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英雄の戦場~帆世静香が征く~  作者: 帆世静香
特別章 冒険しましょう。
134/163

アドベンティア編 火炎は禍縁になって 其の2


(これは、絶対に食らってはいけない攻撃だ――)


死の直観。

一瞬前まで、自分が極限の集中下で戦っていたことを遅れて理解する。

今、私の目にはドラゴンの口から洩れる紅蓮の炎が鮮やかに映り、巨大な熱エネルギーが空気を歪ませている。半ば確定した己の死を前に、恐怖心が心の蓋を開けて這い出てくる。


「くそっ 呆けている場合か!」


落ちそうになった視線を無理やり引き上げ、ドラゴンの目を睨み返す。

私は、諦めの悪さだけでここまで来たんだ。どうにかしろ!まだ生きているんだから!


風邪の精霊ジファールが言っていた。ドラゴンは火の精霊を喰らい、炎の息吹を放つようになったと。

その身に炎の核を抱き、地上を焼き払うために目覚めた獣となったのだと。


その炎が、目の前で顕現する。


――【禍炎の咆哮】――


その輝きを見た瞬間、足は地面を蹴っていた。

全力で、後ろへ跳躍する。靴に宿った南風ノトスが呼応し、風の塊を噴出して体を後方へ吹き飛ばした。

その流れる視界の端で、ドラゴンの頭上に揺らめく人影を発見する。


ジル、だ。


ドラゴンの角の間に現れ、両手から伸びたワイヤーが、何重にもドラゴンの口に巻き付いて引き絞る。それは竜の顎を閉ざし、咆哮を内へと封じ込めた。


「貴女の命運を守るのが、紳士の務めです。観客も来たようですし、吾輩のロデオをご覧いただきましょう。」


咆哮に代わって、ジルの声が風に乗って耳元に届く。

極限の状況であるにもかかわらず、いつも以上に落ち着いた、穏やかな声だった。ドラゴンの口に巻き付いたワイヤーを握り、暴れる巨体を制御する姿は、まさに闘牛操るロデオの戦士である。


しかし、それだけではドラゴンの咆哮は止まらなかった。加速度的に凝縮されるエネルギーが、まさにドラゴンの顎で荒れ狂う。


「ジルーーーー!!!!」


 ドゴォォォン!!!


直後、ドラゴンの頭が爆炎に飲み込まれた。

圧縮された炎厄の奔流は行き場を失い、喉奥で暴れ狂う。竜の牙と顎の隙間から、赤熱した空気が噴き上がり、唇の裂け目から炎の舌が踊る。


そして、ついに火山の如く大爆発を引き起こしたのだ。仰け反った口から炎が噴出し、ドラゴンの姿を覆い隠した。


爆発の余波が全周囲へ広がる。岩をも溶かす熱の波。

しかし、それは空中で何かと拮抗して、私の体を直接飲み込むことは無かった。


南風ノトスが、再び風の塊を吐き出したのだ。背中を叩かれたような衝撃が走り、私の体は空を滑るように後方へと飛ばされる。ドラゴンブレスと拮抗するだけの爆風に、体はバランスを失って錐揉みする。


ダンッ ダン ズシャ…


私は、地面に叩きつけられ、二転三転して仰向けに倒れこんだ。

背中が焼ける。空気が熱い。息が吸えない。


見上げた空には、噴き上げられたドラゴンの炎が、火山の火砕流のように宙を駆けている。

そして、再び重力に従って地上へと降り注いでいた。


視界に赤が満ちていく――紅蓮の弓矢が無数に広がり、倒れた私に迫ってきていた。

轟音に耳をやられ、無音の空間で、その弓矢が降ってくるのをただ睨みつける。ドンドンドンと地面の振動だけが激しく響いていた。





そのときだった。


ズガン!!ガシャン!!


視界の端に、鋼が走った。

落ちてくる弓矢のような火炎――その軌道を割って、二枚の巨大な盾が音を立てて突き立ったのだ。


「「生きてるかい!?」」


私を挟み込むように、二人の巨漢が盾を構える。

短く刈り込んだブロンドに、酒で焼かれたガラガラ声が特徴的な、アドベンティア屈指の盾使いだ。


「て…鉄壁兄弟か 来てくれたんだな…」


全身を使って盾を構え、私の真上に重なるようにして覆いかぶさってくる。

爆発によって吹き飛ばされたドラゴンの牙や鱗の残骸が、紅蓮の矢になって盾に当たる。


ガンッ、ガンッ、ガァァン!!


