森中狙撃戦 其の2
「レオンさん、傷、見せてください!」
ルカは素早くしゃがみ込み、レオンの腹部を確認する。装甲が砕け、シャツの下から赤黒い血が滲んでいた。弾は貫通していない。が、かなり深く抉られている。
「くそっ……なるべく早く移動したい。……遠慮なくヤッてくれ」
「失礼しますッッ!」
ルカはメディカルキットを開け、素早く手袋をはめると、ピンセットを手に取った。そしてレオンの腹に空いた傷口に、それを慎重に──だが迷いなく差し込んだ。
「……っぐ、ッ!」
レオンが歯を食いしばる。肉をかき分けていくピンセットの先が、金属音を響かせて何か硬いものに触れた。ルカが慎重に引き抜くと、血に濡れた弾丸が光を帯びて現れた。
流線型の鋭い先端。長さ約40ミリ、6.5mm口径の精密弾だ。
「……6.5mmクリードモアか。これが腹にぶち当たって生きてるんだから、俺も随分頑丈になったもんだぜ……」
レオンは苦笑しながら、汗ばんだ額をぬぐった。本来であれば貫通した後、背中に巨大な開放穴が出来るような弾丸だ。
レオンが助かったのは、当たり所が良かったというのもあるが、明確にレオン自身の身体が人間離れしてきていることを示している。
「でも、頭か心臓にでも当たってたら死んでますよ。」
--【レリック・オブ・ヒール】--
ルカは回復のレリックを突き立て、応急処置に集中した。弾抜きの後、止血パッドをあて、瞬間凝固剤と自己融着式の外皮補強パックを巻く。
「ルカが居てよかったぜ、マジで。これならもう動けそうだ。」
「はい!」
「ターゲットは2人。最初に撃って来たクソ野郎をターゲットα、二番目に撃ってきたボケナスをターゲットβとする。」
レオンは小声で言いながら、指先で土に図を描く。
落ち葉を払いのけた土面に、簡易なマップと二人の敵を記号で記した。
レオンによる作戦立案だ。現時点判明している情報に、レオンのプロファイリングを合わせてルカに共有する。
▽ターゲットα
・武器:M24 ESR(消音カスタム)
・特性:おそらく退役軍人。理性的で忍耐強く、合理的。
・現在位置:斜面下、シダの繁茂する一帯に滑落中。
・行動予測:体勢を立て直し、斜面に沿って側面または後方へ移動中。こちらを視認する可能性あり。
「αは軍人としての習性が染み付いている。おそらく今は派手には動かん。こっちが高所を取っている以上、視認次第制圧が可能だ。」
▽ターゲットβ
・武器:中遠距離スナイパーライフル(恐らくスコープ無し)
・特性:孤高の天才型。感性優先、協調性低い。
・現在位置:恐らく東側の高木帯から、峰を先回りしに動いている。
・行動予測:わからん。one shot one kill型に見えるが、連射も抜群に上手い。
「βは天才型だ。奴独自のルールで動いている可能性すらある。だが、狙撃のルールには忠実と見た…必ず優位な狙撃ポイントを狙ってくる。」
レオンが続ける。
「俺たちのいる山はそう大きくはない。山頂を取ればほとんど全域をカバーできる。」
「じゃあ、山頂を奪取する戦いになるってことですか?」
「まずは、そうだな。俺たちは斜面上の獣道を進む。斜面下のαを発見できれば優位から攻撃できるし、それがαの行動を縛るはずだ。」
「ターゲットαを山頂奪取戦から落とすんですね。」
「ああ、山頂を取れば、本来のターゲットであるグリッドの館も狙える位置だ。問題はβだが、奴が足が遅いのを祈ろうぜ。行動開始だ。」
ーーーー
“いいか、ルカ。この作戦はお前にかかってるんだぜ。”
その言葉を噛み締めながら、ルカは一人で森中を這いずり回っていた。重装備の上にアサルトライフルを携帯し、あらゆるスポットをクリアして山頂を目指す。
標高たった1000mほどの山だが、ただ登れば良いという訳では無かった。レオンの複雑な指示を漏らさず聞き、慣れない仕事に必死に取り組んでいた。
あらゆるスポットをクリアしながら、自らの移動した痕跡を丁寧に消して進む。あらゆる動作を病的なまでに神経質にこなす必要がある。
