冥鎖のハラフニルド
EP11 嗤う女
に挿絵追加しました。
『唯依ちゃん、それは無理だと思うヨ。だってみんな、まだこの世界にいるんだもノ。』
囁きは冷たく、それでいてひどく楽しげだった。
耳元に漂う息の気配に、私は思わず肩を強張らせる。
ぴとり。私の頬に小さな女の子の頬が触れた。
『死んでも帰れないノ。本当よ?』
私はゆっくりと振り向く。
すると、そこにいた。
蒼白い光をまとった影のような存在——否、影ではない。透けるような肌に、白金の髪。彼女は微笑んでいた。成人はしていないだろう小さな体に、妖艶な笑みが不釣り合いだが美しいと感じてしまう。まるで古い絵画の聖女のように、穏やかで優雅な立ち振る舞い。
こもじに目配せする。すでに刀の柄に手をかけていた。よし、この距離ならこちらに分がある。
巫さんはどうだろう。驚いた表情だが、敵意は出していない。うん、実をいうと私もこの女の子を敵だとは思っていないのだ。
敵なら自分の存在を明かさないだろうし、敵意があるなら既に首が飛んでいる。
さて、ここからは言葉選びが重要だ。最も近い、いわば人質ポジションにいるのが私でよかった。そうじゃなかった、戦闘になっていただろう。私の命なら、交渉の天秤に乗せることだってできる。勝てる勝負に限るけれど。
「はじめまして。ハラフニルドさん。」
『うん。はじめまして、唯依ちゃんの友達?』
彼女の声は不思議な響きを持っていた。
音として耳で聞いているのに、まるで頭の内側で直接ささやかれたような感覚。
言葉の意味よりも、その裏にある"感触"がじんわりと脳に滲んでくる。
——喜び、親しみ、微かな悲哀。
彼女がハラフニルドならば、未だ脅威ではない。むしろ今接触できたことはこの上ないチャンスになる。
「ええ、巫唯依さんとは仲良くさせていただいています。帆世と申します。」
『あら、帆世ちゃん、よろしくネ。敬語はいらなくってよ。』
ハラフニルドは、そのまま私と巫さんの間に座る。こうしてみると、系統は異なるが大変な美女揃いになってしまった。神聖さ漂う巫女服と、明らかに上流階級だとわかる荘厳なドレス。なんで私だけナース服やねん。
『それで、さっきの話なんだけどイイかしら?』
こもじとも挨拶を済ませると、ハラフニルドは本題を切り出す。巫さんとは、お互いに世界を観測していただけで初対面らしい。
『私の世界はね。死んでも魂がしばらく残る世界なの。だから、私もそういうのがちょっとだけ得意なんだけどネ。』
——リアーナも、エゼキエルもそこにいるもノ
そう言って小さな手を虚空に振るうと、青白い幽体が起こった子犬のように跳ね回る。
うーん、初めて見るけど、動きで何となく二人を判別できそうだ。
「フニちゃん、こっちがエゼキエルであってる?」
『まぁ!帆世ちゃんセンスあるわね。嬉しいワ♪』
ハラフニルド——いや、フニちゃんはくすくすと笑いながら、小さく頷いた。
『ええ、そっちがエゼキエルで、こっちがリアーナ。ふふっ、二人とも、帆世ちゃんに怒ってるみたいだケド?』
「あ、あの!私は、帰れないということなのでしょうか。」
巫さんが遮るように声をあげる。気丈にふるまっているが、その細い指を真っ白になるまで握りしめていた。悪魔跋扈する世界の終わりで、人のために生きるその姿は、私には無いものとして眩しく映った。
だから。私は、私だけが持つ切り札を使う。
「巫さん、フニちゃん、こもじ。私たち4人で、クリアしちゃおっか。」
過去のログを虚空に映し出す。
--------------------------------------------------------------------------------------------------------
≪【聖世界】エゼキエル・ディ・サンティスを転送します。≫
≪帆世静香に6RP付与されました。≫
≪『実績解除』初邂逅を達成しました。プレイヤーの初討伐を達成しました。≫
