アドベンティア編 侵入
マリちゃん一行が、ドラゴンズネストに足を踏み入れた頃。
キーン達も動き始めていました。
「あっはっは! おい見てみろよ、グリッド。最高だなこりゃw」
高級な革張りのソファにふんぞり返り、豪奢なグラスに注がれた赤ワインを揺らしながら、スクリーンに映るニュース映像に腹を抱えて笑う男が一人。
紺碧のスーツをパリッと着こなしたその男は、品のよさと下品さを絶妙に混ぜ込んだ笑みを浮かべていた。
ここはグリッド・シンジゲートの本拠地最上階の一角、特権階級の人間であっても足を踏み入れることを嫌う魔窟である。そんな場所で、この城の王を呼び捨てにできる男など、たった一人しかいない。
「キーンよぉ、随分とご機嫌じゃねえか。今頃冒険者共が血流してるって時によぉ」
グリッドの声には、わずかに苛立ちを含んだ緊張感がにじんでいた。
それも無理はない。今日は――アドベンティアの精鋭が総動員された、魔王城攻略の当日なのだ。
傘下のマフィア構成員の大半が前線に投入され、街の冒険者たちも数多く参戦している。
小型の輸送機をはじめとした兵器類も多数動員され、まさにこの街の命運を賭けた決戦の日となっていた。
だが、純粋な疑問の気持ちも浮かんできた。何がそんなに彼を高揚させているのか、スクリーンに目を移す。
「帆世静香のニュース、か。」
やっぱりな、とグリッドが内心呟く。
帆世静香派とアンチ帆世静香派が、今日も激しく衝突しているというニュースだった。
グリッドから見ても帆世静香とその取り巻きの活躍は凄まじいものがあり、まさしく彼女こそが人類の英雄と称されてふさわしいのだろう。
キーンとグリッドが圧倒的な実力と政治力をもっているのも、このアドベンティア内に限定された話であり、一歩外に出ればまだまだ帆世静香には及ばないと自覚していた。
「そんなに面白いニュースだったか?そもそもアンチどもに金と武器を流してるのは俺達じゃねえか。」
グリッドが、やや低めの声で問いかける。
その視線はスクリーンではなく、キーンの表情の裏側を探っていた。
キーンの指示通り、グリッドは世界中の“ろくでなし”どもに働きかけ、半ば洗脳めいた手法でアンチ帆世静香の集団を組織してきた。
正直、最初は懐疑的だった。こんな手に引っかかるのは、社会の爪弾き者や、極端に知能の低い陰謀論かぶれのゴミ共ばかりだ。そんな連中を集めたところで、果たして何の利益になるのか、誰しもがそう思っていた。
実際にやってみれば、民衆に溶け込んだゴミ共も使い勝手は悪くない。様々な角度から情報を吸い上げることができるし、騒ぎを起こさせて尻尾切りするのも容易だ。
そして、民衆をコントロールしていくことで、驚くほど早く利権の匂いが漂いはじめた。
帆世静香という一個人に、社会の表も裏も飲み込まれていく焦りから、立場を追われかけた政治家や権力者が、救いを求めるようにアドベンティアの地下へと接触してきたのだ。
彼らにとって、帆世静香は“正義の仮面をかぶった災害”だった。
せっかく築いた地盤も、人望も、支持層も、全てを根こそぎ持っていかれる。そんな焦燥が、明るすぎる光に目を焼かれた暗い感情が、巣に殺虫剤をぶち込まれた害虫どものごとく逃げ場を求めて蠢いていた。
その逃げ道として、冒険者の街アドベンティアは最高の舞台を整えていた。
彼らを少し煽ってやるだけで、自ずとグリッドとキーンのもとに、両手を擦り合わせながら集まってくる。
あとは彼らのコネを有機的に結合させ、アドベンティアでとれる資源を世界中に売りさばく販路として活用するのだ。また、アメリカ政府やUCMCからの干渉を妨げる盾としても価値は大きかった。
「帆世静香のアンチになる屑ども、俺が許せるわけないだろう。彼らが蒙昧な戯言を好き放題言っているのが、ムカつくじゃないか!」
帆世静香のアンチ集団を作ったのは、そうすることで目に見えなかった潜在因子をまとめるためでもあった。
