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珈琲とシュークリーム

「もう開店ですよー!」

「待て、まだカップの汚れが」

「十分ピカピカです! それ以上磨いても変わりませんよー」

「わからんのかここのくすみが。カップは常に汚れ一つ許してはならん。珈琲の深淵たる黒さや、紅茶が美しく反射する光の輝きを邪魔してしまうではないか」

「はいはい、じゃあそこで永遠に磨いててくださーい。こっちは勝手にお店開きますんで」

「待てと言っているだろうが」

「お客さんは待ってくれないんですよ。ほら、来ますよ」


 カラン カラン


 それは今でも夢に見る、子供の頃の夢。

 田舎にあるおばあちゃんの家、家族でたまに遊びに行くとき、決まって会うのは近くに住んでいた女の子だった。

 その女の子はあまりいい暮らしをしていないようだった。服もどこかほつれていたし、髪も伸びっぱなしで、前髪が目の下までかかっていた。あんまり笑わないし話さない、公園で遊んでいても僕の後ろについてくるだけ。だから僕ばかり話していた気がするけど、それでも当時の僕が彼女と会っていたのは、ふとした瞬間に笑った彼女の顔がとても可愛いかったからだ。

 ある日、いつも通り公園で待ち合わせをしていたのに彼女はなかなか来なかった。待つことが退屈で、僕は迎えに行こうと思ってあぜ道を進んだ。夢の中でもあぜ道は当時と変わらず、まっすぐに伸びた道が広い田んぼに囲まれている。

 その先にある大きな家……の脇にある小屋のような場所に、彼女は住んでいた。その小屋は壊れかけで、一見して人が住むような場所ではなかった。

 彼女を驚かせようと思って忍び足で扉の前に辿り着く。扉の向こうからはおかしな音が聞こえていた。なにかが暴れているような、ドタバタとした音。

 外から声をかけることも出来たけど、その音には子供の僕でも異常を感じた。だから鍵のかかってなかった玄関から、こっそりと中に入る。

 小屋の中は薄暗い、廊下は所々塗装が剥げていてまるでお化け屋敷のようだった。足音を立てないように、一つの戸の前へ立つ。戸は摺ガラスになっているが、その向こうでは今も暴れるように大きな音と影が動いていた。

 何度も見た夢だ、僕はこの先でなにが起こっているか知っている。けど夢の中じゃその記憶をなぞるばかりで……言うことを聞かない僕の手は、あの日と同じように戸に手をかけた。


 カラン カラン


「いらっしゃいませー!」

「……」


 その扉の先は、喫茶店だった。

 いつも見ている夢と違うと咄嗟に思い、けれどその元気な店員の声に、あの夢の続きではないと分かって僕は安堵した。


「こちらの席にどーぞー」


 小さな店員に言われ、カウンター席に座る。カウンターの上には砂糖が入ったカップと、紙ナプキン、小さなメニューがあった。

 さっと暖かい拭きタオルと水が入ったグラスが置かれる。


「……ありがとう?」

「いーえー」


 困惑しながらのお礼に、その店員は満面の笑みでトレイを抱える。改めて見るとその店員は背が小さく、小学生に上がりたての僕の妹を連想させた。紺色のスカートにレースが多いエプロンはまるでメイドかと思えば、金髪のくせっ毛と青い瞳は妙にミスマッチで、日本文化に被れた外国の小さな子のように見える。

 カウンターの向こうにはカップを拭く店員がいた。線が細く背が高い、丸い眼鏡と紫がかった長髪はずいぶんと冷たい印象を受ける。目の前に僕が座っても一切視線はこっちに向かず、その目は一心にカップに注がれていた。


「本日のオススメはクアンデル産の珈琲、またはバハメ産のダージリン、ファーストフラッシュとなっていまーす!」

「……じゃあ珈琲で」

「ミルクはつけますかー?」

「お願いします」


 カウンターの中にいた店員がなにも言わず動き始める。麻袋から黒い豆を掬い、珈琲ミルに入れる。ハンドルを回すとごりごりという音と、濃い珈琲の匂いがしてきた。


「ケーキは好きなものをご用意できますー」

「あ、えっと……」


 甘いものはあんまり好きじゃない。

 唯一甘いものを頼むのは近くのチェーン店で出している甘さ控えめのシュークリームくらいで、ケーキはほとんど食べなかった。


「ご注文承りましたー」


 何も言っていないはずなのに、店員はそう言ってカウンターの向こうへ行ってしまった。止める間もなかったけど、まぁ珈琲と一緒なら食べれないこともないから、改めて呼ぶこともないかなと思う。

