家畜の安寧
「起きてください♡ お食事きましたわ。」
ミーシャの声で目が覚める。体が軽い。数階上から床が降りてきており、装備を着ているとちょうどいい時間だ。
ゆっくり降りてくる床から食べ物を受け取り、優雅な朝ごはんとする。画一的な味、やはりホテルの朝ごはんといった感じがしっくりと来る。
「ミーシャ…ミーシャってすごいのね…」
「うふふ♡」
これ以上は言えない。とにかく、昨日のミーシャはすごかったのだ。
「このまま台座に乗って降りるよー。」
「あれ、上に行くのではなかったのですか?」
昨日の時点では上か下か、行き先が不明だった。こもじが5階にいたため、頑張って1階まで登ってもらったのだが、1層には高い天井があるだけだった。
「1層はハズレみたいなのよねー。この巨大な塔…何のためにあると思う?」
「こんなに巨大な建物をつくれるというのが信じられませんが…1000階層あって、全ての階層が穴で繋がっています。一日に一度食事が運ばれてきて…牢屋でしょうか?しかしそれでは穴を開けている意味も…」
「人を閉じ込めているっていうのは正解だね。ただ私達がたった5人できたというのが、むしろ状況を見えなくしてしまったのかもしれない。」
ゆっくりと床は降り続けている。通った部屋に転がっている白骨を見ながら、私は説明を続ける。
「かつて、全ての部屋に人が居たんじゃないだろうか。するとどうなるかな。」
「1000階…食事の量が足りるとは思いません。」
「せーかい。ミーシャはえらいねぇ。」
ミーシャたん正解。膝の上にだっこして頭をなでなでする。猫みたいでかわいい。
そう、3m四方の床に乗る食事などたかが知れている。節約したとしても、1000人が飢えを凌げるはずがない。
「ご飯が満足に食べれるのは、せいぜい2桁台の階層。2分間だけしか食べる時間がないとしても、数百階まで残っているとは思えない。さらにそれ以下の階層の人達は過酷な日々が待っているだろうね。逆に上の階層なら、日々の退屈さを紛らわせるために、必要以上に食事をとることだってある。」
「つまりは、上の数パーセントの人間が資源を喰いつくし、下に配置された人は抵抗すらできず飢える。気が付いてる?この辺の階層の骨…」
「骨に噛み痕はついています。分かりました。貴族階級と奴隷階級、そういうのを意図的に作ったということですね。」
ミーシャの呑み込みが早い。
そういう貴族社会を実際に経験している分、私よりも理解度が高くさえある。
「そっか、ミーシャは貴族社会の経験があるんだよね。じゃあそろそろ答えが見えてくるよ。信じられないかもしれないけど、私たちの社会では弱い方が強い。捨てる者が何も無い人ほど自由に動き、逆に地位の高い人は行動を縛られる。…この塔、下に降りるのは容易だけど、降りたら二度と昇れないとしたら、上の階層の人は降りようと思うだろうか。」
そろそろ1000階に着こうとしていた。
「下の階層ほど、自由に動ける。その分チャンスだってある。でも奴隷が気楽に生きられるかといえば、そうじゃない。社会という檻は、外敵から守ってくれる壁でもあるんだ。そこを抜けると…」
思った通り、遂に地面が現れる。そして、壁には扉がありどこかに続いているようだった。
やはり下が正解だったらしい。檻から出た者に待ち受ける未来など決まっている。
「全員、最下層に集合。 遅れたらご飯抜きだよ」
(´・ω・`)え、俺1階にいるんすけど…
(すぐに行きます!!)
