アドベンティア編 四半期決算説明会※
煌々と明りの灯ったホールには、金の鎖とシルクのスーツに身を包んだ男たちが静かに座していた。壁際には武装した男達がずらりと並んでいるが、誰もが緊張した面持ちで身体を硬直させていた。
低く鳴る革靴の音が、石造りの床に吸い込まれていく。アドベンティアに君臨する王、政府の干渉すら退ける二人のトップがやってきた足音だ。ゆっくりと扉が開かれ、その二人がホールに入ってきた。
黒髪を後ろに撫でつけ、太い葉巻をくゆらせながら登場したのは、彼らの元からのボスである≪キング≫ グリッド。
その後ろからは、軽やかな青いスーツに身を包んだ、≪英雄≫ キーンが笑顔で入場した。
「お疲れ様です!!」
円卓の全員が起立し、一同頭を下げる。
二人が上座に座り、グリッドがじろりと全体を見渡した。その命をじりじり削るような重たい視線に、冷や汗を隠せない者もいる。
「よしっ それじゃあ、始めよっか」
パンっと手を打って、キーンが開始の合図を告げた。マフィアの面々にとって外様であるキーンだが、こうして明るく空気を変える人付き合いのセンスは評価されており、キーンに心酔している者も少なくない。
「本日はお忙しい中、お集まりいただきありがとうございます。これより、アドベンティア第一回四半期決算の説明をさせていただきます。わたくし、司会のロバートと申します。」
キーンの部下であるロバートが資料を片手にスクリーンの横に立つことになった。
彼はキーンの会社で永らく活躍していきた優秀な男である。
「まずは、本日の概要から説明させていただきます。六月初頭、ここデトロイトの街にダンジョンが出現しました。それから三カ月、我々とグリッド氏が協力してダンジョン都市アドベンティアを構築してきたわけであります。その運営について、初めての四半期決算を報告させていただきます。」
2040年9月、こうしてアドベンティアという世界初の冒険者の街が誕生した。
アメリカ合衆国の内部にあって、政府の干渉の一切を跳ね除ける一種の自治区として、その運営を司る重役が勢ぞろいしている。
「まず、こちらをご覧いただきましょう。簡単なサマリーになっております。」
「ざっくりと計算して、三カ月で約7億6000万ドルの大幅黒字を記録しました。主な収入源はダンジョン産の素材やアイテムを冒険者から買い取り、国や企業相手に輸出できたことが一番でしょう。私がその担当を兼ねておりますので、このまま引き続き説明させていただきます。」
7.6億ドルの黒字とは、日本円に換算すると大体1000億円の黒字ということになる。
巨額に感じる数字だが、これはキーンとロバートがあらかじめ計算していた数字と大きく差は無かった。
「まず、支出の欄をご覧ください。こちらは、冒険者たちから素材やアイテムを買い取った際に使用した金額となっています。約三カ月の期間で、買い取りに6億ドル使用しました。これは初期の冒険者たちを集める目的もあり、かなり広範な素材・アイテムを高額で買い取る方針で行いました。別途資料に細かい品表を添付してありますのでご確認ください。それらを一律三倍の価格で輸出しています。よって、当セクターでは12億ドルの黒字という結果になりました。」
ダンジョンでとれる物なら、ほとんどが対象となっている。極端な例を挙げると、ダンジョン産の土の瓶詰でさえ対象だ。一日一瓶と制限を設けているが、ただの土であっても500ドルで買い取っていた。各国各企業が研究目的で欲しがる以外にも、世界中の人間相手に販売することができている。
月の石が売れる時代に、ダンジョン産の土が売れないわけがない!と販売プロモーションを行った結果、想像以上に反響があった。
アドベンティアは実に多くのフィールドを有している。
始まりの平原、トレントの森、ハーピィの崖、風鳴き峠、隠された花壇、双月の湖、ワイバーンの根城、ダンジョンアリの地下迷宮、流れる夜空の迷宮、巨大樹の森、魔王城前の断崖……
それらのフィールドから取れる様々な動植物、モンスターの素材、アイテムが出てくる宝箱なんかも時々発見される。そうした品を運営側が全て買い取っているのだ。
「いつダンジョンが消えるか分からないという希少性により、相当高値での取引が可能でした。この傾向は今後も継続するという予想ですが、やはり重要なのは実際に効果のある素材を、いかに多く確保していくかということになります。」
