魔王城開門
前話から更新にすこし間があいてしまいました。
これからもマイペースながら更新続けていきます。
一方で、初日からダンジョン攻略を目指した帆世静香たちは、門番を退け、アドベンティアのダンジョンへと足を踏み入れていた。
行く先は、誰にもわからない。
幼龍アークの導きに従い、常人ならば通らぬ危険地帯を強行突破していく。焦るように、急かすように、アークはなおも彼らを奥へ奥へと押し進めた。ただ事ではない何かが、そこにあるのだろう。
(よぉし、それならトコトン付き合ってあげようじゃないの)
アドベンティアに入って丸二日が経過していた。その間ほとんど休むこともなく、幾つものフィールドを乗り越える。より正確には、“始まりの草原”を軽く駆け抜け、“風鳴き峠”にて空より襲来したグリフォンを叩き墜とし、まさに破竹の勢いで攻略を進めていた。
だが、ダンジョンの最奥、魔王城へ近づくにつれて少しずつ足が遅くなってゆく。キーンが魔王となってからもダンジョンは拡大の一途を辿り、高難易度フィールドが多数存在していた。その一つにして最大規模の難所が、猪突猛進の一行をからめとった。
北に黄泉ヶ嶽、南に不還山、東に鬼哭嶺、西に穢火山。四つの連山を纏めて、霊連の山々と呼ぶ。
そこには悪しき怨霊の類が、毎年落ち葉が積もって土を作るように溜まっていた。存在するだけで人を害する悪しき異形を、決して外に出さないよう封印が施された山々なのだ。
その封印領域に足を踏み入れた帆世達は、いつの間にか高く深い山間に囲まれ、外に出られなくなってしまった。これが通常の人であれば、夜を待たずとも、命を吸われ、山に廻る怨霊の一つに変わるだろう。
『儂の前に道は無し。されば斬り拓くのみである』
柳生隼厳の放つ銀閃が、立ち塞がる山肌を深く抉った。地形すら変えうる斬撃が、この地の封印に綻びを作ったのは言うまでもない。ただでさえ爆発せんばかりに溜め込まれていた怨霊が、封印の綻びに向かって一斉に集まり、百鬼夜行の群れとなって亀裂から噴出する。
噴出はしたが……いやはや、運が悪い。相手が悪い。
たかが怨霊、有象無象の魑魅魍魎風情が、生ける英雄に敵う道理などどこにも無かった。
かたや世界の命運を握る勇者。
かたや滅魔の刀を扱う従者。
かたや剣の才のみで人の器を超えた強者。彼らは山肌にざっくり開いた亀裂に身を投じた。纏わりつく敵を鎧袖一触に蹴散らして、霊山の内部深くで封印されていた宝箱をついでに拾うなど活躍する。半日かけて山の内部を彷徨い、遂に出口の光を発見したのだ。
突如として、風景が変わった。
閉塞した岩壁と霊気の渦が、まるで嘘だったかのように消え去る。視界の先、地平の彼方まで広がる平野。地面は白く、やわらかく、夜の月光を受けて淡く輝いていた。
帆世は立ち止まり、新鮮な空気で髪を揺らしながら、後続の二人と一匹を振り返ってこう言った。
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった、てね」
洞窟の外に広がっていたのは、月明かりに照らされた砂の雪原。
「雪ですか?ミーシャには砂に見えるのですが……」
ミーシャがしゃがんで一握の砂をまじまじと見つめながら、上目遣いで聞き返す。
「ホッホ 川端康成の一文じゃな。」
満足気に古い刀を撫でながら、隼厳がミーシャに答える。さすがは長寿、川端康成本人が存命だった時代をともに生きてきただけはある。
「そうそう。続きはね、
