春子日和:あたたかい家
会いたくないようなまま季節は変わり、春子は春の日差しの中を歩いていた。
春子が自分の名前を好きな理由は「この名前は春の日差しの中に答えがある」のだと今は亡き母が言っていた事を思い出すからだろう。
今も幼児期の記憶の中で思い出せるのは、はがれていて傷がある床、床だけはいつもきれいに水拭きされている。
その床に日差しが差し込んでいて、どこか静かな空間の中に身を置いていると自分がこの世に生まれたことを、祝福されている気になって、カーテンから入る日差しの中をホコリがまっていてもそれすら綺麗に思えたものだった。もちろんまだ何も知らない子供だから、綺麗も汚いも区別がつかないのだけれど
春子の母は、お世辞にも掃除がすごく得意なわけではなかったが、床の水拭きだけは力を入れていたのだった。
そんな母の作る、いちばん好きな料理は、ベーコンと玉ねぎとそうめんの入ったコンソメスープでそれをちびちびとゆっくり舌で味わいながら飲むのが好きで、意地汚い飲み方はやめなさいと何度か注意された事がある。それだけならまだしも、
春子と、母と母の友人と3人でテラスの席で、飲み物だけを頼んで話をしている時、まだ小さい春子は母の友人の頼んだアイスの乗ったメロンソーダを見て、小さい子の特権でセルフサービスの小さい紙コップに分けてもらったメロンソーダをソフトクリームについていた先の平たいふくらみのあるスプーンでちびちびとわざとなくならないように飲んでそれに対してもまた同じように、意地汚いからやめなさいと一喝されていた
そんな春子がいま、いちばん心が安らげるのはカフェで周りの人の何気ない会話をなんとなく、聞き流しながら自分の周りのあれこれについて考えているふりをすることだった。
考えているふりをしながら、頭の中の雑音がスーッと消えていくのをただ見ていた。
春子は、昔から飲み物をゆっくり味わう事が自分の唯一安らげる方法だと知っていた。
考えているふりをしながら、コーヒーやお茶、時にはスープなどをゆっくりゆっくり時間をかけて飲むことがそれ以上ない幸せなひと時だった。
今一番考えなくてはならないのは、自分の部屋の片づけをしなくてはいけない事だったが、それを考えると心がずーんと重くなる。
そんな重みを身体と心に感じながら、一口コーヒーを飲むと、やはりすーっと軽くなっていくのを感じてできるだけこの場所にゆっくり身を置きひと時を感じようと思うのだった。
ひとつ、思い出すと心が締め付けられることがある。
母は、いっつも焦っていて、私と歩いていても、自転車に乗っていても、おかまいなくどんどん進んでいってしまうので私は、追いつく事だけに精いっぱいで小さい春子にはそれは自分はいつも焦らなくてはいけないと教えられているように感じた。春子が常に、友人と歩いている時についていきているのか、春子の歩くスピードが速すぎないかどうか何度もうざいくらいに確認してしまうのは、母がいつも焦っていて後ろを確認してくれたと思ったら、母のところまで追いつくとまたすぐに遠くに行ってしまうので、常に自分が追いかけなくては、母はいつか本当にどこかに行ってしまうのではないかと常に不安だった。
春子はいつからか、周りと比べて自分が焦りすぎていることを自覚して、意識的にゆっくりする時間をとることにした。
いつか別れた恋人にも、そんなに焦らなくていいんだよと言われた事がたびたびあるが、その言葉を聞いてやはり自分は焦っているのだと自覚する事になる。
ゆっくり飲み物を飲む事以外、すべて焦っていた。
焦ると、いつも何かを忘れたし、いいことはそうそうないものだった。
自分の意識や魂が常に前に出ていて、自分と分離しているような感覚になる。
そんなことをぼんやりと考えながら、コーヒーを飲み終わった春子はなるべくゆっくりした動作で頭の中で焦る音がしてきたので急いでしまいながら、帰り支度をして店への最短ルートを考えながら出口までそそくさと出て帰り道を急ぐ。
帰り道で、春の日差しの中を歩きながら母と遊んだあの家を思い出す。
乱雑とまではいかないが、ばらばらに並べてある本や、雑誌が乗る棚や、母の作った毛糸のあみぐるみたちが横に申し訳なさそうにいる様子、床と同系色の少しサイズの足りない絨毯にはしっかり掃除機がかけられていて、その絨毯の上にチラシがおいてあり滑って転んで母に怒って泣きながら注意したことこと、母の料理を作る姿を見ながら、母が夕方になると電気を消してくれて、トントントンとまな板の上で野菜を切るのを遠くに眺めながらウトウト眠りについた記憶など、あの家には置いてきてしまった何かがあって、春子は何となくしんみりノスタルジックな気持になる。
母と過ごした期間は、たしかにあたたかくて、そのすべてを許すことができなくても、お母さんが大切にしてくれたことは、分かるよ。
と思いながら春の日差しで照らされた川のきらめきを見ながら頬にあたるひんやり冷たい風を感じて、顔をしかめて焦る心を落ち着けながらあの帰らない日々の事をいとおしく
そして母が春、という名前をつけたことを誇らしく感じて一人きり過ごすために家路に急ぐ。
母はいつも焦っていたが、母も私と同じように頭がざわざわして焦る音がやってきていたのかもしれない。と考え直す。
二人でいた時間は絨毯に差し込む光やホコリのまうキラキラのように汚い、綺麗だけでは言い表せないたくさんがつまっていて確かに私は愛されていたと思う。
帰宅した春子の肩には、桜の花びらがいちまい申し訳なさそうに乗っていた。
春子はその花びらをラミネート加工にし、しおりにしてカフェに行く時には新しく読書の時間を設け、母が遠くに行ってもあたたかい時間を思い出すのだった。
(あとがき)
大切な人、引っ越しのことやあれやこれやを思いながら、自分の記憶を引っ張って、昔感じた事、大切な記憶を忘れないようにおりまぜて書きました。
拙い文章ですが、読んでいただけるとありがたいです。