ただの土が売れるのは、その希少性やダンジョンブームにあやかりたい人間にヒットしたからだ。しかし、実際になんらかの効果の無い素材ばかりではビジネスに継続性はないだろう。
「その点、日本にある進化の箱庭が比較対象にされるでしょう。我々の方が遥かに大規模に運営していますが、日本産のトロールの丸薬、ラウガルフェルト鉱石なんかは従来のテクノロジーでは再現できない素材です。我々も購入していますが、あのような商品を揃えていくことが課題でしょう。」
そこで、ロバートは一度説明を止めた。
全員が真剣な表情で資料を眺めており、彼らから質問が出てくるのを待っているのだ。
最初の質問は、やはりこの男、キーンから投げかけられる。
「ロバートくん、ありがとう。中々の黒字で嬉しいんだけど、価格設定について聞きたいね。今後も同じ値段で売買するのかな?」
「キーン様、商品の売買価格についてお答えいたします。適正価格についての判断は難しく、第一四半期での実績から需要と供給バランスを精査しているところです。対外的に一律三倍で販売していますが、これ以上高く設定すると、冒険者たちが自ら販売し始めるというリスクがあります。つきましては、一つ議題として提案がございます。今後、冒険者たちを雇用し、こちらからの依頼で素材採取させる組織を作りたいと思っています。」
ロバートが答える。
自由に行動する冒険者と、全て自由売買という形式で素材を収集しているのだ。そのため、希少性の高く有用な素材ほど自己消費する冒険者が多く、安定した量を確保することは困難だった。また冒険者たちの攻略場所の偏りなども、商品確保の予測を困難にしている要因でもある。
ロバートは、今回得た現金をつかって、冒険者たちと雇用関係を結びたいと考えていた。
そうすることで、需要のある素材を重点的に採取し、自由マーケットとのバランスを調整することができる。
「私から質問してもよろしいか。」
挙手するのは、エインスウォーという名の男。
グリッドの下で、カポ・レジームという階級を貰っている幹部の一人だ。彼は同じカポ・レジームの階級の中でも古参と呼ばれる実力者である。
「エインスウォー様、どうぞ。」
「冒険者を雇用するというのは、経済的に見れば合理的に違いない。だが、この街に集まっているのは政府の管理を嫌った流れ者が多く、組織に組み込むにはそれなりの法規が必要だ。我々は血の団結をもって繋がっているが、はたして冒険者どもを統率できるかね。」
エインスウォーの話も、正論である。一人一人の実力に開きも多く、きっかけ次第で急激に強くなる可能性が秘められているのがダンジョンだ。そんな中で、元から組織に入れなかったような者を従えるには困難が付き物である。
それに、マフィアとして長年活動してきた者の間で、好き勝手している冒険者たちを見下す風潮もあった。
「おっしゃる通りかと……」
これには、ロバートも言葉を詰まらせる。
ロバート自身が外様であり、勢ぞろいしたマフィアの重鎮を相手に、ただの数字だけでは説明できない圧力を感じてしまっていた。
「いや、まったくだ。冒険者たちにとって、今くらいの規律が限度かもしれないな!それに、“自由”に憧れて集まってきているのも悪い話じゃない。」
キーンがフォローを入れる。
誰か妙案はないの?と足を組みながら円卓を見渡すキーン。
「やはり、他のファミリーを傘下に加えるというのはどうだろうか。」
再び、エインスウォーが発言する。
「メキシコ、ブラジルのギャングか……イタリアのジェンコ・ルッソ家も縁があったはずだ。」
「カルテル崩れ達はやめとけ。俺達の格まで下がらぁな。」
「すると、イタリア系列に声かけてみますか? 彼らもダンジョンに一枚嚙みたくてうずうずしているはず。」
他の幹部からも意見が出てくる。
キーンもロバートも、マフィアやギャングと言った闇の世界については詳しくない。蛇の道は蛇、事態がどう転ぶのかを静観するしかなかった。
そこで、ようやくグリッドが口を開く。
「俺が声をかけておこう。だがな、イタリアんところは抱えてる武闘派も並みじゃねえ、下手したらこっちが食われることもある。お前ぇら気合入れろよ、力があるやつが上に立つんだ。」
長年その世界で君臨してきた男の言葉に、場が引き締まる。
「グリッド、大丈夫さ。」
キーンがウインクして軽く言う。
言葉は軽いが、その実力はドラゴンの首を斬り落とすほどである。まさしく、他を寄せ付けない冒険者のトップが太鼓判を押した。
