溶けて煮詰めた夢の先 (後)
グランとメルは壁を出す練習を喫茶店の片隅で行う。
メルはだいぶ大雑把な性格で、対してグランは神経質だ。教えるのにも教わるのにも相性が良くなく、少し練習してすぐ出来るようにはならなかった。
カエデはその合間にお菓子を量産する。自分が帰っても二人がお菓子を食べれるように、古今東西あらゆるお菓子を作り続けた。
時々3人で休憩をし、たまにお客さんが来て、お菓子を作って、練習をして。
そして。
「できたー!」
メルの目の前には分厚く透明な壁が出現している。見た目は青白いが透明で、向こう側が透けて見えていた。強度も結構あるようでグランお墨付きである。
「よしっ、行こう!」
「えっ、今から!」
「この感覚を忘れないうちに行かないとっ! グランも用意できてる?」
「貴様が出来ればすぐに行くつもりだった」
ぱっ、と壁が消える。なにか用意を……とカエデは考えたが、持ってきたものも持っていけるものもここにはない。それはただ出発を遅らせる言い訳であることにカエデは気づく。
「……行きましょう。メル、グラン、よろしくね」
メルが先頭、カエデが二番目、グランが最後尾で進むことになった。メルの壁はまだ融通が利かず、本人の正面にしか出せないためこの順番だ。
「カエデ、大丈夫?」
「えぇ、もう決めたから」
「そっか、それじゃあ開くね」
メルはキッチンの扉を開き一歩踏み出す。水を多量に含んだぬかるみのような地面を踏みしめるのと同じく、遠くから様々な鳴き声が響き始めた。それはまるで侵入者を知らせているようで。
「走れ!」
グランの一言で、ビルの方向へ走り出す。遠くに牛や羊などの動物がもの凄いスピードで突進してくるのがカエデからも見えた。
「遠距離攻撃ではないだけマシだ。ビルに入ることを優先しろ!」
「っていってもこの道走りづらいよー!」
「飛べ!」
「そうだった!」
メルとグランは地面と平行に飛ぶが、カエデはそうもいかない、メルが走るより足の長さ分早いくらいで、二人が飛んでしまえば一番遅いのはカエデだった。
後ろからは様々な動物が興奮したような声を上げながら迫ってきていて、カエデの足では簡単に追いつかれてしまう。
「カエデ、私の手につかまって! グランもカエデの手握って!」
返事の前に、カエデの両手が力強く握られる。そして次の瞬間にカエデの足は地面から離れていた。
「うわっ、うわっ、私飛んでる!」
足元20cmくらいの低空飛行だが、二人に両手を掴まれてカエデは飛んでいた。速度は劇的に早くなり、動物たちに追いつかれることもない。広い草原を抜け、フルーツ畑も最速で通り抜ける。スイカやらリンゴやらがすごいスピードで射出されているのが見えたが、カエデたちの速さに狙いは定まらなかった。
「ビルの入口で一度止まれ!」
グランが後方に壁を作りながら入口前で止まる。グシャベシャと壁にはフルーツが砕け散った。
「中はさらに危険度が上がる。気を付けて入れ」
以前メルとグランが入った時は、ただ広いエントランス広がっているだけであった。カエデを見つける時も、エレベータが勝手に連れて行ってくれたようなものだ。今度はそう簡単にいかないだろうとグランは予想していた
メルを先頭にビルの中へ入る。溶けているような外観のわりに中に変化はない。ガラス張の壁にピカピカに磨かれた床が光を反射しているだけで、一見して障害はないように見えた。
「ねぇ、エレベータ動いてないよ」
以前使用したエレベータは、カエデが目の前に来ても扉を閉ざしたままだった。特に呼び出すボタンも見当たらない。
「エレベータじゃないとしたら……」
カエデがエレベータのすぐ隣のドアを開ける、そこには非常階段が上に伸びている。
「えー、この前どのくらい昇ったかなぁ」
「私も体力に自信ないわね……」
飛べるといっても狭い非常階段をジグザグに飛ぶのは難しい。
メルは階段を昇りたくない気持ちを、ぴったり閉じているエレベータに八つ当たりをする。
「どうにか開かないかなー」
メルがそう言って扉を軽く叩く。……と同時にどこからか警報が鳴り響いた。
「メル……貴様」
「えっ、なになに! 軽く叩いただけじゃん!」
「私の夢はそうは思わなかったみたいね……」
広いエントランスの向こう、ドローンのようなものが大量にこちらを目掛け飛んでくるのが見えた。