“この世界が狂ってしまったのは、帆世静香のせいなんだ。”
“政府と帆世静香が作り上げた陰謀に皆騙されているんだ。”
彼らは常に、後ろめたい気持ちに共感してくれる同類を探す。そうして炙り出したアンチ帆世静香の集団に、あることないこと吹き込んで暴動を起こさせていたのだ。
帆世静香に味方する人が大半であり、身を守るための暴力が許容されつつある社会で、そんな暴動を起こせば命を失う可能性だってそこそこ高い。
「俺にとっちゃ、そういう屑共が飯のタネにもなるからな。気にしてもしょうがねえが…そういうことなら、帆世静香の信者にだって相当数の死傷者が出てるのはいいのか?」
「フンッ 俺は同担拒否なんだ。俺以外が帆世静香を愛するのも、気分が悪い。だいたい、彼女の本当の想いを無視して、都合よく信じたいことを信じている連中なんて、アンチ共の次に嫌いだね。」
民衆の前に出れば、老若男女に笑顔を振りまく八方美人の英雄が、こうして二人きりでいる時には全方位に悪意を撒き散らす厄介な側面を持ち合わせていた。
「グリッド、よーく聞きな。信じすぎる人間は視野を失い、疑いすぎれば真実すら見えなくなるものさ。そういう蒙昧で愚鈍で馬鹿で情熱的な無能を、頑張って増やして間引いているのさ。一生このまま滑稽な姿で俺を楽しませてほしいね。」
ひとしきり自論を展開して満足したのか、壁に立てかけられていた槍(勇者の長槍)を手に取り、スーツから竜鎧に着替えはじめた。
それをみて、既に準備を整えていたグリッドは、指にはめられている爆炎の指輪を撫でるのだった。
「ようやく出発か。」
「あぁ!魔王城の住人は皆殺しだ。」
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「ハハハ さすがに飛行機は早いなッ」
キーンが上機嫌に笑う。
アドベンティアの空を、彼とグリッドを乗せた飛行機が滑るように進んでいた。
この機体は、もともとダンジョン内で収集・運搬可能なサイズに分解されていたものだ。冒険者たちがそれを担ぎ、必要な部品を現地で組み立てることで、ようやく空を飛ぶこの“即席の翼”が完成したのだ。
飛行機の分解と組み立ては、非常にコストの大きな作業ではあるが、こうして一度完成させてしまえば人や物資の運搬に大変なメリットを与えている。
目的地は――魔王城。
近づくことすら困難を極める陸の孤島である。
あまりにも広大で、多種多様なフィールドで構成されており、城の手前にはモンスター蠢く密林と、底なしの断崖が行く手を阻んでいた。
マフィア構成員を含む冒険者たちは、それぞれの持つスキルに応じて、魔王城を目指して進軍していた。その先鋒が魔王城のふもとに辿りつき、出てくるモンスターと交戦しはじめている。
その情報を得て、ようやく本丸のキーンとグリッドが出発したのだ。
「うおっ……ッ!!」
飛行機の窓から身を乗り出したキーンが、即座に顔を引っ込めて注意を飛ばした。
「来やがったぞ!空の連中だ!」
飛行機の前方、雲の狭間から黒い影がぽつぽつと現れはじめた。
最初に視界を覆ったのは、うねるような軌道で滑空する“スモークスティングレー”。
黒い靄をまとったその身体は、陽光すら吸い込むようにぼやけており、尾に備えた毒針が空を裂いて機体に迫る。
次いで現れたのは“アンゲロクロウ”。
土色の羽毛を持つ巨大なカラスのような魔物で、カァアアアア……と機械音のような鳴き声を響かせながら、まるで防衛システムのように襲来してくる。
「ひぃ!このままでは、進路を塞がれますッ」
パイロットの男が、裏返った声で機内にいる二人に助けを求める。
操縦桿を握るその手はぶるぶると震え、肩まで強張っていた。冷や汗が頬を伝い、顔色は土のように青い。
そんな彼の肩を、後ろからガシッと掴む手があった。
