巫女の希望
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「私は、早く戻らなければ。」
緋色の巫女服を着た女が小さく呟く。光にかざせば茶色く透ける美しい髪が、今は埃でくすんでいる。
はぁ……
たった一日で、何度目のため息だろう。
胸の奥に巣くう焦燥感が、まるで熱を持った鉄球のように重くのしかかる。
喉を詰まらせるような焦りが、思考を絡めとり、まともな判断を奪っていく。
——けれど、ただ戻るだけでは駄目。
「エゼキエルは論外、例の鬼に言葉が通じる気がしない。残るはリアーナと……」
ぐるぐると同じ考えが回り続け、出口のない迷路にはまり込む。
何かないのか。
【邂逅】なんてイレギュラー、私の知識にはない!
そんな時——
森の奥で、炎が爆ぜる。
遠く、木々の間に揺らめく赤光。
森を焼き尽くすほどの規模ではないが、見間違えるはずもない。
あれは、森に棲まうリアーナが顕現させる太古の焔だ。
リアーナと誰かが戦っている。
「……っ!」
衝動的に駆け出した。リアーナは会話が通じる数少ない人間だ。彼女の世界では、知識欲が何よりも優先される。目的さえ合致すれば、協力出来る可能性はある。
リアーナは確かにそこにいた。痩せた体に、曲がった高い鼻。知っている姿だ。
だが、彼女と相対する 二つの影は……誰ッ!?
少女と、巨漢の侍を凝視する。
リアーナの繰り出す焔を掻い潜って、超速の動きで翻弄する少女。
氷の鎧を一刀で斬り捨てた侍。
気づけば、私は彼らから 目を離せなくなっていた。話しかけることもできず、自身に不可視の結界をはって後をついていく。
焚火を囲み、食事をする二人の姿。久しく見ることができなかった、人間の楽しそうな姿に胸が熱くなる。
そうかと思うと、ふと立ち上がり、組み手を始める二人。
肉眼で捉えるのも難しい超速の攻防。
疾駆する少女のステップ、迎え撃つ巨漢の剛腕。
打ち込まれる拳と蹴り、空気を裂く鋭い刃の煌めき——。
驚異的な身体能力と技術もそうだが、それ以上に、精神が異常なまでに安定していた。
これほどの力を持ちながら、彼らは狂っていない。
多くの者は、突然手にした超常の力に酔い、暴走する。枢機卿エゼキエルが悪い例だ。
他者を傷つける戦闘を嫌う者は、容赦なく振るわれる暴力を前に誰も守ることができない。私のことだね、と一人唇を噛む。
そうして人類は滅びを繰り返してきたのだ。滅んでは繰り返される救いのない話。
しかし、この二人は違う。少なくとも、今の二人は安定している。
リアーナを容赦なく討ち倒しながらも、その目には狂気も、興奮も残していない。
ただ逃げるのではなく、現実を等身大に受け止め、最大限の努力を果たすことも両立している。
「…………。」
——彼らなら。
この二人になら、賭ける価値があるかもしれない。
それは 確かな希望だった。
どんなに小さくとも、希望さえあれば人は立ち、歩くことができる。
だが——
他人の希望を背負わせるのは、残酷な行為だ。私が一番よく知っているじゃないか。
それを、会ったこともない二人に投げつけようとしている。
身勝手だとわかっていながらも、それしか方法がない。
ごめんなさい。
——もう、あなた達しかいないの。
意を決し、私は結界を解いた。
静かに、湖畔へ歩み出る。
そして——
「……そこの方、私の話を聞いてもらえないでしょうか。」
月明かりが差す湖岸で、男の後ろ姿に問いかける。
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月明かりの下、湖岸を歩く。
冷たい夜風が頬を撫で、波が静かに砂を舐める音が耳に心地いい。
夜の湖畔は昼間よりもずっと静かで、草むらで跳ねる小動物の音すら鮮明に聞こえる。というか、兎らしき生き物が、一足で5m近く跳躍して逃げていく。
(´・ω・`)やっぱ地球じゃないんスかねえ…。魚より肉が食べたい気分だけど、捕まえるには苦労しそうッス。
ずぶ濡れになったぽよちゃんに、拠点を追い出されてしまった。
『いい、索敵とマッピングをしてきてほしいの。歩くだけで自動的にマップ更新されるから。それから、ぜっっったいに一人で戦闘しないこと!』
追い出された際の、ぽよちゃんのオーダーを思い出す。
戦いに関しては自信があるこもじだったが、とりあえず敵を見つけたら戦うなということだった。
ぽよちゃん相手に上手く反論できたことがないし、言う通りにしよう。
相変わらず姉御肌なんだから…と20歳ほど年下のぽよちゃんに対して頭をかくこもじ。
(´・ω・`)とはいえ、このあたりに人の気配なんて無いんスよね。
そう言って、ぶらりと湖岸を散歩を継続する。
月明かりが水面に反射し、時折大きな魚影を浮かばせる。ちょっと水棲生物は怖い。
その時——
「……そこの方、私の話を聞いてもらえないでしょうか。」
背後から、柔らかくも張り詰めた声がした。
ゾクリと、背筋に戦慄が走る。こもじは即座に振り向いた。先ほど通った時には誰もいなかったはずの場所に、人がいる。
緋色の巫女服を纏い、服から見える肌がやけに白く薄く感じる女。
年齢は……30代ほどか。だが、表情には疲れと焦燥がにじんでいる。
まるで、何かに追われ、切羽詰まった人間のそれだ。
目を離せば崩れてしまいそうな、儚い見た目。しかし、生物として遥かに格が上であることも感じ取っていた。あらゆる挙動を見逃さないよう、こもじは目を細める。
「話を、聞いていただきたいのです。」
女が繰り返す。その真意は——。
(´・ω・`)うす。行きましょうか
こもじははっきりとそう答える。何かを守るために、覚悟を決めている女の目を見て、そう決めた。
(ぽよ姐さん怒るかなあ…)
こもじは、儚い美女を連れて拠点に戻る。血の気を感じさせない、透き通るような横顔は、どこか人ならざる気配を醸すようだった。
彼女に会うための邂逅。しかし、彼女が出会ったのはおかしな二人組だった。