常に斜面下のαを牽制するように射線を構え、時にはβの動向を探るため1時間以上動かず息を潜めることもあった。
(射線を潰して、移動。潜伏してカモフラージュの更新。次のポイントは…)
山頂の奪い合いと聞いて、とにかく迅速行動をとるものだと思っていたが、行動を開始してみてば非常に遅々としたペースである。
四人がそれぞれ銃を構えて動き回っているというのに、これまで一発の銃声も響いていないのだ。狙撃戦とは精神を削る戦い。息を殺し、気配を消し、全神経を集中させて敵を捕捉しなければならない。
静かなる森。今戦場を支配しているのは、一体誰なのだろうか。
『よし、山頂が見えてきたな。敵影はあるか?』
「いいえ、見えません!」
『居るとすればβだ。…そうだな、20°東側に回りこんでみろ。』
「…了解。いました!少しだけですが、岩陰に姿が見えます。」
『OK.三発銃声が聞こえたら飛び出せ。その時の判断はルカに任せる。』
ーーーー
「……ビンゴ。やっぱりお前だけ一枚格が下なんだわ」
レオンが目を細め、スコープを覗き込む。
その奥に捉えたのは、全身泥まみれになって、草むらから這い出てくるネブラ・ガンロックの正面顔だった。
「そりゃ、そこに出てくる。分かる、分かるぜぇ。」
ネブラが姿を現したのは、グリッドの館に近い南西丘陵の上。戦術配置を兼ねた自然の防衛拠点だ。
読めていた。というよりも、こうなるように誘導していた。
ネブラの行動目的は、あくまでグリッドの館の防衛。だとすれば、敵を見失った段階で次に取る行動はひとつ。雇用主を守れる位置に戻ること。
「おおかた、泥とシダの中を……一度も顔を上げず、何百メートルも匍匐して来たんだろうな」
レオンは静かに息を止める。ネブラの忠実さも、粘り強さも、敬意を払うに値する。だが、その照準がブレることはない。
「距離……三七〇〇。風、南西から秒速五・七。湿度六〇、気温一九度」
Orsis CT20の有効射程距離はおよそ2500m。
しかし、レオンがいるのは標高差300mはあろうかという巨大樹上部の高枝である。
グリッドの館のある森と、隣接する巨大樹の森がある。かつて真理とジルが訪れた森であるが、そこにレオンは座していた。標高差とレオンの天性のセンスが、CT20の射程距離を伸ばす。
成功すればワールドレコードとなる超長距離狙撃。
敵の行動を誘導し、自分はその想定外から奇襲する。
「これが狙撃ってやつだぜ。とくと味わいな。」
──ズガンッ!!
火花のように閃くマズルフラッシュ。
その一発は、大気を裂き、風を貫き、3700メートル先の死を運ぶ。
音が届くより先に、ネブラの胸から血が噴き出した。
「HIT ! だが、本番はこっからか?」
ーーーー
…………ダァン!
銃声が山肌に当たって木霊する。
(あ、あれ…?)
セルジュ・ファーニエは、細い顎に白い指を添え、その銃声の方角を探った。困惑は一瞬で消え、魂が震えるような感情……歓喜の念が湧き上がってくる。
(そ、そこに居るんだ!)
銃声は確かに、魂に触れた。
セルジュ・ファーニエは薮の中で目を閉じる。するとその脳裏に、ぐるりと回る地球儀が現れた。
それはセルジュだけの世界であり、誰にも踏み入れられない特異なフィールド。そこに浮かぶ大地や森、風、湿度、音、匂い――すべてを読み取れる天球儀であり、時間も角度思いのままに操れる。
セルジュはその上空を、まるでピーターパンのように飛んでいた。ただし、夢見る子供の空想ではない。自在に操れる空間は、実際に見た現実の情報と、セルジュによる高度な予測情報を組み合わせた高演算機能なのだ。
(だ、ダミーは見つけたんだね...え、偉い偉い)
脳内に広がる天空から地を睥睨する。ルカが足元まで迫り、岩陰に隠れているダミー人形に気がついている様子が見えた。
ならば、その情報がレオンにも伝わっているはずだ。
(ぼ、僕の居場所が分かったから、先にネブラを撃ったんだ...!き、き、君は僕とヤリたいんだな!)
