ep.07
この世界を僕は知っている。
知っていたのだ。恐らく"俺"の書いた夢物語。小説の世界だ。設定以外の要素が多過ぎて確信を得てはいない。ただ、主要人物が存在している以上恐らくここはそうなのだ。
現実逃避で書いていたはずの小説が、なぜか逃避した先で現実になっていた。
そしてこの世界で新たに生を授かった俺は前世のほうが小説なのではないかと思うほどにはこの世界にすでに馴染んでいた。
主人公であるアルフリート。
ヒロインであるアイリィ。
そして、悪役のロネリア。
書きかけで終わった小説の中の彼らはこの世界に確かに存在していた。
そしてこの世界に生まれた以上、僕はこの世界に生きる一人の人間だ。だから、この記憶が戻ったとしても、こちら側の人間だから、何か変わる事はない。ただ、少し先の未来を知っているだけ。ただ、それだけで僕が僕ということは変わらない。けれど、僕は今この瞬間、自分がどういう立ち振る舞いをしていいのか分からない。今まで自分の立ち振る舞いを迷ったことも、疑ったことも、恐らく間違ったこともないのに。
「なんで...なの。どうして...」
隣でか細く震える声がこぼれ落ちた。
その瞬間、意識が彼女へと引き戻される。
彼女からこんなに感情がこぼれ落ちていくのを見るのは初めてかもしれない。
僕は、隣で落ちていく涙と心をすくってあげることが出来ない。だってこれは"俺"が描いたシナリオだから。この世界はそうなるものだから。
だから、僕は隣の小さな背中を支えようとする手をそっと下げたのだった。
どうやら、僕はこの生を受けて初めて立ち振る舞いというものを間違えたのかもしれない。
その日から、彼女は変わった。
完全に心を閉ざし。言葉は鋭くなった。
僕を含めて、彼女のあの小さな屋敷の使用人も解雇されたようだ。彼女の元に残ったのはロジャーさんだけだった。
それ以来、彼女には会っていない。
そして僕は、影に戻った。
この世界には魔法がある。それを堪能できる環境と力がある。僕にとってこの人生は文句のつけどころなんて何一つない最高の人生。僕は恵まれている。
・
「グレッグル男爵は始末できたか」
「いえ、彼はまだ情報をもっている可能性があります。敵国にも顔が利く為このまま生かしておくのも手かと」
「っふん。アンヘルの分際でこの私に意見か」
上等なローブを着た小太りの男が、アンヘルと呼ばれる仮面をつけ漆黒のローブを纏った者達を睨め付けた。
「まぁまぁ、ヒュース殿。彼らに判断は任せてあるからね。現場の声には耳を傾けるものだよ」
「師長閣下はこの者達に甘すぎるのです。元は最下級の者。奴らに権利を与えてしまえば使い捨ての道具だということを忘れてつけあがるだけですぞ」
「まぁまぁ」
宮廷魔法師の幹部会議で、魔法師長を中心とした半円の長テーブルに、師長、副師長その他数名の魔法師が着席していた。
その中で声を荒げるヒュース伯爵とそれを宥める魔法師長。後は沈黙を貫いていた。
そんな彼らに見つめられる形で向かい合っている、漆黒のローブの者が三人。
真っ白な面をつけたリーダーらしき者は立ち、残りの者は後ろで膝を付いていた。
深く被ったフードのせいなのか、つけた面のせいなのか、彼らから生気を感じず、まるで傀儡のような気さえしてくる。気配を感じないその姿は少しの恐怖を感じさせるほどだ。
「伯爵のご意見しかと受け取りました。しかし、我々は国に仕えるモノ。この国の利益を最優先に考え判断いたします。悪しからず」
片足を引き、手を当て丁寧な礼をとるアンヘルと呼ばれる者達は、まるで英才教育を受けた紳士のようだった。
そのあまりに優雅な振る舞いにヒュースはさらに声を荒げた。
「キサマ、図に乗るなよ!」
熱を上げるヒュースが空振りを繰り返しているようにみえるほど、魔法師長であるロイドの顔は春の木漏れ日のように穏やかでそして少しの肌寒さを感じるものだった。
「彼らの存在無くして、この国の安寧は得られない。君も分かっているでしょ?」
室内が徐々に冷えていく。
ヒュースも曲がりなりにも伯爵であり宮廷魔法師団の幹部である。引き際はわかる。
ヒッと小さな小さな声を漏らし席に着いた。
それを一瞥して魔法師長はニコリと笑いアンヘルへと顔を向けた。
「僕は君たちに一任してるからね。カルマ、報告はこまめによろしくね」
「承知しました」
カルマと呼ばれたアンヘルのリーダーは返事をしたのも束の間、仲間と共にその場から一瞬にして消えていった。魔力の残滓も残さずに。
その異常さはここにいる、魔法を極めた者達なら一目瞭然だった。
「やっぱり、さすがだね」
と、魔法師長はニコニコと機嫌を取り戻したのだった。