凄まじい爆風が、盾を叩き、熱が盾の隙間から噴き込んでくる。

焼けた空気が頬を撫で、全身の汗が一瞬で蒸発する。だが、そんなことはどうでもいい!!


「ジルがッ 彼がどこかにいるはずなんだ!」


火炎が、爆風が、叫びを覆い尽くしていく。

盾が灼け、金属がきしみ、火の粉が舞う。


それでも、私の声は通じたようだ。


「分かった!だがまずはツバキを避難させるぞ」


鉄壁兄弟に抱えられ、私は地面を離れた。炎を避けて走りながら、ドラゴンから離れたところで後方に集まっていた医療班に引き渡される。主攻の冒険者たちが、ようやく到着したようだった。

その場所は、すでに街の入り口が目視できる場所まできていた。


「ツバキさん、あなた達のおかげで、間に合いました!あとは私たちに任せてください!気を…気をしっかり持ってください!」


医療班の女性が、懸命に傷の処置をしながら声をかけてくれる。ボロボロになった服を裂き、焼けた皮膚をジェルローションで覆っていく。

私は、そんなに危ない状態なのだろうか。全身の感覚が乏しく、そのかわり頭は妙にはっきりしていた。


「ジルを…頼む!」


私の願いは、それだけだ。それだけを、絞り出すように託した。


「任せろ」と、短く返し、鉄壁兄弟は再び炎の中へ走っていく。

厚い背中、荒れた金髪、灼ける空気の中でも揺るがない二人の輪郭に祈りを込める。


その先では、ドラゴンが暴れていた。

顎の半分が吹き飛び、顔の右側から赤黒い肉が覗いている。両翼はボロボロに崩れ、瀕死であるはずだ。それなのに、傷だらけの肉体を引きずりながら、なおも前へと進もうとする。


(なんで…?どうして必死に街へ行くの…)


意識が遠のく。

まぶたの裏で、まだジルがあの竜の頭上に立っている気がする。


風に揺れるマント。

ワイヤーを操る手。

落ち着いたあの声。


(ジル……)

呼ぶ声は、もう口から出なかった。 空が、赤くて、熱くて、遠くて。

ごうごうという音の中で、眠るように意識が沈んでいく。



---------------------------------------------------------------------------------------------



気が付くと、ごうごうという音が消えていた。


風も、火も、傷の痛みもない。

ただ、深く深く、柔らかい静寂があった。


足元を見てみる。地面は水面のように透き通り、薄い波紋が広がっていく。

頭上を見上げる。青い空が広がり、雲も星も太陽も、何も無い空間である。


「ここは、どこだろうか。」


現実世界というには、あまりに異質な風景。

死後の世界に来てしまっているなら、ジルに申し訳ない。そう思って、そっと目を伏せる。


『死んではおらん。』


背後から、声がした。

振り返ると、そこにいたのは、あのドラゴン。かつて命を賭して斬り結び、火炎に晒され、絶望の只中で対峙した、あの獣だ。


必死に戦った記憶が嘘のように、それは静かに私を睨みつけていた。

その身体に、傷はなかった。

斬り落としたはずの腕には、完全な五指の爪が生えており、

熔けた金属のように光る赤黒い鱗は、一枚の破損もない。

あれほどズタズタに裂いた両翼も、今にも空を駆けそうなほどに滑らかだった。


即座に臨戦態勢をとる。

腰を落とし、視線を定め、足の裏でこの透き通った地面を蹴った。無手だが、そんなことは問題ではない。

怒りが、私の思考を塗り潰す。


「よくも、ジルをッ!!!」


咆哮に近い声が口から飛び出し、私は全力で跳躍した。

その巨体に、怒りの一撃を刻み込もうと腕を振り上げた瞬間


視界が一瞬で反転する。

地面に倒れたことを認識する間もなく、私の胸にドラゴンの巨大な前脚が乗っていた。


『動くな。我が精神の領域で反逆することはできぬ。』


まるで、重力が突然百倍になったかのようだった。

肺が潰れ、内臓が圧縮され、骨が悲鳴を上げてきしむ。


呼吸ができない。喉が開かない。

手も、足も、まるで地面に縫い留められたように微動だにしなかった。それでも、全身の筋肉を断裂させながら、一矢報いようと力を籠める。


『ただ聞け。』


ドラゴンの瞳がわずかに細められた。

瞼の奥から放たれたのは、殺意ではないが、強い意志の残響である。


動こうにも、声すら出ない。その私を見下ろして、ドラゴンが一方的に語っている。


『この地に、≪死神≫グリム・リーパーが蘇った。奴は古の災厄、一度我が葬った邪である。ある男が積み重ねた死の業を辿って、冥府の澱から這い出てきた。』


何の話だ。

なぜそれを私に言う!?


