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豆が足りない

「豆の種類が足りない」


 客がいない喫茶店の中、カウンターでコーヒー豆を整理していたグランが呟いた。


「いや、たくさんあるでしょ」


 またはじまった、とメルがため息をつく。


「我が足りないと言ったら足りないのだ」

「今って何種類くらいあるんだっけ?」

「コーヒー豆は49種だな。茶葉は82種だ」

「十分じゃない?」

「いくぞ」

「はいはい」


 どーせ誰も来ないしいいか、と思いメルも立ち上がる。広い夢の中、喫茶店に戻ってくるためにはメルの『座標をたどる』能力が不可欠だった。能力といってもメルだけでの能力ではなく、実際はグラン『座標をたどる』能力が少し下手、いわゆる方向音痴なだけだったが、他の獏に会ったことのない二人が知る由はない。

 グランは道具一式を用意し、喫茶店を出る。メルは扉に『CLOSE』の看板を掛け、その後を追った。


 夢の中でのコーヒー豆や茶葉の栽培は人間の世界とは全く異なる。

 グランが持つ特殊な木や苗を、夢の中の土地で育てる。それらは一つ一つの夢特有の土地で育てられるため、基本的に一つの種類しかできない。人の世界のように、できた豆や葉を乾燥させたり、焙煎したりする必要はなく、そのまま収穫してそのまま飲むことができる。同じ人でも全く同じ夢は二度見ないため、その土地で育てる豆や茶葉はまさしく一期一会である。


 といっても、グランは手当たり次第に植えたりはしなかった。

 そもそも木や苗はに限りがあるし、適当なところに植えたとしても、夢の主が起きてしまえばその世界は消えてしまうからだ。

 夢の中では時間の流れをある程度操作が可能だ。一般的な人が寝る時間、例えば7時間前後でも、十分に収穫まで育てることができる。しかし収穫できるまでずっと夢を見続けることは難しい、そのためほとんどの場合、グランは夢の主へと交渉して収穫までの時間を確保していた。


 とある夢に降り立ったメルとグランは、夢の主を探すために当たりを見回した。


「牧場に畑に……ビル? 高いなぁ」

「ここ主はビルの中のようだな」


 牧場では主に牛や山羊が放牧されており、ずいぶんとのどかな雰囲気だ。畑にはさまざまなフルーツが実っていて、小さな木に蜜柑、葡萄、メロン、桃など、一つの木からでも別々の果物が取れるようになっていた。

 周りはこんなにのどかだからか、夢の中心に立つビルは異様な雰囲気を出していた。天まで届くかのようなビルは、その周辺だけ灰色の暑い雲に囲まれていて、時々雷の音を響かせている。


「いくぞ」


 ビルの中へ入る。広いエントランスが二人を出迎えたが、人一人見当たらない。

 エレベータは動いているようだったのでそれに乗り込んだ。特に目的の階のボタンを押さずとも、勝手にエレベータは動き出す。

 メルはまるで誘い込まれているみたいだと感じた。夢自身が悪意を持ちすぎると、私達を異物と判定して攻撃されるパターンもある。メルはいざという時のために攻撃の準備を反芻する。獏の戦闘能力はそもそも高くないが、長い時間を生きるメルにも自衛手段くらいある。以前グランと初めて会った時、自衛方法を忘れるのはさすがに良くないな、と思い少し練習したのだった。

 同じくグランにも自衛方法はあるが、それよりもどのようなものを栽培できるかで頭がいっぱいだった。

 お互いの考えてることが異なるまま、エレベータが止まり扉が開く。

 二人がまず感じたことは『甘い』だった。

 長い廊下には甘い匂いが充満しており、焼き菓子やチョコレートなど様々なものを連想させた。廊下を進むにつれその匂いは強くなり、思わずメルは唾を飲み込む。

 廊下の先には大きな部屋があり、一人の女性がせわしなく動いている。

 ビル自体も異様な雰囲気だったが、その部屋はさらに異様だった。

 まず目につくのは壁一面のオーブン。所々使用されているのか耐熱ガラスの向こうがオレンジ色に灯っている。部屋にはアイランドキッチンが等間隔でいくつも並んでいて、シンクの中に使用済のボウルやゴムヘラが積みあがっている。いくつかのキッチンには焼いたばかりのクッキーが湯気を立てていた。

 まるでお菓子の工場みたいだが、そこにいるのは一人きり。グランはその光景を目にも止めず、自分の目的のためにその女性に話しかける。


「畑を借りたい」

「あら、もしかしてお客さん? お菓子なら下の階にあるから食べていって! どれも美味しいわよ」

「畑を借りたい」

「それともお手伝いさんかしら。洗い物なら沢山あるからよろしくね。洗ったものはそこに置いてくれればいいわ」

「ダメだな、夢への深度が高い」


 夢はそれ自身がもつ強制力がある。夢の中で自分で考えて行動することができることを明晰夢というが、自分で夢だと気づかない場合は、夢の中の設定から自身を外すことができない。グランが言う深度はこの強制力のことだった。


「グラン、このクッキーすっごい美味しいんだけど!」


 メルは目の前のクッキーを食べるのに夢中だった。その隣にあるロールケーキも半分減っている。

 役に立たなそうなメルはさておき、グランは腕を組んで考える。そしてこれが一番早いだろうと、少し夢を操作した。


 ぱっ、と周りの景色が消える。

 次の瞬間には先ほどいた牧場、ビルの外へと移動していた。山羊や牛が草を食む中、3人分の椅子とテーブルも用意されている。テーブルの上にはポットがあり、しっかり湯気がゆらゆらとのぼる。キッチンの上にあったお菓子も山盛りにされていた。