 カウンターの向こうでは珈琲を抽出しているのが見えた。ポットの中を落ちる雫は波紋を広げ、そしてゆっくりと溜まっていく。

 ある程度の珈琲ができると、真っ白なカップにお湯が注がれる。カップ縁の金色のラインが水滴を反射した。

 カップが温まるとお湯を流して水気を拭き、高い位置から珈琲が注がれる。一滴もカップの外に零れることなく、一杯分の珈琲が出来上がった。


「お待たせしましたー」


 いつの間に現れたのか小さな店員がカップと同じく金色の縁があるお皿をテーブルに置く。その上には僕が好きなシュークリームと瓜二つのものが乗っていた。


「ごゆっくりどうぞー」


 ぴかぴかに磨かれたフォークが置かれる。珈琲にシュークリーム、それはティータイムとして完璧な組み合わせに思えた。

まずは珈琲を……。


「……お客様、どうかなさいましたー?」


 いつまでもカップを持ち上げない僕に、小さな店員が声をかける。

 僕はカップに手をかけた指をそのままに、店員へ尋ねた。


「これなんですか? 僕の夢ですよね」


 一瞬、時が止まったような感覚。それから小さな店員も、背の高い店員も同じくため息をこぼした。


「たまにいるんですよねぇ、耐性がある人」

「仕方があるまい。でもまぁ、久方ぶりではあるな」


 背の高い方の店員の声を、その時初めて聴いた。


「説明、してくれます?」

「もちろんですー。まずは自己紹介から……私はメルと言います。そしてあちらにいるのが」

「グランディアシュタール・ノイルメーハ・ツェルト」

「は長いのでグランとお呼びください」

「……グランディアシュタール・ノイルメーハ」

「グ、ラ、ンと私はいわゆる獏っていう種族です。知ってます?」

「ばく? えっと……夢を食べるとか」

「そーそー、その獏です」


 その獏、というけど、僕の知っている獏はもっと動物っぽいイメージだ。あからさまに人間っぽいからそういわれてもなかなかピンとこない。


「あー、それはですね。今はあなたの夢の中にお邪魔しているので、私もグランも人に近いイメージをとってるんですよ。津村ユウリ君」

「なんで名前を、というか」

「そうですよ。ここはあなたの世界なので、あなたが考えてることも私達にはわかります。まぁ話してもらった方がちゃんと意味が伝わりますけど」

「……そうなんだ」


 さっきまで子供だったはずの手をみると、その手は現実と同じ中学生の大きさになっていた。

 夢の中にいるはずなのに妙に自由に動けるのも、この二人がいるせいかな。

 

「あと、これが一番意味わからないんだけど、今の獏って喫茶店経営してるの?」

「あーこれはですねぇ」

「我の趣味だ」


 その答えはグランの方から返ってきた。手元ではスプーンを磨いている。


「えっと、半分そうなんですけど。獏って悪夢……わかりやすく言うと強烈な夢が好物で、今日も津村君の夢をいただきに来てるんです」


 獏っていうからにはそうなんだろうなとは思っていた。ただそれだけなら目の前に出された珈琲とシュークリームは別に必要ないはず。


「悪夢を見てる人の夢って、えーっとそうですね……人の表現でいうと栗みたいなもので! 中身はすごくおいしいんですけど、外側がトゲトゲしてるんですよね。他の獏とかはトゲのまま食べちゃうんですけど、私とグランは舌がちょっーと肥えているので、美味しいとこだけを味わいたいんです。トゲがない夢って美味しいんですよー、雑味がないっていうかー。で、そのためにはこうやってリラックスしてもらって、私たちに心を許してもらうのが一番でですね」

