ep.09
「アイリィ。お前に背中を預けた」
「何を今さら」
禍々しい瘴気を放つ悪魔でさえもたじろぐ眩しさ。アルフリートの剣は黄金に輝き、その背後でアイリィの魔法がさらにアルフリートの剣を鋭いものへと変えていく。
二人の間に入る余地などなく、お互いを信頼し合っている。そして二人を筆頭に魔法師達は悪魔を討ち取ったのだった。
幼馴染の二人がお互いの恋心に目を背けながら国を守る為に戦う物語。どこにでもある、ありふれた物語。僕はその中にいた。
「お兄ちゃん!」
おおよそ、貴族の令嬢とは言えない言葉遣い。それも彼女の魅力の一つなのだろう。
「アリィ、お兄ちゃんはもう少し寝るから先に行ってていいんだよ」
「いやだよ、そんなの。やっとお兄ちゃんと一緒に外を歩けるんだもん!一緒に行こうよ」
「一緒にいかなくたって、これから仕事で顔合わせるじゃない」
「それでもなの!ねぇ、起きてよー!」
前世を思い出してから二年。
心地よい眠りから僕を叩き起こすこの少女は朝日を浴びてさらに煌めいていた。我が妹ながらほんとに綺麗な顔をしてる。まぁ義理だけど。
思い出してからは尚更現実味のない顔立ちだなと思う。明らかに周りとは違う。その上、魔法の才能があるなんて神は与えすぎだと思う。...ッフ、神は僕だ。
「もう!早く来てよね」
なかなか起きない僕に最後は呆れて出て行ってしまった。
思えば、アイリィと共に外に出るのは初めてか。僕はずっと表に出ることはなかったし、僕の事を外で話す事を禁じていた。体が弱い為屋敷からは出られない。それ以上は話してはいけない。
この国の王には側妃がいた。そのうちの第三側妃が僕の母だった。王は何とも身勝手な人で、当時魔物との戦闘で活躍した養父へ褒賞として側妃だった母を俺と一緒に差し出した。
褒賞とは名ばかりの厄介払い。払う先の養父はまさに適任だった。生まれた時からの膨大な魔力量は幼い体では制御しきれず年々力を増し、暴走を繰り返す僕の力は手に負えないほどだったらしい。王を愛していた母に幼い頃よく言われた「あなたのせいよ」と。
聞き慣れた言葉だ。
そんな言葉で僕はもう揺らがない...。
今世には実力と環境がある。養父であるロイドも公爵家の人間だ。大抵の者が文句を言えぬほどの地位も財力もある。それに魔法というこの世界ならではの学問。それを充分に探求できる環境と力。これ以上を望めばバチが当たる。だから、母の愛はなくとも、俺は幸せだった。
クラレンス家にやってきたのは五歳の時だ。その時にはすでに三才のアイリィがいた。養父は早くに奥方を亡くされていた。この子は忘形見。初めて会った時、僕の不安を感じ取ったのか無邪気な笑顔で僕の手を握った彼女。傷つけてしまわないかと不安だったが、どこか懐かしい感じがして手を握り返してしまった。
母は僕のことが嫌いだ。でもアイリィのことは可愛がっていた。元々子煩悩な人だったのだろう。僕が異物だっただけだ。けれどそんな血のつながらない仲睦まじい親子を見つめる僕の頭を撫でていてくれたのも、血のつながらない父で。...だから僕は恵まれているんだ。
母は僕を表へは出したがらなかった。でもそれは僕にとっても皆んなにとっても好都合だった。すでに僕の存在は危険だと知られていたから、僕が外に出ない方が皆んな安心だし、僕も父から教わる魔法が面白くて外に出たいと思う暇がないほどのめり込んだ。母が病で倒れた日もそれが原因でこの世を去った日も僕はひたすら魔法の研究に勤しんだ。最後だけでもと、案内され見た母の顔は見たことが無いほど穏やかで、彼女も最後はそれなりに幸せだったのだろうと思った。良かったね、なんて言葉が知らない間にこぼれ落ちていた。
隣で崩れ泣いている義妹の肩を撫でているメイドがこちらを睨んできていたけれど、何も気にならなかった。僕は薄情なのかな。どうだろう。僕はほんの数分母の顔を眺めたが、特にここですることもないので、自室に戻った。
屋敷の使用人からは距離を置かれている。大抵のことは自分でできるし、そもそも魔法でどうとでもなる。自室に入って来られるのも面倒だから、使用人と関わりがないことでさえ、僕にとっては好都合だ。ただ、食事だけはどうにもならなかったので、直接調理場に行っていた。そのおかげで料理長をはじめとした、料理人達とは思いの外仲良くできていたと思う。魔薬に必要な素材集めに出たついでに希少な食材を採って渡していたのも、良好な関係の要因だったかもしれない。僕には、養父と義妹、料理人達。そして、魔法とそれに関わる者。それだけ。僕にはそれだけあれば十分。十分だったのだ。
「やぁ、お寝坊さん」
身支度をして自室を出た途端、珍しくメイドが部屋の前に立っていた。目が合えば、顔を赤らめ下を向く。そんなに嫌いなのだろうか。そんなメイドもハッとした顔をして、客人が来ているので至急応接室へと僕を急かした。そして連れてこられた応接室に、この国で二番目に尊い存在が我が物顔でお茶を飲んでいた。
まぁ、ここは彼らが治める国なのだから我が物顔で間違ってはいないが何せむかつく。朝だからかな?いや、関係ないか。
「王太子殿下がなぜここに?」
「やだなぁ、弟の顔を見に来ただけじゃないか」
へらへらしながら、ビスケットを口へ運ぶ目の前のこの男の無駄に優雅な動きに思わず舌打ちが出そうだった。
ッチ
出た。
「今、ッチって言った?」
「言ってない」
「言った!」
「鳴っただけです」
「屁理屈ッッ!!」
両手で顔を覆って嘆くふりをする。
「で、何しに来たんですか?」
「だから、言ったでしょ?久しぶりに弟の顔が見たかったんだって」
その後、王太子殿下は一方的に世間話を続けて、僕は頬杖をついてそれを聞いた。料理長の菓子がなかったらとっくに追い出してるところだ。しばらくして、じゃあ僕はそろそろいくよ。と腰を上げた。君もこの後、騎士団に行く予定があるでしょ?なんて爽やかな顔でいうから、知ってるならこの時間に来るなと言いたい衝動をなんとか抑えた。
わぁ、アルクの考えてることが手に取るようにわかるぅ。ってふざけた顔で言うからまた思わず舌打ちが出そうになった。
ッチ
でた。
「あ、そうそう。配属部隊だけど、君とアイリィ、アルフリートも一緒になったから」
「え、」
なんで、そんな身内を固めてしまうのか。
「まさか、、、おねだりに負けたりしてませんよね?」
「そのまさかだ」
公私混同をしないでほしい。
どうせ、アイリィに頼まれでもしたのだろう。
「仕方ないでしょ?アイリィは君と一緒がいいと言うし、アルフリートはアイリィを護れるよう側にいたいだとか何とか言うし。可愛い幼馴染のおねだりも可愛い弟のお願いも聞いてあげたいと思うじゃないか」
全く頭が痛い。そんな国を背負っていく人が、防衛の要である魔法師や騎士達の編成に私情を挟んでいいわけがない。
ハァ。
ただ、それだけじゃあないのだろう。この人の事だから。王妃様に似てるこの人だから。
「今は力がある者が必要なんだよ。じゃあ、よろしくね」
にこりと笑い、兄は手をひらひらとさせながら出て行ってしまった。