「あら、わたし……」

「わかるか?」

「いつの間にか美男子と美少女が目の前にいるわ」

「……まだ夢の中じゃない? グランちゃんとやった?」

「こちらを認識している。問題ない」


 グランは立ち上がり、ポットに用意した紅茶を入れる。三杯分のカップを満たしてから席に座ると、さながら小さなお茶会のようだった。

 

「あら、美味しいわね」

「ゲラルド鉱山で育った茶葉だ。乾燥した大地でしかその味は出ない、よく味わって飲むがよい」


 その女性は砂糖もミルクも入れず飲んでいたため、グランの好感度が上がった。隣で砂糖をぽちゃぽちゃ入れているメルは見ないふりをする。


「それで何の御用?」

「貴様の夢の土地を少々借りたい」

「土地、土地ねぇ……まずこの状況を説明してもらえる?この天国のような場所はどこかしら?」


 グランは空間をさっとなぞる。宙に映像が現れた。


「これは貴様の記憶から再現している」


 ふらふらと揺れる風景は、女性の視界をそのまま投影しているからだろう。

 夜道、女性の足取りはずいぶんと心もとないように見えた。人通りのない路地を、右へ左へとふらふらと揺れ、時には電柱にぶつかりそうになる。

 やがて赤信号に差しかかったが、女性の足は止まることなく交差点に進入し、やがて強い光と衝撃とともに途切れた。


「思い出したか」

「うん……夜道、トラック、轢かれたってことは、つまりここって異世界ってことね。そんなのライトノベルで良くある展開じゃない! も、もしかして貴方王位継承権持ってたりしない⁉ それでわたしに一目ぼれをして、きっと連れ去ろうとしてるのね。でもどこの馬の骨かもわからないわたしに、王は結婚なんて許してくれなくて、それを乗り越えるために二人で試行錯誤していくんだわ。ねぇ、そうでしょ!」

「なにを言ってるんだ貴様は」

「やっぱまだ夢の中なんじゃない?」


 女性のために言葉を重ねる。ここが夢の中で、彼女は昏睡状態にあることをグランが説明する。


「なぁんだ。じゃあ死んでないのね」


 まるで死んだ方がよかったかのように彼女は言う。


「それで、畑は」

「好きにしていいわ。育ったらわたしにも飲ませてくれる?」

「いいだろう」


 許可が取れるとグランはさっさと席を離れた。二人だけ残ったメルと彼女は何となくその場に残る。


「ねぇねぇ、こんなにおいしいお菓子作れるってことはあなたってパティシエって人?」

「違うわ。わたしはただの会社員よ。入社3年目、ブラック企業を辞めるに辞めれない、ただの社会の歯車」

「ふーん、もったいない。でも夢に出てくるってことはお菓子は作れるんでしょ?」

「会社に入るまでは毎日のように作っていたわ。大学も製菓サークルだったし、学生の時はいくつか賞をもらったことがあるの。でもちょっと家が厳しくってね。一度きりの公務員試験に失敗して、私は余った会社で働くしかなかった。……この夢は、本当に私の夢ね、お菓子作りならどれだけやっても苦じゃないもの。夢の中なら食器も洗わなくていいし、全部食べなくてもいいし。本当に天国みたい」


 カップを持った彼女はそう言う、メルにはそれが本心だと分かった。さっきの映像から、きっと彼女は事故にあって、身体は寝たきり状態でいつ起きるかわからない。グランが畑として選ぶ人はだいたいそんな人が多い。そんな話をするとすぐに起こしてくれ、という人がほとんどだけど、彼女にはあまり現実への執着心がないように見えた。


「ふぅん……ねぇ、よかったらなんだけどさ。あなたうちの喫茶店に来ない?」

「喫茶店?」

「うん、私とグランでやってる喫茶店があってさ。そこ、コーヒーとか紅茶とか飲み物は用意できるんだけど、ケーキとかクッキーとかも出せればなって。それにグランと二人でいても暇なんだよね。話し相手ができれば嬉しいなと思うんだけど」

「でも私で勤まるかしら。人に出すお菓子なんて作ったことないわ。大体私とか家族で食べるために作ってたし」

「それは大丈夫なんじゃないかな、これでも十分美味しいし」


 メルは手に持ったラングドシャクッキーをひょいと口に入れる。いつの間にかお菓子の山はメルによって半分くらいに減っていた。


「たぶん私とグランが帰ったら、貴方はまた夢の設定に飲み込まれちゃって、無心でお菓子を作ることになるよ。それより少しでも食べて感想をくれる人がいた方が、貴方もいいんじゃない?」


 メルの提案は、実際は自分がいつでもお菓子を食べれるようにという計画からきていた。普段の食事である夢も美味しいけれど、人のお菓子もいろいろな種類があって間食にはちょうどいい。メルとグランは適当に夢を食べることを辞めて、美味しく食べれるように手間をかけて用意をするため、夢を食事にする回数自体は以前よりずっと減っていた。

 目の前の小さな子……実際は獏だが、その子の提案に彼女は少しだけ考えた。どうせ夢の中なら、自分の思った通りに動ける方が楽しいかもしれない。それに、異世界じゃないとしてもいきなり自分の前に現れた二人組に興味がないわけではなかった。


「じゃあ、そうしようかな。私の名前は赤羽根楓。あなたはメル? とグランでいいのよね」

「やったー! カエデね。よろしく!」

「そろそろ引き上げるぞ」


 そんな話をしているとグランが戻ってくる。

 手には軍手、足は長靴を履いていて、改めてカエデから見ると全然王子様っぽくなくて笑ってしまう、けど異世界じゃなくても、これはこれで悪くない夢かなと思った。

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