ルカの挙動を演算に組み込んだ瞬間、ついに一筋の光が脳内に弾けた。シミュレートされたHowa m1500から吐き出された弾丸が光の筋を辿って巨大樹の森に吸い込まれ、一際大きな木の枝でダミー人形に照準を合わせているレオンの横顔を捉える光景が確定したのだ。
「ちょ、ちょっと遠いけど、が、頑張って...ね」
セルジュは、愛用のHowa m 1500にキスする。脳内で命中させた軌道に、現実の照準を合わせて引き絞る。
スバンッ!
その一発で、世界が決するはずだった。
……が。
ほんの一瞬。
本当に、ほんの一瞬だった。
セルジュはレオンと目が合った気がした。
(えっ)
その頬には、明らかに勝ち誇った笑みがあった。
まるで最初から、すべてを知っていたかのような......
バキィィンンッ!!
雷のような音が空気を切り裂く。
セルジュの放った弾丸が、途中で弾かれた。
(な、なん……で?)
理解するより早く、灼熱の痛みが肩に走る。
全身が揺れた。肩が抉られ、肉と骨を貫く激痛が、意識を引き裂く。
「ぐっ、は、はぁあ……っ!!」
地面に転がりながら、ようやく理解が追いついた。
レオンの弾丸が、空中でセルジュの弾丸を弾き飛ばし、その上で肩を撃ち抜かれたという現実。
『ダッハッハ!レオン様は全部お見通しなんだぜー!』
レオンの勝ち誇った声が、ルカのウィンドウから溌剌と流れる。
だが、その声は、セルジュの耳にはこう聞こえていた。“俺は、君のことを全て理解しているよ。♡”
ーーーー
「三発、鳴りました!」
ルカは勢いよく山頂へ走り始めた。
『ダッハッハ! レオン様は全部お見通しなんだぜー!』
高らかに笑う勝利宣言を聞き、山頂にたどり着いたルカが見たのは、肩から血を流して倒れるセルジュだった。
「大丈夫ですか!?」
ルカが駆け寄ろうとする。だが、セルジュはそれを制するように、軽く手を上げた。
「……ダメ、今は……今は、まだ……この余韻を……」
肩からは鮮やかな血がにじみ、マントを濡らしている。だが、顔は笑っていた。むしろ、陶酔したようにうっとりと。
「投降してくれたら、傷の手当をします!」
「あ、あはあは。た、楽しかったなあ」
艶やかにウェーブのかかった黒髪が目を隠し、それでも恍惚とした表情をしているのがわかった。怪我によるアドレナリンの過剰分泌か、全く会話が噛み合わない。
そうこうしている間にも、巨大な弾丸で抉られた傷口から、生命の雫がダラダラと零れ落ちている。
その時、ウィンドウ越しにレオンが声をかけた。
『よぉ、俺が世界一のスナイパーだ。お前も二番目を名乗ってもいいぜ。生きてたらだがな。』
「あは!い、良い狙撃だった……ぼ、僕の事を理解ってくれる人がいたなんて……うれしいなぁ。き、君の名前はなんていうんだい?」
『レオン。レオン・ヴァスケスだ。』
「レ、レオン。ぼ、僕はセルジュ・ふぁー……なんだっけ。せ、セルジュって呼んでね!」
『……調子狂うな。ルカ、手当てしてやれ。』
「はい!」
ルカは頷くと、素早くメディカルキットを取り出した。風に揺れる草を踏み分け、セルジュの側にしゃがみ込む。傷は深く、弾丸は貫通したあと、肩の肉が大きく裂けていた。
「痛みますよ、我慢してください!」
「ん、んふ……ふふっ、うふふふ……」
「(だ、だいじょうぶかなこの人……)」
ルカは眉をひそめつつも、止血処置を施すため、肩の服をハサミで大きくカットした。既にかなりの出血をしており、急いで手当をしないと血圧を維持できない。
回復のレリックを地面に突き刺し、左手で鎖骨下動脈を抑える。右手で生理食塩水を勢いよくかけて血とゴミを除去し、片手で器用にも血管の縫合を始めた。
「痛くても我慢してくださいッ」
「あ、ありがとう。れ、レオンの友達?」
「そーですよ!治った後で襲ってこないでくださいね」
ふと、指先に違和感を覚える。
血を洗い流した下には、白くきめ細かい肌が現れ……
(え、これ……)
ルカの目が、無造作に開いた襟元に滑る。
そこには、控えめではあるが、確かにふくらみが有るのが見えた。
「……あの、セルジュさんって……もしかして……女性、ですか?」
セルジュは一瞬きょとんとした顔でルカを見た。
そして、いたずらが見つかった子どものように、にへっと笑う。
セルジュ・ファーニエ18歳。
銃だけを家族に生きてきた女の子が、今日初めて恋をした。
「レ、レオン……♡」
会話は嫌い。自己表現も他者理解も、鉛の弾丸を介して行う甘酸っぱい青春が始まろうと……始まるのか?
