大災害の隠れ場所
不自然な揺れを感じて意識が覚醒する。
起きた時にはあらゆるものが揺れていた。机の上にあったビンはがたがたと音を立て、コルクボードに下げてあったアクセサリーは床に散乱している。
震えながら毛布を握りしめていた私は、動けないままその揺れが収まってくれることを祈るしかなかった。でもその揺れは収まるどころかさらに大きくなって、やがて部屋に大きな亀裂が入り始めてから、ようやく逃げないととベッドを飛び出した。
部屋には大きな窓があって、その向こうを見て思わず身体が竦んだ。街の向こうで大きなうねりが暴れている。マンションなんか目じゃないくらいの大波が、地上にあるもの全てを飲み込みながら迫ってくる。
早く逃げないと!
自分の部屋を出て、亀裂ばかりで今にも崩れそうな階段を下りる。一階にある居間には誰もいなかった。
お父さんとお母さんはどこに行ったのだろう。ものが散らばる廊下を進む。寝室、和室、お風呂場と次々と部屋を確認しても、そこに人の気配はない。もしかしてもう外に逃げてしまったのだろうか、私を残して。
メキメキと家がきしむ、大量の水がせまる轟音が聞こえてくる。もう間に合わない。そう思った私はとっさに一階の隅、倉庫として使っていたドアを目指す。そこはコンクリートむき出しの、二畳しかない小さな部屋で、子供の頃から絶好のかくれんぼ場所として使っていた。お母さんに怒られて一人で泣いている時なんかも私はそこに逃げ込んでいて、いつかお母さんが開けてくれるのを待っていた。
素早く入ってドアを閉め、開かないように体重をかける。頭の中では無駄だと思っていても、いつか両親がこの扉を開いてくれたら――
カラン カラン
「あのー……そんなにドアを押さえたら壊れちゃうので」
「だって津波が! ……つなみが?」
右を見て、左を見る。いつの間に喫茶店に入ったのだろう。扉の前で崩れ落ちる私を見ていたのは小さな店員さんだった。
「大丈夫ですか? よければこちらのお席で休んでください」
訳がわからないまま店員さんに案内されたのは、大きな窓があるテーブル席だった。窓の向こうには忙しなく車が走っていて、広い道路に面しているのがわかる。
地震も津波もまるで幻だったかのように、外では日常が流れていた。
ぽーっと外を見ていると、お水入ったグラスと湯気が出ているおしぼりが置かれる。なぜかそれは、誰もいない私の向かいの二席にも置かれた。
「あの、誰か来るんですか?」
「そう聞いておりますが……長内シズコ様で間違いないですよね」
「シズコは私ですけど」
「ではもう少々お待ちください。お先に飲み物はいかがですか? 本日はソラノ大平原で育てられた貴重な茶葉が入っているのでそちらがオススメですよ!」
「……じゃあそれで」
「かしこまりましたー」
オススメした注文が取れて嬉しいのか、小さな女の子はぴょんぴょんと弾むようにカウンターの向こうへと消えていった。
また一人で待つことになり周りを見回す。こじんまりとした印象の喫茶店だった。カウンター席は4つ、テーブル席は4席分だけど、私が座っている一つ分しかない。カウンターの中では背の高い店員がテキパキとお茶の準備をしていて、その店員の後ろにはさまざまなカップがまるで展示品のように並んでいた。
カウンターの向こうにはのれんで区切られた部屋があって、そこがキッチンなのかな? と想像する。
なんだか、既視感がある。ここってそういえばあそこに似ているような。
カラン カラン
「いらっしゃいませー」
入ってきた二人組を見て、私は目を輝かせる。
「お父さん、お母さん、待ってたよー」
「おぉ、先に来てたのか」
「待たせちゃってゴメンね。お父さんが本屋さんに寄りたいって聞かなくて」
お母さんとお父さんが仲良さそうに入ってきた。お母さんはちょっとお洒落な感じで、お父さんはいつもと同じYシャツを着ていた。片手には本が入っているのだろう紙袋が抱えられている。
「大丈夫、私もさっき来たところだから」
「そうか、シズコは方向音痴だから少し心配だったんだよ」
「もー、大丈夫だってば」
二人が席に座る、グラスとおしぼりはそのためだったのだろう。
「……ご注文をお受けいたします」
小さな店員さんの代わりに、カウンターにいた店員が注文をとりにくる。
