転移とナース服
帆世静香です。私の昔話にお付き合いください。
2040年日本にいた帆世静香は、突然とある島に転移してしまいます。
肌に柔らかな陽射しを感じ、ぼんやりとした意識が勝手に腕を動かして目に影を落とす。目を開けると温もりを含んだ光が、どことなく正午前くらいの時間であることを告げる。上体を起こし、わずかに吹き抜けた風が、さらりと髪を揺らす。
足元には踝ほどの草が生い茂り、ゴツゴツとした岩が土から顔をのぞかせる。涼しい気温と草木の植生から、夏の高原にいることを思わせた。
(不思議ね。まだ冬なのに。)
たしか、雪がチラつく2月だったはずだ。
こうして半袖で外に出られるような季節では無い。
私、 帆世 静香は、気がつくと見知らぬ場所に転移させられていた。直後の記憶を呼び起こそうにもはっきりとしない。
私が…いやこの状況なら十中八九どんな人にもあてはまるだろうが、まず目を引いたのは眼前の壁だった。目の前、およそ一メートル先からは、磨りガラスを隔てたようにぼやけ、輪郭すら判然としない。まるで空間そのものが歪んでいるようだった。
(閉じ込められている?)
手を伸ばして、その不透明な境界に触れてみる。
硬い。
手応えは、まるで強化ガラスのようだが、叩いても押しても揺るがない。硬質な物体特有の振動さえ全く感じられず、何に触れているのかわからない。視界の端を見渡しても、ゆるく靄のかかった空間が曲線を描き一周している。どうやら、円柱のような透明な檻の中に閉じ込められているらしい。脳はすでに猛烈な勢いで思考を始めている。
(これがクエストってやつかしら...。)
慣れた手つきでウィンドウを手元に手繰り寄せる。普段は視界の邪魔にならないよう小さくしているものを、指先でピンチアウトするように拡大し、胸の前50cmほどの空中に展開する。
薄く発光する半透明のパネル。ウィンドウとはシステムにアクセスし、情報を確認するためのインターフェース。伸縮自在で自分にのみ見ることができるタブレットのようなものだ。
使い始めてまだ一か月足らずだが、これほど便利なものはない。フレンド登録もできるし、メッセージやビデオ通話、メモ帳代わりにもなる。
目を走らせると、画面の中央に予想通りの通知が浮かんでいた。もとより、コレを見るためのウィンドウなのだ。
《クエスト進行中:『邂逅』》
邂逅という単語は、誰かに会うことを示す。今回のクエストの本質を示しているのだろうが、極めて抽象的だ。
クエスト自体は理解できるが、非常に異質な類だろうと思えた。私が知っているクエストは、もっと日常に基づいたものだったはずだったからだ。
続けて、ウィンドウを軽く叩く。すると、さらなる情報が表示された。
ー邂逅:参加者7名
ー達成条件[現在開示できません]
ー達成報酬:【代表】の権限上限解放
(相変わらず便利なウィンドウだこと。)
それにしても達成条件が非開示とは、どうしろというのか。
参加者、と書いてあるってことは相手は人間かそれに類似する者がいるのだろう。
思考を巡らせていると、太ももに草が当たってくすぐったい。そういえば、私スカートなんて履いていたっけ?
何気なく自身の体に目を向けると、ふりふりとした白い生地が目に入る。
「なんでっ、ナース服なのよ!」
半径1メートル程度の閉鎖空間に、自分のこえが響き渡った。
思わず口を押さえる。いや、そうじゃない。問題はそこじゃない。
看護師をやっていた経験は確かにあるが、今世では一度もナース服を着ていないのだ。
エプロンのついた、古い時代の白衣。
前面にはボタンが並び、首元にはゆるく大きめの襟がついている。生地は厚く、針刺し事故の防止にもなっている。左胸と腹部の両サイドには大きめのポケットがついており、そこから駆血帯や優肌テープなどの小物が出てきた。
まさしく、病棟看護師をしていた頃のユニフォームに酷似しているが、それは何十年も昔の話だろう。
問題なのは——
「……スカートタイプはもう流行ってないのよ」
思わずため息が漏れる。
せめてパンツタイプにしてほしかった。膝下まであるスカートは動きづらいし、なにより場違い感がすごい。
緊張が解けるのは良いことだが、気まで緩ませるのは違う。
この不自然に断裂した空間——おそらくイベントが始まるまでの安全地帯なのだろうかとふと思う。
だとすれば、今のうちにやるべきことは決まっている。急に知らないゲームを手渡されたら、何をするか。
それは、今自分が何を持ってきているのかの確認だ。
これはゲームではなく現実、いつの間にか着替えさせられているという事実に嫌な想像が巡る。
「……誰も見てないでしょうね?」
ぼそりと呟きながら、あたりを見回した。
何を着ているかすら把握していないのだ、確かめるためには一度脱いでみる必要がある。
それに脱がないといけない理由もあった。
この閉ざされた空間に他者の視線はない。だが、理屈では理解していても、無防備になるという行為そのものに、心臓が早まるのはしかたがないと思う。
自分の心に言い聞かせ、指先を上着のボタンにかける。ひとつ、ふたつ。
ゆっくりと外していくたびに、白い生地の隙間から同じくらい白い自分の肌があらわになっていく。
冷えた空気が、小ぶりな胸元から背中にかけて通り抜け、服を脱いでいる行為にいやでも意識させられる。胸が小ぶりというか、身長に比例しただけだし、カップ数で言えばD…
いやいや、と誰へともしれず延々と垂れ流しになっている脳内言い訳を断ち切るように、上着を滑らせるように脱ぎ、足元へ落とす。細身のTシャツ、その隙間からブラがちらりと見える。お気に入りのブラがつけられており、恥ずかしさがさらに増した結果となった。厄介なのは次である。
ナース服といっても、パンツスタイルならそこまで抵抗はなかったかもしれない。
「……っ、なんでこんなとこで……」
独り言を漏らしつつ、必要なことなのと自分に言い聞かせる。
指がわずかに震えた。腰を軽くひねりながら、ウエストからゆっくりと滑らせるようにスカートを下ろしていく。最後に、足首を抜き、わずかな羞恥を押し殺して作業を進める。
「……ふぅ」
無意識に息をつく。
普段ならなんてことない動作だったのに、静寂に包まれたこの空間では、必要以上に意識させられる。こんなうぶな自分がいたことにも驚くが、花も恥じらう24歳である。
(とりあえず、体に異常はなさそうね。)
さっさと用事を済ませ、服を着なければいけない。
私は、ハサミを手に取ってスカートに刃を走らせた。クエストはまだ始まっていない、それでも淡々と仕事をこなしていくしかないのだ。
EP11~ファンタジー始まっていきます。
1章は綺麗な完結をするので、読んで見てくださいね。