アドベンティア編 決着
血と硝煙の香りが支配する王の間で、キーンがゆっくりと前に出た。
少し離れた所で、グリッドの“Pfeifer Zeliska”が轟音を鳴らしている。何度も魂を歪められ、極限まで能力を高められた冒険者三人を相手に、激しい戦闘が繰り広げられている。
(グリッドなら大丈夫だな。オメルタが相当効いてきているようだし)
問題はこっちの女…魔王ハイキブツをどうするか。
うーん、いつもであればデートにでも誘うんだが…ま、殺すか。
「能力と目的を言いたまえ。このダンジョンの管理権を渡してもらおう。」
「……はぁ?」
魔王ハイキブツの顔が引き攣る。
その紅に彩られた瞳に、恐怖と怒気が広がっていく。
「そんな目で見ないでくれよ。」
殺したくなっちゃうじゃないか。
レオニードやエリスの歪められた不死を見て、不愉快に沈んでいた心が、少しずつ浮上してくる。
身の程知らずのバカ女(魔王)が、自分の無力に気づく前に向けてくる“キツい視線”。
この後に待つ情景を想像すると――非常に、良いスパイスになる。
ゆっくりと、大股で、一定のペースを保ちつつ歩み寄る。
相手の警戒心をすり抜ける「ちょうどいい速度」というものがある。
これは人によって異なるので、相手をよく観察することが大切だ。
ほらっ あっという間に俺の射程圏だ。
「いつもならキスしてあげるんだけど、今日はこっちだ。」
右手を跳ね上げ、“勇者の長槍”を振るう。
このユニーク槍は、使い勝手がとても良い。
力を込めて突けば、穂先が鋭く伸び、光の残像を引きながら敵を貫き、
その直後、放射状に六枚の刃がまるで天使の翼のように展開する。
ドラゴンの首すら斬り落とす、鮮烈な切れ味を持つ代物だ。
狙いは、魔王の四肢。すべて斬り落としてやるつもりで振るった。
バチィッ――チ゛チ゛ッ!
≪「ぎゃぁっ!?」≫
≪コードキー“勇者の長槍”の使用を検知しました。≫
槍が魔王に触れる直前で、空間に亀裂を走らせて穂先が止められる。
「やっぱり、ダンジョン産のアイテムは効かないのかな?」
≪個体名セオドア・ロバート・バンディ・キーンによる世界管理システムへの攻撃を検知しました。System-Law 5.1.1/2.3.1に基づき、制裁措置を実行します。対象コードキー“勇者の長槍”のアクセス権を凍結します。 ≫
ひび割れた空間からあふれるように、システムの警告と制裁が叩きつけられる。
予想通りだが……これは、グリッドの“爆炎の指輪”が封じられたときと、まったく同じだった。
グリッドのように強力な現代の武器を持っているなら多少戦えるが、今も魔王城の下で戦っているネームドモンスターを相手にすることは難しい。この激変した世界を生き抜くためにはダンジョンから得られた能力やアイテムが必須であるのだ。
その能力やアイテム自体に干渉してくるとはね。
今も魔王が空間にせわしなく手を動かし、いくつもの制限が俺に飛んできているのが分かった。
持っていたアイテムが軒並み沈黙し、身体能力も落ちていく。幸いなことに、洗脳の類のスキルは使ってくる様子はない。
それでも俺なんかじゃ理解できない、特異で高度なスキルを駆使しているんだろう。
すごいすごい、良く頑張ってる。
だが、俺を目の前にして、別のことに集中しているのは悠長だな。
使い物にならなくなったアイテムはいらない。特別な力が無くたって、俺はいつだって人を殺すことに困ったことは無い。
「ハハハ 俺は俺だぞ!」
“チャーミング・プレデター”
女は目で殺せる。
スキルとして名付けられたのはあとからの話で、本質は俺の中にずっと前からあった“目の使い方”だ。自己発現させた能力あ、魔王をもってしても完全に制限することはできはしない。
笑顔で魔王の目を見つめ、目が合った瞬間、魔王の時が少しだけ止まる。
ほらな、これで十分だ。
右脚を振る。滑らかに、鋭く、鎌のように。
狙いは膝裏。関節というのは、意外と簡単に折れる。
バギィッ!
