を前にした狩人のような、純粋でどうしようもなく本能的な興奮だった。
「人生に万全の期はこねぇってか! …“今”がその時だぜ」
上品に盛られたパンの山の中からひとつを掴み取り、手近にあったナイフを突き立てて半分に切る。
そこへ冷めたままの肉を無造作に押し込み、即席のハンバーガーを完成させると、彼はそれを片手に食堂を後にした。
向かったのは城の外。昼間の戦いの爪痕が深々と残る城門前だ。火照った頭に夜風が心地よく吹き抜ける。対帆世静香にむけて、勝機のヒントを探しにきたのだ。
(来たのはわずか三人。もちろん、他に仲間が居る可能性もあるが、現時点で想定していた一番易しいパターンじゃねえか。)
キーンは声に出さず、思考を進めていた。
帆世静香の勢力と言えば、いわゆる“ぽよたん教信者”と呼ばれる組織で30億人。ほとんどの国が公的に支持を表明しており、軍隊を相手にすることを見据えた準備をしていたのだ。
(軍勢よりも少数精鋭、集めていた武器じゃ碌に効きもしないか。)
城門に遺された戦闘痕を見れば、至近距離で使用された各種の銃器が、一発の弾丸さえ届かなかったことを伝えてくる。
帆世静香と、付き添っているのはミーシャと柳生隼厳。
彼らの名前は、もちろん収集した情報に載っている。しかし、想定していた危険度では、かなり下位ランクの二人だった。
~Tier1~
リーメン・ハウンズ所属 エリック、レオン、リリー、アイザック。
最も警戒していたのは、帆世静香と妙に密接に関わっている元デルタフォースの四人。個人戦闘力でも最前線組以上と見積もられている上、組織的な動きも警戒しなければならない。
~Tier2~
英雄の戦場所属 こもじという謎の剣士。
帆世静香よりも単体での戦力が上だという複数の報告があがっている。
~Tier3~
夢想無限流 数千人規模
帆世とクラン同盟を結んでいる武装集団であり、数が集まればアドベンティア最前線組にも匹敵する。
人質に捕らえている椿真理の実力を考えると、具体的な対応策が複数必要だと判断していた。
~Tier4~
英雄の戦場所属 ミーシャ、ルカ、エギル。
情報は少ないが、帆世静香の取り巻きであり、注意は怠れない。
~Tier5~
各国の特殊部隊や軍隊。
アドベンティアというダンジョンの性質上、魔王城に到達するまでに削り切れるという想定。そのための現代武器を多数用意していた。
「本当に戦略を考え直さなければ…」
昼間の光景を思い返して、上記のTier表に上方修正をしなければならないな、と考えていた。ため息とともに、つい小声がもれる。
「……キーン、さま……にゃ…」
瓦礫の陰から、か細い声が呼応する。
視線を向ければ、崩れかけた石柱の根元に、猫女が蹲っていた。
「まだ、こんなところにいたのか。」
キーンは足を止め、猫女の隣に無造作に腰を下ろした。
血と土が混じった泥がスーツの裾を汚す。だが、彼は気にした様子もない。
「…アッ…服がっ…」
反射的に立ち上がろうとする猫女の肩に優しく手を置いて制止。
食いかけの即席バーガーを片手に持ち直すと、彼女の前に差し出した。
「食べなよ。昼間はこてんぱんに、負けたね。」
猫女は一瞬、目を見開いた。震える手でそれを受け取り、ゆっくりと両手で包み込む。
目尻に涙が滲んでいた。