≪実績解除にともない、プレイヤー帆世静香に情報が開示されました。≫
達成条件:水辺の封印洞の管理権獲得。
参加者が1名になった時点で終了します。
--------------------------------------------------------------------------------------------------------
エゼキエルの魂が、私の周りをぐるぐると飛び回って鬱陶しい。こもじに合図して、何度か斬り飛ばすと、フニちゃんの足元に逃げ込んだ。フニちゃん——孤独な世界で生きる彼女には、愛称をつけて呼んでみた。かわいいし。
「これがこの邂逅のクリア条件よ。ちなみに、私とこもじはニコイチ扱いよ。」
ニコイチ、伝わるかな。
クリア条件の開示。その存在に全員が息をのむ。驚いてくれたようで、重畳。
——4人で、クリアしちゃえば巫さんは帰れるんでしょう。とウインクを飛ばす。
誰からも異論は出ない。
『ふふっ、なるほどねぇ。帆世ちゃん、来てよかったワ。』
彼女の足元に逃げ込んだエゼキエルの魂が、ビクッと震える。フニちゃんは軽く裾を持ち上げて、「はいはい、怖くないわよ」とでも言うように宥めながら、私たちを見渡した。
(´・ω・`)いやー、俺、こーいう"攻略"っぽいの大好きっスよ。
ゲーム好きな男がウキウキと笑う。ようやく存在感出てきたわね。難しい話になると、存在感を消す修行に入ってしまう困った相棒なのだ。
そして、この話の主役となる巫女に視線が集まる。
巫さんは静かに目を伏せた。
そして、一呼吸置いてから、ゆるりと顔を上げる。
「……本当に、あなたという方は。」
微かに苦笑を浮かべながら、細く白い指先を袖の中で組む。その所作ひとつとっても、どこか気品があり、神聖な空気を纏っていた。ようやく元気が出てきたようね。
「私のわがままを聞いてくださり、ありがとうございます。この身を尽くす所存です。どうか、よろしくお願いいたします。」
話は決まった。久しぶりの4人PTだ。クリア以外考えられない。
【斥候】帆世静香
——神速の移動、広い知覚、器用貧乏転じて万能。
【アタッカー】こもじ
——近距離戦闘の達人、PTの鬼札。
【バッファー】巫唯依
——語らう神の居ない世界、それでも最も長く人類を生き残らせてきた結界を操る。
【特殊戦術:冥鎖】Harafnild-ハラフニルド
——死者の操縦、敵を倒すほどに味方につける異界の戦術。
「ところで、フニちゃん。おなかすいてない?」
『帆世ちゃん、おなかが空いたワ。今日はまだ食べてないもノ。』
焚火の焔はいつの間にか消え、赤く光る炭火が静かにくすぶっていた。
これなら、じっくりと肉を焼くのにちょうどいい。
明日食べるつもりだった兎のもも肉を、小さく切って串に刺していく。
炭火の上でゆっくりと焼かれていく肉から、香ばしい匂いが立ち昇った。
ふと肌寒さを感じ、こもじに声をかける。
彼は黙って頷くと、大量の乾いた苔を集め、寝床にクッション代わりに敷き詰めてくれた。
せっかく作ったベッドが燃えないように注意しながら、熱した石を置いて温める。たとえ虫がいても、これで逃げ出すのだ。カラリ ふんわりした自然のクッション。
焼き上がった兎のケバブを、フニちゃんが頬張る。
小さな唇を脂で濡らしながら、幸せそうに目を細める姿は、どこか無邪気で可愛らしかった。
食事を終えた私たちは、それぞれの寝床につく。
こもじは、最初に作っていたベッドに。
私と巫さん、そしてフニちゃんは、新たに作った大きなベッドへ。
簡易ながら壁もあり、もし敵や野生動物が襲ってきたとしても、先にこもじが気づく配置になっている。
彼なら、クマに襲われたって何とかするだろう。
こうして、ようやく長い長い一日が終わる。
「おやすみなさい。」
ハラフニルドちゃんは、森に棲まうリアーナよりも年上です。
秘密ですよ。