いい音が鳴った。
膝が外れた感覚、体が崩れる感覚、それが俺の足にちゃんと伝わってくる。
魔王の体が中途半端に浮いて、重力に引っ張られて、藻掻きながら沈んでいく。
「っ…っ!?」
顔が“何が起こったかわかってない”っていう、間の抜けた表情になっている。
その顔、好きだぜ。
理解できてないまま負ける奴の顔って、なんであんなに美味しそうなんだろうな。
俺は間髪入れずに前へ出る。
喉元を狙ってもいいし、顎を砕いてもいいが――今回はちょっと丁寧に、顔を掴んでやった。
冷たく、濡れた感触。魔王の肌って、思ったより柔らかいな。
「よっと ベッドじゃなくてごめんな?」
ズダンッ!
そのまま、床に叩きつける。頭蓋が床にぶつかる音が、すこし鈍かった。
「唖゛唖゛ア゛ア゛ああああああああ!」
魔王ハイキブツが咆哮を上げて腕を振り回す。
迸る火柱。
吹き出す熱と炎が、俺の左頬を真正面からなぞった。
ジュッと音がして、肉が焼ける匂いが立ち上る。俺は変態サイコパスではないので、痛みは嫌いだし、人肉の焼ける香りにも不快感を感じる。
だが、それも許そう。睨む瞳も、理不尽な異能も、感じる熱も痛みも全てカタルシスの種である。
「ぉおっと、熱いね……でも悪くない」
俺は笑いながら、床に倒れる彼女に腕を回し、激しく振るわれる手を握る。
まるでベッド上で恋人と激しく乱れ合っている気分になってくる。
「怒った顔も悪くないけど、やっぱり泣き顔の方が俺は好きかな」
取り押さえた腕から、炎を撒き散らすアイテムを奪い取る。
その手に握られていたのは、黒金に輝く、ユニークアイテム。
“全理の六法演杖レクサルカ・オムニス”
これはほとんど知られていないが、かつて帆世静香がリアーナから奪った“万理の魔導書”と同系統上位の権限を持っている。
一.世界中のあらゆる事象の観測と記録
二.人やアイテムへシステムへのアクセス権限付与と凍結(スキル発現や魔法具について)
三.人類の進化を促すための空間改変(ダンジョン、使徒、進化の箱庭運営)
四.異世界からの外敵対応(大いなる情報体アクシノムが割り振ってくる)
五.世界管理システムの保護措置
六.全権限統括・特殊運用
「――かえせッ! それは、私の……ッ!」
床に這いつくばったまま、魔王ハイキブツが喉を震わせて叫んだ。
良く叫ぶ女だが、今までで一番焦っているように見えた。
なるほど。よほどこの杖が大事らしい。
俺は、“レクサルカ・オムニス”をくるりと一回転させて見せる。
「これの使い方も、教えてもらおうかな?」
きっ…!