高い身長と低い声に、私は少しだけ萎縮しちゃったけど、お母さんとお父さんは普通に私と同じものを注文した。
「先にこちらを。ソラノ原産、アプリコットティーになります」
綺麗な花柄があしらわれたカップが置かれる。中を満たすのはほのかなピンク色をした紅茶だった。色の薄さに反して甘酸っぱい匂いが強く、匂いだけでなんだか華やかな気分になる。
「こちらはミルクです。ですが是非ストレート、で飲むことをオススメいたします」
ちょっと圧を感じるくらいのオススメだった。店員さんはそうしてカウンターへ戻っていく。
お母さんとお父さんの飲み物もすぐにきて、しばらく3人で他愛もない話をする。
お父さんは相変わらず時間にルーズだとか、お母さんのはまっている料理の話だとか、最近の私の話とか、話すことはたくさんあった。まるで何年も話していなかったかのように、伝えたいことは次から次へと出てくる。
紅茶の2杯目が注がれていたタイミングで、お父さんが小さな店員に目配せをする。それは私にもバレバレなサインだったけど、なにも言わないであげる。
なにかあるのかな? と期待しているとカフェの中が若干薄暗くなる。そして現れたのは蝋燭の明かりがひと際周囲を照らす、大きなホールケーキだった。
「こちらご注文のケーキになります!」
真っ白いクリームに包まれたケーキは、蝋燭が2本立っていて暖かい火を灯している。上に乗っているチョコプレートには『Happy Birthday shizuko』と書かれていた。
サプライズに目をときめかせる。その時、喫茶店に入った既視感の正体がわかった。
それは私の9歳の時の誕生日だ。お父さんの友人が始めた喫茶店をその日だけ貸し切って、盛大にお祝いをしてくれたことがあった。お父さんとお母さん、それに近くの友達を招待した小さなパーティは、まさに私が主役で。綺麗な服にたくさんのプレゼントに囲まれ、人生の中でも特別な一日だった。
いつの間にかそこには9歳の私がいた。あの時と同じように、お父さんとお母さんに甘え、ケーキを食べさせてもらい、プレゼントを貰う。お父さんの友人や私のお友達はいなかったけど、それはあのお祝いの再現だった。
「じゃあ、そろそろ行こうか」
大きなケーキも残り少なくなり、お父さんとお母さんが立ち上がる。まだまだパーティを続けたい私は席から離れなかった。
「どうしても行かなきゃダメ? ずっとここにいようよ!」
「いやぁ、ずっとは店員さんも困っちゃうよ。それに僕にも行く場所があるしね……。シズコもやることがあるだろう?」
「……やることなんてないよ。お父さんとお母さんといるより、大事なことなんて」
「いや、あるはずだよ。シズコの中にあるはずだ。思い出してごらん?」
お父さんに諭されて、私は頷く。お父さんの大きな手が私の髪を撫でた。
「頑張ってね、応援してるわ」
「困った時はなんでも話してね」
お父さんとお母さんに手を引かれ、喫茶店の出口へと導かれる。私の姿は9歳じゃなくて、今の私に戻っていて、扉の向こうは壊れた廊下じゃなくて、やわらかい陽が指す廊下だった。
「またのおこしをお待ちしていますー」
そんな一言を背に、私はお父さんとお母さんの手から、ドアの向こうへ歩き出した。
カラン カラン
「……夢か」
そこは見慣れたワンルーム。飾り毛のない壁に小さなテレビ、昨日食べたお菓子の袋がテーブルの上に残っている。
いつもは洗面台に行って一日の用意を始めるけど、今日は自然と部屋の隅にある仏壇に足が向かった。
蝋燭に火を灯し、お線香に火を移す。お線香の白い煙が部屋の中を漂って消えていく。
おりんを二回鳴らし、手を合わせた。
「お父さん、お母さん。今日で私は二十歳になりました。……夢だとしても、誕生日を祝ってくれてありがとう」
幸せな夢だった。未曾有の大地震で両親を亡くし、十年間一人でここまでやってきたけど、まるでご褒美のような夢だった。
込み上げてくる涙を押さえながら、お線香が燃え尽きるまで、私は手を合わせ続けた。
★ ★ ★
「今回はうまくいったね」
「そう毎度毎度気づかれてはかなわん」
「それもそうだけどね……あ、ケーキ残ってる。メインディッシュの前に食べちゃう?」
「お茶を入れよう」
「意外と甘いものも好きだよね、私もそうだけど。それじゃよろしくー」