アドベンティア編 南風ノトス
「ボンジュール マドモアゼル。今日も良き冒険日和でございますな。あとは吾輩という、少々騒がしい案内人を、どうかお許しください。」
アドベンティアの街を歩いていると、道の端からジルが手品のように現れる。すでに何回も会っているため、この演出にもようやく慣れてきた。
深紅のローブとシルクハットを身に着けているにも関わらず、彼は実に神出鬼没な存在である。どうやって人目を避けて街中を歩いているのだろうか…いや、考えるのはやめておこう。私に分かるわけもない。
先日、私たちは光蜘蛛の糸を採取した後、一度街に戻っていた。
私は所有しているワイバーンの翼膜を取りに戻らなければいけなかったし、ジルは光蜘蛛の糸を使って布に加工してくれる友人に会いに行くというからだった。
その後、砂蜥蜴を狙って砂丘に赴き、苦戦の果てに何とか素材を入手することができた。
さらさらと流れる砂の上では、走ることさえ難しい。そんな環境でも自在に動き回る砂蜥蜴と、その上に乗って剣を振るうコボルト亜種が、見事な連携で襲い掛かってきたのだ。
そんなこんなで、ひとまず提示されたクエストをすべて完了したわけだが、今日はどういう要件で来たのだろうか。
昼ご飯を食べるため、行きつけの店に二人で向かうことにした。
「ぼんじゅーる。本当に騒がしい案内人だよ。」
なんとなく、挨拶を真似てみる。
「素晴らしい!フランス人を代表して、マリ殿を歓迎いたしますぞ」
「ハハ それで今日はどうしたんだ?」
「これは失敬。お待たせしておりました、蒼翔のブーツが出来上がったので持参したのです。」
そういって、ジルが二足のブーツを取り出した。
ジルが得意げな顔で、そのブーツについて解説してくれる。
ワイバーンの翼膜をベースに、全体がなじむように光蜘蛛の糸を使った風霊布が使用され、よく見るとその内側にグリフォンの羽が編みこまれていて、全体としては柔軟かつ強靭な仕上がりとなっている。水を防ぎつつ風通しは良く清潔で、冒険するうえで遭遇するあらゆる事象に中程度の耐性を持つという。
踵には雷光石が埋め込まれ、靴底を見ると砂蜥蜴の爪がスパイクのように細かく並んでいた。これなら普段から履いても問題なく、滑りやすい場所でも体を十分支えてくれるはずだ。
一目見るだけでも、美しい機能美と、繊細な職人の仕事が伝わってくるブーツだ。
「これは想像以上だな、、本当にあたしが貰って良いものなのか?」
「ウィ。当然でございます。」
手に取ってブーツを眺め、その滑らかな肌触りに驚嘆していると、銀色の糸で短文が刺繍されているのを発見する。
「ん…これは何て書いてあるんだ?」
流れるような筆記体で、それ全体がロゴのように刻まれている。
ウィンドウを通してもうまく翻訳が機能せず、ジルに見せて質問する。
「Va où tu peux, meurs où tu dois. がんばれ、という靴屋からのメッセージですよ。」
「マリ殿、これから風の精霊ジファールに会いに行きます。お時間はありますか?」
「もちろんだ。」
風の精霊ジファールからのクエストは、“風纏いの継承”であり、それに必要なアイテムが蒼翔のブーツなのだ。
つまり、まだクエストは終わっていない。
ジルと一緒に、再びトレントの森を進む。トレントの森といっても、実は既にトレントは討伐されており、今ではアドベンティア固有の動物が見れるだけの安全な森である。
「風の精霊ジファール様、今日も風が吾輩を導いてくれました。」
ジルが巨木に向かって声をかける。
すると風が呼応して一人の精霊の姿をつくった。
『どうやら、まにおうたようじゃのぅ。早速継承を始める。まずは靴を見せよ。』
ジルが二足のブーツを差し出すと、小さな竜巻がおこってブーツを精霊の元に届けた。
『ふぅむ これほど丁寧に靴を作って来た人間は、これまでおらんかったのぅ。 誰がこれを作った?』
