二次元の夢
完璧な人生だった。
どこにでもいそうな私を、彼は優しく拾いあげてくれて。
埃被ったただの石だった私を、何度も何度も磨き上げ。
ピカピカ光る宝石になった私を、飽きもなくみんなに見せびらかし。
最高のステージで私を彩った。
その時のサイリウムの波は、いつでも思い返すことができる。
私が右に手を振れば、光の波は私の手足のように広がっていく。
私が左に手を振れば黄金色の草原が、新緑へと生まれ変わる。
そこにいた時、私はまさしく世界の中心だった。
そしてこんな時がいつまでも続くと思っていた。
ステージ袖で見守っている彼も、ずっと私の傍にいると思っていた。
思っていたのに。
一番最初にいなくなったのは彼だった。
カランカラン
「いらっしゃー……」
扉を開けた先、白いコックコートを着た彼女は、私のことを見て言葉を失っていた。
「カエデどうしたの? あ、いらっしゃいませ。こちらへどうぞー」
固まってしまった人をスルーして、子供のような店員さんに席へ案内してもらう。
少し地味だけど落ち着いた雰囲気の店内に、近くにこんなところあったんだと思う。小さい店員さんはハーフのようで可愛いし、カウンターの中にいる人も顔が良い。メニュー次第ではまた来てもいいな。
さて何にしようかと、テーブルの上にあったメニュー表を見る。なにやらケーキが絶品みたいで、メニュー表の上には手書きのケーキが踊っていた。
「もしかして姫野宮カレンが私の作ったケーキを!」
そんな悲鳴のような声がして振りむくと、先ほど固まっていた店員さんだった。ずいぶんと興奮しているように見えるけど、私のことを知ってるなら無理もないかとウインクを一つファンサする。小さな悲鳴が上がった。
「カエデの知ってる人?」
「もちろん知ってるわ! 私もずっと見てたの!」
「見てた?」
「そう、小学生の女子は誰もが通る日曜朝のアニメ『絶対頂点アイドルのススメ』メインヒロインの一人、姫野宮カレンその人よ!」
「ふぅん?」
「……」
あんまり興味がないのか、カエデと呼ばれている以外の店員さんの反応は良くない。街を歩けばきゃーきゃー言われることが多かったから、その反応はなんだか新鮮だ。
「それにしても可愛い……顔ちっちゃい。二次元だからこそ許されるの眼の大きさ……」
「カエデ、カエデ、相手はお客さん。お仕事しないと」
「はっ、そうだったわ! 完璧なケーキをお出ししないと!」
そうしてその店員さんはキッチンに引っ込む。あんまり煩くされるのも嫌だったから、ちょうどいいかな。
「んー、確かに今までの人とは違うね。なんというか……人? ではないね」
「人でなくとも夢を見れば、ここにたどり着く可能性はゼロではない。作られた者が来るのは珍しい事例ではあるが」
「作られた者……ね。あなた達は私がどんな存在が知っているのね。よかったら私の話を聞いてくれる?」
「いいですよー、ちょうど暇してたので! グラン、私ハニーミルクティーお願い」
「じゃあ私も同じものを」
グランと呼ばれた店員はなぜか少し不満そうにしながらも、ミルクの準備を始める。
私は小さな店員さん……メルに歩んできた完璧な人生を語った。
私は作られた存在ということを自覚していた。
何万回も作られては電子のステージ上で歌い続ける私が、その光を浴び続けることができるのは百万人に一人だけだった。スポットライトがなくなった私達は、不要なデータとして狭い箱の中に一塊にされ、それでもいつか光がさすことを信じて、ステージの上で待ち続ける。
そんなただのデータであったはずの私が、人と同じように夢を見ることになったのは、その捨てられた数多くの私が願い続けた結果なのかもしれない。
「なるほど。つまり『絶対頂点アイドルのススメ』のスマートフォン向けゲーム上で、そのゲーム内で作られたカレンさんは、実は一人一人が個別のデータとして残っていて、初期条件が悪くて放置されてしまった数万人のカレンさんが積み重なった結果、人と同じように夢を見て、たまたまここにたどり着いたというわけね」
いつの間にか隣に座っていたのはさっきのファンだった。
私の長々とした説明からうんうん、と頷いているけれど、言っている言葉の意味は二人の店員さんにもあまり伝わっていないように感じた。
「私もよくゲームでリセマラ……あ、リセットマラソンの略なんだけど、最初にひけるガチャとかで良い結果が出ないと、データを消去してまた最初からやり直すことね。をしていたけれど、でもそれで作られたデータが、私達と同じく夢を見るなんて知らなかったわ」
「私もこうして自由に動けると思っていなかった。だからどうすればいいかもわからなくて、迷っているうちにここに辿り着いたの」
「……少々その夢を調べてみたのだが」
そう発言するのはカップを磨くグランだった。
「そこのカレンの夢はひたすらに巨大だが……とても薄い。確かに一つの夢ではなく、いくつもの小さな夢で出来ていることもわかった。夢同士の結合が強く、一つと言って差し支えなかろう」
「薄いというはやはり彼女が二次元の人物だから?」
「二次元というものはよくわからん。夢を例えるならそうだな……あぁ、ちょうど貴様作ったケーキの上に刺さっている、飴のようなものだ」
そう言われて気づいたけど、いつの間にか一つのケーキが私の目の前に置かれている。
それは小さなホールケーキで、ケーキの上がまるでステージのように彩られていた。真ん中には私をモチーフにした小さな人形、ステージは生クリームで高さを出して、薄く伸ばした飴がステージの壁を表現するようにいくつも刺さり、光を反射させていた。
「ふーん、美味しそうだねっ!」
小さな子の感想はどちらかというとケーキに向かっていたような気がした。
それと同時にハニーミルクティーが置かれる。甘く暖かい匂いは一気に気持ちを弛緩させた。
ケーキにフォークをそっと入れる。下はシフォンケーキのようで、思ったよりフォークが沈み込む。このステージを崩すのはもったいない気がして、上の飾りが倒れないように慎重に取り分ける。
これはただの夢。私にとって、きっと最初で最後の夢だろう。
夢の中だとしてでも、この私への気持ちを散りばめたケーキと、ハニーミルクティーの甘さをだけは経験できてよかったと、私の中にいる何人もの私が同意していた。