グランが舌打ちをする。
「階段を昇るしかない。メル、カエデ、先に行け。我はここに残って迎撃する」
「え、グランも一緒に!」
「貴様らがいると我の全力が出せん。足手まといだ」
「ほら、カエデ。早く!」
カエデは迷った。きっとグランとはここが最後だろう。
「さっさと行け、貴様の茶葉が無駄になったらどうするのだ」
しかしグランのその一言は、どこまでもいつも通りで。
「私のお茶、よく味わってね!」
だからカエデもいつも通りのように返事をした。
非常階段のドアが閉まる。それと同時にグランは獏の姿へと戻る。
大量のドローンはすでに目と鼻と先だった、しかしグランは動じない。カエデを気にしなくてもよくなったおかげで自制も必要ない、戦闘が得意ではないと言っても、何千年も生きた獏にはこの程度脅威ですらなかった。
「ビルが崩れなければよかろう」
どこかで大きい爆発が起こったことは、非常階段を駆け上がるメルとカエデにもわかった。けれどカエデは振り向かずに階段を昇り続ける、そうしなければグランが残った意味がないから。
さすがにメル一人でカエデを持ち上げるのは難しい。メルもカエデも自分の足で昇る必要があった。最初はカエデも、グランとの別れに涙をこぼしそうになったが、十階、二十階と昇るうちに涙より汗が噴き出してきていた。
「はぁ、はぁ、もう三十階分くらい上りました?」
「出口が一つもないからわからないねぇ。下からも追いかけてこないし……少し休憩しようか。私も疲れちゃったよー」
肩で息をしながら、お互い階段に腰掛ける。
「下からは……もう音は聞こえないね、グランが頑張ってるのかな」
「早く、上に行かないと、だけど」
「カエデ、大丈夫だから深呼吸して。それと……これだけなんにもないと、上に行っても出口ないような気がする」
「どういうこと?」
メルは座標を辿ることに長けている。その直感が、出口は今のところ存在しないと言っていた。
「私の感覚だからうまく説明できないんだけど……ここってさ、今はいろいろ混じってるけど、元はカエデの夢の中なんでしょ。それならカエデがどうにかするしかないと思うんだよね」
はっ、とカエデは気づいた。いままでここが自分の夢だと少しも意識していなかった。それだけカエデは様々な夢を含んでいるお茶を飲み、カエデという存在から外れているということであったが。
「そうでした。これ、私の夢でした」
足りないのはきっと、自覚だとカエデは思う。
違和感だらけの夢の中だけど、それでもここは自分の夢だ。たくさんのオーブン、いくつもあるキッチン。洗い物をどれだけ積み上げても、新しい道具が次から次へと出てくる、好きなものを好きなだけ作ることが出来る空間。あれが私の夢だったはず。
私はあそこにいなきゃいけなかった。好きなだけ作って、作り続けて、いつか目覚めめる。それはきっと、今。
自分の思いが、今いる場所に合致する。
「メル」
「うん」
「私、忘れませんから」
「……うん。忘れないでね」
メルはそう返事をした、それが不可能と知っているけど、そうだといいなと思いながら。
いつの間にか非常階段の踊り場にドアが出来ている。それと同時に階段の上から、けたたましいサイレンの音が聞こえてきた。
「行って! カエデ」
「うんっ!」
カエデは振り向かなずにドアをくぐる、次の瞬間ドアは消えていた。
残されたメルは教えてもらったばかりの壁を出す。
「もうこっちでもいいよね」
獏の姿となり身体を帯電させる。機械であればきっと電気に弱いはず。
カエデには結局この姿を見せなかったなぁと思いながら、階段の上からくるサイレンを、メルは待ち受けた。
長い長い廊下を、息を切らしながら走る。その向こう側には大きなキッチンがあるはずだ。進むにつれて、ここが自分の夢だという意識が大きくなる。
やがて大きな部屋に出る。壁に並んだオーブンは一つも動いてなくて、いくつも並んだアイランドキッチンも主人がいなくなり静寂を保っていた。
近くにあるオーブンに片っ端から火を入れる。アイランドキッチンの上にはいつの間にか大量の材料が鎮座していて、準備は万端だった。
作るものは……思いつくまま。
ここが、私の夢。とにかくお菓子をたくさん作ることが出来る場所。
