復讐の総決算 其の2
エギル・スカラグリームスソンの視点です
一人の男がいた。
冷たい北風と荒波が抱き合うようにぶつかり、灰色の海に縁取られた小さな入り江で、かの男は生まれた。
冬は長く、風が骨を噛む。
村は大地の恵に乏しく、誰もが海と血によって生命を繋いでいた。飢えているのは人だけではない。
飢餓の猛獣が、妹の首に牙を突き立て、引きずって行くのを見た。エギルが初めて剣を抜いたのは、妹の亡骸を取り戻すためだった。
五歳のエギルは、父親の短剣を引き抜いて、怒れる猛獣の群れと戦ったのだ。妹を救うことはできなかったが、妹の尊厳を守ることはできた。
戦いの果てに散った妹を、エギルは可哀想とは思わない。その命は終始輝き、遺された自分の胸の中に光を灯した。妹は、今頃ヴァルハラに辿り着いているだろう。そう考えた。
その日からエギルの血に戦士の魂が宿り、10代半ばにして海賊ヴァイキング団を纏めあげる頭領となった。悪名高い海賊を蹴散らし、時には王族とも真っ向から対立して時代を塗り替えていった。
戦を一つ超える度に、何人もの仲間がヴァルハラへ旅立ち、生き残った者同士は絆を深く固く繋いでいった。そんなエギルにも愛する女ができ、子供を授かった。
エギルと生涯を誓った女は、彼の武勇に劣らないだけの剛毅な女だ。戦いの最中にもエギルの背中を守り、荒れ狂う海の上で子供を産んだほどだ。
そんなヴァイキング団が港で宴を開いていた時、唐突に化け物の群れが襲いかかってきた。野犬や狼とは比較にならない大きさ、斬りつけても即座に再生する理外の大猿だ。
船を出せぇ!
エギルの判断は早かった。崩れた手下を船へ逃がしてたてなおし、退却する仲間の背中を守るように戦った。
戦の中で死ぬなら本望。
慕ってくれた戦友、愛する妻と子、彼らが生き残れば、それでいいのだ。記憶が後世に伝えられ、真の意味で死ぬことは無い。
そう思って斧を振るっていると、大猿の化け物は海岸の端に走っていき、いつしか居なくなっていた。一先ず助かった、と逃げ延びた仲間を集めるうちに、残酷な真実を知ることとなる。
「アスゲイルが俺達を逃がしたんだ。子供を連れて海へ、と!」
アスゲイルは妻の名前だった。エギルの波乱極まる人生を支え、深く結びついていた半身である。
手下の腕の中には、生まれたばかりの、しかし冷たくなった赤ん坊が抱かれていた。
大猿に襲われた時、聡明な彼女は戦場の全体を正しく理解していた。エギルが必死に手下を逃がしているが、全体は崩れ、このままでは全滅するまで時間はかからない。
何より、産まれたばかりの赤ん坊を殺され、もう一人の子供も森に連れ去られていくのが目に入った。その大猿こそ、黒い毛をしたトロールである。
アスゲイルの判断は早かった。殺されたヴァイキングの手から血濡れた斧を貰い、赤ん坊を殺した大猿の頭に叩きつける。三度四度と斧を振るい、頭部を完全に破壊して赤ん坊の体を奪い返した。
周囲の大猿を全て自分に引き付け、後を追わせて森に入った。手下の話は、そこで終わる。まるで闘神がアスゲイルに宿ったかのような、凄まじい戦果だったという。
それを聞いたエギルは、半身を削り取られた気分だった。しかし、ぽっかり空いた穴に絶望は入らない。戦士の血が並々と満ちていた。
それからの記憶は朧であり、瀕死の妻アスゲイルと、息子が逃げ込んだ洞窟を背に三日三晩戦い抜いた。
背中から、途切れ途切れに歌が聞こえる。妻が歌う子守唄だ。その歌声が小さく小さく、聞こえなくなるまで戦った。聞こえなくなってからも、血を吐いて戦った。