「私たちは先に様子見しておくね。」
扉を潜った瞬間、一瞬の浮遊感を経て階層が変わる。
——進化の箱庭第十四層 ハビトラム・コロセウム——
いつものような階層の断裂ではなく、遠い空間を無理やりつなぎ合わせているような転移だった。
扉を潜った先には、円形に広がる巨大な闘技場が姿を現した。闘技場は今や色褪せ、地面に積もる砂には人間の骨片や歯が混じり、折れた剣や壊れた鎧が転がっていた。それは、かつて人間がここで戦い、命を散らした証明である。
耳を澄ませば…
剣のぶつかる音、観衆のどよめき、命乞い、獣の咆哮。
そんな“亡霊”たちが、今も石の隙間に棲みついている気がした。
年月の経過を思わせる闘技場とは異なり、高い壁の上には荘厳な装飾を施された観客席がずらりと並んでいる。闘技場で戦う側と、それを見物する側の立場を実に分かりやすく示している。
その観客席をミーシャが指をさして告げる。
「しずか様、あれを。」
「観客が御出でのようだねぇ。趣味が悪いね。」
壁の上に造られた台座の上で青白い光が湧きだし、現れたのは、仮面を被った人型。だが、仮面から突き出るように変形した頭部の形は、私たちの知っている人間ではありえないものだった。
肌のように見えるものはどこか金属的で、冷たく光を反射し、まるで夜空に浮かぶ星のような粒子がこぼれ続けている。節くれだった肢体は無駄がなく異様に整っている。
ミーシャの手を取り、すぐ横に引き寄せる。悪趣味な監獄から出た先のコロシアム、戦闘が始まる予兆を全身で感じ取っていた。
仮面の男、とりあえずそう呼ぶとしよう。彼が手を空間に翳し、闘技場を一周するようにぐるりと振るう。すると、観客席に多くの人型が浮かび上がった。
どれも仮面の男と似たような出で立ちをして、色とりどりの仮面をつけている。
仮面の色と、そこに埋められた石の形状は彼らの力を現しているような。まあ、たぶん豪華な装飾の仮面ほど階級が上なのだろう。なんというか、階級にこだわりがある種族なんだろうか。
私は構えを解かず、目の前の仮面を見据えた。
彼は観客に向かって手を掲げて何か喋っているように見えるが、私達には聞こえない。
そして、闘技場に向き直ったかと思うとその手は青く輝き始めた。
同調するように、闘技場の中央に光が渦を巻いて溢れだした。
硬質な節を持つ何対もの脚が、槍を逆さに突き立てたような骨剣で構成され、地を叩くたびに砂を噴き上げる。そのうちの2本は異様に長く、機能としては腕に相当しており、空中でうごめかしている。
続いて姿を現した胴体は、金属を無理やり捻じ曲げたような歪なうねりを見せた殻で覆われ、白い仮面が一つ取り付けられている。全身があらわになると、横幅は薄く、しかし高さは人間二人分はある。ダニと蜘蛛を混ぜて巨大にしたような、そんな形状だ。
不自然に取り付けられた仮面が口を歪ませる。
『グガジヲャ…ア゛ア あ…聞こエるカなニンゲン。ハビトラムで過ごす安寧を捨て去った愚かな人間。引き篭もっておれば永らく生きることができたというのに。ククク……以前に居た人間の方が、遥かに上質なエネルギーを生み出しておったぞ…』
奇妙な音を発していたと思えば、徐々に意味のある言葉に変わっていく。
ご丁寧にも、聞いてもない情報を教えてくれるものだ。
悪魔達の言葉を借りれば、人間をフィルターにすることで、地球で生産されるエネルギーを摂取するのと同じことなのかもしれない。ハビトラム、畜産の塔というのは、なるほどぴったりの名称だ。
「ご主人様と同じ仮面だけど、あなたには似合ってないわ。さしずめ、ペットね…そう考えると上手に喋れてえらいわぁ。」
『黙らんかァ!貴様など何の価値もなくなったゴミッ 』
「あら、ゴミの言葉がお分かりになって?ご主人様たちもゴミを見に来るなんて、頭が弱いのかしらん。」
会話によって時間を稼ぎつつ、その正体をこっそりと探る。
ウィンドウに内蔵されている万理の魔導書を開き、目の前の仮称:ダニ蜘蛛と、観客たち仮称:仮面男について探る。