『国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。』」
彼女は本を読むのが好きだ。様々なジャンルの本を読み、心に残った物だけを手元に残して何度も味わうのが趣味である。
そんな彼女の口上は見事に雰囲気をとらえていた。少しトーンを落として始まりの一節をすらすらと読み上げ、白い指で空気を撫でるように二節目。
ううむ。本を知る隼厳が唸る。
うんうん!本を知らないミーシャが手を握って聴き入る。
「素敵な文章じゃない? トンネルが日常と非日常を隔てていて、一切関わりの無い世界に至るってふうに受け取ってるんだけど……それが正に、ここアドベンティアぽいわぁって思ったの」
ガラリと変わった風景を見渡しながら、手元のウィンドウに表示されているマップを広げた。
「さっきまでの山と、マップが切り替わってるでしょ?」
マップを見ると、これまで歩んできた地図がグレー色に変わっている。
ダンジョンが切り替わり、これまで歩んできたエリアと接続が途切れてしまったことを意味している。
「とっても素敵です!ただ、これですと後から合流する予定だったルカやレオンさん達に連絡ができませんね...」
「進化の箱庭のような仕組みじゃな。階層で分かれておらんだけで、幾つものダンジョンが横に繋がっておるようじゃ」
ミーシャと隼厳も、ダンジョン攻略の最前線を担うだけはある。この世界の裏に流れるルールを、的確に読み取っている。
「キュ...ケホケホ...キュイーッ!」
アドベンティア最大の難所を攻略した後でも、アークは休むことを許してはくれないようだった。見るからに息を切らしているが、それでも先へと翼をはためかせる。
「ルカがいれば治療しながら進めるんだけど...おいで、私の背中に捕まってなさい」
「キュゥゥ...」
しょんぼりと尻尾を垂らすアークを抱えて、帆世達は白い砂の上へと飛び降りた。
美しい光景だが、かすかに足元の砂が震えているのが見えた。五感が何かが迫ってくるのを察知する。
「ほんと飽きない所ね。」
「儂に任せよ。新しい得物の試し斬りをせんとなっ」
隼厳が、先程宝箱から手に入れたばかりの刀を手に取り………
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「キュイィ!」
アークが甲高く鳴き、尾を振りながら空を指し示す。帆世たちの前方、白い砂の大地の果てに深い緑の森が重たく沈んでいた。その奥、朝靄のなかに黒い城塞の影が浮かび上がる。
それはまさしく、ダンジョンの最終到達点である魔王城だった。
「まさか……魔王城に向かってたなんて、びっくりね」
帆世は風に舞う砂を手で払いながら、目を細める。
遥か日本を出発したはずが、気づけばダンジョンの最奥。何気なく受けたクエストが、思いのほか大事へと繋がっている予感がびんびんとしている。
「うむうむ。何が待っておるのかのぉ。」
愉しそうに目尻を垂らす隼厳。だがその手にはなお血の滴る刀が握られており、切先からはつい先ほど討ち果たした魔物の返り血がぽたりと地面に落ちた。愉悦の裏に、研ぎ澄まされた殺気が見え隠れする。
「でも、魔王城って既に攻略済みなんですよね?敵がいるとは…」
ミーシャの疑問はもっともだった。魔王城は攻略済みであり、現在はキーンという男によって管理されているらしい。はた目から眺めるそれも、魔物が蠢いているようには見えなかった。
と、その時である。
……ダァァァン……ダァン...!