喪われた心の穴隙から、戦士の血が湧き続ける。
その血は戦いを休むことを許さない。
その血は膝を屈することを許さない。
その血に復讐の完遂を誓う。
黒のトロールは、そんなエギルに対して、牙を剥いて口をあけた。襲いかかるわけでもなく、むしろエギルの刃が届く距離に入ることもない。
では、なぜ牙を見せたのか。
笑っていたのだ。矮小な人間が、家族を失って狂ったように暴れる様を、安全な距離から嗤っていたのだ。
“嗚呼、こんな奴がどこかにいたな”
そう、黒のトロールは思い出していた。不死の呪いを被って、自分を殺しにきた人間がいた事を思い出したのだ。
今も、昔も、獣がやる事は変わらない。
無様に血に濡れる人間を横目に、その場から悠然と立ち去るのだ。復讐の機会すら与えず、新しい獲物を探して歩き去るだけである。
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「要するに、エギルがウンディーネのもとに辿り着くための道を作ればいいのね。」
我らが団長、白き英雄の帆世静香がそう決断した。
この復讐が果たされた後は、俺はヴァイキングの頭を辞めるつもりだ。残りの人生は、帆世静香の下で闘うことが使命だと思っている。
あの亡霊となったウンディーネと、俺の復讐の仇は同じだと感じている。つまりは、復讐の同志だ。
それを斬って進むことは、俺の復讐の道ではない。
俺がウンディーネと話すための時間が欲しいと要求し、団長を含む全員が協力の意志を示した。
このクランは出来たばかりだが、団長を中心に奇妙なほど強く結束している。無茶を正面から押し通すだけの力量があった。
「すまねぇな。注意するのは、ウンディーネの呪いだ。ウンディーネ相手に悪意を持った攻撃をすりゃぁ、呪われる可能性がある。」
「ウンディーネには触らず、攻撃を受けて進むわけね。」
(´・ω・`)ぽよちゃん、相性悪いっすね~
ウンディーネの呪いは、目の前で悪口を言っただけで死をもたらす。こと戦闘においては、一歩間違うだけで呪われる可能性があった。
このクラン...特に団長は攻撃を受けないことに特化した能力を持っている。ミーシャやルカも、攻撃を正面から受けることは無かった。
今回の作戦は、先手必勝の真逆を行く。
完全に後手にまわり、攻撃を徹底して受け続けて、正面からウンディーネと向き合うことが最低条件だ。
「大丈夫なのか?」
「あったりまえでしょ!エギルはウンディーネを口説く方法だけ考えてなさい。」
「お、おう。ウンディーネは、恐らく...いや、間違いなく地下へ続く道を守っているはずだ。」
ウンディーネの歌がそう言っていた。
地下に囚われた恋人を、亡霊になった今でも守っているのだ。
そして、その予想は当たっていた。
古城の中、黒い雨水が染み出した暗い道で、闇に堕ちたウンディーネが佇んでいた。
黒い雨が壁から滴り、足首の高さまで冷たい水に浸かる。
「ウンディーネ。俺ぁお前に話があンだ!」
俺の声が狭路に響く。ウンディーネの死人のように白い顔が持ち上がり、黒く濁った瞳と目が合った。
『……帰って。』
水中に浮かぶように揺れる髪。
水に濡れた袖を振って、掲げられた手が示すのは拒絶のスキル。
――【水礫の弾丸】――
ウンディーネの周囲から、空間に水の波紋が広がった。彼女の小さな掌に、無数の水の粒が収束し始める。それらは小さく、しかし濃密な魔力をまとい、まるで鉛のような質量感を帯びていた。
バシュゥゥ!