『貴様らの同胞が、この世界に死神を齎したのだ!夥しい死の怨嗟が、死神を呼び寄せたのだ!だが、奴を滅ぼすには、我は力を失いすぎた。現実へ戻れば、我の命は潰えるだろう。死神が狙うのは、竜の魂だ。我のような朽ちかけた魂ではなく、これから生まれる新しい竜の命を狙っている。』


ドラゴンの顔が、焼けただれて崩れていく。

終わりを前に、それでも意志の力は増していく。


『見よ。死してなお囚われし者の記憶を。この地に充満する死者の声を聴け。』


私の頭の中に、何かが思念となって流れ込んでくる。

世界を覆う黒い影、積みあがった大量の死骸、逃げ惑う人々の悲鳴。悲痛な叫びも、黒い影にのまれて静かに息絶える。

そんな世界で、一匹のドラゴンが闇に立ち向かった。影を睨み、炎を纏い、咆哮を上げていた。

火の精霊を喰らった彼女は、全身を炎で焼きながら戦い、世界を覆っていた影と百年に及ぶ死闘を制した。

だが、その代償は大きかった。

それから傷を癒した彼女は、何度も卵を産んだが、そこから子供が生きて殻を破ることはなかった。死神との闘いが、確実に彼女をむしばんでいたのだ。


それでも、彼女は諦めなかった。

風を辿り、山を越え、海を渡り、世界中を放浪し続けた。

そして――命が潰えるその直前。ようやく一つの生きた卵を産むことができた。小さな鼓動が、殻の中で脈打っていた。

残りの命を、この子のために使おう。そう誓う母の気持ちが伝わってきた。


そして、選んだ地で、何の因果か死神の気配を感じることになる。

森の中を歩く集団。よく見えないが、剣や槍を持っていることから冒険者達であるようだ。


突如、後ろを歩いていた男が、女を襲った。森に響き渡る悲鳴を、殴りつけて黙らせる。

それから女を犯し、殺した。


それも一回ではない。繰り返し見せられる記憶は、どれひとつ同じ記憶ではないようだ。

無数の人が殺され、いつも同じ男が二人、屍の上に立っている。彼らが女を殺す度に、彼女たちの魂を喰らって強くなっていくのが分かった。


恐ろしい…胸糞悪い…人の所業と思えない禍々しい力のつけ方だ。


そして、この日。いつもより格段に多い人間が、森に集められていた。それはドラゴンを討伐するために集められた集団の一つであるようだ。事前にドラゴンズネストに物資を届ける集団に、二人の男が襲いかかっていく。

戸惑い、恐れ、怒り、戸惑い、戸惑い、怨嗟。無数の感情が渦巻いて死に沈み、積み重ねた業がついに禁断の扉をこじ開ける条件を満たしてしまった。


血の海から現れた死神は、それを成した男の体に吸い込まれていく。

端正な顔を歪め、癖のあるブロンドを揺らして痙攣する男。もう一人の男が、彼を背負って街へ運ぶ。


その後を追って、我が子の産まれる地を守るため、一匹のドラゴンが巣を飛び出した…




『ゆえに…貴様に呪いを与える。この炎は、死神を呼び寄せる目印となるだろう。』


私の魂に焼き鏝の烙印が押された。

ドラゴンの爪が皮膚を突き破って心臓に刺さり、肉体の内側から劫火が噴出していく。


『禍縁は竜の籠である。運命のままに死神を滅ぼせ。』


語られる意味を、理解する間もなかった。

その声を最後に、ドラゴンの姿が燃え崩れていく。

静かに、灰の羽が舞うように。透き通った世界は炎に包まれ、輪郭を燃やして現実が戻ってきた。





---------------------------------------------------------------------------------------------



焼けるような痕が胸の奥に残して、意識がゆっくりと浮上していく。

私は誰かの腕の中で抱きかかえられているようだ。しっかりとした力で支えられ、口の中にゆっくりと液体が注がれていく。


苦い…この味はトロールの丸薬。

その強烈な味が脳を叩き、反射的に瞼が持ち上がった。


「やぁ、ツバキ。目を覚ましたね。」


ぼやける視界で、キーンが笑っていた。

その一声は、私の魂を冷たく凍えさせ、どうしようもない死臭が鼻を突いた。


(こいつが、死神だ。)


私に焼き付いた禍縁が、キーンこそが敵であると認識させた。


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