左京区のチート武士
「おいしいわね。」
焚火の炎が、湖畔の夜闇を柔らかく照らしていた。 パチパチと木々の爆ぜる音が、静寂の中に心地よく響く。 湖面は静かに波を揺らし、黒々とした水面に月の光を映している。
私とこもじは、即席の焚火の前に座り、焼いた魚を頬張っていた。大きさは30cmほどで、その全身を鋼鉄のような鱗で固めた異界の魚。絶対に地球'産じゃないと確信できる見た目をしている。似た魚として、沖縄で見ることができるプレコが思い浮かんだが、味はプレコより遥かに美味だった。
「そういや、自己紹介してなかったわね。ぽよちゃんよ。こもじって、座頭市の勝新太郎にそっくりな顔してるのね。」
(´・ω・`)帆世静香さん、スね。こもじです。ところでなんでナース服なんスか?
暗闇の中でも鮮明なウィンドウを見ながら、こもじがいう。
知らんがな。こっちだって苦労しとんのじゃ。おっとついつい、心の声に方言が出てきちゃう。
「食べ終わったら自己紹介の続きよ。立って。」
(´・ω・`)ほにゃほにゃ。
話題を変えるよう、こもじをせかす。改めて見るけど、人間離れしいる体格だ。
日常では見ることの少ない袴姿が、やけに板についているのもムカつく。180cmほどある体躯にがっしりとした胴回り。足が短く見えるのは、異様に発達した大腿筋のせいだ。目じりに皺を寄せてにこにこしている。大型犬に似たかわいさがある。さすがは、彼の住んでいる左京区田中の超ゴリラというべきか。
VRゲーム中のこもじを知っている人からすると、このゴリラはトラウマ製造機なのだ。小さいころから空手、柔道を習っており、その実力は国内屈指。成人してからは、より実戦をもとめて古流居合に入門する。常に殺し殺されるVRゲーム【英雄の戦場】は自身の技を試すのに持って来いだったのだ。PTも組まず野良で戦場に潜り続けるこもじと、同じく狂ったように戦場を回っていた私は何十回にも及ぶ激突を繰り返し、いつしか同じPTを組むのに至っていた。
こと戦闘においては全幅の信頼を置いている。昼間の魔女だって、ほっておけば一人でなんとかしたのではないだろうか。
すーはー、すーはーーー。
深呼吸は吐くほうに意識を集中する。準備完了。新鮮な酸素が全身に巡り、筋肉は程よい緊張を保っている。 身体強化により一番恩恵を受けたのは、実は視覚を含む脳機能かもしれない。今VRに潜ったらTASさんにだってなれそうだ。
——構えてね
声がこもじの耳に入ると同時に、一息で4発の拳をお見舞いする。
「おおーっ」と、こもじの目がわずかに開くも笑顔は絶えない。渾身の突きはこもじの人間離れした両腕に防がれ、カウンターにその大きな手が眼前に伸びる。
(これも昔と変わらないわね。)
使いやすい空手の型以外に、柔道は相手の襟を捕まえた瞬間に勝負を決めることができる。あと、こもじはあんまり女の子の顔は殴らないのだ。 一方的で申し訳ないけど、ギアを上げるわよ。
【ファストステップ】
私の体に淡い光が集まってくる。その光を置き去りにするかのようにバックステップ、こもじの掴みを回避する。
ここからだ、つなげろ!
あえて空中に長く滞在することで態勢を整え、着地と同時に大地を蹴る。弾かれるような加速、今度は畳みかけるように短いステップを刻み最高速度をさらに引き上げていく。地に張り付くように低い姿勢からこもじに迫り、 —ぽん とその肩を叩いてすれ違う。
最大速度から、足をバタバタとさせて減速をかけ、ゆうに100mは進んだところでようやく止まった。
「どーよ。」
てくてくと元居た焚火の場所に戻り、こもじに話しかける。
(´・ω・`)動物愛護団体が黙ってないスよ
左京区の超ゴリラが非難がましい目で見てくる。茶化すんじゃない。お前余裕だっただろうが。
「はいはい、それでどーよ。」
(´・ω・`)速さは凄まじいすね。最初の突きだけでも、全国取れるすよ。あんな動き回って周りは見えるもんなんすか?