放たれた三つの水弾は、空気を裂き、鋭利な礫のごとく標的に向かって一直線に撃ち込まれる。
バチッ
チチッ
先頭を行く団長と、その隣を守るこもじが刀を抜いていた。
空中で水弾が斬り落とされ、泡となって足元の水へと還っていく。続けざまに何発も水弾が発射されるが、その悉くを防いで、半歩前進した。ウンディーネとの距離、あと二十歩。
「ウンディーネちゃんの願いよ。ここは、押し通る!」
さらにもう一歩前進。
水弾を放つウンディーネの顔が、憎悪に歪む。
『帰って。帰ってよぉ!!!』
――【水屍の行進】――
ウンディーネの背後、その足元の水面が暗く濁り始める。
命の境目が曖昧になる水面が淀み、そこから朽ちた手が、溺れた顔が、ぬるりと水面を突き破り現れる。
それはかつて命を落とした者たち。七体の怨念が黄泉の世界から、三途の川に溺れて、水の精霊に傅いた。
「前は任せてッ それより、全周囲に警戒!」
団長の檄が飛ぶ。
水から現れた死人を見て、それが決して前から現れるだけでは無いと思ったのだ。
ウンディーネの両手がうねり、次なるスキルを発動する。
――【曇濁の水鏡】――
ぞくり…
背筋が凍るような悪寒が突き抜け、振り返ると巨大な水鏡が、通ってきた通路を塞ぐように出現していた。鏡面は曇り濁っていて、見通すことができないのだが、その奥で蠢く影が見えた。
「その鏡を叩き割ってッ!!!!」
団長が大きな声をあげる。その声に我に返り、俺は鏡面に斧を振りかぶった。
バリンッ
硬い物が砕けた音が響き、空中に飛び散った破片が儚く反射する。
砕けたのは、俺の斧。
鏡の奥から鋭い刀が生え、俺の斧を斬り飛ばしたのだ。のそりと出てくる、丸太のように太い手足。
輪郭が水にぼやけて見えるが、その姿は、団長の隣で刀を振るっているあの男…
水に映ったこもじが水面から抜け出し、俺達に刀を向けて立ち塞がった。こと戦闘においては最も信頼できる存在が、水鏡に反射して絶望に変わる。水鏡こもじの後ろ、さらに鏡から這い出ようとしている影から、白い服がちらりと見えた。
「エギルさん!避けてくださいッ」
水鏡こもじが刀を振りかぶり、白い影が鏡に映った瞬間、ミーシャが鋭く叫んだ。
眼前の脅威から目を逸らすことなく、俺は全力で横に飛ぶ。その刹那、俺の居た空間に二本の刀が交差した。
――【顕現】――
銀爪・ベルフェリア。
水鏡から這い出た“こもじ”の斬撃と、突如出現した悪魔の爪が、空中で正面からぶつかり合う。
水の残滓を纏った刀身と、闇に輝く巨大な爪が、衝突の瞬間に火花を散らして激しく空間を歪ませた。
空気が震え、水が逆巻く。
圧倒的な力のぶつかり合いに、黒い稲妻が奔る。
その稲光は水面を弾き飛ばし、這い出た水屍を怯ませ、絶死の刀から皆を護った。
「長くはもちませんッ!」
ミーシャが歯を食いしばって叫ぶ。
拮抗する両者の横を、突風のようにすり抜ける影があった。俺も素早く立ち上がり、残った斧を両手で持って渾身の力を込めて振りかぶる。
「「ダァ!!!」」
ルカの刀と、俺の斧が同時に水鏡に突き刺さり、鏡面を砕いて宙に散らせた。
その破片の奥から、今にも這い出そうにしていた白い影を見て、肌が粟立つのを感じた。
「こもじッ ミーシャを援護して! ルカとエギルは先頭に来て詰めに入るよ!」
本物のこもじが身を翻して、壁を蹴って己の鏡像に斬りかかる。
「エギルさん! 行きましょうッ」
「すまねぇ助かったっっ!」
改めて前方、ウンディーネの居る方向に向き直る。
飛んできた水弾を斧の腹で受け止め、水を蹴って前へ進む。ウンディーネの目の前で、団長が五体の水屍に噛みつかれながら、後ろへ抜かれないように必死に戦っていた。