「……はぁ、そしてもう半分が?」

「我の趣味だ」


 獏ってこれが普通なのか、それとも獏の中でもメルとグランが普通ではないのか、僕には判断がつかなかった。

 なんとなく事情を把握して、とりあえず目の前のものをいただくことにした。

 まずは珈琲を一口。

 苦味はしっかりとあるけど飲みやすく、後からくる甘味が強い。あんまり珈琲の種類は知らないけれど、素直に美味しいと思った。

 その後にシュークリーム。たっぷり詰まったクリームはとても軽くて爽やかな甘み。僕が好きなチェーン店のシュークリームとよく似ている気がした。


「あ、シュークリームは津村君の記憶から持ってきてるので、そのチェーン店のやつです」

「え、そうなの?」

「グランは珈琲とか紅茶には興味あるんですけど、お菓子についてはからっきしなんですよ。なので既製品をお出していますー」

「どうりで食べたことある味だと思った」


 つまりは夢の産物ってわけだ、まぁ美味しいからいいか。

 でも珈琲はやっぱり少し苦いな、ミルクと砂糖はいるかも。と、カップに添えられたミルクを手に取る。


「ミルク……だと?」


 低く響く声に手を止める。少し視線を上げると、グランがすっごい顔で睨みつけている。

 見ないふりをしてミルクを入れる、砂糖は2つくらい欲しいな……。


「その上砂糖も! なんという暴虐!」

「あーもーほっといていいですよ。グランは珈琲も紅茶もストレートしか許せないと思ってる異常者なんで。私はミルクも砂糖も入れます」


 メルの飽きれたような言葉に安心して珈琲を混ぜる。再び口をつけるとだいぶ飲みやすくなっていた。


「えっと、それでぇ」


 シュークリームと珈琲がすっかりなくなった頃、メルがすり寄るように近づいてきた。


「津村君の夢、ご馳走してくれます?」

「我の入れた極上の珈琲を飲んで、断る選択肢などないがな」

「あーもーそういう言い方しない!」


 そういえばそんな話だったなと思い出す。美味しい珈琲に好きなシュークリーム、気分はすっかりリラックスしてしまっていた。きっと今なら、メルが言っていたトゲもないんだろう。


「夢って食べられたらどうなるの?」

「これから見る夢には出てこなくなりますね、津村君にとっては悪夢のはずなので、win-winな取引だと思います」


 両手でピースをしてWの形を作るメル。まぁメルの言う通りだ。

 夢で見るあの扉の向こうで、彼女が酷い虐待されているのを目撃したのは僕の中のトラウマだ。

 その時はすぐに逃げ出して親に報告し、警察が対応したのは知っているけど、それから彼女と会うことはなかった。

 あの後、彼女がどうなったのかを僕は一切知らない。月日が流れて、きっとそのまま忘れるのが自然な流れなんだと思う。この悪夢も昔より見る頻度はずっと減っていて、もっと大人になることには見なくなるような気がしていた。それがちょっとだけ早くなるだけだ。

 ただ彼女が今どうしているのかだけ、どうしても気になっていた。


「なんだ、些末なことだな」


 それは僕がなかなか返事をしないのにしびれを切らした一言だった。

 グランが宙に手をかけたと思うと、とある映像が浮かぶ。

 それは羊が空を駆ける映像だった。星がたくさん散りばめられた夜空を、ちょっとデフォルメされたパステルカラーの羊が宙を駆けている。そしてその中には羊の上には一人の女の子がいた。


「見ろ、お前が心配しているヤツは、ずいぶん能天気な夢を見ているぞ。気にしているのはお前だけだ」


 グランがいう能天気な夢の中で、僕が目を止めたのは羊だった。

 その羊は、僕が彼女にあげたぬいぐるみに瓜二つだった。いつの日か、泣いている彼女を慰めるために、たまたまお祖母ちゃんの家にあったぬいぐるみをあげたんだ。

 もう二度と会うことはないと思っていた。いや、会いたくなかったのは僕の方だった。あの時のことを思い出してしまうから。

 でも僕と同じように成長した彼女は、僕の心配をよそに夜空を駆けている。


「……そうみたいですね」


 僕のつぶやきに、映像が途切れる。


「珈琲とシュークリーム、ご馳走様でした。夢はあなたたちにあげます」


 本当に嬉しそうなメルと、得意げに笑を浮かべるグラン。ここが喫茶店である意味が、なんとなくわかった気がした。


 カラン カラン


「いやー、グランも珍しくいい仕事をしましたね」

「珍しく? 我の仕事は一挙手一投足が完璧だが」

「はいはいそーでしたねー」

「それより、早く夢を頂こう。今回はなかなか良いものを収穫できたな」

「あっ、私紅茶で!」

「ふむ、良い夢には良い飲み物を、だな。しばし待て」

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