「続きまして、各セクターの担当から説明に移りたいと思います。」
会議は進行する。
「では、飲食宿泊セクターから説明します。現在アドベンティアの当該セクターのシェア率は100%。この街の経済規模全体を対象としていると考えられます。収支としては4.7億ドルの支出に対して4.3億ドルの売り上げ。利益率マイナス10%と、4300万ドルの赤字となりました。赤字分は希少素材輸出から補填していただいています。」
アドベンティアに集まっている冒険者は約1万人、さらに冒険者相手に宿泊業・飲食業・風俗業・加工業・小売業が約5万人。合計6万人の人間が集結する市場となっていた。
この街の産業は、基本的にグリッドのマフィア傘下に入ることを条件に開業している。そのため、グループ経営という形で計算されていた。
約6万人が生活する街で、三カ月間で4-5億ドルの市場ということになる。これは無一文の冒険者志望であっても受け入れる関係上、非常に格安の料金で宿泊・飲食させていた。そのため当然赤字となっており、これは予定されていた範囲に収まっている。
「風俗娯楽セクターは、マイナス5%ほどの利益率で、赤字分の2000万ドルを補填していただきました。また、宣伝費を別途申請しています。」
この街の娯楽は、現在酒か女に絞られている。
冒険者たちの昂った精神は、時として女に乱暴なはけ口を要求していた。
「冒険者たちが身体的に強くなっていく関係で、並みの女ではすぐにイカレてしまうのが現状です。壊れた女たちの処理と、新たな人材の確保に奔走しています。一部ダンジョンに潜っている嬢は、身体的な頑強さだけでなく、髪質や肌質が向上することから絶大な人気を博しています。」
肉体労働者が多い街で、性産業は切っても切り離せない関係にある。
その確保が、担当者の頭痛の種になっていた。
「やっぱ、女どもにもダンジョンに行かせるしかないんじゃないのか?」
「それじゃあ、わざわざ男に股ひらくヤツがいなくなるだろーが。」
「ちっ…じゃあPT組んでドメ刺しだけやらせるか?」
この担当になった者たちは、他のセクターとくらべて若い構成員が多く、その分ガラが悪いという風に感じていた。
女性の力を借りて成功してきたキーンにとって、女性をないがしろにする発言を聞くのは楽しい気分ではない。……もっとも、この中で誰よりも女性に対して罪を重ねているのもまた、キーンであるのだが。
紳士的な性格と、殺人を渇望する精神が同居するなか、キーンは自分のしたいように生きていた。
「それなら、俺に考えがあるよ。俺の女たちを集めてくるから、そっちの方でも見繕っておいてくれないか。口が堅い女性を重点的にピックアップしておいてほしい。」
キーンの脳内には、特にリスクなく人を強くする方法が存在していた。
実際にキーンとグリッドが常套していた手段であり、それを一部の女性にも応用しようと考えていたのだ。
「おい、キーン。あんまり派手にやんなよ。」
「大丈夫さ。俺は女性を見る目には自信があるんだ。」
キーンとグリッドの間で、意味深な会話が交わされる。
だが、トップ同士の会話に首を突っ込まないだけの処世術を、全員が心得ていた。
その方法までは知らないが、キーンとグリッドは、尋常な手段だけでは到達できない力を有しているのだから。
「武器の輸入は、他セクターと比べては小規模に展開しています。6900万ドルの支出と、6000万ドルの売り上げとなりました。冒険者たちからはAk47が最も人気でして、序盤のフィールドでは十分な火力を提供できています。ですが、中盤以降からは銃器が通用しない敵の方が多く、今後扱う商品の拡充が必要です。現在武器の輸入ルートを拡大していまして、今後は空爆用小型機など高価な商品を輸入したいと考えております。」
遠距離攻撃ができる銃器の人気は顕著で、赤字ではあるが安価に提供していた。この武器提供を始めたことで、冒険者たちの流入が急増したため、赤字とはいえ総合的に考えると十分効果があったと言える。
もちろん扱う商品のほとんどは非合法であり、その密輸入ルート開拓が課題となっている。
「各セクターの皆様、説明ありがとうございます。その他ですと、初期のインフラ整備にはコストを駆けられなかった分、今後重点的に予算をあてる方針となっています。対外政策では、アメリカ政府からの干渉が強く、そこに1億ドルの支出となりました。一方でダンジョンがいつまで存続するか不明瞭なことから、外国からの投資は3000万ドル程度に限定的です。」