磨かれたようにピカピカのキッチンを前に、カエデはエプロンを手に取った。
★ ★ ★
目を開けると、そこは真っ暗だった。カーテンの隙間から明かりが漏れていて、それが月明りだと気づくまでに数分かかった。
身体を動かそうにもうまく動かず、感覚が鈍い。動かない身体に難儀していると、すぐに看護師らしき人が入ってきた。
「九条さん? 九条楓さん?! 意識戻られましたね! 今担当に連絡するのでお待ちください!」
慌てている看護師を横目に、私は目を瞑る。
あぁ、私、夢から覚めたんだ。
私は車に轢かれてから一ヵ月も寝ていたようだった。轢かれたにしては外傷が少なく、一部骨にヒビが入るくらいだったが、頭を打ったせいか意識が戻らず、ずっと寝たきりだったらしい。
私が起きてからすぐに駆け付けてくれた両親は大泣きしていたけれど、私は半分自分の意志で夢の中にいたようなものなので申し訳ない気持ちがいっぱいだった。
落ち着いてから両親から話を聞くと、私を轢いた車は酒気帯び運転の上、おまけに社用車で、その会社から謝罪とともに多額のお金が振り込まれていた。
私の長時間労働が事故原因の一部とも分析され、両親は私が寝ている間にいろいろと行動を起こしたらしい。私が勤めていた会社は労働基準監督署の介入により、実質廃業となった。経営陣以外のほぼ全員が味方になってくれて、調査はとてもスムーズに行われたみたい。あの会社にいたら明日は我が身だから、私の事故で一体感が生まれたのだろう。
寝ている間に身体はすっかり治っていたので、2、3日挟んでから鈍った身体を慣らすためにリハビリが開始された。一ヵ月寝ていただけで、身体はまるでいうことを聞かない。あの時のように飛べれば楽なのに、と考える。……あの時?
それからもう一月入院をし、私は退院することになった。
職はないけどお金はある私に、両親はもう少しゆっくりしててもいいんじゃないと言ったが、私はすぐに目標のための行動を始めた。
夢を見た気がしたんだ、私がやりたいことをして、どこかの喫茶店で働く、そんな長い夢を。
★ ★ ★
『本日紹介するのはこちらのお店。去年オープンしたばかりで人気急上昇! 焼き菓子が特に評判の洋菓子店『メルティグラッセ』さんです。オーナーの九条楓さんにお話を聞いてみましょう』
『よろしくお願いします』
『こちらこそよろしくお願いします! いやぁケーキもオシャレなのがそろっていますが、焼き菓子がまさに絶品! とのことで。九条さんは小さいころからお菓子作りがお得意と聞いていますが、洋菓子店はやはり長年の夢だったんですか?』
『そうですね。昔からお菓子作りだけは苦ではなくて……夢の中でも作っていたくらいで』
アナウンサーから取材を受けているカエデは幸せそうに微笑んでいる。
喫茶店の片隅に新しく設置されたテレビを見ながら、メルは手にしたクッキーを食べていた。
「ねぇー、カエデのお茶飲みたいんだけどー」
「……いいだろう」
カエデを夢に返した後、グランはしっかりとカエデの夢で栽培していた茶葉を収穫してした。帰ってから飲んだそれはまさに絶品で、メルはすぐにおかわりを要求したが、二度と手に入らないことを分かっていたグランはなかなかそのお茶を淹れようとしなかった。
グランはテレビの中にいるカエデを見ながら、茶葉を取り出す。それだけでお店の中に香りが広がる。
「このような茶葉が手に入るなら、人と関わるのも悪くない」
「そうだねー。また誰か誘ってみようかな」
「和菓子職人はどうだ?」
「えー、見つかるかなぁ」
メルはキッチンからお菓子を用意しながら答える。カエデが作ってくれたお菓子は、数年は持ちそうな量だった。もしこれが全部なくなってたとしても、またカエデの夢に遊びにいけばいい。だから、メルとグランはそこまで寂しさを感じたりはしない。
テーブルの上にティーカップが用意される。山盛りのお菓子に、ティータイムの準備は完璧だ。
そんな時、喫茶店のドアの向こうから、コツ、コツとノックの音が聞こえた。
「……む? 湯を入れるのは後になりそうだな」
「タイミング悪いなぁ……。まぁ夢の方が美味しいかもしれないしいっか」
メルは閉ざされたドアを開く。
カランカラン
「いらっしゃいませー。こちらのお席にどうぞー」
お読みいただいた方はありがとうございました。