やはり、精霊から見ても、あのブーツは格段際立った良い物であるらしい。一緒にクエストを受けているのに、その辺はまったく関わっていないため、少し恥ずかしくなる。
「その靴は、我が友トリエルの作った品であります。彼は頑固な変わり者でして、世界中を放浪しているどうしようも無い男なのです。」
ジルが、やれやれと肩をすくめて友人を紹介する。
その友人というのは、トリエル・ジルク。私は知らなかったが、靴職人の間では伝説となっている職人である。彼が依頼を受けることは年に数回、気に入った人にのみ作るのだ。
それ以外で人と関わることはなく、世界中を旅して回っているという。しかし、彼の作った靴は大変素晴らしい芸術作品であり、誰も売らないため希少価値がとんでもない事になっているという。
(うーん、腕は良いけど滅多に作ってくれない職人か……どっかで似たような人がいたような……)
なんだか脳裏にチラつく影があるのだが、目の前で始まった“風纏いの継承”に集中する。
『うむ。これなら上位の力まで宿らせられるじゃろぅ』
何をしているのかさっぱり分からない。しかし膨大な風が靴に吸い込まれるように流れ込み、精霊の手が靴に溶けているように見えた。
嵐が訪れたように森がざわめき、木の葉が舞い上がる中、徐々に風が穏やかに変わっていく。
『さぁ、履いてみよ。風が示すは運命の航路、その背を押してくれるじゃろう。』
「では、吾輩から。」
ジルが革靴を脱いで、精霊から受け取った蒼翔のブーツを履く。太陽が昇る前のような深い藍色の靴は、形は従来の革靴と大きく差はない。
履き心地を確かめるように、軽くその場でステップをふむ。社交界のダンスのように、鮮やかな足さばきを見せ、ぐっと膝を折ったかと思うと力強く地面を蹴って飛び上がった。
「これは~~~ッ 」
どこか間抜けに遠伸びする声を残して、ジルの体は頭上の木を突き抜け、木の葉を散らした。遅れて冷たい風が嵐のように吹き荒れる。
『ありゃ やり過ぎてしもうたか。北風ボレアスは相変わらずじゃの。』
ジファールがその風を操り、降ってくる木の葉や枝を片付けていく。ジャンプ一つで事故っている姿を目の当たりにし、私の頬に一筋の汗が流れた。
『心配するな。お主の靴には南風ノトスが宿っておる。北風ボレアスより穏やかな風の精じゃ。』
未だに帰ってこないジルを心配しつつ、恐る恐る靴を履き替える。ジルのブーツは、一般的な革靴に近い形をしていたが、私のそれは膝下まであるロングブーツである。
そもそも蒼翔のブーツとは、精霊に捧げる靴の一般名らしく、そこから授かった力を元に固有の名前が与えられるという。
私の靴に宿ったのは、南風ノトス。
履いた瞬間暖かな風がふわりと巻き上がり、足元の草が僅かに伸びるのが見えた。
「サイズはぴったりだ...軽いが、守られているという安心感もある。」
履き心地は、びっくりするほど足のサイズにピッタリだった。長年履いている今の靴よりも足に馴染んでいる。
靴底のスパイクが地面にしっかりと食い込み、軽くステップを踏んだだけなのに、明らかに初速が早くなった実感がうまれた。
そして、意を決して跳躍してみる。
「ハッ!」
気合いを入れて跳ぶと、普段よりも数十センチ高く飛び上がった。明後日の方向に吹き飛んで行ったジルとは大きな違いだ。
ふわり
靴の真価が発揮されたのは、跳躍によって最高点に到達した後からであった。
全身に浮遊感が生まれ、その場で滑空するように、体が空中に留まるのだ。
力を抜くように意識すると、体が重力を取り戻して地面に降り立つ。
「これはすごいな!風の精霊ジファール殿、素敵な恩寵を賜り感謝致します。」
「吾輩からも、改めて礼を言わせてください。」
「...!! ジル、急に現れるとびっくりするじゃないか。」
ジルが、急に背後に現れる。ギリギリ悲鳴を飲みこんだが、びっくりするから辞めて欲しい。
ジファールに目を戻すと、楽しそうに目を細めていた。この精霊が笑っているところを初めてみたかもしれない。