低く、空気を揺らすような破裂音が、遠くの森の奥から響いてきた。
「キュッ!? キュルルィィッ!!」
アークが鋭く鳴き、怯えたように羽をすぼめて地面に身を伏せた。その身体が細かく震えているのが、誰の目にも明らかだった。
銃声。それも、高威力の長距離狙撃の音。
帆世たちはすぐさま互いに視線を交わし、無言のうちに軽く身構えた。だが、その銃撃が自分たちに向けられたものでないことは、耳に残る余韻から明らかだった。
「今の……レオンの狙撃かしら?」
帆世がそう呟くと、隣のミーシャが眉を寄せる。
「レオンさんの銃と似ている気がします。音だけではわかりませんが、二発聞こえたような。」
「否、三発じゃな。銃声が被っておったが、確かに三発聞こえたわい。」
隼厳が断じる。
「私も三発聞こえたような気がするわ。誰かと一緒に戦っているのか…」
「誰かを相手に戦っておるか、じゃな。」
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「……キュィッ!!」
突如、アークが空中で翼を大きく広げた。その身体が震えを振り切るように揺れたかと思うと、次の瞬間――。
「アーク!? ちょっと、待って!」
帆世の声が届くより早く、アークは旋回もせずに一直線に飛び出した。朝日を背に受け、まるで何かに突き動かされるように、魔王城の上空へと一気に加速する。まるで騎士が、囚われの姫を見つけたかのように。
アーク自身、なぜ自分が彼らを連れてきたのか分かっているわけではない。ただ、魂にこびりついたちっぽけな影が、『彼女を守れ』『助けを連れて来い』『人探しならできるはずだ』と潰れそうな幼龍の心を励まし続けていた。
「……行っちゃったわね」
帆世が肩をすくめ、最上階の高窓へ飛び込むアークの影を見送った。
取り残されたのは翼を持たぬ人間が三人。どうしよう…と顔を見合わせてしばし黙り込む。
「追いかけますか?」
「そうねぇ。せっかくここまで来たし、正面玄関から入りましょうか。師匠もそれで大丈夫ですか?」
「儂は勝手についてきただけじゃ。好きにこき使ってくれて構わんぞ」
帆世が問いかけると、隼厳はうむ、と軽く頷いた。
三人は魔王城の正面へと回り込み、巨大な扉の前に立った。
黒鉄と黒檀が交差する荘厳な意匠。高さは十メートルを優に超え、上下には鎖を模した装飾が重々しく絡みついている。閉ざされた門は、まるで侵入者を拒む象徴そのものだった。
そして、その両脇には――。
「こういう種類の現代アートなら分かるわ!」
帆世が楽しげに声を上げ、門の左右にある石像に近づいていく。
一対の石像は人間大の衛兵のような姿をしていたが、その手に握られていたのは、どう見ても現代の軍用ライフル。精巧な造形に、むしろ妙な生気すら漂っていた。
「たぶんこれ、現代兵器×石像の“生命の否定”とかをテーマにしてるやつよね~。反逆と無力感みたいな?」
「危ないですよっ どう考えても門番ですよ!」
ミーシャの冷静な突っ込みに、帆世が肩をすくめて振り返る。
「えー、夢ないなあ。芸術を理解するには心がいるのよ、心が」
ちなみに、帆世静香はアートや現代美術などに微塵の興味を持っていないし、その心も特にない。
徹底的な写実派であり、彼女の最も好きな作品はストラッツァのThe Veiled Virginである。
と、その時だった。
「むにゃ? んん~っ」
扉の真上から、予想もしない声が降ってきた。
見上げると、そこには門の梁に寝そべる獣のような影。しなやかな体躯に鋭い耳、ほとんど肌が透けて見える露出度の高い服がくびれと谷間を無駄に強調している。…つまり、女がいた。
日差しを浴びながら、まるで昼寝でもしていたかのようなその姿は、まさにヤマネコのごとき風貌だった。
彼女は眠たげに片目を開けた……が。
視線が帆世たちに合った瞬間、金の瞳に驚きと警戒の色が奔った。
「……っ、貴様ら……!!!」
次の瞬間、女はすばやく体を起こし、指先を石像へと向ける。
その動きは無駄がなく、迷いもない。即座に三人を敵と見抜いて、全力で排除の姿勢をとったのだ。
「ギギ……ギギギギィ……!」
石像の関節部が音を立てて回転し、銃口がカチリと三人に向けられる。視線にあたる箇所がわずかに赤く点滅し、次の瞬間。
ダダダダダダダダダダダダダ!!
咆哮のような連続射撃音が、石畳の空間に轟いた。
門の両脇から放たれた銃撃は、狙い澄ました精密な火線となって三人を包み込む。弾幕が風を裂き、地面をえぐり、火花と石片が舞い上がる。
さらに、門の壁面がぼろぼろと崩れ、そこから続々と新たな石像兵が姿を現した。
同じく無表情の顔、無骨なライフル。全員が無言で銃口を三人に向け、再び引き金を引いた。
ダダダッ ダン、ダン、ダン!