魔王が下から俺を睨み上げ、続いてあたりを見渡した。
「クソ冒険者どもォ!!!私を助けろッ!!!」
怒りの慟哭であり、最後の希望を探す絶叫である。
魔王の最後の希望は――
自らが捕らえ、魂に手を加え、幾重にもブーストを重ねた三人の冒険者たちだった。
魔王の異能とは、簡単に言えば世界管理システムの使用である。人類の進化を促すためのシステムは、そのまま使用するだけでは冒険者である人間たちを直接害することが難しい。
魔王がとれる手段は基本的に三つだけ。
一つ。ダンジョンを広大に構築し、魔王城には無数の魔物を設置して冒険者を襲わせる。
二つ。強力なアイテムを生成、発見し自ら使用する。
三つ。冒険者を操って、自らの手駒にする。
あと一つ、条件がかみ合わなければ使えない切り札もあるが…
その手札の三つ目。激戦によって命を落とした上位層の冒険者の魂に干渉し、かけれるだけのブーストを付与して手元に置いていた。
その三人を手元に引き戻すために、魔王ハイキブツは、俺に抑え込まれたまま、必死に首をひねって叫ぶ。
すると、俺の背後に近寄る気配があった。武器が擦れぶつかり、床を歩く音が聞こえる。
「お……」
ガシャガシャ ガチャ ベタ…ベタ…
(……三つか)
明らかに複数の気配。
しかも、さっきまで続いていた戦闘音が止んでいる。
「遅いわ!!! お前も、その汚い手を離せッッ」
魔王の声が一段と高くなる。
顔には焦燥から一転して、高圧的な余裕が戻ってきていた。
「来るのが早いよ…」
ひとつため息をつく。もう少し時間があると思っていたが、予想外だった。
背後に首をひねって振り返ると、全身ボロボロになってはいるが、幾分表情が戻っているエリス・グリーン。そして見上げきれない巨体の鉄壁兄弟が立っていた。
ザザッ
三人が弾かれたように動き、左右に分かれ俺を挟み込む。
その踏み込みに、ビキビキと床が軋む。
そのまま、エリスが剣を、鉄壁兄弟が拳を振り下ろした。
ドォン ガンッ
一陣の風が吹き抜け、三人の顔が手が届くところまで近づいていた。
「…えっ?…どうして…」
魔王の困惑した声。
三人が殴ったのは床。
無傷でぴんぴんしている俺を見て、魔王が目を丸くして驚いている。
「お楽しみだったか? 好みじゃねえと聞いていたんだが。」
前方が開けていた。
三人が横によけ、地面に膝と片手をついて道を作ったのだ。
その奥から。ゆらりとグリッドが現れる。
顔半分が返り血に濡れ、コートの裾からも血がぽたぽたと雫を垂らしている。
随分と凄惨な様子にもかかわらず、片手には火を灯した太い葉巻。
「俺が、アドベンティアの王だ。」
≪キング≫ グリッドが、ふぅ……と紫煙を吹き出し、目を細めて笑う。
「だそうだぜ、魔王様。ここに、お前の、味方は、誰も居なくなっちまったなぁ?」
俺は視線を魔王に戻し、徐々に状況を理解していく様子を観察する。
脳の理解に合わせて、一言一言噛み砕き、くつくつとした笑いを押し殺しながら伝えてあげる。
グリッドのスキルには、オメルタの掟が発現している。彼と約束をした者が、それを破った時に効果を発揮する特殊なスキルだ。
彼はアドベンティアに君臨する王、冒険者である以上彼に敵対することはできない。
魔王の瞳に絶望が染み出し、暴れていた四肢から力が抜けていく。
心が折れて降参したのか、それともまだ逆転の手を隠しているのか。確かめてみるか。
「急にしおらしくなっちまって、諦めたのか?」
「……すぐに一階のモンスター達が来るわ。私が襲われた時に、最優先に守るように命令してある。」
か細い声で、それでも精一杯の強がりを口にする。
だが、その言葉を支える意志の芯は、すでに砕けていた。
グリッドは葉巻を口から外し、目を細めたまま静かに言う。
「嘘だな。」
短く、断定的に。
その言葉に、魔王の肩が小さく跳ねた。
否定も抗弁もなく、ただまぶたを伏せて口を噤む。
その沈黙が答えだった。魔王はグリッドのスキルを知っている。彼に嘘は通じない。
「……もう、いいわ」
搾り出すような低い声。
それは呪詛でも祈りでもなかった。ただの敗者の呼気。
「ふんっ……殺しなさいよ」
唇の端を吊り上げ、わずかに笑みを作る。
「次は、お前ら二人から殺す。」
その眼差しには、滲む涙も後悔もなかった。
ただ、最後まで己の“格”を落とさないまま、静かに目を閉じた。
――まるで、次を確信しているように。
次の話、グロテスク注意です。