『二人とも聞きなさい。二人には高位の風が宿っておる。その力をどう使うかは、お主ら次第じゃ。じゃが……あの竜は殺してくれ。死んで行った同胞の、そして残された妾の最後の願いじゃ。』
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「カンパーイ!」 『サンテ!(乾杯)』
無事クエストを終えた私達は、酒場で祝杯を上げることになった。
二人席に料理が並び、グラスに注がれた酒を持ち上げる。
「ここまで長いクエストは初めてだ。ジルには色々とお世話になった。ありがとう。」
クエストの発見から始まり、内包された五つのクエストの場所や攻略方法を調べ、入手した素材を加工する。
そうした諸々の作業を、相当な短期間で成し遂げたのは、ジルの力によるものだ。私一人ではどうにもならないと思わされるだけの経験であり、彼から学んだことも多い。
今日は私なりの感謝を伝えるべく、初めて自らジルを食事に招いたのだった。
「ハッハッハ マリ殿からディナーに招待していただけるとは、吾輩光栄の極みであります。」
ジルと談笑していると、席に一人の男が近寄ってくる。見ると、この街では知らぬ顔がいない有名人、《英雄》のキーンだった。
「どうも、どうも。一流冒険者が二人揃って、見ない組み合わせだな。今日は何かお祝いをしているのかい?」
やや癖のある金髪に、彫りの深い顔立ち。整った容姿に、絶えず笑顔を浮かべている。
こんな見た目でも冒険者としての実績は一番であり、多くの冒険者に資金的援助や物資の供給すら行う貴公子だった。
私は、この男がどこか好かない。
完璧に取り繕った裏に、微かに死臭が漂ってくるのだ。
「ハハハ 不覚にもダンジョンの奥で迷っていた吾輩を、マリ殿が助けてくださったのですよ。そのお礼を兼ねてお食事に招待したのです。キーン殿は、何か御用でしたかな?」
ジルが立ち上がって、キーンと握手をかわす。
さり気ない振る舞いだが、私とキーンの間に立ってくれたのはありがたい。
「ジル・レトリックさん、噂はかねがね!いえね、ドラゴンズネストの攻略が近いッ それでね、ソロ冒険者が参加できるよう、こうして声をかけて回ってたんだ。 」
そう言うと、私へも握手を求めて近寄る。
「どうだい、ツバキさん。俺たちのPTに入らないか?」
「そうか、いつも良くしてくれて感謝している。だが、ちょうどさっき、ジル殿とPTを組んでしまったんだ。当日は全力を尽くすことを約束しようッ」
ジルと二人で加入しているPT画面をそっと見せる。
風纏の継承のために組んだPTを、そのままにしてあったのだ。
キーンが僅かに眉をひそめた。
しかし、私はそれに気が付かないフリをして握手をかわした。これは交渉決裂の握手だ。
タイミング良くジルが会話に加わり、そのまま笑顔でたたむ。
「ウィ。吾輩のドラゴンのロデオ、愉しみにしていてくだされ。」
「ロデオ...??」
結局、キーンはしつこく粘ることはなく、颯爽と別の冒険者の元に去っていった。彼も頭のキレる男だ、PT勧誘が難しいと思うや否や、良い印象を保つように会話をリードしていたように思う。
そのままジルとの食事は進み、デザートが運ばれてきた頃、彼が先程の会話を振り返って口を開いた。
「マリ殿、PTの件は本当によろしいのですかな?誘っておいた吾輩が言うのもおかしな話ですが。」
そもそも思い返せば、風纏いの継承を行ったのも、ジルのPT勧誘がきっかけだった。キーンの登場によってなし崩し的にPTを組むと宣言してしまったが、ちゃんと返事はしていなかった。
ここ数日で、ジルへの不信感は無くなっている。ロデオはする気にならないが、同じ目標を持った者同士、ドラゴン狩りに興じるのも悪くない。
「ああ、相棒の契約延長だ。ドラゴンくらい狩らねば、帆世さん達に追いつけはしない。」
「メルシィ ともにロデオを演じましょう!」
「いや、それは一人でやってくれ。」
キーンの画像は、映画テッドバンディの主演ザック・エフロン氏の物を使用しています。