ーーーー
敵意の抜け落ちた、優しい表情のセルジュ。
戦いが終わった後に垣間見える、ほんの一瞬の気の緩み。
偶然か必然か。
良くない巡り合わせは、まるで「そういう瞬間」を嗅ぎつけたかのように、訪れる。
「てめぇら……帆世静香んとこの者か?」
ガチリ。
突如、ルカの後頭部に重たい銃口が押し当てられた。
それは世界最大の回転式拳銃Pfeifer Zeliska .600 Nitro Express。
その破壊力は象すら一撃で倒す。
「聞いといて悪いが、口を開くな。手も動かすな。……少しでも気に入らねえ時は、その優秀な脳みそが地面の染みに変わると思え」
影から這い出るように現れたのは、まさにレオンとルカが追いかけていたグリッド本人である。
「俺はな、“自分の眼”で確かめるタイプなんだよ。……俺がお前を殺さなくて済むような話があるなら、今すぐ言え」
ルカは静かに目を伏せた。
次の一言が、命を分けると理解している。
「……俺を撃てば、貴方も無事じゃ済まない。それに、よーいドンで戦えば……勝てるとは言わないが、確実に俺に分がある。……試してみますか?」
その右手には、すでに拘束のレリックが握られていた。即死を免れるように体を捻り、拘束のレリックを発動できればルカの勝ちだ。
もしくは、時間を稼げばレオンが一撃でグリッドの脳みそを吹き飛ばすだろう。とにかく時間を稼ぎたい。
「……嘘は、ついてねえか。」
「そもそも、撃つ気があれば、もう撃っているはずだ。今こうして言葉を交わしているのは……」
ダガンッ!!
耳をつんざくような炸裂音。
Pfeifer Zeliskaの銃口が火を吹いた。
巨大な弾丸が、ルカの左腿を容赦なく抉り飛ばす。
「ガァッ……ぐぅぅッ……!!」
ルカの身体が崩れる。血が、地面を濡らす。
「……今のは、気に入らねえ答えだった」
グリッドは銃を下ろすことなく、熱を持ったままの銃口を、ルカの首に押し当てた。
「関係ないね!!!」
ルカが吠えた 。
「俺を今も生かした時点で、お前は何か交渉したがっている!! 焦っているのは、お前の方なんじゃないか!!!!?」
左足からドクドクと血を撒き散らしながら、ルカの怒声は止まらない。
抜群にキレる脳みそは、死の淵にあっても極めて正常に機能していた。これが交渉であるならば、少しでも弱みを見せる訳にはいかない。
交渉ではなく、単純な戦闘なのだとしたら、レオンがいる以上負けはない。
(考えろ!考えろ!重要なのは俺の生死なんかじゃない!)
グリッドがわざわざ危険に身を晒して出てきた理由はなんだ?そこまで重要な局面なんだ。
そもそも俺たちはどうしてグリッドを追っていた?それは、真理さんが人質になっているかもしれないからだ。
どうして、今人質を使わない?使えない理由があるんだ。
ん……こいつ最初に “帆世静香の者か?” て聞いたな。
帆世さんが一番嫌うことは...彼女の最大の地雷は...
ルカの思考が、一点に収束する。
「帆世さんと敵対したくない、でしょ?」
「チッ……」
「帆世静香。ミーシャ。柳生隼厳。レオン・ヴァスケス。最後に、俺。ここアドベンティアに来たメンバーです。俺が仲間の名前を喋った理由、分かりますね?」
「……ギリィ」
「この街全部が相手だとしても、敵にもならないと確信しているからです。……交渉したけりゃ、先に言ってください。足元が良く見えてますよ。」
地面に這いつくばり、それでも優位に立ったのはルカだった。これがアドベンティアにおける最大のターニングポイントとなった。
レオンには好きな人がいるので、セルジュちゃんの恋は……。
って言ってる場合じゃないんですよね。