まるで砲兵隊の制圧射撃のごとく、魔王城正面は火薬の臭いと白煙に飲み込まれた。
ショットガンの散弾が石畳を砕き、マグナム弾が鉄を貫き、グレネードランチャーが炸裂音を撒き散らす。圧倒的な火力と弾幕。まさに門前一掃を意図した殺意の嵐だった。
そして、しばしの沈黙。
風が吹き、煙が静かに流れていく。
門の上、女が思わず声を漏らした。
「くそッ……どうして奴が既にここに来ている!?」
白煙の向こうから、呼応する声が聞こえる。
門番の女にとっては、今この瞬間最も聞きたくなかった涼しい声が。
「びっくりしちゃったぽよねぇ。」
にこにこと無表情に笑うという、無駄に器用な表情を浮かべる帆世静香である。
両腕に巻き付いた巨大な蛇が空をうねり、飛んできたグレネードの破片を噛み砕きながらシャーシャーと威嚇の音を発している。
横に立つのは、刀を下段に構えた柳生隼厳。
足元には、半分に断ち割られたマグナム弾がいくつも転がっている。
「ひゅっ……ふっ」
彼は軽く息を吐きながら、目にも止まらぬ速さで刀を振った。
その刃は空を裂き、音すらない毒矢を風ごと叩き斬る。残ったのは、静寂と、切断された矢の破片だけだった。念のため隠しておいた切り札すら、一筋の傷すら与えることなく失敗に終わる。
そして――。
帆世の背中にいたミーシャが、一歩、前に出る。
その瞬間、門番の猫女の背筋に、電撃のような悪寒が走った。
「ミーシャ、まだ殺しちゃダメぽよ」
帆世がのんびりと制止の声をかけるが、もはやその言葉が届いたかどうかすら怪しい。
見た目は小柄で、色素の薄い少女。
しかしその肉体から立ち上るオーラは、まさに漆黒の暴風である。
ミーシャが刀をゆっくりと振り上げる。それだけで、太陽が陰り、空気が凍りつく。
彼女の刃の奥に見えたのは、魔界の巨大な悪魔が笑みを浮かべる幻影。
六本の腕に、数千の目と牙。無限の咆哮を孕んだ笑みが、確かにそこに浮かんでいた。
「しずか様に、邪な考えを持っていますね?」
囁くような声。少女のものとは思えない、断罪の響き。
『我が主に楯突いたこと、後悔させて差し上げますわ』
脳内に直接響く、女のような悪魔の幻声。
それは幻覚か、それとも刃とともに顕現した存在の意思か。もはや区別などつかない。
「ひ……ッ」
ガクガクと膝が震える。
足元から力が抜け、生温い液体がふとももを伝ってしたたり落ちる。
それが己のものと気づく前に、鼓動は乱れ、目眩がした。
助けを求めるように帆世を見やる。
彼女は…先ほどと寸分違わぬ、不思議そうな微笑を顔に張り付けたまま、既にこれから先のことについて思考を進めていた。
では、柳生隼厳ならどうか!?
老剣士はというと、ひとり首をかしげながら興味津々といった顔で呟いていた。
(ほほう……ミーシャ殿の剣技を見られる良い機会じゃな。願わくば、もう少し骨のある相手なら本気を引き出せたのじゃが……)
そして絶望の刻が訪れた。
――【顕現】――
銀爪・ベルフェリア
空間が軋む。
刀が持つべき限界を超え、異界の法則が地に引きずり込まれたかのような圧が放たれる。
刃の周囲を走る瘴気は黒紫の稲妻と化し、天を裂くように空間をねじ曲げた。
「ひ……ひぅ……きー……」
猫女の口から言葉にならない音が漏れる。
もはや戦意など、影も形も残っていない。
逃げねば。
生きたい。
逃がさなきゃ!
最後に残ったのは、愛する男の顔。
その男に少しでも情報を伝えるため、必死に目を見開いて攻撃の瞬間を目に焼き付ける。
そんな彼女の背中に何かが触れた気がした。