「ぅう…私が、勝手にやったからにゃ…! キーン様は…キーン様は!」
「ったく、ホントだぜ。なんで無茶した?」
「ううう……っ」
喉の奥からこみ上げる嗚咽を抑えられず、猫女は顔を伏せた。
キーンは、その感情の正体をすでに理解していた。
(おおかた、俺が帆世静香に執着していることに気が付いていて嫉妬していたんだろう。そして彼女本人を目の前にして、圧倒的な力と脅威を感じとり反射的に…感情的に襲い掛かったに違いない。)
「お前も、アドベンティアにいる冒険者の中では上澄みさ。魔王城にいる奴の中でもな。」
「……ぐっ…う、う」
これはきつい。
単なる叱責や罵倒ではなく、正当に…いやそれ以上に自分を評価してくれる言葉がかけられる。だが、その声に香るのは淡々とした失望に近い無感情であった。猫女はその言葉を聞くことしかできず、否定も反論も言い訳も、幼稚な自己正当化すらできない。ただぽろぽろと涙をこぼし続けるしかなかった。
「この魔王城まで来れる奴ってのはな、魂の強度で言えば――だいたい八~九万台だ。お前もそれぐらいだな」
キーンはちらりと猫女を一瞥する。
「実際の強さとの相対的な話になるが、人を殺した時ほど良く伸びる。これは、お前も知っているだろう?」
彼は、自身のスキルによって他者の魂の成長度を共感覚として“見て”いた。
そしてそれを、凡その数値として口にする。基準値は「1」。何の力もない一般人を、その最小単位とした。
魂を持つ者同士、殺しあい、喰い、背負い続けた者だけが、その数値を押し上げていく。
「俺やグリッドは、魔王倒したときに跳ねあがって……今は五十万に届くぞ。」
「帆世たちは…」
絞り出すような声で、猫女が問う。
「よく視えなかった。俺より格上ってことなんだろうな。」
「……うそ、にゃ……っ」
きっぱりと断言するキーン。その一言は、猫女の中にあった常識を静かに、けれど確実に打ち砕いた。
(キーン様よりも……強い……?)
信じられない。けれど、彼の口ぶりには虚勢も飾りもなかった。
胸の奥から、じわりとこみ上げてくるものがあった。
それは、本来感じるべきはずの絶望ではなかった。もちろんキーンへの失望や怒りでもない。
どこか暗くて温かい、安堵に似た感情である。
(キーン様ですら届かない相手がいる。
あの方も、私と同じように悔しくてみじめで、どうしようもない気持ちなのかにゃ……?)
ひとりきりで見放されたと思っていた心に、ほんの少しだけ寄り添う隙間ができる。
それは彼の弱さに対する共感であり、それを自分に明かしてくれたという甘い優越感でもある。
「だけど、もう少しで手が届きそうな場所にいるのを感じる。俺は……どうしても、彼女を殺したい。」
静かに、だが燃えさかる炎のような執念をにじませてキーンは言った。
夢を語る男の顔だった。言っていることは救いようのない悪だというのに、その瞳はあまりにも純粋で、まっすぐで、美しく映った。
「君だけに話すけど、俺はそのためだけにアドベンティアを作ったんだよ。」
キーンの片手が、そっと猫女の頬に触れる。自然と目が合う。
濡れた目を見開いたまま、彼女はその手のぬくもりに呆けるように身をゆだねた。
視線が複雑に絡みあう。熱に浮かされたような心が、跳ね上がる。
(キーン様には……私が必要なんだ……!)