「おい、大丈夫だって。お前の腕は信用してる。ここを切り抜けたら、酒でも奢ってやるよ」
そう言って、キーンがにやりと笑う。
英雄として名高い男の、温もりが伝わるその一言に、パイロットは目を開いてこくりと頷いた。
「……はい! やります!」
「それでこそだ」
キーンはそう返すと、パイロットと共に前を睨んで、もう一人の男に指示を飛ばした。
「おい、グリッド。好きに暴れていいぞ」
「言われるまでもねえ。」
グリッドは窓から外を睨み、スーツの袖をまくった。
キーンが飛行機の進路を細かく指示している声を聴きながら、その邪魔になるモンスターに狙いを絞っていく。
――【ドゥームクラップ】――
グリッドの指先が静かに鳴った。乾いた「パチン」という音が、まるで時限装置のスイッチのように、空気を震わせる。
直後、彼の中指に嵌められた《爆炎の指輪》が妖しく赤く輝いた。
その輝きは、まるで獲物を見つけた猛獣の目のように、標的に吸い寄せられる。
「揺れるぜ」
指輪の輝きが一点に集中し、空間が引き裂かれた。
まるで空中に埋め込まれた爆弾が一斉に起動したかのように、三体のアンゲロクロウの頭上で連鎖的に爆発が起こる。
ごうん、と爆音が鳴り響き、焼け焦げた羽根が宙を舞う。
「…次」
スモークスティングレーの群れが左右から接近するが、グリッドは再び指を鳴らす。
エイム、範囲調整、溜め時間、それらを感覚的に調整しながら放つ爆発の魔法を、グリッドは持ち前の感性と揺れない度胸で制御していた。
「もう少しだ!あれを視ろ!」
キーンが指さす方向には、雲を貫く灰色の尖塔が姿を現していた。
魔王城のお出ましである。
迫るモンスターに灼熱の爆炎が降り注ぎ、その間隙をうまくついて飛行機は目的地へたどり着くことができた。
「あとは俺が相手しよう!」
キーンが叫ぶや否や、飛行機のドアが乱暴に開かれ、爆風が機内を叩く。
その強風をものともせず、彼はためらいなく身を投げ出した。
パラシュートなど無い。ただの落下――かと思われた次の瞬間、
キーンの全身に黒い靄が立ち昇り、彼の体はまるで空に浮かぶように停止した。
重力すら無視する不自然な浮遊。飛行機に殺到していたモンスターが、矛先をキーンに変える。
――【死神の大鎌】――
キーンの手に握られた槍が、闇の霧に呑まれながら変貌する。
鋭利な刃は曲線を描き、勇者の象徴たる長槍は、死神の大鎌と化した。
「君たちの死は、大して面白くは無いが、生きているよりもマシだろう」
すーっと
無音で、死神の大鎌が横なぎに振るわれる。
死神の保有する唯一の異能は、相手に死を与えること。
また、この男キーンが発現させた最も得意な異能は、生を奪う事。
これ以上ないほどマッチした二つの能力が融合し、空中を飛び交うモンスターの群れに、静かだが突然の死をもたらした。
「じゃあな、気を付けて帰れよ」
そう言い残し、今度はグリッドが飛行機から飛び降りる。
帰還する者のために、彼は後方に盛大な爆炎を巻き起こして、空中の進路を強引に切り開いた。
飛行機の周囲から魔物の姿が一掃され、パイロットは心を打たれたように声を失った。
そして一度だけ大きく旋回すると、アドベンティアの街へと帰路につく。
無事に帰れる保証などない。
だが今、想像をはるかに超える光景を目の当たりにしたことで、手の震えは止まっていた。興奮が全身を支配し、恐怖の感情はとうにどこかへ吹き飛んでいった。
「ちょうど良い位置に着いたな。ビビりのくせに、腕だけは良い。」
去っていく飛行機を一瞥して見送り、遂に魔王城に足を踏み入れる。
遂に…とは言ったが、本来味わうべき苦労のほとんどをすっとばしていた。
三段構えの城壁を飛び越え、幾重にも張り巡らされたモンスターと出会うことも無く、無数のトラップを無視して、直接魔王城の最上段へ侵入したからだ
。
「さて、グリッド。魔王様はどんなヤツだと思う?」