小さな体に押し寄せる敵を食いつかせ、無数に放たれる水の弾丸を至近距離で捌きながら、さらに一歩ウンディーネの眼前へ歩を進める。
「話があるって言ってンでしょうがァ!」
『帰ってって言ってるのっっ!!!』
ウンディーネの表情は、憎悪から驚愕の色が強まり、鬼気迫る団長に気おされて怯んでいるように見えた。
――【泥濘の激流】――
ウンディーネの足元から、大量の水が湧きだして激流を作る。異常なまでに粘度の高い水が、足に絡みついて地面に縫い留める。彼女の拒絶を、恐れを、形にしたスキルだった。
体中に食らいついた水屍を、引きずって、それでも真っすぐ進む団長。なんでそんなに頑張れるんだ。
俺は復讐のためにここに居る。ルカやミーシャも、大切な人を殺されたことで、その無力な自分を変えるために戦っている。こもじは元より強くなるために生きてきたと語っていた。
では、その全員を引っ張り、最も傷ついている貴女は、何のために頑張っているんだ。
「無茶だ!せめてその水屍を斬れッ」
このままでは、団長の命にまで牙が届いてしまうかもしれない。
彼女の象徴である白衣は血に濡れ、ぽたぽたと足元の水を赤く染めている。
「この位じゃ、死なないわよ。救える手があるなら、救って、おこうじゃないの」
団長が、歯を食いしばって、さらに一歩進む。その顔は見えないが、血に濡れてにやりと笑っている気がした。ウンディーネを救う道、その上にあの水屍も含めて考えているというのか。
後ろでは、こもじとミーシャによる激しい剣戟の音が響き、通路に罅が走って崩れ始めている。本気で戦えば城すら斬りかねないだけの力を持った者が斬り合っているのだ。その間で戦闘の緩衝を担っているミーシャの負担も計り知れない。
「急げッ」
気持ちは焦るが、粘つく溶岩の中を泳いでいるかの如く、足は遅々として動かない。
後ろを振り返り、一歩遅れて走るルカを見る。
「ルカ!俺の上を走れ!」
それだけで意図は伝わった。
ルカが瞬歩を使い、俺の頭上に現れる。その背中を右腕で掴み、団長の横目掛けてぶん投げた。ルカが空中で壁を蹴って体勢を整え、目論見通り団長の横に着地する。
「帆世さん!遅くなりましたッ」
――【レリック・オブ・ヒール】――
ルカがレリックを水に突き刺し、回復の光で通路を照らす。
俺もいくぜッ。未だ慣れない瞬歩を使い、泥濘の激流から抜け出す。
残った一本の斧を壁に突き刺し、そこに足を乗せて跳躍した。そのせいで壁が崩れ、城が傾いたが関係ねぇ。
「待たせたなッ!」
「よしッ」
団長がちらりと横目に俺を確認し、頷いた。
ウンディーネに辿り着いた。あとは俺の仕事だ。
「ルカ!!」
「はい! エギルさん15秒ですッ」
――【レリック・オブ・バインド】――
ルカの二本目の十字架が光を放ち、空間を白く染める。
拘束する光の鎖がウンディーネに巻き付いて、激動の戦場に無理やり静をつくりだした。
「ウンディーネ。俺達ぁお前の連れを助けに来たんだぜ。」
俺の胸の中に渦巻く感情を、言葉に変えて詩を唄う。詩は言葉に力を与え、瞬くように過ぎていく世界で、無情にのたうち回る運命という名の荒波に、俺という存在を刻み付ける唄である。
――【詩の導き】――
聞け、水の精霊よ
澄みたる泉に影を封たれし あはれなる魂よ
我は見たり、あの子の涙
母を呼びて 天を仰ぎし いとけなき祈りを
されば此の涙、母へ届ける契りとなる
我は知れり、黒き獣を
子を喰らひ、妻を血に染めた憎き仇を
我は知れり、黒き獣を
汝を裂きて 奈落へと引き据えたり
然れども聞け――我ら、汝が敵にあらず
誓ひの同胞なり 獣を屠る同胞なり
汝を呪縛より解き放ちて
泉にて待ちたる子のもとへ導かん
見よ、この結晶を!
氷のごとく澄みしは 汝が遺せし子の涙なり
目覚めよ ウンディーネ