冷たい石の上で、薄暗い夜風に吹かれながらも、猫女の胸には熱い灯がともった。身を削り血を流すことさえ厭わぬ献身と憧憬が、熱に支配された心を埋め尽くす。この甘い時間を1秒でも長引かせるために、彼女は全てを捧げる覚悟をした。
「キーン様は、どうしても帆世静香を殺したいのですよね?」
「ああ。」
「キーン様は、もう少しで勝てるのですよね?」
「ああ。」
「強い人を殺せば、それだけ魂が強くなるのですよね?」
「ああ。」
「私は…! 私は強いですか…?キーン様のお役に立てますか!?私の命が、必要ですか――!?」
「ああ。」
「うふ…あはは…私…フェリーデの命をお使いくださいにゃ。」
「ああ。ありがとう。」
次の瞬間、フェリーデに触れていたキーンの手の温もりが、ふっと消えた。
代わりに、彼の内側から何か異質な“気配”が這い出てくる。
死神が、姿を現した。
それはキーンの内側に潜む魂の捕食者。
彼の輪郭に同化するように現れ、空中には死神特有の大鎌が、重々しくその存在を示している。
フェリーデはその武器を見ようとせず、ただただキーンの瞳だけを見つめる。
震える身体を必死に抑え込みながら、目に涙を浮かべて笑っていた。
死神の鎌が振りかぶられる。
「……キーン様。フェリーデが、生まれ変われたら……そのときは、愛してくださいね。」
それが、彼女のたったひとつの希望だった。
この世界では、生まれた時に前世の記憶を持っていることがある。俗に転生と呼ばれる現象は、100人いたら1人くらいに生じるありふれたものである。
フェリーデは、そのわずかな可能性にすがったのだ。
だからこそ、今日ここで命を使うことを決断できた。
(きっと、キーンは、笑顔で「ああ。」と言ってくれる。その一言さえあれば、私は生まれ変わっても思い出せるはずにゃ。)
ザクリ――。
首が落ちる。
人が死ぬとき、最後まで残る感覚は聴覚だという。
宙に浮いた視界が薄れていくなか、フェリーデの耳に届いたのは――
「いいや。死神に殺された魂は、二度と星の循環に還らないよ。さようなら、フェリーデ。」
それは、あまりに静かで、あまりに残酷な別れの言葉だった。
「死があるから生が輝く。生き足掻いてこそ、絶望に染まってこそ、死が輝くのだ。」
流れ込む魂を感じながら、キーンの中でトリガーが一つ外れた。
「今宵行うは血の収穫祭 魔王の開く蒼白の宴」
「死神の鎌に安息の日は無く サウィンの鐘に亡者が集う」
「廻らぬ死者よ 踊れマカブル」
紡がれる言葉のたびに、空気が冷え、死の香りが満ちていく。
『ギャギャギャ…カギ ヲ ミツケタカ』
死神が狂ったように空を舞い、哀れなフェリーデに再び大鎌を突き立てた。
――【冥府の門】――
彼女の体を真っ二つに斬り裂いて、その間から深紅の門が姿を見せる。鍵はフェリーデ、その献身が極短時間ではあるが冥府の門を出現させる条件を満たした。
ギギギギギギィ
ズズ……ズズズズズ……
門の奥から、まず現れたのは八歳ほどの少女だった。首を斬られ、顔を上に向けたまま、歪な鎌を片手によろよろと歩いてくる。
次に現れたのは、頭を殴打された女子大学生。
さらに、同じように頭を潰された白人女性。
女、女、女。ほとんどが女性だった。
百人、二百人、三百人……
ぞろぞろと鎌を手にした死者たちが、地上へと這い出してくる。
やがて、哀れな死者の行列は様相を変えていく。
全身に鎧を纏った屈強な冒険者たちが列に加わり、足音を響かせて門をくぐる。
そして、極めつけの“それ”が現れた。
極めつけに、首の無い巨大な赤龍。
腐肉をまとったその巨体は、かつてキーンが討ち果たした“災厄”そのものである。その背には刺々しい銀髪の女がまたがっている。
『ケヒヒヒ…あんたに魔王を与えて良かったよ…』
「なんだ、魔王じゃないか。ちゃっかり自我を残していたのか。」
『ここで待ってな…仕事はしてやるよ…』
最後に魔王ハイキブツが現れると、一足先にと魔王城へ飛んで行った。
彼女達は全員、キーンによって生を終わらせられた犠牲者たちだった。彼女達の手に握られているのは、《死神の鎌》。
本来ならば扱えるはずもないその理外の武器は、“所有者であるキーンの魂より劣る者”に極めて高い攻撃力を発揮する。その刃が刈取った魂は、すべてキーンに還元される仕組みである。
「狙いは、帆世静香達以外の全ての生物だ。短い時間だが、君たちの友達をいっぱい作ってきておくれよ!」
魔王城に死神の眷属が殺到する。