その他のセクターについて、ロバートが淡々と説明していく。
そのどれも合理的な説明であり、とくに異論がでることはなかった。
「ロバート君ありがとう。席に戻ってくれたまえ。では、今からいくつか議題があるんだが…」
キーンがロバートを席に戻す。
そして、その言葉尻をぼかして…
「まずは、そこのお前。ちょっと立って、俺の顔を見ろ。」
グリッドが、末席に座っている男を指名した。
指名された男の方が跳ね上がり、その場で直立する。
「は、はい!」
返事する声が裏返っていた。
見た目は20代後半、この円卓の中ではかなり若手である。
「てめぇが呼ばれた理由、なんか心当たりはあるか?」
グリッドの底冷えする視線が、彼を射抜いていた。
うーん、なんだろうね? とキーンが流し目で伝えてくる。
「……っ……自分の管理する構成員は、そっ、それなりに働いております!現在では街の治安警護と、ダンジョンではあd…」
「てめぇ、舐めてんのか?」
グリッドが言葉を遮る。そして手で何やら合図をすると、壁際で待機していた構成員が素早く青年の体を拘束して、地面に額を叩きつけた。
「ぐァ゛! 俺が何か失礼をっっ!?」
円卓に座る幹部が、冷ややかな目でそれを見下ろす。
彼らにとって、これは見慣れた光景であり、青年が悪手を選んで破滅していく様が容易に想像がついたのだ。
「最近街でヤクを売ってる奴がいるが、てめぇの治安警護はどうなってやがんだ?あ゛?」
アドベンティアの街で、違法な薬が売られている噂は、キーンも聞いたことがあった。
危険と金が隣り合わせになっているダンジョンで、恐怖心を失くすために覚せい剤を使う冒険者は後を絶たない。
「すみまぜんっっ…直ちにっ…密売人を見つけまず!!」
青年は必死だった。
口と鼻から血を噴き出し、必死にグリッドの顔色を窺っている。
「みつけたらどうするんだ?」
「見せしめに、耳と鼻を削いでっ…この街に二度と入らないようにっっ!?!?」
耳をつんざく悲鳴とともに、青年の顔から片耳がそぎ落とされた。
グリッドがゆっくりと立ち上がり、青年の前まで歩いていく。
「てめぇ自身が、ヤク売ってんだろ。俺たちは薬を売らねえって知らなかったとは言わねえよな?」
「そんなっ! 俺は決してッ いぎゃあああああああああ」
再び絶叫がはしる。
はぁ…男の悲鳴を聞いても、俺はちっとも楽しくない。
スーツに血が付くのは嫌だったが、事態の収拾に少し手をかしてあげよう。
「君、君。グリッドは嘘を見抜くスキルを持ってるんだ、下手なこと言っちゃだめだよ。ほら、素直に話せば、俺からもグリッドに頼んであげるからさ」
キーンがポケットに手をつっこんだまま、床に頭を打ち付けて呻く青年に優しく声をかけた。
青年からは見えないだろうが、その目は冷たく笑っている。
「う゛び…ま゛べん…俺゛がやりまびだ…」
「おう。手間ぁかけさせんなや。このボケを連れていけ。この街で俺達が稼げてるのは、冒険者どもが毎日ダンジョンに潜っているからだ。その冒険者どもを壊すようなクズな真似しやがって。てめぇには名誉ってもんがねぇのか!」
そのまま青年は悲鳴とともに別室に連行されていく。
「相変わらず、そのスキルは便利だね。」
涼しい顔で言うキーン。
【キング・グリッド】
主な称号:[アドベンティアの王][ドラゴンスレイヤー]
所属クラン:グリッド・シンジゲート
固有武器:爆炎の指輪
身体強化Lv2
保有スキル:ドゥームクラップLv5、オメルタの掟Lv3、ライブレイカー
グリッドのライブレイカーというスキルは、対象者の嘘を看破し、その心情を読み解くことができる。
長年、裏切りの絶えない闇社会で君臨してきただけの実力はたしかだった。
「すまねえ、会議を続けよう。」
「いいさ。最後のテーマだけど、やはりダンジョン攻略だ。知っての通り、たった三カ月で何億ドルも稼げるここは、まさに現代のゴールドラッシュ。ダンジョンドリームってわけさ。このダンジョンを終わらせないため、俺達で完全攻略し、ダンジョン自体の管理権を入手したい。他の連中に奪われるよりも、はやく、だ。」
これこそが最大の議題であり、全ての根幹でもある。
ダンジョンを攻略して、自身が管理者になることを挙げた。