жアラクノファж
ハビトラムコロセウムの処刑人。
仮面によって仮初の魂を宿した剥製獣。
жヴェル=ロゴスж
参照権限な——
緊急クエスト:階梯の支配者:ヴェル=ロゴスの討伐協力依頼。接触後、僕が干渉できるまで戦闘を引き延ばしてほしい。彼を閉じ込める空間を用意する——アクシノム
んん、観客たちを対象に万理の魔導書を開くと、言葉が書き換えられた。
アクシノムからの直接依頼、それだけ重要な敵らしい。接触後ということは、今は接触していない状況ということだ。高みの見物から引きずり下ろせというオーダーだろう。
しかし、まずは目の前のアラクノファに集中しなければならない。
無表情だった仮面が憤怒に染まり、今にも飛び掛からんと足をギチギチと歪めている。
『貴様、コロs——ッ』
「ミーシャ、やっちゃって!」
ザギンッ
激昂するアラクノファの背後から、ミーシャが現れて銀爪ベルフェリアを一閃させる。
銀色に輝く刀身には、なにやら禍々しいオーラが揺らめき、火花を散らして脚を斬り落とした。
光の渦が現れた瞬間から、ミーシャは単独で隠れていたのだ。姿を現してからは、挑発によって、私にヘイトを集中させ、最初の一太刀を安全に振るう機会をつくることに成功した。
アラクノファがバランスを崩しながら後ずさる。
後ろから攻撃を仕掛けたミーシャに視線を向けようと、砂煙を上げて転げる。
「余所見してると、その仮面叩き割るわよ。」
私からヘイトが外れ、意識がミーシャに移る寸前、その目に留まりやすいように外套をはためかせて大胆に距離を詰める。
腰から漆黒の刀を引き抜き、大上段から袈裟に斬りつける。
『貴様なんぞにィ!』
ガキンッ——ザシュ
アラクノファの振り上げた腕の先、槍状に尖った爪によって、私の黒鐘の刃が弾かれる。
しかし、それはミーシャに二度目の隙を作ることと同義である。私の刃が弾かれる瞬間に合わせて、アラクノファの二本目の右脚を斬り落とした。
同側の脚を二本失ったことで、バランスを大きく崩したようだ。地面に横転し、赤紫色の体液を撒き散らしながら、背中を向けて壁際へと逃走をはかった。
「ミーシャ、十分よ。ここからはゆっくりやりましょ。」
「はいっ」
無様に逃げる背中から目を離さず、ミーシャを再び隣に呼び戻す。
今の手合わせで、アラクノファの力量は分かった。私の刀を防ぐ程度には強靭な肉体をしているが、戦い方自体が傲慢極まりない。感情任せに暴れたり逃げるだけの知能であり、私達にとって苦戦もしないだろう。
今は、それよりも大事な任務がある。
「こちら帆世。聞こえる?」
(……)
クランチャットに通話を繋げるが、誰も応答はない。
思いがけず階層を越えてしまったことで、繋がりが一時的に切れているのだ。
「ミーシャ、時間稼ぎよ。あの蜘蛛じゃなくて、仮面の人間ーヴェル=ロゴスーと戦うことになるわ。それまでに、こもじ達と合流したいの。」
「わかりました。ベルフェリアがしずか様と話したいようです。」
そういえば、ベルフェリアなら色々知っていてもおかしくない。
銀爪に目をやると、思いもかけず、揺らめくオーラの中にベルフェリアの顔が見えた。
「なんで顔でてるのよ。」
『ミーシャ様のおかげですわ。
それよりも、ヴェル=ロゴス…かなり厄介な敵でございます。』
少し前から思っていたが、私が持っている時よりも力を増しているのが気になる。
しかし、ベルフェリアが言うように、今は目の前の問題に集中しなければならない。
「知ってる情報を教えて。あのうち一体を引きずり出したいの。」
悪魔としてはほとんど最上位のベルフェリアをもってして、厄介と言わしめるヴェル=ロゴス。
そもそもアクシノムが直接依頼してくるイレギュラーさも考慮し、警戒レベルを最大に引き上げる。全員が集合するまでに、情報を収集し、戦える盤くらいは作っておきたい。
『ヴェル=ロゴスとは——』
ベルフェリアが、その種族について語り始める。