「そのわりに効いてないわね。これでも最初の10RP、身体強化に全振りよ。周りはそうね、スキル使用中はぎりぎりだけど、身体強化は知覚にも大きく効いてるみたい。」
(´・ω・`)こもじは5ポイントっす。武士が腰に大小二本さげてないとダサいっすから。スキルってすごいんすね
「お昼に変態をぶちのめしてさ。6RPもらったのよ。そのうちの5RP使ったらスキルが生えてきた。」
(´・ω・`)あれー、こもじはさっき0RPだったんスけど。あ、でもスキルはいっぱいあるスよ?
ん?
スキルを持ってる??
こらこらこら、待ちなさい。私が苦労して手に入れたスキルを、なんで君はもっているのかね。
「ちょい、そこのゴリラ。ウィンドウみせなさい。」
(´・ω・`)実は、左京区のアリストテレスって呼ばれてまして
こもじがウィンドウを開いて見せてくる 。
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【こもじ】
主な称号:[侍][神刀の保有者]
固有武器:雲黄昏 兼長
身体強化Lv5
保有スキル :近接柔術 ・近接空手 ・古流居合 ・威圧
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チート勇者かよ、と言いたくなるようなステータスをしていた。どこから突っ込んでいいかもわからない。 お返しにと、私のウィンドウも見せる。私の場合はかなりカスタマイズされており、マップなども常に映しているため少々見にくいが…
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【帆世静香】
主な称号:なし
固有武器:なし
主な保有武器:十字架の聖遺物×2、万理の魔導書
身体強化Lv7
保有スキル :ファストステップ
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「わたしの方はだいたい見せた通りよ。スキルの検証も兼ねてるから、こもじの試運転もする?」
(´・ω・`)んーありがたく胸を借りるっす。どこかのタイミングで【抜刀】するけど当てないんで、許してね
こもじは刀の柄を軽く叩きながら言う。
私は先の1戦で体も温まり、ファストステップにもだんだんと慣れてきた。
一歩踏み込み、構えた。戦闘が始まる。
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火の揺らぎが影を作り、まるで戦いを急かす観客のように見えた。
帆世は肩を回し、軽く息を吐く。
「それじゃあ——始めましょうか。」
(´・ω・`)ほいほい
こもじは笑顔のまま、どっしりとした重心を落とす。
——戦闘開始。
拳が風を裂く。こもじが、動いた。
自分の技を試すというより、私のことを気遣ってくれているのだろう。狙いが浅い攻撃だ。私はその拳をギリギリのところで避け、小柄な体を滑りこませるように、こもじの心臓をパンッと突く。やる気を出してもらうための1撃、即座に危険エリアから脱出し次の攻撃に備える。
(´・ω・`)たはは…逆に気を遣わせたみたいスね
こもじが苦笑しながら、坊主頭をごしごしと撫でる。もう少し焚きつけてやるか。私はこれ見よがしに笑い、足を肩幅に開いた。
「さあ来なさい。私のギアは上がってるわよ!」
こもじの目が細まり、柔らかな笑顔のまま、しかし確実に戦闘態勢へと移行する。
次の瞬間
——シュッ!
風が頬を叩く。まだ目が追い付いているが、気を抜けるような攻撃ではない。大きく一歩左に避けると、目の前30cmほどを大きな正拳が通過する。
(……さっきより、断然速い!)
こもじの拳はまるで大砲の弾のような凄みを感じさせる。だが、これはまだ"試し"の段階。本気ではないだろう。
「ゴクッ…」
強い。改めてこもじの戦闘力を上方修正する。そのままバックステップで距離を取ろうとした瞬間——
ドッ!