「現在、ダンジョンは閉鎖中だ。近日中に俺とグリッド、そしてここにいる何人かで魔王城を攻めることにする。幸いドラゴンを殺したことで、俺の経験値は上限をさらに一段階超えた。なんとかなるだろう。」
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会議は解散し、静かになったホールに残るのはたった二人。
「キーンよぉ、お前自身は大丈夫なのか?」
グリッドがキーンに問いかける。
ドラゴン狩りを行う前夜、輸送部隊を鏖殺したことで死神グリム・リーパーが出現した時のことを聞いている。
「大丈夫さ。今でも頭の中でキーキー言ってるけどね。」
【セオドア・ロバート・バンディ・キーン】
主な称号:[シリアルキラー][ドラゴンスレイヤー][死神の内包者][ダブルフェイス]
所属クラン:グリッド・シンジゲート
固有武器:勇者の長槍、死神グリム・リーパー
身体強化:Lv3
保有スキル:殺人Lv8、チャーミング・プレデターLv5、死神の大鎌Lv1、魂の知覚、容姿端麗
「死神に憑りつかれるとはな…同情するぜ。ただ、どっちが死神なのか分からねえステータスだがよ。」
グリッドがキーンのステータスを見て、複雑な感情に顔を歪める。
マフィアの一員から成上がった彼は、決して少なくない人間を殺めている。だが、目の前の男ほど血に濡れた人間を見たことは無かった。
それでいて、≪英雄≫ともてはやされるカリスマを有しているのだから、とんでもない怪物である。
「俺としては、死神とはまるで価値観が合わんのだよ。人は死ぬことで最も美しくなる。特に必死に生き足掻いて、最後に俺の腕の中で死んでほしい!死ぬから生が輝き、生が輝くから死が特別な物になるんだ。」
まるで大学生が夢を語るように目を輝かせ、彼の複雑な哲学の一端を語る。
「俺には分からねえよ。死神は何が違うんだ?」
グリッドは、彼なりにキーンのことを尊敬する気持ちはある。
だがその死生観は、とんだ変態サイコ野郎であるとしか思えない。その二面性が何故か共存し、こうしてダンジョンの街を整え、たしかな英雄として君臨しているところに興味をひかれたのだ。
嘘を見破る目をもったグリッドには、キーンが人の幸せを真剣に考えて命を賭けて戦っていることも知っているし、徹底的に女を蹂躙して楽しんでいることも知っていた。
「無機質に人を殺すだけのくだらん存在さ。生き足掻くことすらさせず生物から命を奪い、そのくせ自分は生死の輪から外れていやがる。こうして俺の魂に囚われたせいで、自由に動けなくなって喚き散らしてるのさ。」
「分かる様な、分からんような。そもそもお前の目的は何なんだ?なんでアドベンティアに来て、俺を誘い、こうしてダンジョンに挑む?」
グリッドはずっと疑問に思っていたことを聞く。
この男の価値観、モチベーションを知りたいと思った。
もしかすると、その感情も、キーンの持つ魅了のスキルに嵌まってしまった影響なのかもしれない。
「言ってなかったか?俺の目的はたった一つだ。帆世静香を殺したい。そのために俺の世界をつくり、彼女を招待し、お互いに命を賭けて生き足掻きたいんだ。そのためのカードも、手元に来てくれている。」
「まずは魔王を殺す。そしてツバキ・マリを捕まえる。簡単だろ?」
「マジか…嘘だと言ってほしいぜ。」
「ハハハ ナイスジョークだ」
ジョークじゃねえよ、とグリッド。
グリッドの持つライブレイカーの能力が、キーンが本気で喋っているという事実を伝えてくる。
帆世静香、か。
この男の目的を聞いて妙な納得感があった。あの規格外の実績を誇る女とヤリあうためには、相当な覚悟と準備がいるに違いない。
(とんだ厄ネタじゃねえか…本格的に帆世静香とやり合うってなら、この街が崩壊しかねん)
納得と同時に、その危険性に頭が痛くなってくる。
帆世静香の影響力は、文字通り世界を動かす領域にある。
アメリカ政府からの干渉を躱すのだって精いっぱいなのに、世界中を敵に…というか世界中がたとえ味方だとしても帆世静香の一味と対立するのはごめんだった。
とはいえ、この街に限定するならキーンの影響力も絶大だ。
共に街を作ったし、今後のダンジョン経営にも必要不可欠な人間である。
キーンを裏切れないが、帆世静香と真っ向から対立もしたくはない。
(聞かなければよかった。否、むしろ今聞けてよかった、か。)
グリッドの脳みそが煙を上げて回転する。
そしてたっぷりと悩んだ末、葉巻を加えてこう続けた。
「………ツバキ・マリだが、気になることがある。」