次の攻撃がすでに来ていた。
左足の踏み込みと同時に放たれる膝蹴り。
まるで重機の油圧アームのような迫力で、眼前に迫る。
——違和感。膝蹴りはその破壊力の代わりに、射程が短いのだ。回避特化/軽防御の私に使うだろうか。おそらく、ブラフ。
証拠に、こもじの膝がわずかに浮いた瞬間、重心が一気に下がる。膝蹴りを止め、鋭く腰を沈めた。そのまま流れるように胴を傾け、逆の足で地面を強く蹴る——!
ハイキック——いや、上段回し蹴りというべきか。
直感で判断し、帆世は身体を沈める。蹴りの起点となる股の下をすり抜けるように潜り込み、お返しとばかりに股間へ掌底を放つ。
ギリギリだ。一瞬でも判断を誤れば即死。それでも、この緊張感がたまらない。
『避けタンク』という職を知っているだろうか。
敵に張り付きながら、タンクらしからぬ軽装で攻撃を躱し続ける変態ビルド。滅多に使う者はいないが、そのコツは「逃げていると思わせない」こと。
むしろ前へ、前へ。
攻撃を仕掛けることで、相手の攻撃をかい潜る隙を作り出す技術が必要なのだ。
1分、2分——
引き延ばされた知覚の中で、攻防が続く。
こもじの攻撃は、次第に加速していた。最初は大きく回避していたけれど、今は肌と肌が触れ合うような回避を強いられている。
ーー【ファストステップ】ーー
今日何回目か分からないスキルの発動。
細かく歩数を刻み、こもじの周囲2-3m圏内で跳ね回る。スキルが呼応するように体に馴染んでいくのがわかる。本日最多のステップ記録だ。
一歩、一歩が、こもじの攻撃と噛み合う。拳がかすめ、蹴りが空を切る。時間がスローに流れるような感覚の中で、私の脳は限界まで拡張されていく。溢れる脳内カクテルは万能感や幸福感を呼び起こす。このままずっと続けばいいのに。
——だが、そういう時間ほど唐突に終わるものだ。
こもじが、いつの間にか大きく足を広げて腰を落とし、その右手が腰の刀に触れる。
あまりに自然な動作に、反応が遅れる。後悔している時間は無い。
——来るッ
瞬間、こもじの全身から殺気が爆ぜる。
それはただの気配ではなく、物理的な衝撃を伴っていた。鞭を打たれるように、肌が弾かれる。それでも目だけは閉じてはいけないッ。私は死ぬその瞬間まで足掻く性分なのだ。
刹那————キンッ——!
銀閃が、鼻先1cmをかすめる。
【古流居合・抜刀】
システムが遅れて、絶死の攻撃を告げた。
(´・ω・`)ふ~。会心の1撃っす。今のは師匠に見せたかったっすねえ。
満足顔の巨漢を視界にとらえながら、スキル使用を乱された私は、バランスを崩して湖に頭から突っ込む。
ザブンッ!!!
冷たい水が全身を包み込み、超常に拡張された時間が一気に現実へと引き戻される。私はしばらくの間、水面下でぷかぷかと漂っていたが、やがて顔を上げた。
「……っぷは!!!」
息を整えながら、じろりとこもじを見る。焚火の前で、巨大な体を揺らしながら笑っていた。
「早く手かしなさいよ。」
満足そうな顔で腕を組むこもじを見上げながら、その戦闘能力を見積もり直す。
——想像の数段上をいっていた。頼もしい。味方に居るだけで、精神的にも安心感がある。
しかし、それはそれ。私は水から這い上がると、白衣をぎゅうと絞りながら、無造作に言い放つ。
「とりあえず、私ずぶ濡れだから。こもじはどっか行ってよっか。」
( ๑❛ᴗ❛๑ )えっち。
【魔法世界】
森に棲まうリアーナが世界の深淵に触れたことで分岐した世界。最もおおいなる情報体へ近ずいている世界であり、理を一時的に歪ませることが可能である。
リアーナは武具創成に10RP全振りしており、万理の魔導書を得た。